映画『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』〜切ない…素晴らしい感動作〜

平成最後の鑑賞は、Amazonプライムビデオで2016年の映画『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』を観ました。

七月隆文のベストセラーとなった原作を『僕等がいた』『ソラニン』などを手がけた三木孝浩監督によって映画化。
主演に福士蒼汰と小松菜奈を配置し、京都を舞台とした青春作品となっています。

2016年当時、セリフを全暗記するくらい予告編を映画館で何度も観ていたのですが、これまでの三木監督の作品の印象から結局鑑賞せずじまいでした。

セリフがわざとらしくて甘ったるい。狙いすぎ。

そんな偏見を僕は持っていました。
しかし、それが大きな間違いであったことを、2年後の平成31年に僕は知ることとなりました。

涙が止まりませんでした。
素晴らしい、これは本当に素晴らしい映画です。

観ようかなと思っている人は、このページを閉じてぜひ観てみてください。

この記事にはネタバレが含まれます。ご注意ください。

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「薄幸」「不運」からの脱却

冒頭の画像のキャッチコピーにもある、「たった30日 恋するために ぼくたちは 出会った」の言葉。

最初これを見たときは大げさな言葉だなと思いました。

どちらかが30日後にいなくなってしまうことがわかっている上での交際。
極端に言えば、「余命がわかっている状態での最後の何日間」

もちろんこのようなシチュエーションによって感動を補強するのは大切な手法ではあるのですが、この類の作品は今まで何本も観てきました。

それだけに「最後の何日間」に対してこちらも心構えや、ある一定のハードルを課してしまいます。それを越えてくると(個人的に『君の膵臓をたべたい』は越えてきました)おおっ!となるんですけどね。

幸の薄そうな小松菜奈。しかし、僕が思っていたものとは異なる方向に物語は展開します(C)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

この作品における「30日間」のタイムリミットは、僕が想像していたものとは違ったものでした。
不運な境遇や不幸ではありません。
そこにあったのは不思議な時間の操作でした。

「今日」という基準から「明日」に進む男の子と「昨日」に進む女の子という一見奇妙な、それでいて納得できる時間の逆走。
高寿(福士蒼汰)が迎える「明日」は愛美(小松菜奈)が経た「昨日」。その逆も然り。

つまり、高寿が愛美と経験した「昨日」のことを愛美は知らないのです。忘れてしまうのではなく、知らない。
逆に高寿に「明日」起こることを、すでに「今日」の愛美は経験しています。そんな愛美を、高寿は予知能力者ではないかと疑いました。

高寿と愛美の流れる時間は逆向きでした(C)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

高寿にとっての20年後に愛美は「もう一つの世界」で生まれ、愛美が40歳のときに高寿は「この世界」で生を授かります。
別々の世界で逆向きに人生を進める二人は、5年ごとに30日間だけ出会うことができると打ち明ける愛美。

現実離れした話ではあり、意味がよくわからなかったのは高寿だけではないはずです。文字だけで説明しようとすればなおさらのこと。
しかしそんな不思議な、逆行する時間軸すらも納得できる丁寧な描写が、この映画にはありました。

どうして僕は泣いたのか。
探っていきましょう。

最初の日と最後の日

京都の美大に通う高寿(福士蒼汰)はある日、通学の電車内で美しい女性に目を奪われます。
友人の上山(東出昌大)に「まさかお前がなぁ」と笑われるような、冴えない男子学生が体験した一目惚れ。

電車内で高寿は逡巡します。
ストーカーと思われるのが怖い。あんな美しい人、ぼくには…。

オドオドしながら声をかけようか迷う高寿の心情描写は、妙にリアルでした。
次にこんなこと言いそう…と思っていたら、彼はその通りのセリフを繰り出します。この甘酸っぱすぎる描写は高寿という男性がいかに奥手で自信なさげかを説明するには十分な材料となりました。

物語序盤に眼鏡をかけてもっさりしていた高寿もこのように変身(C)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

吸い寄せられるように彼女と同じ駅で降りた高寿は駅のホームで、一目惚れしたと唐突に告白します。端的に言ってしまえばナンパ。

携帯電話を持っていないという彼女は福寿愛美(フクジュ・エミ)と名乗ります。
その後、「また…会えるかな?」と尋ねた高寿を見て、愛美は涙を流しました。

「悲しいことがあって」と天を仰いだ彼女は、「またね」と涙目で電車に乗り込みます。

透明感のある小松菜奈。抜群でした(C)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

この冒頭のシーンが、作品の持つ意味の大きな割合を占めると言っても過言ではありません。

上で紹介した通り、高寿と愛美が同じ世界で出会うことができるのは5年周期のとある30日間だけです。
つまり高寿にとって愛美と出会えた「最初の日」は愛美にとっての「最後の日」

高寿がオドオドしながら行なった告白は、愛美にとっては別れの挨拶だったのです。
高寿の「また会えるかな」に対して、愛美はもう会えないことがわかっていました。だから彼女は涙を流しました。

