こんにちは。織田です。
今回ご紹介するのは2012年に公開された『悪の教典』(R15作品)。
原作は貴志祐介の小説で、三池崇史監督がメガホンを取り実写映画化されました。
学校で殺人を繰り返すサイコパス教師・蓮実聖司を伊藤英明が演じたスプラッター映画。
大島優子が「私はこの映画が嫌いです」と涙ながらに発言して話題を呼びましたが、僕も2015年に事前知識を持たず観た際に抱いた感情は「嫌い」でした。
あれから5年。
今さらながらコミックスを全巻読んだ上で、再鑑賞に臨みました。
この記事は映画のネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。
あらすじ紹介
いつもと順番が違いますが、先にあらすじからご説明します。
サイコパスの天才人気高校教師が学校内で殺戮を繰り広げる衝撃の展開で話題となった貴志祐介の問題作を、「十三人の刺客」の三池崇史監督、「海猿」シリーズの伊藤英明主演で映画化した戦慄のバイオレンス・エンタテインメント。共演は二階堂ふみ、染谷将太、林遣都、山田孝之、平岳大、吹越満。
頭脳明晰なうえ爽やかなルックスで生徒はもちろん、同僚やPTAからも信頼の厚い高校教師、蓮実聖司。しかし彼の正体は、自分にとって邪魔な人間と思えば、平気で殺すことができるサイコパス(反社会性人格障害)だった。蓮実はそうやって絶えず障害を取り除き、学校を思い通りに支配してきたのだ。ところがある日、ついに完璧だった手際にほころびが生じ、自らの正体が露呈する危機に。蓮実はその窮地を脱する最後の手段として、文化祭の準備で学校に居残る生徒全員の殺害を実行に移すのだった。
「ハスミン」と呼ばれ生徒からの信頼が厚く、特に一部の女子生徒からは「親衛隊」を構成されるなど大人気の英語教師・蓮実(伊藤英明)。
そんな彼は、自分の支配欲のため邪魔な危険分子を削除していくサイコパス・キラーでした。
あらすじ紹介にあるように、校内で生徒全員を殺害しようとする狂気の化身です。
殺すというより「消す」という方がしっくり来ます。
原作に比べるとハスミンがなぜそこまで生徒たちに人気があるのか、また狡猾な手法で人々の心を支配していくのかという部分が映画版では描かれていません。
映画を観ただけでは単純に情報過多であり、またエピソードもだいぶ端折られてしまっています。
そこで作品を理解するカギになるのが、BeeTVのドラマ『悪の教典 序章』です。
超重要!『悪の教典 序章』
『悪の教典 序章』ではハスミンがなぜ学園でこんなにも人気、信頼を獲得しているのか。
また本編『悪の教典』で蓮実のことを訝しむ物理教師の釣井(吹越満)が、なぜ彼のことを疑うのか。
カウンセラーの水落(中越典子)という教師をメインキャラクターに据えながら、その辺りを丁寧に描いてくれています。
映画本編でもメインキャラの一人として登場する蓼沼(通称・タデ=KENTA演)という生徒の危うさや、本編には出てこない体育教師の園田(高杉亘)のエピソードもしっかりと再現していました。
ハスミンが学園内でどのような立ち位置にいたのかという設定を理解するためには観ておいたほうがいい、むしろ必ず観るべきと言っていいでしょう。
女子生徒の頭を撫でるスキンシップも多く描かれており、本編でなぜハスミンが執拗に美彌(水野絵梨奈)の頭をクシャクシャするのか、その前段階がわかります。
30分弱×4話の構成ですが、この『序章』が前編、『悪の教典』の映画が後編といっても過言ではないと思います。
初回利用は31日間無料となっているdTVで視聴できますので(2020年4月現在)、これから映画『悪の教典』を観ようかなと思っている人はぜひご覧になってみてください。
『悪の教典』のスタッフ、キャスト
監督・脚本:三池崇史
原作:貴志祐介
教員
蓮実聖司(2年4組担任・英語):伊藤英明
釣井(物理教師):吹越満
柴原(体育教師):山田孝之
久米(美術教師):平岳大
