こんにちは。織田です。
今回は2021年公開の映画『NO CALL NO LIFE』をご紹介します。
ホリプロ60周年を記念して制作された映画で、主演は優希美青さんと井上祐貴さん。
監督・脚本は井樫彩監督です。
原作は壁井ユカコさんの同名小説。単行本は2006年に出版されたので15年前ですね。
3月に一度映画館で観たんですが、レンタル配信が開始されていたのでもう一度見直してみました。
高校生のラブストーリーでありながら、心がひりつくような映画でした。また、とても画が印象的な作品だったという感想をお持ちになった方も多いと思います。
今回はそのヒリヒリした感覚の理由を、以下の3点から考えて感想を書いていきます。
- 危うさの表現
- 作品と海の関係
- 「帰る」と「還る」について
あらすじ紹介
高校3年生の夏、携帯電話に残された過去からの留守電メッセージに導かれ、佐倉有海は学校一の問題児・春川と出会い、そして恋に落ちた。親の愛を受けることなく育った有海と春川。似た者同士のような2人の恋には、恐いものなんて何もないと思っていた。明日、地球に隕石が衝突して世界中の人類が滅んで2人きりになったって、困ることは何もないような気がした。無敵になった気分だった。それはあまりにも拙く刹那的で欠陥だらけの恋なのに・・・。
『NO CALL NO LIFE』の原作小説は単行本が2006年に、文庫が2009年に刊行されました。現代よりも人と繋がるツールとして「電話」が大きな意味を持っていた時代です。
映画では有海(優希美青)の着歴に「2011年」と表示がありました。2011年を思い出してみると、今ほどSNSが連絡ツールとしては普及していなかったので通信手段として「電話」が持つ意味は結構大きかったんじゃないかなと思います。
スタッフ、キャスト
監督・脚本 | 井樫彩 |
原作 | 壁井ユカコ |
佐倉有海 | 優希美青 |
春川真洋 | 井上祐貴 |
佐倉航佑 | 犬飼貴丈 |
日野ちゃん | 小西桜子 |
チサコ | 山田愛奈 |
有海(優希美青)は「うみ」、春川(井上祐貴)の名前・真洋は「まひろ」と読みます。
映画のネタバレ感想
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
−−訳ありな過去の傷を抱える少女が、学校の問題児(といわれている)少年と出会い、お互いの弱い部分を同族連帯的に埋めていく。2人だけのこの世界に恐いものなんて何もなかった−−
『NO CALL NO LIFE』は少女・有海(優希美青)と春川(井上祐貴)の刹那的な恋を描いた作品です。
春川の髪が明るいオレンジ色で、彼の持つ危険性や陰の部分が有海の隠し持つ闇を引き立たせる様は、菅田将暉さんが金髪少年を演じた『溺れるナイフ』と似た感覚を受けました。
友人が主人公のためを思って…というテイで裏切るのも『溺れるナイフ』と近いものがあります。
物語後半で事を起こし、表社会から逃げて生きる形になった有海と春川の恋は、刹那的で脆いものでした。若すぎたといってもいいかもしれません。
展開も含めて心がひりついたんですが、その理由としてこの映画には危うさや儚さが常に背中合わせにあったように感じたんですよね。
危うさ、儚さと水、灯
危うさ、ざわつく心を感じさせるものとして、まず挙げられるのが雨です。
春川が母親と会うときも、春川の家で有海が過去の自分に電話をかけるときも、春川がいなくなったあの夜も、春川を探したあの日も、2人の世界には雨が降っています。
有海が「まひろくん」からの着信を聞いたときもそうですよね。耳障りな接続音とともに、彼女の心に暗い雲が垂れ込みます。
作品内の雨について、井樫彩監督はCinema Art Onlineさんのインタビューで言及していたので引用します。
雨が降っているだけでその子たちの心情の描写になるというか、雨がポツポツ降っているときとザーッと激しく降ってる時の気持ちって違うと思うんです。本人たちの感情も違うし、観た人の印象も違うと思ってて。なので、登場人物たちの気持ちが暗いときは雨が降ってるとか、意図的に入れていました。
雨に限らず、花火のバケツ、有海が口をゆすぐミネラルウォーターなど、物語の中では「水」が所々でキーになっていました。作品を覆う青みがかった画も同様です。
海辺の町が舞台ということもありますが、有海と春川は青いフィルターのかかった世界に生きています。この青も、「未完成」な有海と春川を印象づける要因とともに、水が2人を包むような感覚を受けました。
一方、花火に代表されるような光、灯火も、有海と春川の世界に流れる儚さをたとえていたのではないでしょうか。
火花を散らしながら数十秒後には消えてしまう手持ち花火は、美しくも儚いものです。作品の根幹にある「刹那」という瞬間的な部分にも合致しますし、一歩間違えれば火傷してしまう危険性も有しています。
『花火みたいな恋をした』というタイトルがついていても違和感がありません。
有海が春川との帰り道で追いかけるホタルも同様です。美しい光を放ちながら飛ぶホタルですが、成虫の寿命は1週間ほど。限られた命のなかで輝く光に漂うのは、やっぱり儚さなんですよね。
