映画『さよならくちびる』ネタバレ感想〜最高の3人×あいみょん×秦基博〜

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こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

2019年公開の映画『さよならくちびる』を観てきました。

監督、原案、脚本は『害虫』などを手がけた塩田明彦監督。
『愛の渦』『二重生活』などの門脇麦、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』などに出演した小松菜奈、『愛がなんだ』などに出演の成田凌を主演に据えた音楽映画です。

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映画『二重生活』ネタバレ感想〜ある日突然、尾行がついた〜

2018年1月26日

3月に観た『翔んで埼玉』は近年ではナンバーワンとも言えるほど僕に「刺さった」作品でした。
しかしながら『さよならくちびる』も今季随一の良さでした。
「刺さる」よりも「染み込む」方が強かったかもしれません。間違いなく傑作です。

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。



『さよならくちびる』のスタッフ、キャスト

監督・原案・脚本:塩田明彦
レオ:小松菜奈
ハル:門脇麦
シマ:成田凌
リポーター:松本まりか
ファンの少女:新谷ゆづみ
ファンの少女:日高麻鈴
ホームレスの男:松浦祐也

あらすじ紹介

「黄泉がえり」「どろろ」の塩田明彦監督が、小松菜奈と門脇麦をダブル主演に迎え、居場所を求める若者たちの恋と青春をオリジナル脚本で描いた音楽ロードムービー。

インディーズ音楽シーンでにわかに話題を集めただけの2人組女性ユニット「ハルレオ」のハルとレオは、それぞれの道へ進むため解散を決める。2人はサポート役であるローディの青年シマとともに日本縦断の解散ツアーに出るが、レオはシマに、シマはハルに思いを寄せており、ハルもまたレオに友情を越えた感情を抱いていた。

複雑な思いを胸に秘めながら、各地でステージを重ねていくハルレオだったが……。
レオを小松、ハルを門脇、シマを「愛がなんだ」「ビブリア古書堂の事件手帖」の成田凌が演じる。「ハルレオ」が歌う主題歌プロデュースを秦基博、挿入歌の作詞・作曲をあいみょんと、それぞれ人気ミュージシャンが楽曲を手がけた。

出典:映画.com

先月レビューした『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』では、「小松菜奈の代表作である」と書かせていただきましたが、この『さよならくちびる』も彼女にしか演じることのできない小松菜奈を見せてくれた作品でした。

また主題歌にもなっている「さよならくちびる」のプロデュースを秦基博が、挿入歌の「たちまち嵐」「誰にだって訳がある」の作詞作曲をあいみょんが手がけています。

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※本ページの情報は2019年12月現在のものです。
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以下、作品の展開や設定のネタバレがあります。ご注意ください。



映画のネタバレ感想

以下、作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

ハルです。レオです。ハルレオです

インディーズのユニット「ハルレオ」を組むハル(門脇麦)レオ(小松菜奈)
二人はユニット解散に踏みきり、ローディー(補助スタッフ)であるシマ(成田凌)と3人で解散ツアーへと出発します。

解散の部分は映画の冒頭で明らかになるため、この作品はハルとレオがどういった経緯で仲違いに至ったのか、またハルとレオがどのような経緯でユニット結成に至ったのか、シマを含んだ三人はどのように解散ツアーをこなしていくのか、と「ハルレオ」というユニットにひたすら密着していくドキュメント風の映画といえるでしょう。

ハルとレオはオールインワン(ツナギ)が一つのアイコンのようで、彼女たちのライブを観にやってきたファンもお揃いのツナギを着ている描写が随所に見られます。
少し古い言葉ではありますがニコイチを具現化することで、同年代の女の子たちの支持を得ている様子がわかりました。

作品概要でも紹介した通り、ハルはレオに想いを寄せ、レオはシマに想いを寄せ、シマはハルに想いを寄せて、とユニットの中には三角関係が存在しています。
予告編でもシマにレオが迫るシーンがあるため、印象に残っている方も多いかもしれませんが、個人的には三角関係は作品の中の背景を構成するほんの一部分に過ぎないのかなと思います。

