こんにちは。織田です。
今回は2004年公開の映画『美女缶』をご紹介します。
筧昌也監督、主人公は藤川俊生さん。2002年に製作された自主製作映画です。
61分の映画でしたが、アマプラで鑑賞したところめちゃくちゃハマりました。物語の発想が天才的です!
今回は映画『美女缶』について下記の部分から感想を書いていきます。
- 缶詰という発想
- 切なさの担保
- 疑問点の考察
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
あらすじ紹介
お世辞にも格好いいとはいえない隣人の部屋から、毎朝美女が出てくるという光景を目にした健太郎(藤川俊生)は、秘密を探るうちに“美女缶”という缶詰の存在を知る。謎に思った彼は、思い余って缶を盗んでしまうが…
スタッフ、キャスト
監督・編集・脚本 | 筧昌也 |
健太郎 | 藤川俊生 |
健太郎の彼女 | 木村文 |
美知川ユキ | 吉居亜希子 |
トミオカ | 小沢喬 |
缶詰という発想
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
『美女缶』の設定は2001年。
2000年代初頭の細眉メイクをはじめ、ストレート型の携帯電話、SANYO(当時)が販売していた時短ビデオ(映像は2倍速再生、音声は等速再生)など、当時の趣をたっぷりと含みながら物語が進みます。
映像も教習所の講習ビデオみたいな手触りを残す一方、前時代にとどまらない普遍的な面白さがあります。
それが缶詰から美女が生まれるという設定になります。
製品の設定
美女が主人公の元にやってきて、主人公がご主人様化するという設定自体は物珍しいものではありません。ラブコメ系少年漫画や恋愛シミュレーションゲームでありそうな感じです。逆に美男がやってくるパターンも多々あります。
ただ、『美女缶』では段ボールに入った「製品」として美女が発送され、購入者が缶詰を開封して「使用」する形をとっています。缶詰の側面には使用方法が書いてあり、取り扱い方を紹介したビデオ(後述します)とともに、美女缶が「製品」であることを強調しています。
(余談ですが映画の段ボールに貼ってあった社名らしきテープには「bejocann.cam」と記されていました。後年発表された筧昌也氏の書籍版では「bijocann.com」になっています)
さらに美女缶から出てくる彼女たちは、開封者を恋人だと無条件に認識して、缶詰に記入した名前を呼びながら関わっていきます。
なので缶詰から出てくる美女は購入者の孤独を埋めるための存在であり、あくまでも「造りもの」であるという認識の前提があるんですね。美知川ユキ(吉居亜希子)の出身高校の名前が「仁造(じんぞう)高校」と表記されていたのも作為を感じます。
生々しさと保持期限
しかし「美女缶」から出てきた女性たちに造りもの感はありません。
映画でも健太郎(藤川俊生)がユキ(吉居亜希子)の誕生・設定に際して、そのリアルさに驚いていました。
彼女たちは嫌なことは嫌がり、時に傷つきます。一方で恋人(購入者)への愛情をさらに育むこともできます。
「美女缶」で特徴的なのが取説ビデオです。そこには美女があなた(缶詰の購入者)と出会うまでの生い立ちが描かれています。
健太郎の開封した美知川ユキであれば、1981年に静岡県で生まれ、どのような家族構成で育ったのかだとか、学歴、恋愛遍歴などが細かく記されています。
そのプロフィールを裏付けるように、ユキは臨床心理学を専攻する短大生としての振る舞いを見せていました。
健太郎も、観ている私たちも、ユキが「製品」であることを忘れて生身の(模擬)恋人として認識していきます。
けれど、缶から生まれた美女たちは、自身が「製品」であることを示すしるしを持っていました。
それが腰のあたりに刻まれたバーコードです。そしてそのバーコードは取説ビデオ内で美女自身の「品質保持期限」として説明されます。
缶詰というモノからは「保存性」を我々は想像しますが、保存性の特性を逆手に取ったような「保持期限」の設定です。しかもその期限を補強する表示方法として、人体にバーコードを印刷するやり方を用います。
この発想が本当に天才的です。
2001年の8月を舞台にした映画『美女缶』内で描かれたユキの品質保持期限は2001/08/31。
健太郎と視聴者は、突然ユキが美女缶の製品である現実に揺り戻され、期限に伴う彼女との残り時間を意識せざるを得なくなりました。
しかも健太郎(と我々視聴者)は美女缶開封時には品質保持期限の設定を知り得ません。
これは健太郎が隣人・トミオカ(小沢喬)の部屋からユキの缶だけを盗んだことに由来します。