作品と海の関係
『NO CALL NO LIFE』のキーとなっている「水」の中で、とりわけ大きな要素を占めるのは海ではないでしょうか。
(佐倉)有「海」、(春川)真「洋」の2人に加え、有海のいとこ・航兄も「航」と海にちなんだ名前がついています。
舞台となった海辺の港町もそうですよね。
有海と春川が出会った場所であり、ラストシーンにも登場した埠頭。夜の海を照らす灯台。
2人にとっての日常は海が見える世界で、春川は将来のことを漠然と有海に話します。「FBI」、「NASA」、「海外」というフレーズが出てくるように、「海」の向こう側にある外の世界を意識しています。
🎬 "埠頭"
「俺のこと、怖い?」
千葉県いすみ市にある大原漁港。
とても素敵なロケ地で、とても素敵なシーンが撮れました。#優希美青 #井上祐貴
#NCNL #映画NCNL #NOCALLNOLIFE pic.twitter.com/Oh3Nh65e9a— 映画『NO CALL NO LIFE』公式 (@ncnl_movie) February 9, 2021
2人が出会い、有海が春川を見つけ、最後に春川に会いに行く埠頭について言えば、埠頭とは船を留めて貨物の積み下ろしや人の乗降に使われるための場所です。「波止場」とも言います。
要は「港」における乗り降り場で、列車の「駅」でいう「プラットホーム」みたいな感じですね。
そしてこの映画の題名『NO CALL NO LIFE』に入っている「CALL」には、「電話する」とか「呼ぶ」の他に、船や列車などが「寄港する/停車する」という意味があります。「call at the port【寄港する】」、「Port of call【寄港地】」みたいな形で使われます。
この「寄港する」部分を考えると、ある種この映画が持つ「刹那」という瞬間的なテーマを表現しているのではないでしょうか。
(親からの愛情を受けずに)海のような日常をさまよっていた有海と春川は導かれるように埠頭で出会い、恋をしました。有海にとっての春川は、また春川にとっての有海は、身を寄せることができる大切な寄港地ともいえます。
ただあくまでもそれは一時的、刹那的なもので、長続きしない。
寄港した2人は、最後にはまた別の道を歩んでいくことになりました。
もし舞台が埠頭のある港湾ではなく、遠浅の砂浜が広がる海岸だったら、またイメージが違ったと思うんですよね。「入る」ことができる海岸と、「飲み込まれる」ような港湾では海の持つ印象が違います。
ちなみに映画内で有海が航兄に「みんなで海に行く」と嘘をつくシーンがありましたが、あの「海」は砂浜がある海水浴場の意味で、埠頭とは違うはずです。
「帰る」と「還る」
もう一つ『NO CALL NO LIFE』で緊張感を漂わせる要素に、春川が口にする「殺してしまいたくなるほど好き」というものがあります。刺激的でしたね。
「俺のそばに居てくれないなら、死ねばいいと思った」(春川)
文脈的には、育児放棄で帰ってこない母親に対しての春川の想いですよね。転じて、好きな人に対しては「殺したくなるかもしれない」けどいい?と有海に確認します。それを有海も受け入れて、自分が思う「好き」の尺度にしていきました。
有海は航兄に対して「日野ちゃんのこと、殺したくなるくらい好き?」と聞いています。「好き」の定義に人一倍こだわっていた有海にとってもしっくりくるものだったんでしょうね。
「お彼岸の日に死んだ人がかえってくるなら、お母さんも死んでればいいのにな」(春川)
こちらは少年時代の春川の告白。
僕のもとに帰ってこないなら、いっそ死んでしまえばお彼岸の日に戻ってくるだろう、会えるだろうということです。
翻って、春川が亡くなり、有海が彼からの留守電を聞いて埠頭で再会するシーンについて考えてみます。
夏休み明けに(日野ちゃんの勘違いによって)春川が事を起こし、なお有海がまだ夏服を着ていたのを考えると、有海と春川が埠頭で再び会ったあのシーンは秋のお彼岸、秋分の日前後のことだと思うんですよね。
春川の考える「大切な人はお彼岸の日にかえってくる」という部分が描かれたものではないでしょうか。
ここで言う「かえる」は「帰る」よりも「還る」の方が適切かなと思います。自分のいるべき場所に戻る「帰る」ではなく、元の状態に戻る意味での「還る」です。色々なところを巡った上での「還る」です。
「還る」は「土に還る」とか「海に還る」とか、生命を終えて自然の状態に戻る、つまり「死ぬ」といった文脈でも使われます。
『NO CALL NO LIFE』では春川少年がウサギや猫の亡骸を、また愛する母親のワンピースを土に埋めた過去がありました。
「愛」と「死」が刺激的な言葉で描かれていましたが、その向こうにある「還る」部分はこの映画の救いだったと感じました。
危うさが背中合わせに隣り合う刹那的な愛。
心がひりつき、擦り切れてしまうほどにパワーのある作品でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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