映画『アンダー・ユア・ベッド』ネタバレ感想〜心優しき覗き魔・高良健吾〜

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こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

今年公開の映画『アンダー・ユア・ベッド』を、テアトル新宿で先日観てきました。
大石圭の同名小説を原作に安里麻里監督がメガホンを取り、主演は高良健吾が務めています。R18作品。

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。



『アンダー・ユア・ベッド』のスタッフ、キャスト

監督・脚本:安里麻里
原作:大石圭
三井直人:高良健吾
佐々木千尋:西川可奈子
浜崎健太郎:安部賢一
水島:三河悠冴

あらすじ紹介

雨の日の無人のエレベーター。誰かの香水の香りが残っている。俺は思い出す。この香り…、11 年前、たった一度だけ名前を呼んでくれた佐々木千尋のことを。親からも学校のクラスメイトからも誰からも名前すら憶えられたことのないこの俺を「三井くん」と呼んでくれた時のこと。
俺は人生で唯一幸せだったあの感覚にもう一度触れたいと思い、彼女を探し出すことにした。家庭を持った彼女の家の近所に引っ越し鑑賞魚店を開店し、自宅に侵入、監視、盗撮、盗聴、彼女の近くで全てを覗き見ていたいと思った。だが、俺の目に映ったのは、全く別人に変わり果てた姿だったのだが……。

出典:Filmarks

高良健吾の演じる「三井」が、大学時代から好意を抱いていた「千尋」(西川可奈子)を近くで見守ります。言い方を変えれば、千尋を監視します

こちらのポスターにある「覗いていたい。このままずっと」のコピーと、ベッドの下から生脚を見つめる高良健吾がとにかく衝撃的で、映画の本編もベッドの下に隠れる三井が「こうしていて、どれくらい時間が経っただろう」と独白するシーンからスタートします。

基本的に「見つめる」側の三井の視点で物語は進んで行き、随所に三井のナレーションも入るのでストーリーはとても把握しやすい映画です。
一方で、彼のナレーションは客観ではなくて主観。それゆえに独白や回想シーンの全てを鵜呑みにするとミスリードにつながるギミックもはらんでいます。

Twitterのタイムラインで目にする評価が良かったので観に行ってみましたが、とても自分の好みを撃ち抜いた作品でした。
個人的な鑑賞ポイントをいくつか挙げてみましたので、よろしければご覧ください。



映画のネタバレ感想

以下、作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

高良健吾=ストーカーの衝撃

『アンダー・ユア・ベッド』の最大の魅力はとにかく高良健吾が演じる三井のストーカー行為です。
言い換えれば、ストーカーを高良健吾が演じる、というインパクトです。

高良健吾という俳優は役を選ばずに様々な演技ができる役者だと思いますが、そんな彼の演じてきた中でも今回の三井はかなり異質です。
凛々しい役も、『まほろ駅前』シリーズの星さんのような厳つい役も、『苦役列車』『横道世之介』のようなレトロボーイの役もこなしてきた高良健吾にとって、今回演じた三井という男は純然たるストーカーです。

門脇麦が主演を務めた『二重生活』や、続編が発表された『スマホを落としただけなのに』など、ストーキングや監視をテーマにした作品は数あれど、ここまで「恋心」をテーマにした作品は初めてみたかもしれません。

大学在学時に好意を抱いていた佐々木千尋という女性を思い出した三井は、探偵を使って大学卒業後の千尋の近況を突き止め、会社を辞めて、彼女の家の近くにテナントを借り、その一階で熱帯魚店を開業します。

この時すでに、大学の「あの頃」からは11年が経過。
千尋はもう結婚も出産もしていて、浜崎という旦那(安部賢一)がおり、彼にDVを受けながら奴隷のような生活を送っていました。

久しぶりに三井が目にした彼女は変わり果てていました。
彼は浜崎の家を、自らの寝床であるビルの上階から監視・盗撮します。

三井が一枚だけ持っている、千尋の大学時代の写真。
彼が覚えている、千尋の香水の匂い。
彼が覚えている、千尋の明るいワンピース。

自分の中の「あの佐々木千尋」を、三井は大事に守りながら、現在の千尋を部屋から見つめ続けます。

怨恨や性的嗜好によるストーキングではなく、純粋に「彼女が気になる」という自身の欲求に基づいての覗き。
傷つく彼女の側で寄り添っていたい、幸せになってほしいという好意に基づいた覗き。

