映画『僕だけがいない街』〜良いところを探してみよう〜

映画『僕だけがいない街』を鑑賞しました。

2016年3月公開、同年までヤングエースで連載されていた三部けいのコミックスが原作。また、同年の1月から3月まではアニメが放送されていました。

監督は『ツナグ』の平川雄一朗監督。主人公の悟は藤原竜也が演じています。

eiga.comの作品解説はこちら。

三部けい原作の大ヒットコミックを藤原竜也&有村架純共演で実写映画化し、タイムリープによって18年前の児童連続誘拐事件の謎に迫る青年の奮闘を描いたSFミステリー。

ピザ屋でアルバイトする売れない漫画家・悟は、ある日突然「リバイバル」という特殊な現象に見舞われるように。それは、周囲で悪いことが起きる気配を察すると自動的にその数分前に戻り、事件や事故の原因を取り除くまで何度でも繰り返すというものだった。

リバイバルによって大事故を防いだものの自らが大怪我を負った悟は、同僚の愛梨や上京してきた母の看病で回復していく。そんなある日、悟の母が何者かに殺害されリバイバルが起きるが、今回はなぜか数分前ではなく18年前だった。そこは、悟の同級生が被害者となった連続誘拐殺人事件が起きる直前の世界だった。

原作がまだ未完結の時点でアニメ、映画が製作されたという特殊なメディアミックス作品でしたが、原作、アニメを見た立場での映画の感想を綴っていきたいと思います。

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最初はアニメ版がおすすめ

まだこの作品を知らない方向けに書くと、個人的に一番おすすめできる鑑賞の順番はアニメ→映画→漫画→(ドラマ)です。

実写版はもちろん、原作漫画のタッチとアニメも少し異なりますし、作品として持っていく山場も少し違ったりします。
総本山とも言える漫画(あるいは原作にかなり忠実なドラマ)を最後に見ることで、どこが媒体によって違ったのか、変えた理由はどうしてなのか、などと考えていくのが楽しかったりします。

アニメの良い点は何と言ってもキャラクター。実際に声を出して喋り、動く登場人物を見ることで作品への理解が一気に深まります。また、「リバイバル」というタイムリープをキーポイントに置いている作品であるがゆえに文字と絵だけだと少し小難しくなる部分を上手に補強しています。

アニメ第1話(Prime Video)

すごくザックリと紹介すると、売れない漫画家の藤沼悟(サトル)がある日お母さんを何者かに殺され、小学生時代にワープして当時起こった事件を未然に防いで歴史を塗り替え、その当時に殺されてしまった子供たちを守るという話です。

キャラクター相関図

出典:ヤングエース公式サイト(タップorクリックで拡大)

歴史を塗り替えるためのこのサトルのタイムリープ能力が、「リバイバル」として物語では表現されています。
当初の目的はお母さんがなぜ殺されなければならなかったのかを探ることでしたが、当時地元で起きていた幼女殺害事件が大きく関わっていたことを知り、殺された子たち、また犯人に仕立て上げられた知人を救うためにサトルはヒーローになることを決意しました。

なお小学生時代に戻った際のサトルは身体は当時の子供に、頭脳や記憶は29歳の大人のままという設定です。未来を知っているからこそ、過去を変えようとするんですね。

キャラクターに感情移入できる

僕は2016年当時アニメでこの作品を知り、放送終了後に原作漫画を読破しましたが、一番気に入ったのは人物描写でした。

「バカなの?」で圧倒的な存在感を放っていた雛月加代には、この愛おしき天邪鬼を本気で守ってやりたいと思いましたし、その雛月を本気で守ろうと、救おうとするサトルの奮闘には心を揺り動かされました。

サトルを支えるケンヤ、ヒロミ、カズ、オサムについても同様です。
特にケンヤは作品の重要人物として描かれており、子供離れした洞察力に様々な深読みをしたのは僕だけではないでしょう。

彼らはまだプレステもネットも携帯電話もない時代に、秘密基地を作って遊び、時に色恋にうつつを抜かし、門限を気にしながら遊び、帰り際には「したっけ!」と挨拶して別れていきます。

「じゃあね」の方言である「したっけ」ですが、特にサトルがしつこいほどに口にする「したっけ!また明日ね!」は「また明日」が来るかわからない状況において防犯意識、そして来るべき明日への希望を持って使用されていたんだと思います。
大きな声で挨拶ってやっぱり大事ですよね。

社会性については、凶悪犯罪者の異質性、凶悪犯罪者に狙われる者たちの置かれている環境、子供に対する親の愛情、正義を貫くことの正しさ。

様々な要素が上手に二つの時間軸で表現されているので、初めての方にもぜひ見て(読んで)もらいたい作品です。

以下で映画の感想を書いていきますが、ネタバレの叙述があります。作品未見の方はご容赦ください。

本当にアニメも漫画も素晴らしいので初めての方はぜひそちらから観ていただけたら嬉しいです…!!

