映画『凪待ち』ネタバレ感想〜温かい方言が石巻の現在地を物語る〜

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宮城県石巻市

こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

仙台から電車で約1時間。
宮城県の沿岸にある水産都市・石巻は、ある日を境に僕にとって特別な場所の一つとなりました。

2011年3月11日。
東日本大震災が起こったあの日、石巻地区は津波によって甚大な被害を受けました。
僕はそこで初めて石巻の有様を目にし、様々な報道や文献を読んで石巻という町について知りました。

きっかけは夏休みを利用してボランティアに行った友人でした。
「日本人として、自分の目で見た方がいいよ」

彼の言葉に押され、震災から半年以上が経った2011年の11月に、僕は初めて石巻へと降り立ちました。

2011年11月、筆者撮影

ショックでした。
半年以上経ってなお、町が受けた爪痕はそこら中に残されていました。
その一方、静まりかえった町では、多くの方たちが復興に向けて作業をしていました。
衝撃を受けた僕に、できることは何だろう。

復興の助けになれるとは思っていませんが、僕はあれから何度か、石巻地区に足を運び、町を見てきました。
当然ながら現在は復興も進んでおり、石巻と同じく大きな被害を受けた女川は全く新たな町に生まれ変わろうとしています。



そんな石巻を舞台とした映画が、今年6月に公開になりました。

白石和彌監督の『凪待ち』です。

『凪待ち』のスタッフ、キャスト

監督:白石和彌
脚本:加藤正人
木野本郁男:香取慎吾
昆野美波:恒松祐里
昆野亜弓:西田尚美
昆野勝美:吉澤健
村上竜次:音尾琢真
小野寺修司:リリー・フランキー

あらすじ紹介

毎日をふらふらと無為に過ごしていた郁男は、恋人の亜弓とその娘・美波と共に彼女の故郷、石巻で再出発しようとする。少しずつ平穏を取り戻しつつあるかのように見えた暮らしだったが、小さな綻びが積み重なり、やがて取り返しのつかないことが起きてしまう―。ある夜、亜弓から激しく罵られた郁男は、亜弓を車から下ろしてしまう。そのあと、亜弓は何者かに殺害された。恋人を殺された挙句、同僚からも疑われる郁男。次々と襲い掛かる絶望的な状況を変えるために、郁男はギャンブルに手をだしてしまう。

出典:Filmarks

香取慎吾が演じる主人公の木野本郁男は、恋人の昆野亜弓(西田尚美)、彼女の娘である美波(恒松祐里)と籍を入れずに川崎(神奈川)で同棲していました。

郁男がギャンブル(競輪)から抜け出せずやさぐれた日々を送る中、亜弓は故郷の石巻に戻ることを決意します。
退廃した郁男と不登校だった美波を連れ、亜弓たちは末期ガンを宣告された漁師の父・勝美(吉澤健)とともに石巻の地で新たな一歩を踏み出していくことになりました。

しかしその道半ばで、ある夜に亜弓は遺体となって発見されます。

ポスターではサスペンス要素を煽っていますが、個人的にはヒューマンドラマとしての側面が強かったです。
圧倒的な退廃感の漂う香取慎吾とともにスクリーンに映し出される石巻の空を、海を、町の香りを多少知っている人間として、色々と思うことがありました。

石巻ってこんなとこ

この作品はよく石巻地区に寄り添って作られています。

エンドロールや石巻市のロケ地マップを見ると、撮影は石巻の市街地、隣町の女川町、北部の雄勝町で行われたようです。

雄勝は昆野家の撮影場所として、女川はおそらく勝美が船を出す漁港としてロケ地に。
女川はコバルトブルーの海がとても綺麗な港町で、ウニ丼やアナゴ丼も名物として知られています。

女川の海。2015年、筆者撮影

女川の港の船。2019年、筆者撮影

石巻は郁男や亜弓の勤務先、美波の通学先になっており、生活の拠点として描かれていました。
石巻の街でお酒を飲んだ郁男が代行タクシーで帰宅するシーンも、地方ならではの光景の一つ。

何よりも本作品は役者陣の演技が素晴らしいです。

主演の香取慎吾はもちろん、助演級から顔出し程度の役まで全員に拍手を送りたくなる名演でした。
ストーリーや設定を抜きにしても、この熱演に触れるだけで『凪待ち』を観る価値はあると思います。

詳しくは後述しますが、数々の大きな要因にあるのはしっかりとした方言使用。

気になってクレジットをじっと見ていたら、方言指導には郁男の同僚・新沼役を務めた鹿野浩明さんの名前がありました。
石巻出身の彼が細部までこだわったからこそ、自然な方言が役者の皆さんに染み渡ったのでしょう。僕が石巻を旅した時に聞いた言葉、そのままでした。

また亜弓の旧友・小野寺を演じたリリー・フランキー『凶悪』でも白石監督とタッグを組んでいます。
当時は趣味の悪い悪人ぶりが印象的だったのですが、本作でもその一端は垣間見られるかもしれません。
チャラ源というお調子者を演じた『SCOOP!』(大根仁監督)の彼を思い出す人もいるかもしれません。

