映画『線は、僕を描く』ネタバレ感想|横浜流星とともに、水墨画へ魅せられて

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こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

今回は2022年公開の映画『線は、僕を描く』をご紹介します。
「水墨画」をテーマにした作品ですね。

原作は砥上裕將さんの小説。コミック化もされています。
実写化にあたり、『ちはやふる』の小泉徳宏監督がメガホンをとり、横浜流星さん清原果耶さんといった面々がキャストに並んでいます。

私は漫画(全4巻)で読んだんですが、丁寧で優しいタッチから水墨画の世界を描いています。おすすめです!

今回は映画の感想を以下の3点から見ていきます。特に登場人物のハマり感は素晴らしかったです。

  • 主語は「僕」ではなく「線」
  • 主人公は誰なのか
  • 見事な配役の合致

感想部分ではネタバレにつながる作品の展開を含みますので、未見の方はご注意ください。



あらすじ紹介

大学生の青山霜介(横浜流星)は、絵画展設営のアルバイト中に水墨画と出会い、白と黒のみで表現される世界に魅了される。水墨画家として知られる篠田湖山に声をかけられたことをきっかけに、霜介は水墨画を学び始める。真っ白な紙に筆と墨だけを使って描かれる芸術を知るにつれ、彼は次第に深遠な水墨画の世界に引き込まれていく。

出典:シネマトゥデイ

スタッフ、キャスト

監督 小泉徳宏
原作 砥上裕將
脚本 片岡翔、小泉徳宏
青山霜介 横浜流星
篠田千瑛 清原果耶
古前くん 細田佳央太
川岸さん 河合優実
藤堂翠山 富田靖子
西濱湖峰 江口洋介
篠田湖山 三浦友和

横浜流星さん清原果耶さんは、2019年の映画『愛唄 約束のナクヒト』でも、社会人男性と少女という役で共演しています。
3年の時が経ち、あの作品とは違う立ち位置の役柄を演じる二人。『線は、僕を描く』は、横浜さんと清原さんのその幅広さに感嘆する映画でもありました。

この後、本記事はネタバレ部分に入ります。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



主語は「僕」ではなく「線」

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

 

まずこの作品のタイトルについてみていきましょう。

「僕は、線を描く」
ではなく、
「線は、僕を描く」
です。

主語は「僕」ではなくて「線」です。

主人公の青山くん(横浜流星)は、「水墨画」と、また水墨画の匠たちと出会い、水墨画を描いていくことで「僕」=青山霜介自身に迫っていきます。

その「水墨画」の真髄を表現する言葉として「線」が用いられています。

(映画には登場しないのですが)湖山先生の弟子である斉藤湖栖先生が言っていたセリフを引用します。

水墨画には“塗る”という動作がありません
すべてが線で描かれる絵画です

線を極小化すれば点になり
極大化すれば面になる——

一筆一筆のすべてが線
つまり水墨画とは
“線の芸術”なのです

引用元:講談社コミックス『線は、僕を描く』第18話 「道の先」

斉藤先生が表しているように、水墨画は「線」から生まれる芸術です。
「点と点がつながって線になる」という言葉がありますが、線を生み出すように聞こえる「点」すらも、「線」の最小単位であると表現しています。

同様に「塗る」という動作も存在しません。線の極大化したものが「面」となります。

対照的かつ似ているものに「点描」という芸術もありますね。

「線」の持つ意味

では「線」という言葉を聞くと、どのようなイメージを抱くでしょうか。

そこには、「つながる」だとか「続いていく」というニュアンスを感じる方も多いのではないかと思います。

線は一方ともう一方を繋ぎます。何かと何かが線によって引き継がれていきます。
コミュニケーションツールとして定着した「LINE」も、東日本大震災が発生した2011年、「大切な人とつながる」役割を込めてサービスが開始されています。

「線」や「続」、「継」の左側〈へん〉を構成する「糸」にも同じ印象を抱くはずです

なので「線」という一文字は、何かとつながって存在しているもの、人間で言えば人生を表す単語でもあります。

この映画のタイトルの「線」とは「水墨画」を表現する単語ですが、「僕を描く」のは水墨画の線だけではなくて、生きていく上で絶対にそこにある「つながり」という意味もあったのではないでしょうか。