実写版の個人的評価

繰り返しになりますが原作未完の状況でアニメ、実写が製作されたため、その展開や結末が原作コミックと異なっているという特殊性がこの作品にはあります。

ゆえに、原作ファンからは手厳しい意見も見受けられたりもしました。特に映画版では結構強引な改変が施されており、正直僕も鑑賞直後はがっかりしました。

でも尺の短さによる改変というものは公開当時から予想できていたことで、僕が映画館での鑑賞を見送った理由もそこでした。

(C)2016 映画「僕だけがいない街」製作委員会

出典:映画.com

その部分に目をつぶれば、いくつか良いところもあったのではないかというのが本音です。
ストーリー面の大幅な変更(改悪)については他の方がすでにおっしゃっているので、ここでは言及しません。

劇場版の低評価が多いという前提で、個人的に良かったなと思えたところを探っていきたいと思います。

サトルと雛月のキャスティング

主人公のサトルを映画版で演じるのは藤原竜也。タイムリープした幼少期のサトルは中川翼が演じています。

(C)2016 映画「僕だけがいない街」製作委員会

出典:映画.com

まず初めに中川翼くんの演技が大変良かったです。
サトル(小学生時)というキャラクターには、心優しさと周りのことを考えすぎてしまうところと、ヒーローに憧れる勇気が同居しています。

それは時に自分の本心を隠していることにも繋がり、雛月にも「ニセモノ」と指摘されるわけですが、少し臆病で周りを常に気遣ったような翼くんのサトルは、こちらが応援したくなる原作やアニメの藤沼悟そのものでした。

中川翼のサトル(C)2016 映画「僕だけがいない街」製作委員会

出典:映画.com

中身が29歳なので、5年生にしてはマセた言動や大胆な行動が多かったサトルですが、実際に翼くんが頬を赤らめながら雛月を守る姿は必見。

原作やアニメではサトルの一人称がリバイバル前の大人の時は「俺」、リバイバルで小学生時代に戻ってからは「僕」となっていたところも、上手く使い分けできていたと思います。

続いて雛月です。

雛月に対してはアニメや原作で個人的にかなり感情移入をしていたことも大きかったですが、この実写版で演じた鈴木梨央の雛月に僕は涙し、椅子の上から崩れ落ちそうになりました。

冬の北海道で外に締め出され、白い息を吐く雛月。
少しずつサトルたちに心を開いていく雛月。
初めて少し笑顔を見せた雛月。
藤沼家の朝食に涙をこらえられなかった雛月。
「したっけね!」とサトルに手を振る雛月。

心がえぐられるシーンの一つ(C)2016 映画「僕だけがいない街」製作委員会

出典:映画.com

個人的な印象ですがビジュアル面で言えば、鈴木梨央は原作のキャラクターにそこまで似ていなかったと思います。
単純な再現度では中川翼のサトルの方が高かったのではないかと思います。

しかし鈴木梨央の雛月もまた、まぎれもなく雛月加代でした。
ネグレクトを受け、10歳にして人生に絶望する。そんな暗くて陰鬱な毎日に差し伸べられた救いの手。

惑い、怖がり、時にサトルたちの厚意を疑いながらも、笑顔を取り戻していった彼女の演技は素晴らしいという他ないです。一つ一つのシーンが僕には突き刺さっていきました。
雛月、生きてるんだなぁって。

もう一つ。
これは声を大にして言いたいのですが、サトルの誕生日パーティーで同日生まれの雛月に対するサプライズがありました。

(C)2016 映画「僕だけがいない街」製作委員会

出典:僕だけがいない街

(C)2016 映画「僕だけがいない街」製作委員会

出典:僕だけがいない街

加代の名前を大判ストールで隠し、バースデーケーキが出てきたところでケンヤが取り払ってサトルと加代に誕生日おめでとうと伝えます。原作にはなかった演出。

これには涙が出ました。劇場版で一番好きなシーンといってもいいかもしれません。
全体的に北海道のシーンでは、方言も無理しない程度に使いながら子供たちが伸び伸びと演技をしていたように映りました。