ただ、愛美が流した涙の意味を高寿が知るようになるのはもう少し後になります。

育まれていく恋愛

次の日、学校の課題でスケッチをしていた高寿の前に愛美が現れます。

「福寿さん?!」と驚く高寿に向かって、「また明日って言ったじゃん」と愛美。なんか馴れ馴れしい。
この後、愛美は高寿に自宅のものであろう電話番号を渡します。

二人の温度差も後になって思えば納得(C)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

上山の助けを受けながらデートに誘い、二人は付き合い始めました。
時間が経つにつれて馴染んでいった二人は、手を繋ぎ、キスをして、身体を重ねます。
呼び方も「福寿さん」「エミちゃん」「エミ」と変化していきます。

恋愛に奥手な高寿はその都度愛美に許可を取るようにしながら、一つ一つ前に進んでいきました。
何とも微笑ましい甘美なひととき。

「抱きしめ…たい」(C)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

予告編でも印象的に取り扱われていた、高寿が「抱きしめ…たい」と言い、愛美が「抱きしめたらいいんじゃない…かな?」と返すシーンもこの辺りです。

幸せ絶頂期。映画全体の半分近く、40分ごろになって映画のタイトルが画面に映し出されます。

「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」

美しき五・七・五。
このタイミングでタイトルがようやく登場したことも、粋です。振り返ってみれば。

全てのシーンに、意味がある

高寿が、愛美は逆の時間軸を歩んでいることを知ったのはその後。
彼女は、5年後の高寿に教えてもらった「20歳の2人が過ごした30日間」を手帳に書き留め、それをなぞるようにして高寿にとっての「30日目→29日目」という風にデートを重ねていきました。

高寿にとっては面白くありません。
彼が「これから」愛美と過ごすデートは、未来から確定されたもので、彼女の確認作業に付き合わされているだけではないのかと嫌気がさしてしまいます。

新しく作っていったはずの日々は、未来から確定されたものでした(C)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

高寿の気持ちはよくわかります。未来がわかっているということを受け入れるのはとてもつらいし、決められたレールを走っていくこともしんどい。

ここは作品で唯一とも言える修羅場でしたが、二人の衝突は最小限に抑えられていました。
高寿は、自分にとっての「初めて」が愛美にとっての「最後」になることを察し、唖然とします。
体を重ね、キスをし、手を繋ぎ、最後のデートで告白される。愛美の心情たるや。愛美だってつらいんだ。

我々が受ける印象としては、「悲しい」というよりも「切ない」という方が適当かもしれませんね。

高寿をアシストした上山(東出)も含めて、この映画には敵役がいません(C)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

恋愛映画の山場でありがちな、ダラダラとすれ違いが続くようなことや、恋敵に流れたりすることがこの作品にはありません。
二人にフォーカスしているから、余計な情報が全く介入しません。どストレート。

高寿が愛美と過ごす時間の意味を理解することに対して、とにかく丁寧に描写を続けました。

高寿と同じように我々視聴者も綿密な描写によって、二人の時間が逆行していくことを理解していきます。

原作自体の設定のうまさももちろんありますが、シーンの意味を振り返るという作業を視聴者が主体的に進めていく手助けを製作陣はしてくれたと思いますし、だからこそ先述した駅のホームの場面が突き刺さります。

この池も作品のキーポイント。もちろん伏線はきっちりと回収(C)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

高寿にとっての「最後の日」に、遠慮がちに手を上げながら丁寧語で挨拶をした愛美の描写にも目頭が熱くなりました。
最初の日だもんね。緊張するよね。

作品内で愛美が高寿に見せてきた感情、仕草、言葉には全て理由や意味がありました。
そしてその全てを我々が理解できるだけように、丁寧な回収を施してくれました。

僕はこの映画を観て、嗚咽というものを久しぶりに味わいました。

ラスト10分、昨日のきみに涙する

作品は一貫して高寿側からの目線、心境で描かれていきました。
高寿が愛美の秘密を知った後も、30日目の日まで高寿の過ごす時間軸で物語は進んでいきます。

高寿にとっての最後の日が終わり、愛美がいなくなったところで終わったとしても、この映画は十分に成立したでしょう。

しかし、残り10分を切って場面は転換しました。
15歳の少女の独白が始まり、視点は愛美側に移ります。

月を構図に入れているところが本当に上手い(C)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

優しいメロディーに乗りながら駆け足で描かれる、「愛美の」1日目からの30日間。
彼女から見た高寿、彼女が味わう「最後」の数々。

それまでに高寿の視点から、愛美があの時泣いていたのは…とかは理解していたのですが、実際にいざ愛美側に立つともう我慢できませんでした。涙が止まりませんでした。

最後に愛美からの視点を入れて(高寿にとっての)逆再生をかけてくれたのは、物語の愛美に対する愛情としか言いようがありません。
ラストの一言で、僕は決壊しました。ここが映画館じゃなくて良かったと思うくらいに、決壊しました。

物語の展開やキーポイントとなる時間の向きの違いまで説明してしまいましたが、ネタバレを知った上で再鑑賞してもきっと感動すると思います。

福士蒼汰、そして特に小松菜奈にとっては間違いなく代表作となりうる映画でしょう。

彼女の「〜、なんだよ」と一拍置いた噛みしめるような語尾。その意味を考えた時、また目頭が熱くなりました。

★★★★★。

『ソラニン』の宮崎あおいもそうでしたが、三木監督は主演女優を作品のキャラクターと上手に融合するのが本当に上手ですね。
本当に本当に、素晴らしい映画でした。

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