こんにちは。織田です。
新海誠監督の映画『天気の子』を公開翌日に観てきました。
2019年、原作・脚本・監督:新海誠。
企画・プロデュース:川村元気。
キャラクターデザイン:田中将賀。
音楽の担当はRADWIMPS。
2016年に公開された『君の名は。』に続いてヒットメーカーの面々が新海監督とタッグを組んでいます。
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
『天気の子』のスタッフ、キャスト
監督・原作・脚本:新海誠
森嶋帆高:醍醐虎汰朗
天野陽菜:森七菜
夏美:本田翼
天野凪:吉柳咲良
須賀圭介:小栗旬
あらすじ紹介
「あの光の中に、行ってみたかった」
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。
そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らす少女・陽菜。
彼女には、不思議な能力があった。「ねぇ、今から晴れるよ」
少しずつ雨が止み、美しく光り出す街並み。
それは祈るだけで、空を晴れに出来る力だった――。
僕が観たのはレイトショーでしたが、TOHOシネマズ日比谷は様々な年齢層のお客さんでぎっしりと埋まり、作品への期待度をまじまじと感じさせてくれました。
邦画界では今年最大の注目作といってもいいだけに、公開初日から各所で感想や考察のレビューが既にいくつもアップされています。
詳しい考察や、過去の新海作品との比較検証などはそちらにお任せするとして、映画の感想をなるべくライトな視点から書いてみたいと思います。
展開や場面に触れたネタバレだらけですので、どうか鑑賞後の方のみご覧いただけると幸いです。
映画のネタバレ感想
以下、作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
僕と新海誠監督
はじめに僕が映画『天気の子』を観る前に持っていた事前情報、新海作品の知識をお話しします。
3年前、新宿のレイトショーで観た『君の名は。』に衝撃を受けた僕は、結局5度この作品を鑑賞しました。
テレビ放送やブルーレイでの鑑賞を含めると10回以上。それくらいにどハマりしました。
『君の名は。』
『ほしのこえ』
『秒速5センチメートル』
『言の葉の庭』
などといった作品も鑑賞。
それまで知らなかった新海誠監督という才能に『君の名は。』で出会い、他の作品も少しずつ観ていって新海監督の世界観やアニメーションの美しさを知っていったという感じです。
記録にも記憶にも残る大ヒットとなった『君の名は。』の次作として発表された『天気の子』は当然楽しみにしていましたし、期待感を持って公開日を待っていました。
挑戦
事前情報をある程度遮断して『天気の子』をご覧になった方は多少お分かりだと思いますが、この作品はみんなが予想していたよりも上の階層を攻めてきた映画です。その攻めの姿勢に賛辞を贈る評価を多く目にしました。
体感的には「『君の名は。』よりも好き!」と言っている意見が多いように思えます。
一方でSNSや映画のレビューでは賛否が分かれている、というか評価に困っている声も見られました。新海監督らしさが色濃く出ていた反面、置いてきぼりを食らった感も否めません。
個人的な評価もそんな感じです。ぶっ刺さるか刺さらないかでいえば、後者でした。
特に『君の名は。』の物語展開が好きだった方には「あれ?」って思った方もいたのではないでしょうか。
僕も彼の作品を全て見てきたわけではないですが、新海監督は元来モノローグを多用して主人公の心情描写や主人公の主張、理念などをはっきりと(しかも詩的に)こちらに明示してくる作り手です。ある種、監督自身がアイデンティティを主人公に移入してくるときもあります。
『君の名は。』では、その気持ち悪さ(褒め言葉)を引き算することでヒット作となったという意見を当時拝見し、そこは同意しました。
『君の名は。』が優等生的な作品だったとするならば、『天気の子』は少し尖っている、そんな印象を受けました。
その映画のタイトルと大枠のテーマを知らない人がいないくらいに、『君の名は。』は国民的な作品になりました。
入れ替わりの設定もわかりやすかったですし、ストーリーの起伏、主人公2人の純真なところも新規層を取り込めた一因だったのではと思っています。