水墨画の世界

『ちはやふる』で競技かるた(百人一首)の魅力を存分に表現した小泉徳宏監督。
今回の『線は、僕を描く』では、水墨画の世界に私たちをいざなってくれました。

水墨画、と聞いて全くイメージが湧かない人はそう多くないと思いますが(日本史で「雪舟」を学んだりしましたよね)、水と墨で書く絵画であること以上の何かを知っている方もまたそんなに多くないと思います。

「何それ?」の説明は省いた上で、水墨画は「どういう世界なのか」「どんな魅力があるのか」といった部分が鍵になってくる中、こちらに水墨画の奥深き世界を明示してくれました。

その最たるものが「色」ですよね

千瑛(清原果耶)はこう言います。

水墨画は筆の中でいかに色をつくるか、それをコントロールするかが勝負なの

白い紙と黒い墨。その白黒の間の濃淡、深みを、細やかに調整しながら自在に操っていきます。千瑛の描く椿(原作では薔薇)の花弁の色は、時に実際の赤よりも色濃く紅く見えます。

また、紙の持つ「白」の余白を利用することにより、絵の中に吹く風や、春蘭や椿など対象物の置かれた状況を表現することもできます。

原作では「調墨」という、墨をする段階におけるテクニックも細かく紹介されていました。

「白と黒」以上に奥深い世界に魅了された方も多いのではないでしょうか。

主人公は誰なのか

多賀大社の画像

多賀大社 拝殿(出典:写真AC)

一方で、『線は、僕を描く』の映画では原作とは違う趣も見て取れました。

原作では青山くん(横浜流星)千瑛(清原果耶)がスランプにぶつかりながらも成長していく印象が強かったんですが、映画では二人の習熟よりももっと印象的な描写があります。

水墨画と生、命の関係です。

青山くんと生きる力

映画の青山霜介は、両親、そして生きていれば千瑛と同じくらいの歳であろう妹を事故で亡くしました。最後に家族ときいた言葉が父親との口喧嘩だったこともあり、青山くんの大学人生に大きな影を落としています。家族で過ごした家、庭の椿が何度もフラッシュバックしています。

ただ、この設定は原作とはいささか異なるものです。
原作では妹が言及されていなく、両親が交通事故で他界したという設定です。霜介の生家も以前住んでいた通り存在しています。

しかし映画では大雨による河川の氾濫で川沿いの青山家を含む住居が流されてしまった事故として描かれていました。

凄惨ですがこれは現代の日本に沿ったエピソードだと思うんですよね…

近年の日本は災害が毎年のように起こっています。その内訳は地震、台風、そして豪雨による被害です。

災害をもたらした気象事例(平成元年〜本年)

上記は気象庁による災害の気象事例ですが、2010年代に入ると「大雨」に起因する災害が一気に増えています。「記録的な」という形容詞も当たり前のように登場しています。私たちにとって一番身近に起きうる災害と言ってもいいかもしれません。

霜介の家族のエピソードを改変した理由はわかりませんが、「自然」の力によって命が奪われてしまう恐ろしさを描いたとするならば、観る側の当事者意識を持たせる意味があった変更だと思います。

また、千瑛が描く水墨を原作の薔薇ではなく、霜介の家族に深く関係する椿に変更したのも素晴らしいチョイスだと思いました。

生を、いただく

もう一つ、映画で象徴的だったのが食事のシーンです。

湖山先生(三浦友和)のもと、西濱さん(江口洋介)、千瑛と一緒に青山くんが食卓を囲むシーンがよく出てきます。

これは家族を失った青山くんにとって疑似的な家族ともいえる一門の団欒の場所として重要なんですが、美味しそうなご飯を囲む演出にとどまらず、命あるものを感謝していただくという礼が印象的でしたよね。

料理が得意な西濱さんは青山くんに、命を俺たちがいただくということはどういうことなのかを説きました。
また、翠山先生(富田靖子)は、湖山先生の代打として登場した西濱さんの龍の絵に「命」という単語を用いて感嘆しました。
湖山先生は青山くんに、水墨画は自然とともにある絵画で、命をかけているものだと話しました。

日本人は「食事」に対してこだわりを持ち、食べられることに感謝する文化を持っています。水墨画に「命」という自然の摂理がかかった時、その「命」の一つの例として食事を印象的に用いたのは素敵でした。