これは、甘くて痛くて苦くて苦しくて、それでいて心地よい、良質な音楽のドキュメンタリーです。

静寂の挑戦

上では、音楽ユニットを追った良質なドキュメントと表現させていただきました。
音楽をやること、音楽という表現に挑戦することにはいつだってドラマが付き添ってきます。

成田凌が出演していた『キセキ -あの日のソビト-』もその一つでしょう。

だから僕たちは彼ら/彼女たちの生き様に感動するし、その感動であったり感情の高ぶりとかをさらに上げてくれる要素が音楽だったりします。

『さよならくちびる』では、門脇麦、小松菜奈の歌声はもちろん、彼女たちに歌を提供した秦基博とあいみょんの二人によって本気の音楽が映画に吹き込まれていました。

この映画には音楽の他にも様々な「音」が落とし込まれています。

クリーニング工場の乾燥機の音。
ギターのコード。
風の音。
ライブハウスの中の音。
100円硬貨を落とす音。
シマが運転する車の音。
ドアを閉める音。
ライターをつける音。
カレーライスをすくうスプーンの音。

アーティストが作り出す音から自然音まで、様々な「音」をひたすら真面目に撮り続けています。
この「音」へのこだわりが、時々出現する無音のシーン(画面いっぱいに歌詞が浮かんできます)を引き立たせていました。

「無音」は映画館で観ている我々に文字通りの静寂を強いてきます。
音があるときはポップコーンを食べていても、少し鼻をすすっても全く気にならないとは思いますが、無音というものはそれらを許してくれません。小さな咳払いや固唾を飲み込む音さえも、あのシーンではひどく大きく響くような気がしました。

奇跡の3人

純然なドキュメンタリーと『さよならくちびる』が決定的に違うのは、ナレーションが介在しないところです。
主人公たちが、「どうしてこうして、ここまでやってきた」と独白するようなシーンはありません。

全てが自然な会話の中で3人の歩んできた人生=物語が語られていきます。

つまり、門脇麦、小松菜奈、成田凌の3人の演技に依存するところがかなり大きい作品です。

一方で、松本まりかがインタビュアー役を務めた音楽番組がハルレオを特集したというシーンはありました。
彼女が語るハルの音楽センス、ファンの人たちが語るハルレオの魅力といった場面は、主演3人の主観で進むこの映画に、ポツンと客観的評価を落としています。

ただ、それも一時的なものに過ぎず、彼女たちのキャラクターとか才能とか思いとかは、全て演者によってこちらに示されていました。
『キセキ』では主人公たちの両親や、忽那汐里が演じた女友達によりグリーンボーイズたちの人間性や現在地が浮き彫りになりましたが、『さよならくちびる』は違いました。

キャラクターの個性をあぶりだしたのは役者たちの仕草とセリフでした。

この作品の一番の奇跡は、門脇麦、小松菜奈、成田凌の3人。そして彼らをキャスティングしたことだと思います。

ハル(門脇麦)

一番の主人公でありながら、門脇麦の演技から何かを掴むのは難しい。そんな役柄です。
常に本心を心の奥底の殻の中に閉じ込めたまま、彼女は淡々と言葉を紡いでいきました。

彼女をそうさせたのは諦めか、自衛本能か。もしそうだとしたら何が関わっているのだろう。
ハルのぶっきらぼうな言葉の裏側にある思いを視聴者がこれでもかと想像して行く作業が、本作品の魅力の一つかなと思います。

ハルの演技の特徴の一つに「惑う」部分が挙げられます。

青森で(映画内では)最後に3人でご飯を食べるシーン。
「これからどうするの?」と聞かれた彼女は、「私は…」と話し始めた後に上を向いた後、我に返ったように「おかしいな、今日」と自ら話題を遮るようにタバコに火をつけました。

もう解散するんだからこの先どうしようが、どうだっていいはずです。
それなのに彼女はつい口を割って何かを話そうとしてしまった。そんな自分への驚きや惑いが表現されたいいシーンでした。

レオ(小松菜奈)