新海誠監督の新作は当然、「『君の名は。』の次」という捉えられ方をされますし、スポンサーの付き方も予算も、期待度も重圧も、楽しみにしているファン層の構成比も作品にかけられる自由度も全く異なってきます。
その中で今回、新海監督は万人受けする「面白さ」にそこまでこだわらなかったように感じられました。
東京
『君の名は。』が大ヒットした副産物として、『天気の子』では様々な実在企業が作内に登場しています。
バニラで求人のトラックに始まり、ポテチもカップ麺もネットカフェも陽菜の旧バイト先も、みんなが知っているあの会社でした。
宣伝の要素が強かったとはいえ、多様な人種、多様な職業、多様な暮らし方をしている人が雑多に混じっている東京という街を描写するコンテンツとして機能していたと思いますし、作品に現実感を補強していました。
逆にいえばこのリアル感は、作品全体に流れるファンタジックな「この世界」観との整合性を欠いていたとも言えますが、個人的には意図的な不一致を評価したいと思います。
実在企業とタイアップした街がファンタジックな混沌に落ちていくところは、コナンの劇場版とも似ていますね。
#天気の子 、大合唱上映たのしかったなー🎤🥳💖
また例のシーン・・・😂1番みんなの歌声が大きかった🤣💖💖✨✨
帰りはTOHOシネマズの横にあるバニラ看板をパシャリ📸😊💖
テーンキ✊🥳テンキ☁️☀☔テーンキ合唱ー🎤😝☀️🌈☔#天気の子#大合唱 🎤✊🥳💖#バニ子の休日 📽😊🍿 pic.twitter.com/AnY5XHE8Hu
— 公式┃バニ子ちゃん🚚💰高収入🎶 (@vanilla_qzin) September 15, 2019
『天気の子』で僕が一番感じた新海監督のこだわりは「東京」に対するものでした。
「東京で生きていくこと」への執着といったほうがいいかもしれません。
『言の葉の庭』では、東京の中心地で暮らす男の子が主人公でした。
『君の名は。』では、東京に憧れる三葉と、東京の一等地で育った瀧が主人公でした。
『天気の子』の帆高と陽菜は、いずれも東京のど真ん中で生きている人間ではありません。
家庭の問題がある陽菜はともかく、(島から)家出をしてきた帆高が新しい暮らしを見つけるのは東京都心じゃなくてもいいわけです。
上野でも北千住でも新小岩でも下北沢でも蒲田でも赤羽でも、(彼が最初探していた)夜の仕事はあります。
でも、それじゃダメなんですね。
「東京」として描かれているのは結局新宿でした。
お金
何度も映る空撮の新国立競技場を始め、池袋〜新宿〜神宮外苑方面が「東京で生きていく」ためにふさわしい場所。新海監督の結論としてはそうなのでしょう。
実際、他の街に比べて人が多いということはそれだけ消費者数も働き手の数も多いということですからね。
一方で、ホテル街や水商売のお店が並ぶ通りを多用する今作は、キラキラ感溢れる東京からは程遠いものとなっています。タピオカのタの字もなければ、三葉が目を輝かせていた「東京やぁぁ!」の要素はほぼありません。
お台場近辺と思わしきフリマ会場も、陽菜が凪と暮らす田端の線路沿いのアパートも、「東京やぁぁ!」とは少し違った趣のはずです。(田端はJR線沿いなのでそれなりに家賃相場は高いとは思いますが、あれだけ電車の走行音が聞こえる木造アパートだとかなり安価ではないかと想像します)
ちなみにアパートに帰ってきた凪が冷蔵庫に白いパックを入れるシーンがありましたが、僕はあのパックを彼が万引きしてきたのかと邪推しました。先輩、申し訳ありませんでした。
帆高も話していましたが「東京怖え」のアンダーグラウンド感、そしてそこで生きていくことの大変さ、そして東京で生きていくコストを「お金」という現実的なアイテムを使って明示していました。
ネカフェとマックで寝泊まりしながら職探しをしていた帆高。
マックをクビになり、夜のお仕事を考えていた陽菜。
幼い二人には作品の最後までずっと「お金」の問題がつきまとっていきました。
特に帆高の描写については中村蒼主演の『東京難民』という映画に共通する部分があると思います。よろしければご覧ください。
東京で生きていく上でのリスク、コスト。それを払うに値するだけの多様性や魅力。
「東京」に対する新海監督の執念が見えたと同時に、終盤で冠水した都心部を映し出したことで「東京」への限界も提示してくれた気がします。
水上バスで銀座・浜松町を移動する。なんともアイロニカルな描写ですね。