しかし、好青年の高良健吾が演じているとはいえ、これは紛れもなく犯罪です。
圧倒的にアウトです。VARを発動するまでもなく一発退場です。

イヤホンをしながら三井は熱帯魚店の仕事をしています。
彼の耳に流れてくるのは、盗聴している浜崎家の生活音です。
彼の部屋のプリンターからは、明らかに倫理的に問題のある写真が吐き出されてきます。

30年存在しなかった男の孤独に蝕まれた愛は狂気となった。
読点を打たずに一気読みさせる映画ポスターのコピーですが、その通りです。
狂気が凶器とならないことを祈るばかりです。

「好きな人の家のモノになって、その人の生活を共有したい」という妄想願望を目にすることがあり、それはとっても共感できるのですが、それは妄想だから許されるのであって行動に移せばアウトです。
たとえそれが性的嗜好によるものでなくてもアウトです。

ちなみに妄想というのはこの映画のキーワードでもあり、未見の方は妄想と回想という部分を頭の隅に置きながら鑑賞していただくと楽しめるかなと思います。

テーマがテーマであるだけに、見る人にとっては嫌悪感を覚える類の作品かもしれません。
それでも何とか成り立っているのは、高良健吾というおよそストーカーに似つかわしい俳優が、“純情な、純然たる思いに基づいた”ストーカーを演じているインパクトの部分が大きいのかなと思います。

陰キャを演じる高良健吾

高良健吾が演じる本作の主人公・三井はとても引っ込み思案なキャラクターとして描写されています。
端的に言えば超王道の陰キャです。

生まれてこの方、周りから名前すら呼ばれずに存在感が希薄な人生を送ってきた三井が、初めて名前を呼ばれた(と記憶している)のが、大学時代のある講義。

大教室の講義で先生に指され、ドギマギしている彼に、後ろの席から「…三井くん。三井くん」と囁く声があります。

彼の名前を呼んだのは佐々木千尋(西川可奈子)という女子学生でした。
助けてくれた千尋にお礼をしようと三井は勇気を出し、授業後に彼女をお茶に誘います。

もっさりした陰キャの三井が、明るい色のワンピースを着た人気者の千尋に声をかけるのはとても覚悟がいることだったでしょう。
学内カーストの格差を覆して二人で入ったカフェで、彼女は大好きだというマンデリンのコーヒーを頼みます。

「お、同じものを」

マンデリンって何だ?という疑念を押し殺しながら、三井もまた同じものを注文。
話してみると、実は千尋はオタクで…なんてことはなく、楽しげなキャンパスライフの話を懇々と続けます。
テニスサークルに所属していること、そこではテニスよりも飲み会が多いこと。

「三井くんって、無口なんだね…」

喋っている千尋に対して口を挟まない三井に、彼女は残念そうに語りかけます。
また三井くんって呼んでくれたね!!と喜ぶ場合ではなく、「自分しか話していないアンバランスさ」は男女のコミュニケーションにおいて致命的です。

テーブルの上のマンデリンコーヒーも、三井のカップにはたっぷりと残ったままです。こういうところも三井が会話慣れしていないところが引き立ちます。

困った三井に、千尋は趣味の話を振りました。コミュニケーション能力の差。えらい。

「…グッピー」

三井は堰を切ったように熱帯魚への愛を話し始めます。
いわゆる自分の領域のことになると、我を忘れて喋り続けるオタクの典型です。隙あらば熱帯魚語り。

一方の千尋は、それでね、それでね、というように目を輝かせながら話す三井を優しい目で見つめ、相槌を打ちます。優しい。
グッピー、私でも飼えるかな?と優しい好奇心を発動し、三井にスーパーチャンスの淡い期待を抱かせていました。優しいですね。

陰キャが恋した彼女は

三井が千尋を呼び止めるシーンの直前も、千尋は男子学生(おそらく陽キャ)と雑談をしていて、千尋がキャンパス内の人気者である姿が描かれています。

そもそも20人くらいの固定されたクラス形式の講義ならともかく、大教室で行われる講義で、目立たない三井の名前を知っていた千尋にはびっくりしました。
僕はああいう講堂の大きな授業で、友達以外に名前を知っている人はいませんでした。
それを考えると千尋はすごいなと、映画のシーンを見ながら感心してしまいました。