堂島(国語教師):池谷のぶえ
高塚(英語教師):岩原明生
田浦(養護教諭):小島聖
真田(数学教師):山中崇
酒井教頭:篠井英介
灘森校長:岩松了
2年4組の主要生徒
片桐怜花:二階堂ふみ
安原美彌:水野絵梨奈
夏越雄一郎:浅香航大
蓼沼将大:KENTA
高橋柚香:菅野莉央
前島雅彦:林遣都
高木翔:西井幸人
白井さとみ:松岡茉優
渡会健吾:尾関陸
小野寺楓子:夏居瑠奈
2年1組
早水圭介:染谷将太
映画版において重要なキャラクターを演じた俳優を赤字で表記しました。
生徒役としては他にも山崎紘菜、岸井ゆきのといった有名な俳優が出演。
また原作とは異なり、数学教師の真田先生、養護教諭の田浦先生、生物教師の猫山先生、体育の園田先生については実写版では一部もしくはオール省略されています。
把握しておくべき生徒の人物関係
映画版の『悪の教典』で少し難しいのが、生徒の把握でしょうか。
殺戮者・ハスミンに怯え、無抵抗で始末されてしまう生徒たちは、わりと無個性に描かれています。
その中でも最低限の人物関係を押さえていた方がきっと映画を楽しめると思います。
実際前回に事前知識を入れないで鑑賞した際は、生徒たちのキャラクターがつかめずに物語を冷めた目で観てしまいました。
染谷将太、二階堂ふみ、浅香航大
まずはこの3人。
ハスミンの2年4組に在籍する怜花(二階堂ふみ)と、彼女に密かに想いを寄せる仲良しの雄一郎(浅香航大)。
そしてクラスは違うながらも、その洞察力で蓮実のことを疑う圭介(染谷将太)。
この仲良しトリオは、生徒を掌握している蓮実の支配下から少し外れたところで彼を見ています。
この映画では生徒の描き方の比重に差がついていないため、怜花たち3人が重要な登場人物であることがわかりにくいのですが、この3人が蓮実に対してどのようなスタンスでいたかをあらかじめ知っておくと理解の助けになるかと思います。
問題児のKENTA、美術部の林遣都
ダルビッシュ有投手の弟であるKENTAが演じる蓼沼(通称タデ)は、クラスの問題児としての立ち位置です。
喧嘩が強く、教師にも反抗する一匹狼。クラスの中では浮いた、というか怖れられている札付きのワルですね。
ただ、その中でもバンドを組むメンバーの生徒たちとは仲が良く、信頼もされています。
このあたりは上で述べた『悪の教典 序章』を見るとより理解が深まります。
一方の前島雅彦(林遣都)は、美術部所属のおとなしい性格。
美術部顧問の久米先生(平岳大)と仲が良く、キャラクターとしては繊細な一面も見せています。
原作ではいじめられっ子として描写されていましたが、映画版ではそこまで触れられていません。
安原美彌
水野絵梨奈が演じた美彌という女子生徒も、本作品の鍵を握る一人です。
美少女軍団で構成されるハスミン親衛隊とはまた違った角度で、ハスミンに想いを寄せる美少女。
教師から女性としてみられていることも特徴です。
やや孤立していることもあり、ハスミンに対して抱く信頼は絶大。
美彌に対しては蓮実が他の生徒とは違う態度を取るところも注目です。
『悪の教典』は登場する生徒たちの判別がついてくると見方が変わってくる映画です。
ぜひ鑑賞前にチェックしてみてください。
原作の小説もしくはコミックスも映画鑑賞前に読んでおくとだいぶ印象が変わります。
興味のある方はこちらもご覧ください。
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たくさんの作品と出会えます。
ぜひお試しください!
※本ページの情報は2020年4月現在のものです。
最新の配信状況は公式サイトにてご確認ください。
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
映画のネタバレ感想
以下、作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
あなたにとってのハスミンは?