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2015年1月2日

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2016年10月29日

リリー・フランキーという俳優がいかに自分を役柄に染め上げ、役柄を自分自身に落とし込むかが伝わってきました。繰り返しになりますが彼の異常な役への染まり方の大きな部分は鹿野氏の方言指導が担っていると思います。
小野寺の操る方言は実に上手く、善人か悪人かはかりかねる彼のキャラクターをさらに混沌とさせていました。

以下、映画の展開を交えながら感想を綴っていきます。
ネタバレがありますので未見の方はご容赦ください。



映画のネタバレ感想

以下、作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

2018年の石巻を映すこと

東日本大震災以降の石巻は、被災地、復興、再生、そういったキーワードで語られることが多い町でした。
復興への願いを込めた作品だったり、震災を忘れないための作品だったり、映画としても題材になってきました。

ただ震災から8年が経った今、石巻を題材にした意味とは何でしょうか。
僕が『凪待ち』を観るにあたって一番気になったのはその部分でした。ちなみに撮影は2018年に行われたとのことでした。

亜弓(西田尚美)と美波(恒松祐里)は震災後、川崎に引っ越してきました。
作中では美波が「放射能」といじめられたというセリフや、郁男(香取慎吾)が「除染の仕事を福島でしようと思う」という被災地の二次的な被害を示すセリフが一言で出てきます。驚くほどサラリと。

風評被害も除染も確かな現実です。被災地としての負の側面は今でも続いています。
しかし、そのリアルから目を逸らさない一方で、「被災地としての石巻(地区)」をあっさりと取り払った白石監督と脚本の加藤氏は素晴らしいと思います。

「津波のせいで全て失って、津波のおかげで新しい海になったんだ」

津波で愛する妻を失った勝美(吉澤健)の言葉は衝撃的でした。
もちろん言葉の裏側には、そうやって前を向かなければいけないという思いがあったでしょうが、「おかげ」という表現を使うのは本当に勇気がいることだったのでは。

悲劇と捉えられてきた3.11から、既に前に進んでいることが伝わってきました。

市街地の映し方も“再生後”に重きを置いたものだったと思います。
更地になった石巻沿岸に触れつつも、郁男が普段暮らす生活エリアに被災地としての要素はあまり関わってきません。

彼が入り浸っていた競輪のノミ屋界隈も、亜弓が美容室を出店したエリアも、至って普通の繁華街や商店街でした。

お祭りをやっていたエリアの近く。2017年、筆者撮影

石巻の市街地は実際に知っているところが多く出てきましたが、特に脚色することなく描かれていました。
郁男を陥れようとした同僚の尾形(黒田大輔)が追いかけられて嘔吐した道も、何度も通った場所でした。
よそ者の僕でもこれだけわかったということは、地元の人が観たら「いつものアソコ」感はもっと凄いんでしょう。

震災の痛みを忘れるな、という意見も正論だとは思いますが、石巻も女川も既に生まれ変わっています。

そして視覚的な震災の記憶というものを、『凪待ち』はエンドロールでカバーしていました。
あの映像を観て何かが胸の奥に突き刺さった人は多いはずです。

それでいいんだと思います。

人間臭さがたまらない

リリー・フランキーの狂気とも言える名演については上で述べましたが、返す返すも役者の皆さんは素晴らしかったです。

まず印象に残ったのは勝美役の吉澤健
序盤は娘の亜弓が連れてきた郁男をひたすら無視し、ぶっきらぼうな頑固親父かと思いきや、一旦心を開くと口下手な可愛らしさが先行しました。

「昔はやんちゃしててなあ…」と語りつつも椅子の上に礼儀正しくちょこんと座っているカッちゃん。失礼な言い方かもしれませんが、本当に可愛かったです。
いますよね。ああいうおじいちゃん。

また亜弓の元夫として登場した村上(音尾琢真)の持つ二面性には人間らしさを感じました。
郁男から見たら村上は敵なのかもしれません。村上から見たら郁男は敵なのかもしれません。

けれども身重の新しい妻を気遣う村上は確かに正しい夫の姿でしたし、彼女が出産を終えた時に破顔する姿は紛れもなく父の顔でした。こんな奴にも良いところあるじゃん!と思ったのは僕だけではないはずです。

音尾琢真は白石監督の『日本で一番悪い奴ら』でも熱演しました。

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2020年5月27日

ノミ屋を仕切っていた暴力団の穀田(寺十吾)も同様です。
郁男から金をむしり取り、「ノミ屋」を体現して郁男の獲得金を反故にするなど悪党ぶりが際立つ一方で、郁男の賭け方に序盤からロマンを感じていたのは見て取れました。

わずかながら宿っていた善意の部分を伏線として見せる演出の上手さ。
最後にお金を郁男に返した時に僕が感じたのは「やっぱりな」でした。
小者感が漂う尾形も、きっとどこかで頼り甲斐があるから印刷所で信頼されているんでしょう。