ちなみに、この作品の登場人物は三井と千尋、千尋の夫である浜崎の3人にほぼ限定されています。
これは上の項でも書きましたが、三井の視点から物語が進む手法を取っていることが大きいと思われます。

千尋の子供や水島(三河悠冴)という観賞魚店の客はいたものの、陰キャの三井にとっては千尋とその周りの人だけが、彼の中の世界だったのでしょう。

千尋を演じた西川可奈子

ヒロインの千尋を演じた西川可奈子は、初めて見る役者でした。

上に引用した画像でもわかるように、サイドの髪の毛をかけた耳がとても綺麗で印象的です。杉咲花さんが大人になるとこんな感じかなというのが個人的な感想。
また、口がとっても綺麗です。

出演者が少なく、高良健吾というキャラクターに依るものが大きかった作品の中で、西川可奈子の体当たり演技も相当のウェイトを占めていました。

大学時代にキラキラと輝いていた千尋は結婚し、鬼畜のレベルとも言えるDV男・健太郎と暮らす中で精神的にもバランスを崩してしまいました。

健太郎の執拗なバイオレンスと命令に対する千尋の悲鳴はあまりにも痛切で、「こんな家庭内暴力が本当に存在するのか?」という疑念すら吹っ飛ばすほどの衝撃。

入院した父親に会うため一日だけ外出させてほしいと頼んだ千尋に対する健太郎の報復は、思わず目を背けそうになりました。
ちなみに同じようなシーンが『ビジランテ』でもありましたが、あれを見たのも同じテアトル新宿でした…。

また高良健吾の三井に比べて、11年という時間の経過を上手に表現した演出やメイクさんの技術も素晴らしいと思います。
キャンパスでの千尋はまごうことなき大学生であり、浜崎家から俯き加減に歩く化粧っ気のない千尋は、確かにあの時から齢を重ねた女性でした。

自分が弱っていることがわかりつつも、精神的な破綻までは届いていないという自覚があり、ギリギリのところで地獄のような毎日を送る千尋。
そうしてある時、彼女は自分たちを見ている何かの存在に気づきます。

あまり上手くない字で「幸せになってください」と書かれたメッセージカードと花束。
誰もいないはずなのに揺れる家具。

大部分が三井側の視点で進む中で、千尋主眼で、千尋のナレーションで構成される箇所がこの映画には少しあります。
臆病な男のストーキングに気づいた千尋が、それに対してどのように対応するのか。そこは本作の一番の驚きといっていいかもしれません。

福島での撮影

前述した大教室と、中庭のあるキャンパスライフ。僕は勝手に首都圏(東京)の大学の設定だと思っていましたが、この作品はオール福島ロケで行われているそうです。

「卒業後に地方公務員の主人と結婚して、今は海沿いの町で暮らしているらしい」という三井の叙述から、卒業後も大学とおそらく同じ県内の、海沿いの町に住んでいるという推測が立ちます。

浜崎家と三井の住むテナントビルの感じを見るに、三浦半島の方か内房を想像していましたが、福島県のいわき市でしたね。
サッカークラブのいわきFCのフラッグが映ったところであれ?と思い、交番の「東通り」という表記でわかりました。
三井が父親の車に置き去りにされた場所は平競輪場とかどこかのスタジアムでしょうか。

千尋が大学時代に一人暮らしを営んでいたマンションは、東京では確実にファミリー向けの部類に入る大型集合住宅でした。
いわきという発想はなかったので驚いた一方で、地方都市だと下宿先としてもあのような大きいマンションがあるんですかね。これは新たな発見でした。

ここまで書いてきた以外でも、三井のここがヤバいよねって思える描写はたくさんありました。
そのヤバさは、やっぱり純粋さに基づいたもので、繰り返しになりますが少なからず同じ妄想を抱いたことのある人はいると思います。

変質的にヤバい三井と、変質的に悪い健太郎(千尋の夫)と。
社会倫理に照らし合わせればどちらも間違っていることではありますが、アウトの部分をこれでもかと鮮やかに描き出した意欲作でした。

そしてヤバい2人の渦中に置かれたか弱い千尋という良心と彼女を演じる西川可奈子がまた、この作品を一つ上のレベルに押し上げていると思います。

「高良健吾がストーカー役」。
このインパクトはあくまで前振りです。

衝撃が濃縮された98分。おすすめです。

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