後出し的な形でもないですし、健太郎が家宅侵入に至るまでに描かれるトミオカのいかがわしさや風呂場で一瞬チラッと見えたユキの腰のバーコードの描写なども相まって、巧みな脚本です。
切なさの担保
『美女缶』は観終わった後に切なさを覚える映画だと思います。
ビデオを見てしまい、自身が造られた存在であり、品質保持期限なる寿命が設定されていることを知ってしまったユキ(吉居亜希子)は、健太郎(藤川俊生)の家を飛び出します。
品質保持期限の設定が明かされた時点で既に、“主人公の恋人には命のタイムリミットが設定されている”という無念さ・切なさが突きつけられるんですが、映画『美女缶』はそれだけにとどまりません。
これまで美女缶の「使用者」側に立っていた健太郎にも、品質保持期限が設定されていたことが明かされます。
視点の転換と彼女
これは驚きました。缶からユキを「開封した」側の健太郎が実は「開封された」側の人間だったわけです。
しかも彼の品質保持期限は、ユキの8月31日より早い8月23日。それが視聴者に明かされたのも8月23日当日でした。
加えて健太郎は自分が造られた製品であることを知らないまま、ユキの行方を探しにいきました。そして公園で彼女を見つけたところで映画は終了します。
品質保持期限を迎えていた健太郎はその後に消失してしまうんだと思いますが、彼の残り時間を示すものは時計の秒針のBGMだけにとどめて、『美女缶』はエンドロールに向かいます。視聴者に想像の余地を残したまま、終わりました。
終盤まで物語の主人公は健太郎でした。
彼が美女缶の存在を知り、ユキを(トミオカから盗んで)開封し、彼女と一緒に過ごし、彼女の期限を知って残り時間を大切にしようと選択しました。
観ている私たちも健太郎の視点、あるいは先に取説ビデオを観ていたトミオカの行動や、ユキのバーコード、1匹が先に死んでしまった金魚の描写などから、ユキへの同情を深めていきました。
けれど、最後に「使用者」の視点は健太郎の彼女・マリ(木村文)に転換されます。それまでのマリは、ユキに乗り換えようとする健太郎にとって若干鬱陶しい存在として、また内緒で健太郎に浮気をされる気の毒な存在として映っていました。
そんなマリの目によって健太郎の品質保持期限が彼女と我々だけに明かされたことで、観ている側は健太郎と同一視点を持つことが難しくなります。
健太郎の残り時間を実感した彼女は居た堪れなくなったんでしょう。彼の元を去りました。
当然この部分も健太郎が美男缶の製品だった切なさに拍車をかけています。
また主人公がそのカラクリを知らぬまま「造られた」側に一転することで、美女缶・美男缶というファンタジーが突如現実味を帯びてきたのではないでしょうか?
ちなみに健太郎の部屋には、彼女との同棲時代からシザーハンズのポスターが飾られています。
シザーハンズのエドワードは手だけが未完成の人造人間で、美女に恋をするキャラクターですよね。
この演出も、全てを知った後になるほどと思わされます。
造られた人生と作った人生
健太郎の真実が明かされた後、恐らくは観終わった後だと思いますが、視聴者の私たちはマリ側の視点を振り返ることになるはずです。
マリは(ユキを開封した)健太郎とは異なり、健太郎の美男缶を使用する前に取説ビデオを観て品質保持期限のことは知っていたと思います。
だから健太郎のバーコードを見ただけで察しました。
だから8月23日が来る前に(映画内では「15日あたりに」と言っていました)健太郎との思い出を作るために温泉に誘いました。
「もう行けるチャンスないし」と言って。
ユキと同様、健太郎がマリに開封されるまでの半生も“造られた”ものでした。
一方で、開封された後の日々は、ユキや健太郎が自分で選び、作った人生です。そしてその二人が作る人生に、それぞれの缶の開封者が関与していきます。
嫌いなはずの納豆カレーをユキが試そうとしたのは、健太郎の影響でした。
健太郎が得意料理にカレーばかりを挙げていたのは、きっとマリの影響です。「カノ…」と言いかけて言い直してましたよね。
疑問点の考察
『美女缶』は61分の尺の中でとても練られた物語だと思います。ストーリーの転がし方に伴う驚き、設定による感情移入も秀逸な映画でした。
その中でいくつか疑問が残った点があるので紹介します。考察と書きましたが実質私の想像・妄想になります。
トミオカ宅の美女たち
健太郎が「美女缶」に興味を示すきっかけとなったのは、隣人・トミオカ(小沢喬)が多数の女性たちを侍らせていたことです。
健太郎の部屋と同じ間取りの2Kに、あの数の人間が入ることは果たしてできるのでしょうか?