ここで挙げたキャラクターはそれぞれ全く違う個性を持っていましたが、彼らの演技に人間らしさという“体温”を与えたのはやっぱりハイレベルな訛りでした。

映画の方言指導って難しいと思うんです。
抑えてしまえばただの標準語話者になって設定と齟齬が出る一方で、上手く話せないと作品は一気に学芸会のレベルまで落ちてしまいます。
役によって全く違う性格や喋り方でも、おそらく抑揚やアクセントの軸が一本通っているから「石巻の内側の人」という意識を僕たちは持つことができました。

一方で方言をほとんど使わずに、石巻で生活を送った人もいます。
川崎から来たよそ者の郁男と、川崎から7年ぶりに帰って来た美波です。

更生できなかった郁男

郁男には常にお金の問題がついて回りました。
彼がお金を失う理由、それはギャンブルです。

川崎競輪に没頭していた郁男は亜弓のお金をくすねて車券購入資金に回し、競輪場でスっていました。
競輪のない石巻にやって来ても、外的要因はあったにせよ、彼は結局違法のノミ屋に入り浸ることに。
今度は借金を作ってしまうほどになり、小野寺に斡旋してもらった仕事もクビになってしまいました。

お金を作るための策として、お金を賭けることしかできなかった郁男はとても悲しい人でした。
ただしお酒に溺れる人がいるように、ギャンブルに溺れてしまう人もまたいます。感情移入はできませんが、賭博欲求に対しては多少の同情を禁じえませんでした。

僕が許せなかったのは彼が抑えきれなかった暴力性の部分でした。

郁男は自身を陥れた尾形や村上に殴りかかり、ノミ屋のモニターや店内設備をぶっ壊し、お祭りでは見知らぬ通行人に対して喧嘩を売ります。
どんな理由があるにせよ、これは悪です。手を出した時点で負けです。

痛みを味わった人間は誰しも、自分の感情を解放したいはずです。その手段の一つとして暴れまわることが頭をよぎることもあるはずです。

でも、しない。なぜか。
それに伴う犠牲を知っているからです。自分にも他者にも、それなりの傷が刻まれることを知っているからです。
けれど郁男は、どうしようもないクズだと自認しつつも、自分の衝動を抑えきれず暴力という手段で訴えかけました。

暴力でしか苦境への対抗策を知らなかった最低の郁男に、なぜ勝美や小野寺らが周りは救いの手を差し伸べるのか。
郁男だけじゃなくて僕もわかりませんでした。それでも、彼らには郁男を信じたかったんです。

勝美と美波とともに亜弓の事件現場を訪れた終盤で、心なしか郁男のイントネーションが少し訛ったような気がしました。これは香取さん本人に聞いてみないとわからないことですが、郁男が勝美、美波と家族になる一歩を踏み出したように感じる、印象に残るシーンでした。
エンドロールのその先で、郁男が少しでも更生の道を歩み、優しい人間になってくれることを願います。

光を取り戻した美波

吉澤健ともう一人、鮮烈な印象を与えてくれたのが美波を演じた恒松祐里でした。

去年鑑賞した『虹色デイズ』で圧倒的な演技力と評価させていただいたのですが、この『凪待ち』でも心の外に殻を作ってしまう複雑な役柄を上手に演じています。

部屋のポスター、スクールバッグにつけた缶バッジから「ロマンス洋酒店」(?)というアニメが好きなようで、家では集中して郁男とモンハンに興じる高校生。ただし川崎での美波は学校に行くことができず、友達もいませんでした。

郁男のダメっぷりに僕は何度もため息をつき、何度も憤っただけに、美波が石巻で笑顔を取り戻していったことが本当に救いでした。海の綺麗なあの町で「美波」という名を授かった彼女こそが、この映画の光だと思います。

美波のシーンで一番好きだったのは、亜弓を亡くし、小野寺が昆野家で麦茶を振る舞うシーン。
「お父さん(村上)のところに行ったらどうだい」と小野寺に諭される美波は、首を曲げて郁男の方を見やります。困惑と信頼の入り混じった表情で。
「顔を曇らせる」という表現がありますが、セリフを言わなくても顔を曇らせることができるのは恒松祐里の強みではないでしょうか。

そんな美波に笑顔を取り戻させたショウタ役の佐久本宝にも少し触れておきます。
『怒り』で沖縄方言を流暢に操った彼は、今回コテコテの石巻方言を披露しています。ここまで書いてきた他の役者さんに漏れず素晴らしいクオリティ。これはもはや才能。

2011年まで石巻で暮らしていたはずの美波が、方言を使わない理由は色々考えられます。
7年のブランク、引きこもりになったこと、震災に対する負い目。

けれどこの先、美波にもショウタの温かいイントネーションがうつっていく可能性はあります。
石巻の新しい歴史を、仲良しの彼と一緒に歩んで行く。そんな未来だったらいいなと思いました。

思い入れのある町だったため、映画以外の部分の叙述が多くなりました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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