低評価が目立つ作品ではありますが、子役たちの奮闘を見るだけでも原作ファンがこの映画を見る価値はあるかと思います。

有村アイリが可愛すぎる

もう一人圧倒的な存在感を残していた役者を記しておきます。
サトル(29歳)のバイトの同僚・片桐アイリを演じた有村架純です。

サトルとの呼び方も変化していくのが楽しい(C)2016 映画「僕だけがいない街」製作委員会

出典:映画.com

やや無機質に映るサトルの大人パートで、彼の日常に刺激や彩りを与えるのはアイリです。
快活、純粋、正義感。

そんなアイリを無邪気に表現した有村架純は抜群に可愛くて、抜群にハマり役でした。

サトルに「やっとアイリって呼んでくれたね」と微笑み、サトルが「片桐くんはさ」と言い直すと肩にパンチを食らわすシーンなどは本気でサトルに嫉妬しました。
高橋店長の気持ちがわかりました。

「片桐くんはさ」
「アイリでいいよ」
「片桐くんはさ」
「………」

この問答におけるアイリの表情、むくれる有村架純は本当に魅力的なのでぜひとも注視してほしいと思います。
確か作品内で何回かあったはずです。

配達中のアイリ(C)2016 映画「僕だけがいない街」製作委員会

出典:映画.com

アイリが働いているピザ屋の設定も店名、配達バイクまでオリジナルをしっかりと踏襲していたところも見逃せません。
作品中盤まではかなり忠実に原作を再現していた印象でしたが、特にアイリの絡むシーンにおいてはそれが顕著だったと思っています。

なぜサトルのことを信じるのか、過去がどういう境遇だったのか。
2時間という尺の制限があり、エピソードを丸々と削られたり存在自体をほぼ消されたりしたキャラクターがいた中で、アイリに対しては丁寧に生命を吹き込む時間を与えていました。

他の役者さんでは、ユウキさんを演じた林遣都もイメージにぴったり。
また加代のお母さんを演じた安藤玉恵はオリジナルと明らかに毛色が違ったのですが、どういうわけかすんなりと悪いお母さんとして受け入れることができました。
冷徹非情というより頭に血を上らせやすいタイプに見えましたが。

僕が一番見たかった人

実写版・「僕だけがいない街」の最大の問題点として挙げられているのはバッドエンドへの改変です。
確かに僕も初めて見たときは衝撃的でした。

サトルが悲しい最期を遂げるまでの過程も駆け足で描かれたものでしたし、現代世界に戻ってきた彼が目を覚ました後の整合性も欠いていました。
何より、「僕だけがいない街」の意味合いが全く変わってしまいました。

僕が漫画やアニメを見て感じた一番の感動ポイントは、植物状態になったサトルにずっと寄り添い、全てを犠牲にして手の限りを尽くしたお母さんでした。
サトルの「眠っていた」部分が省かれた本作には、お母さんのエピソードが全くなかったことに僕はひどく寂しさを感じました。



しかし、これは改悪だったのでしょうか?
2時間の尺の中での限界、メリハリのつけ方。

鑑賞直後はかなり残念、もったいないという感情が頭の中を支配していましたが、実写版をじっくり見直してみると相当なリスペクトを持って再現しようという気概がうかがえました。

意味ありげに取り上げた八代のハムスターも、あの事件を取り上げた雑誌のレイアウトも。
本当に細かいところまで愛情が込められていました。

丁寧に再現していたからこそ、ただ一つの無念は小学生サトルが(29歳サトルの)心の声を口に出してしまうシーン。
これはアニメでも頻繁に行われていたので期待していたのですが…ツッコミやコメディ要素はいらなかったということなんでしょうかね。
それほど作品の流れや尺に影響するものではないので残して欲しかった部分でした。

鑑賞前にも、レビューを書く前にもいくつか他の方の感想を読ませていただきました。
もちろん残念なところもあったものの、誰かを救うために頑張る世界観とか、誰かを信じる強さとか、作品全体の空気感は実写版も同じものが流れていたと思います。

『僕だけがいない街』を知っている人向けに内容が著しく偏ってしまいました。
作品未見で最後まで読んでくれた方がいらっしゃいましたらすみません。

いいところも(やむを得ず)良くなかったところもたくさん。
★★★☆☆。
作品への愛は満点。原作ファンとして嬉しかったです。

2019年6月末時点ですが、アニメ版はプライム会員特典で観られるのでぜひ!!

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