静岡を最初の地として始まった全国ツアーをなぞって行く『さよならくちびる』。
その中で突発的に過去の回顧シーンがいくつか挿入されていきます。

この回顧シーンが単純に時間軸の順番ではないところがまた難しいのですが、一つのキーポイントとしてレオの髪型が挙げられます。
もともとロングヘアだったレオは、ハルレオを結成してツアーに至るまでのどこかのタイミングでバッサリと髪をショートマッシュに切ってしまいます。
それがどこなのかは描かれていませんし、別に重要でもないんでしょうが、少し難解な時間の散りばめかたをしている作品で理解の助けにはなるポイントです。

前述の青森で食べたカレーライスが最後の食事だったのに対して、レオとハルが出会った当時のシーンではハルの作ったカレーライスが、彼女たちの最初の食事として描かれていました。
このシーンで、レオは「いただきます」も言わずガサツにカレーをかきこんでいきます。

後にハルの家族を訪ねたシマに対して「いい家族だったでしょ?」と訊いたように、レオとハルの育ちの違いというものが如実に出たシーンでした。

レオはハルに比べて男へのスタンスとか(これは主にハルの口から語られます)、シマへの想いとか、怒りも含めて感情がダイレクトに表現されるキャラクターでした。
彼氏のおさがりのようなオーバーサイズのアディダスを着ていたところからも、男性への依存性は見てとれました。

レオの抱く劣等感

また、レオの目線では特に「ハル>レオ」の関係がより鮮明に描かれています。
上で述べた音楽番組の取材では「ハル>レオ」の不等号が嫌というほど明らかにされました。

ハル=天才=代替不可能な存在その相方=代替可能な存在と自らを理解したレオはコンプレックスに苛まれます。
ハルに好意を寄せていると知りながらもシマに冗談混じりでアタックしたのは、その不等号を少しでも逆にしたものが欲しかった表れかもしれません。
彼女がダメ男に依存する自分じゃダメだとわかっていたから、献身的なシマを諦められなかったのかもしれませんが。

この作品は色々なシーンで、レオとハルがわかりやすく違う道を進んだり、我先に休憩のトイレに入ろうとするシーンが見られます。
鑑賞後に改めて考えると、あれはレオがハルとの差別化を図るために意図的に歩んだ道なのかなという気がしました。

あくまで想像に過ぎませんが、彼女が「ハルの相方」ではなく「レオ」であるための感情表現だったのかなと思います。

シマ=成田凌

二人の付き人兼演奏役を務めたシマです。
誤解を恐れずに言ってしまえば、この映画は成田凌によって成立しているところがとても大きいと思います。
それくらい作品全体の依存度が高いキャラクターです。

「ハルレオ」の置かれた状況というものは、前述の音楽番組を除いてはほぼ全て、シマが絡んでいるシーンによって提示されます。
彼が度々口にする「お前ら解散するんだろ?」という念押しは、二人だけに対してではなく、観ているこちら側にも訴えかけている情報です。
ドキュメンタリーのナレーションの部分を当てはめるとしたら、シマの目ということになるでしょう。

ただし、彼は彼で物語を内包していました。
元ホスト、その前にやっていた音楽バンド。

彼の過去がもたらすいくつかの事件は、少し作品全体からは異質で唐突感が否めませんでしたが、その異質性すらもこちらが受容できたのは成田凌の演技によるところが大きかったと思います。

マモルという30手前のたぶらかし男を演じた『愛がなんだ』では「良い歳の取り方をしている」と絶賛させていただきましたが、正直それ以上の存在感を放っていたと思います。

助手席に座るハルを見やるシマ。あの心配そうな視線でいったいどれだけのことが表現できたのでしょうか。

『愛がなんだ』とは全く違う役柄でしたが、門脇麦と小松菜奈という女優にすんなりと馴染むことができたのも成田凌の持つ才能なのかなと思います。
本心を心奥底まで隠した演技もできるんですね。
そんな彼が唯一心をさらけ出したのが、ハルではなくレオに対してのシーンというのも感慨深いです。