『線は、僕を描く』の主人公は青山霜介です。
ただ、霜介の水墨画に対する見え方(湖山先生は「慧眼」という言葉を使っていました)から彼の比類なきセンスがうかがえる原作と違って、映画では霜介が「命」や「自然」とどのように向き合っていくのかにフォーカスされていました。

だからこの映画で育まれる主人公・主眼というのは、鑑賞者の皆さんだと思うんです。
「水墨画」という芸術以上に、この映画の「命」と「自然」には和を感じました。



見事な配役の合致

最後に登場人物についての感想です。

原作コミック既読の立場で言うと、映画『線は、僕を描く』の主要キャストは完璧以上でした。

序盤に少し触れた斉藤湖栖先生(美男です)の映画版での不在など、どうでもよくなるほどにハマっていました。
愛すべきキャラクターたちを見ていきましょう。

青山霜介(横浜流星)

まず青山くんです。

今年公開された『流浪の月』では中瀬亮という悲しい支配に満ちたモラハラ男(社会人)をものの見事に演じ、『アキラとあきら』では行員を演じた横浜流星さん。2022年9月に26歳になり、オトナの色気と20代後半の男臭さを漂わせる役柄も見られるようになりましたが、『線は、僕を描く』では大学生を演じています。

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2022年5月25日

大学生といっても色々なタイプがある中で、本作品の青山くんに求められるのは真っ白な紙のような無垢さだと思うんですね。彼は家族に起きた事情から孤独を抱え込んでいましたが、その孤独はやさぐれとか諦念ではありません。

篠田湖山の「絵画教室の生徒」として水墨の先生たちに囲まれる彼は、「青山くん」と呼ばれて可愛がられています。「可愛がられる」という言葉通り、湖山先生も西濱さんも、時には千瑛も、霜介を愛でています。

なぜかと言うと、「青山くん」が秘める才能もそうですけど、それ以上に彼が心底楽しそうに純粋無垢に水墨画と向き合っているからです。童心と表現してもいいでしょう。

その道——本作品でいえば水墨画——を志す匠の人たちが一番幸せなのは、自分たちの愛する道を本気で楽しんでいる人を見つけた時です。
また『ガチ☆ボーイ』『ちはやふる』など、小泉徳宏監督の青春映画では対象を「本気で楽しむ」人間たちの挑戦が描かれてきました。

この映画の横浜流星は目を輝かせて本当に楽しそうに筆をとり、線を、「僕」を、描いていきます。

重ねたキャリアの年輪から引き算が必要になるところもあったと思いますが、人々に愛され、水墨画に愛される青山くんを演じ切った横浜さんがとにかく素晴らしかったです。

篠田千瑛(清原果耶)

続いて千瑛です。

千瑛は青山くんにとって姉弟子の存在。彼からも敬語を使われており、この関係性が鍵になると鑑賞前は思っていました。
要は横浜流星さんが清原果耶さんに敬語で喋るのが不自然に見えないか、というところです。

杞憂でした。恥ずかしい限りの杞憂に終わりました。

横浜流星さんの青山霜介同様、清原果耶さんの千瑛は原作から受けた印象通りの凜とした人物でしたし、湖山一門における食事担当のやり取りなどで若干の隙も見せてくれました。そして何より、彼女も水墨画を心から愛し、自分の全てを線に捧げていることがよくわかります。

原作に比べると青山くんへの意識、なぜ素人をおじいちゃんは弟子にとったのかというライバル心は薄まっていました。青山くんが「水墨画教室の生徒」という立場にこだわっていたことからも、映画化にあたって意図的な変更だと思います。

その分、千瑛と湖山先生との少しギクシャクした関係がフィーチャーされており、師匠を祖父に持つゆえの葛藤が千瑛のストーリーの軸として描かれていました。

横浜流星さんの霜介同様、原作のイメージを損なわない素晴らしい千瑛を見せてくれたと思います。

古前くん(細田佳央太)

細田佳央太さんの古前くんは、原作とは少し違った印象を受けました。
坊主頭にサングラス常備という原作からの変更もそうですが、古前くんが千瑛に講師をやってもらうため推進した学園祭の水墨画教室は、元々もうちょっと不純な動機だったんですよね。笑

ただ映画では古前くんのパーソナリティの描写を少し削りつつ、青山くんの良き理解者としての立ち位置を強めています。青山くんの孤独の引き金になった悲しい出来事も知っています。(原作では青山くんの事情を知らないようでした。そして霜介はそんな古前くんの距離感が心地よいとも。)