主人公の蓮実先生(ハスミン)をどう捉えるかで、この映画に対する印象は大きく変わってきます。
自分の思うがままに周囲の人間を始末していくハスミンに対して、多くの人が抱く感情は恐らく「嫌悪」であるはずです。
普通の倫理観では有り得ない思考、行動を繰り返すハスミンは、あまりにも不快に映るはずです。
恐怖という感情的な部分よりも前段階にある「拒絶」とか「無理」とか、それくらいにハスミンは異質なわけです。
校内での生徒殺害シーンに話を移します。
ハスミンは口笛を吹きながら、「チッチチー、チッチチー」と気味の悪いリズムを繰り返しながら、表情も変えずに生徒たちへ銃口を向けていきます。
何なら優しい声で笑いかけながら。
殺人マシーンかサイコキラーか
人を始末すること自体に愉しみを覚える快楽殺人犯ともハスミンは異なります。
自分の思い通りに世界(=学園生活)を進めるために邪魔なものを削除していくという考えに基づいた行動。ただそれだけです。
生徒全員を始末しようとしたことも、自身の計画に邪魔が入ったからです。
永井あゆみ(伊藤沙莉)という女子生徒が首を突っ込まなければ、これほどの大惨事は起こらなかったでしょう。
原作やコミックスでは蓮実が殺人に手を染めることを厭わない具体例や過去が描写されていましたが、尺をそこまで割けなかった映画版では単なる殺人マシーンに成り下がっています。
この成り下がっているというのが適当なのかはわかりませんが、模範的な教師に「裏切られた」感が明らかに映画版は足りていません。
他者に共感する能力が決定的に欠けているシーンはありましたが、相手をいたぶりながら、状況を楽しみながら追い詰めていくサイコパスとしても物足りなさが残りました。
計画遂行のためには手段を選ばない非道さ、一人残らず始末しようという執念が同居する完全主義よりも、相手が誰だろうと(自分は無傷で)殺害できるチートな存在としての描写が光る主人公。
強すぎるイカれた殺人鬼。
それが映画版のハスミンです。
これほど同情する余地がない殺人犯の主人公も珍しいですが、それもまた『悪の教典』の魅力でしょう。
「強い!!」「伊藤英明かっこいい!!」とハスミンの仕事人ぶりを応援できる人にとっては面白いと思います。
ハスミンの変態性
映画版でもう一つ物足りなかったのが、ハスミン側からの視点です。
ハスミンが担任を務める2年4組は問題児と学年屈指の女子生徒をひとまとめにしたクラス。
その理由もハスミンが美しい女子生徒たちを自分の支配下(=帝国)に置きたいという、彼自身の趣味嗜好によるものです。
原作やコミックスで描かれる「女好き」の部分です。
自身が顧問を務める英会話研究会や、ハスミンを特に慕う「親衛隊」を中心に彼が女子生徒たちの人気者となっている描写は『悪の教典 序章』で確認できます。
ただハスミンが女子生徒に対してどういうつもりなのか、ハスミン側からの視点が序章、本編を通じて全くありません。
対女子生徒に限らず、この映画でハスミンはひたすら客観的に、誰かの目を通じて映されます。
ハスミン側から映すとなるとその異常性、変態性が倫理に反するリスクはあるでしょう。
でも「強い」「ひどい」以外の感情を植え付けることも、もうちょっとできたのではないでしょうか。
常に微笑みをたたえながら余裕しゃくしゃくに振る舞う伊藤英明が素晴らしかっただけに、恐ろしいハスミンを、美しいハスミンを、そして気持ち悪いハスミンをもっともっと見せてほしかったのが正直な感想です。
無個性に始末されていく生徒たち
最後に、ハスミンの餌食となってしまった高校生たちについてです。
キャラクター紹介のところで触れたように、生徒たちは本来それぞれのキャラクターがある程度立っており、親・蓮実派、蓮実に疑念を抱く子たちというように描き分けがされていました。
しかし、映画版における学園の生徒たちは侵入者に怯え、無抵抗で撃たれてしまうだけの存在です。
銃を向けられて叫んだり驚く表情も似たり寄ったり。
殺される「何者か」ではなく、一様に殺される「生徒たち」でしかありません。何度も言いますがそこに個性はありません。
二階堂ふみの怜花、浅香航大の雄一郎といった主役級の生徒たちでさえ。
ただし、生徒が没個性的に描かれていることが功を奏している部分もあります。
ハスミンが繰り広げる大量殺人のゲーム性です。
人物描写を省くことで、殺された生徒たちに対してこちらが感情移入することはあまり多くないと思います。
僕もむごたらしいとか、無慈悲とか思いましたが、それって生徒たちにではなくハスミンに対しての感情なんですよね。
ハスミンの真意に迫っていた圭介(染谷将太)にすらも、彼の最期には原作ほどの悲しさや無念さを感じませんでした。
ゲームの中で撃たれていく敵キャラであるかのように撃たれ、消費されていく生徒たち。
あの子たちはあくまで主人公・蓮実の武勇伝を引き立たせるための素材でした。
ハスミンの口笛、「チッチチー」に代表される不気味なリズム。
ライフルの大きな銃声と散弾モード。
文化祭準備中という設定で、日常でありながらも作り物のような校内環境がそこに味つけしていきます。
映画単体としての見どころはやはりこの「純粋な悪が勝利を収めるゲーム性」ではないでしょうか。
正義は勝つ?嘘でしょ?
それを気持ちいいと思うのか、嫌悪感を覚えるのか。
人によって見方は変わると思いますが、圧倒的な「悪」を客観的に映す潔さもまた勇気ですね。
嫌われることを厭わない強さを感じる映画でした。
『悪の教典』の銃撃シーンに爽快感を覚えた方には、三池監督の『初恋』も面白いかもしれません。