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2019年6月9日

ファン役の二人

これまで書いてきたように『さよならくちびる』は主演3人の演技によるところがとても大きく、その他のキャストは正直ほぼ印象にないくらいの圧倒的な存在感でした。

その中で、ハルレオのファンである二人の少女がとても印象的だったので記したいと思います。

前述の音楽番組のコーナーで、松本まりかに取材される幼い二人。
日髙麻鈴新谷ゆづみが演じています。

ハルレオの「たちまち嵐」を口ずさむ少女(日髙)は感極まって涙ぐみ、もう一人の少女(新谷)はぎゅっとその頭を抱き寄せます。
この音楽番組がどこで撮られたのかはわかりませんが、おそらくツアー出発前なので首都圏のどこかなのでしょう。

彼女たちはツアー最終地点である函館にも出没します。

「最後だから外でサインでもしてきたら」とハルに促されたレオが舞台前に外でサインに応じると、そこにはあの少女二人もお揃いのツナギ姿で待機していました。
大喜びでサインの列に並ぶ彼女たち。良かったね、ここまできて。

最後のライブが始まるとハウスの中ではハルレオと一緒にオーディエンスの大合唱が巻き起こります。
女性ファンが多めですが、中には男性もちらほらと見受けられます。
僕は彼女たちの姿を探します。


(▲あの歌唱はアドリブだったと!!すごい!!)

彼女たちはチケットを入手できなかったのでしょう。そこにはいませんでした。
外で音漏れを聞いているファンもたくさんいました。そこにも彼女たちはいませんでした。

彼女たちは波止場のベンチで、一つのイヤホンをシェアしながらライブ配信に耳を傾けていました。お互いの頭を寄せ合って。

彼女たちにハルとレオを重ねる見方もあるかもしれません。
彼女たちが次代のハルレオとなっていくという見方もあるかもしれません。

僕が彼女たちに見たのは、「ファン」のリアルです。
いくら作内で象徴的な描かれ方をしていても、ハルレオの二人にとって彼女たち二人は大切なファンの中の二人です。それ以上でもそれ以下でもありません。

こんなにハルレオのことが好きな彼女たちでも、ラスト公演のチケットは取ることができず、それでも頑張って函館まで来て、ハルレオの歌を彼女たちと同じ土地で聴く。
きっとこれは彼女たちにとって忘れられない経験になるはずです。誰にも知られなくても、二人で聴いた「さよならくちびる」はきっと宝物になるはずです。

こんな取り留めのないファンのエピソードを塩田監督が映した理由。それはもしかしたら監督からの主演3人に向けたメッセージだったのかもしれません。

アメリカンスピリット

最後にこの作品で象徴的に描写されていたタバコについてです。

主題歌「さよならくちびる」では、このような一節が刻まれていました。

さよならくちびる
あふれそうな言葉を 慌てて たばこに火をつけ 塞いだ

(さよならくちびる 作詞・作曲:秦基博 歌:ハルレオ)

ハルとレオはともに喫煙者でアメリカンスピリットを吸っていました。
冒頭の仲違いを象徴するシーンとして描かれていた車内喫煙をはじめ、楽屋で、喫茶店で、路上で、彼女たちは至る所でタバコを美味しそうに吸います。マジで隙あらば吸います。

タバコに火をつけるやり取りに注目してもらうとレオとシマのシーンが上手くあるところで対になっていたりもします。
このご時世、こんなにもタバコを当たり前のようにガンガン吸える邦画は久しぶりではないでしょうか?しかもミュージシャンという世界観を補強するというよりも、明らかに彼女たちが好きで吸っている感が半端ないんです。

僕も喫煙者なのでわかるんですが、車内空間でタバコを吸うと(紙巻きは特に)髪から服まで至る所に匂いがこびりつきます。ましてやツアー中はずっとシマの車で移動しているわけですから、3人の荷物もそう。
きっと彼女たちと最前列で触れ合うファンたちはタバコ臭いと思っているんだろうなとか想像しながら、上映後に喫煙所で吸う一服は実に美味しかったです。

彼女たちの色あせたTシャツ、彼女たちが飲み干す缶ビールとともに、圧倒的な存在感を放つアメスピからもハルレオの「香り」みたいなものを感じ取ることができました。
ここらへんは好き嫌いが分かれそうですが、個人的には評価したいと思います。

歌という強いファクターに依存しすぎず、挑戦的なキャラクター描写で3人の冒険を追ったロードムービー。
素晴らしかったです!!

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