トミオカが出したゴミ袋に入っていた大量の美女缶、彼の部屋から出てきてトミオカの名を呼ぶ女性たち、トミオカの部屋に散らばった生活痕を見る限り、彼の部屋で美女たちが開封されたのは事実でしょう。
ただタコ部屋まっしぐらの部屋では、美女缶の取説ビデオで説明されていた「心の通った共同生活」からは程遠いものですよね。トミオカが開封した美女たちは品質保持期限を待つ前に、彼のアパートから出ていったことが想像されます。
トミオカがビデオを送ってきた経緯
これはトミオカが美知川ユキの正体に気づいていたか?とも言い換えられます。
初めて彼がユキを見た時、彼女は健太郎の服と靴を着用していました。それを不審げに見つめるトミオカ。
美女缶のヘビーユーザーであるトミオカは、開封に伴って起こる服や靴の問題をあらかじめ知っていたはずです。
(健太郎の侵入後)部屋の窓が少し開いていたこと、健太郎と歩くオーバーサイズの靴を履いた女。高まる不信感は取説ビデオを観たことで、隣人の侍らせる女が美知川ユキであるという確信に変わりました。
美女缶の取り扱いに熟知しているがゆえに、他者が開封した美女に自分が主として関与することはできないと知っていたんでしょう。(たとえ缶に自分の名前を書いていたとしても)
ユキを拉致るようなこともしない代わりに、取説ビデオテープを健太郎の家に送りつけて美女缶の現実を彼に突きつけました。
動機としてはユキを盗まれた腹いせに近いものだったと思います。実際に健太郎はこのビデオを観て絶望するわけですが、ストーリー上では健太郎が品質保持期限を知る必要があったため、トミオカの送付は親切なお節介だったとも言えますね。
ユキの学年
美知川ユキは1981年3月10日生まれです。
映画の舞台設定が2001年8月なので、その時点では20歳。早生まれのため学年で言えば1980年の世代と同じです。
一方の健太郎は1978年生まれの23歳。大学4年生ということなので多分留年か浪人をしています。
疑問点はユキの学年です。
取説ビデオでは、「高校卒業後は短大に進学。父が厳しいため寮生活を始めるが、4ヶ月が経って一人暮らしをしたいと思い物件探しをしている最中に雨に降られ、あなた(購入者)と出会った」と紹介されています。
額面通りに受け取ればユキは短大1年生で今年19歳になる1982年世代だと思うんですが、実際は81年の早生まれで2つ学年の齟齬が発生しています。ストレートで短大に入っていたら卒業した次の年ですよね。
これは
①ユキが本来開封されるべき時点(彼女の短大1年生時)から健太郎の開封まで2年の空白があった
②ユキが短大進学するまでにビデオで説明されていない2年の空白があった
のいずれかだと思いますが、缶詰に20歳と明示され、本人も23歳の健太郎と学年が二つ違いと明言しているので後者だと思います。
いずれにせよ詳細にユキの生い立ちを説明してきた取説ビデオが、2年の空白に触れていないのは謎ですね…笑
健太郎の設定
そして彼女のマリによって開封されていた健太郎の「設定」についてです。
健太郎はマリと1年前から付き合っており、同棲して“何をするにもいつも一緒”と振り返っています。
ここで疑問なのが、マリはいつ健太郎を開封したのか、という部分。
ネタバレになるんですが、後年に出版された小説『美女缶』ではユキの美女缶、健太郎の美男缶の保持期限が明記されています。
小説版の設定を適用すれば、健太郎が開封されたのはユキを開封した少し前、具体的には彼がマリの探してきたアパートで一人暮らしをし始めたところから、健太郎の「開封後」がスタートしていることになります。
つまり1年間同棲している彼女がいて倦怠期に入っているというのは、元々健太郎の美男缶に備わっていた「設定」部分です。「設定」部分にいた「彼女」をそのままマリが引き継いだということでしょう。
ただユキの美女缶と健太郎の美男缶で品質保持期限が異なっているとするならば、“何をするにも一緒だった彼女”はマリそのものであり、健太郎が1年以上前にマリに開封された線が強くなってきます。
健太郎とのやりとりを見る限り、彼が引っ越した後にマリが享受した幸せはあまり見えませんでした。個人的にはこちらの“健太郎の保持期限1年説”を信じたい気もしますね。
最後になりますが、彼女がいるにも関わらずユキに目移りする健太郎の性格については小説版でヒントになる叙述があります。
映画版とイコールで考えるのが正しいのかは別になりますが、よろしければ読んでみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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