こんにちは。織田です。
2015年の『友だちのパパが好き』をAmazon Prime Videoで鑑賞しました。
山内ケンジ監督、主演に『冷たい熱帯魚』などの吹越満を据えています。
個人的には2019年の鑑賞締めとなった作品でしたが、最後の最後に凄いの観たな…というのが正直な感想。
親友の父親を好きになってしまった女子の、変態で純粋な愛を描いた素晴らしい作品でした。
『友だちのパパが好き』のスタッフ、キャスト
監督・脚本:山内ケンジ
箱崎恭介:吹越満
箱崎妙子:岸井ゆきの
吉川マヤ:安藤輪子
箱崎ミドリ:石橋けい
生島ハヅキ:平岩紙
村井コウジ:前原瑞樹
田所睦夫:金子岳憲
川端惚一:宮崎吐夢
岸井ゆきのは2019年公開の『愛がなんだ』で主演のテルコを演じるなど、目覚ましい活躍を見せている女優の一人です。
岸井ゆきのが出演していたことが、僕がこの映画を鑑賞するに至った理由のひとつですが、本作品でもキリッとした力強い目と演技感のない自然会話で彼女らしさを存分に発揮していました。
また、基本的に本作では演技力に疑問符をつけるような役者さんが一人もいません。
かなりタブーな男女関係の領域に踏み込んだストーリーでしたが、それが滑稽に映らなかったのはキャストの力が大きかったのではと思わされます。
笑いあり、驚きあり、共感あり。個人的には相当な爆弾をぶっこまれた、そんな感覚でした。
あらすじ紹介
ある日、マヤ(安藤輪子)は親友である妙子(岸井ゆきの)に、彼女の父親・恭介(吹越満)が好きだと打ち明ける。それを聞いてあきれ果てる妙子と笑う母親のミドリ(石橋けい)だが、当の本人である恭介は悪い気がしない。だが、それを機にマヤは公然と恭介に対して激しいアプローチをかける。次第に彼女の強い思いと猪突猛進な姿は、恭介とミドリ、彼の愛人を筆頭にさまざまな者たちの関係を変化させていくように。やがて、思いも寄らない恋愛模様が繰り広げられるが……。
設定の核としては、箱崎家の主人である恭介(吹越満)と、彼を好きになってしまったマヤ(安藤輪子)と、マヤの親友であり恭介の娘である妙子(岸井ゆきの)です。
恭介には妻であり妙子の母であるミドリ(石橋けい)がおり、当然ながらマヤの寄せる恋心は友だちの父親との不倫です。
本気になったら不倫関係に突入するとわかっていながらも、マヤの中でそれは純愛なわけで、彼女は恭介の娘である妙子に、“父親”への想いを打ち明けます。
普通に考えれば自分が友だちの父親を好きになることでその友人は悲しい思いをするとわかるはずだし、実際にマヤもそれを理解はしていたはずです。
けれど彼女の中にある想いは抑えられないので、境遇、運命よりも自分の愛に素直にしたがって行動するマヤ。
彼女の純粋な愛情表現は結果として“思いもよらない恋愛模様”を引き起こしていきました。
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
映画のネタバレ感想
以下、作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
禁断の恋
世の中には歓迎される恋愛と白い目で見られる恋愛の2種類があります。
白い目で見られてしまう恋愛というのは学校における独身教師と生徒のような立場に由来するものや、恋愛関係を他者と結んでいる人がそれ以外の人間と恋に落ちる道徳的な裏切りがあります。とりわけ既婚者が行うものは浮気ではなく不倫と呼ばれ、倫理に著しく反する行為として捉えられています。
本作品で言えば既婚者の恭介(吹越満)とマヤ(安藤輪子)の関係は後者にあたり、まぎれもない不倫関係にありました。
また教師と生徒という、立場的に歓迎されない男女関係もこの映画では一つの要素として描かれています。
マヤの場合は、不倫対象の父親の娘である妙子(岸井ゆきの)に、「あなたのお父さんが好き」と公言する手法をとりました。
これはいわば宣言不倫で、妙子は当然「は?」となるわけですが、マヤの中では「好きになった相手がたまたま友人の父親だっただけ」であり、そこに策略とかはありません。
彼女の中での恭介との関係は不倫ではなく純愛です。
妙子との仲を利用するとか、妙子を困らせてやろうなどという思いもなければ、恭介と恋愛することで彼側の何かが崩壊するかもしれないといった危機意識も背徳感もありません。
妙子はそんなマヤに向かって「変態」「気持ち悪い」と言い放ちます。至って正常な心理です。僕も妙子の立場だったら同じ言葉を投げつけていたと思います。
それでもなお、マヤの恋心は止まることがありませんでした。
リアルな会話シーンは必見!
キャスト紹介の項で、この作品には演技力の乏しい役者さんがいないと書きました。
優柔不断で押しに弱そうな親父を表現しつつ、それでいて女性を引きつけるたたずまいとトーク力を兼ね備えていた吹越満(恭介)を筆頭に、全てのキャラクターがそこらへんの日常にいそうなレベルでリアル再現度の高い作品です。
常にテンションの低い(その理由も映画が進むにつれて何となくわかってきます)母親を演じた石橋けいや、幸せでたまらないというニヘニヘした笑みを常に顔に貼りつけながら恭介への想いを語り尽くす安藤輪子(マヤ)。個々人の良さを挙げていったらキリがありません。
また、この映画では長回しで会話を撮影する手法が多く取られています。
箱崎家のリビングで。住宅街の曲がり角で。レストランで。ホテル街の前で。
そんな長回し特有の重さに負けることなく、僕たちがイメージできる、どこにでもある日常の風景のどこかで、登場人物たちは言葉を交わしていきます。極めて自然な会話によってです。
こちらの予告編に出てくる妙子とマヤの会話。
「いつでもくれてやるよあんな親父」
「えっ?」
「えっ」
予告映像によく用いられる類のリズムの良い会話ですが、この映画の凄いところは全編を通じてこのようなリズミカルな言葉のキャッチボールが連続していくところです。
無理矢理に思えるようなセリフや、“演じている”とこちらが感じるやりとりがありません。皆無と言ってもいい。
「壊れている」マヤを上手に使いながら、「壊れていない」妙子が視聴者の代弁者となって反論したり突っ込んだりする掛け合いは何度見ても飽きませんし、LINEらしきメッセージツールやマヤの(神経を逆なでするような)純粋な発言には笑ってしまう要素もたっぷりです。
脇を固めるキャラクターたちのバックグラウンドにもいちいち手が込んでいて、そのストーリーを説明するのがまたも他者との自然な会話の数々。全てを言葉によって繋いでいく形は演劇を見ている感覚に近いかもしれません。
ドロドロ要素もクズ要素も純愛要素もコメディも上手に詰め込んで、修羅場をこの上なく多角的に描いた傑作。
めちゃくちゃ笑いましたが、自分が当事者だと考えると吐きそうになる。不思議な魅力たっぷりでした。
この映画製作に関わった人全てにスタンディングオベーションしたい!満点!!