愛すべきお調子者の古前くんのシーンで一番好きだったのは、学園祭の水墨画教室で千瑛先生の目を引こうと一生懸命アピールしているところです。わかる、わかるぞ古前くん。

川岸さん(河合優実)

河合優実さんの川岸さんは完全に原作通りのイメージでした。

原作コミックでの川岸さんは、古前くんとともに青山くんの友人であり、千瑛への興味、好意が高まるあまり時に鼻血を出してしまう(笑)女の子。彼女の場合は千瑛への興味、憧れみたいなところが鍵を握ってくる中、河合さんは150点の川岸さんを見せてくれました。

決して多くない出番の中で、きっちりと千瑛さまの近くをゲットし、また古前くんとの良い距離感を保つ川岸さん。千瑛が警戒することなく川岸さんとコミュニケーションをしているのが実に微笑ましく、川岸さんの心情を考えると「よかったね…!」とハンカチを濡らしながら祝福したいくらいでした。

原作ではもう少し古前くんと川岸さんの登場回数が多いので、細田さんと河合さんを思い浮かべながら読んでみるのもいいと思います。

西濱湖峰(江口洋介)

続いて西濱さんです。

湖山先生の弟子であり、師匠の豪邸の庭いじりや料理などをこなす西濱さん。
同じく湖山先生に師事する斉藤先生が映画には出てこないこともあり、映画版では湖山と千瑛、霜介の間に位置取るキーパーソンとして重要な役割を担っています。

そもそも最初のシーンで青山くんと出会ったのが西濱さんになってましたからね。びっくりしました!

そんな西濱さんを演じたのはタオルを頭に巻き、快活なハウスキーパー感漂う江口洋介さん
西濱さんを担当するにはちょっと歳取りすぎてるのでは…(失礼)と鑑賞前は思っていましたが、杞憂でした。(2回目)

正直おっさん感が出るかなと思っていた中、全然そんなことなくて若々しい。おっさんではなくて兄貴でした!

兄貴肌(しかも恩着せがましくなく、青山くんの考えを常に尊重してくれる)というのは西濱湖峰を代表する個性です。重要性が原作以上に増した彼を表現してくれたのが江口ニキで本当に幸せでした。

映画全編を通して素晴らしかった西濱さん。個人的な一番の見どころは庭の剪定中、青山くんに「家族の仲がいいんだね」と話し、彼から過去形の受け答えを返された時でした。西濱さんは不思議そうな表情をすると同時に、青山くんの事情を一瞬で察しました。私にはそう見えました。

青山くんから見ると、千瑛、西濱さん、湖山先生と3人の師がいるわけですが、特に西濱さんには支えられた部分が大きかったと思います。

湖山先生(三浦友和)

最後に三浦友和さんが演じた湖山先生です。

一番驚き、また一番すごいと思ったのが三浦さんの湖山でした。

何がびっくりしたって、三浦友和さんがこんな柔和で愛くるしいおじいちゃんを完璧に表現したことです。

これも個人的な偏見ですが、三浦友和さんにはもっと厳かでとっつきにくいイメージがあったんですよ。ちょっと怒っているようで、ぶっきらぼうで、でも言葉の裏には温かみがあって…みたいな。

もちろん『線は、僕を描く』の中で湖山先生が厳格な態度をとるときはあります。でも「恐い」というわけではなくて、千瑛に期待しているからこその厳しさでした。

そしてそれ以上に、青山くんに対しての優しさ。もはや優しいを通り越して甘い。
この柔らかさが、信じられないほどに三浦友和さんから溢れ出ていました。もう新境地にたどり着いたと言っていいんじゃないでしょうか。

この作品では人の悪口を言ったり、陥れたり、自分の欲望のために他者を蹴落とすような人が出てきません。
それを可能にしているのも、篠田湖山先生の包容力だったり、無邪気な童心だったりするのではないかと思います。

青山くんを水墨画の世界に導き、「楽しさ」を教え、真髄を説く湖山先生。この映画で一番印象的だった俳優を問われれば、私は三浦友和さんだと答えます。

青山くん同様に、観ている私たちも真っ白な紙に夢中で線を駆け巡らせていきたいと思える作品でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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