ちなみに瀧くんのおばあさんが引っ越した高島平というのは東京北部の板橋区。川向こうは埼玉です。
上で書いた『天気の子』における東京エリアの範囲外なのですが、東京内陸部の郊外に高島平を選んだのは面白い選択でした。
移入
自然災害に対しての人柱、昔から言い伝えられた伝説、運命や世界を変えるという設定の大枠は『君の名は。』と大差ありません。主人公のボーイ&ガールが出会い、離れ、再会するのも同じです。
ただ三葉と瀧の運命的、必然的だった邂逅、リズミカルでポップな時間の過ごし方と比べると、陽菜と帆高の恋物語はノーマルに映ります。
お金を稼ぐとか、天気にして人々を笑顔にしたいとか、目的意識に向かって一生懸命頑張って生きていく中で、男の子が女の子に惚れてしまった。普通のことです。
部活に入っている子たちでも、同じバイトをしている子たちでも、同じ塾に通っている子たちでも起こりうることです。
ドラマ性としてはだいぶ『君の名は。』よりも薄まった一方で、現実味としては強まりましたかね。この辺は好みが分かれそうです。
僕は最後まで帆高に感情移入ができませんでした。
『言の葉の庭』の孝雄や『君の名は。』の瀧と比べると、幼く無鉄砲なところが目立っていたような気がします。
正直なところ帆高も16歳にしてはかなりよく考えている方で、瀧くんたちがおかしいだけなのですが。
帆高の逃走は(これまた)コナンぽかったシーン。パトカーとのチェイシングのあたりが特に…。スーパーマン要素を入れることが良かったのかどうか。ここも評価が分かれそうです。
また『天気の子』では、女子キャラクターのバストに着目していた描写が目立ちました。
陽菜も夏美も帆高に対して胸を「見られている」というシーンがいくつか出てきます。
ここも新海監督の志向の一つだとは思いますが、ちょっとしつこかったかな?と感じたところはありました。
本田翼が演じた夏美は、森七菜の陽菜をしのぐ存在感を見せていただけに、高校生男子をあそこまで誘惑するのはさすがに変態では?コンプラ大丈夫?という話。
誤解を恐れずに言えば、年上お姉さん好き的な嗜好の男の子たちの夢を具現化したような女性でした。
快活さと純粋さと年下への誘惑手段を持つ彼女が、普段どんな男の人と仲良くしているのかは気になりましたね。
返す返すもいい女であり、魅力的な彼女に魂を吹き込んだ本田翼も素晴らしかったと思います。
一方で陽菜の弟・プレイボーイ小学生の凪は、感情のままに動き、惑うキャラが多い中で唯一といってもいい理性を保つ存在でした。
恋テク指導を帆高にこなしつつ、きちんと小学生らしい振る舞いも忘れない凪くん。君は天使か神童か。
甘酸っぱい年上の主人公たちを諌め、支えていく姿は、『聲の形』の結弦にも少し似ていたかなと思います。
キャラクターのどこに移入するのか、何を愛でて楽しむかという点では、僕は陽菜に移入し、凪と夏美に癒しを求めながらの鑑賞となりました。
再会
キャラクターで言えば『君の名は。』オールスターを探せ要素にも少し触れておきます。
上映前に流れたソフトバンクの「白い犬を見つけられるかな?」キャンペーンは流石にうざかったものの、本編に散りばめられたと思われるテッシーとさやちんと四葉を、僕は初見で見つけることができませんでした。
それでも、あの高校の制服を思わせる色合いのポロシャツで現れた瀧くんには興奮しましたし、アクセサリー屋の店員で組紐を結んだ三葉の後頭部が出てきた瞬間に隣の女子は鼻をすすっていました。僕も目頭が熱くなりました。
元気そうだね。ちゃんと東京で生きててくれてありがとう。
電車のドア付近で女性が窓に手を当てているシーンも良かったですね…!リメンバー三葉in総武線…!
このようにライト層向けの懐古ゴコロをくすぐる一方で、役名と声優名を一致させ、知識層の深い人たちをも満足させる演出も随所で見せてきました。
やっぱりこれが新海誠監督の作ってきた歴史なんだ。原点に回帰するとか、新しいものを投下するとかではなく、積み上げてきた作品に内外から注がれてきた愛情に対して感謝する、歴史の込められた映画なんだなと思った次第です。
「君の名は。」DVD スタンダード・エディション/DVD/TDV-27263D
雨雫
タイトル、予告編での予想そのままに、『天気の子』では絶え間なく雨が降っていました。
空から落ちてくる雨粒も、アスファルトを叩く雨も、窓ガラスを流れ落ちる雨滴も、(陽菜の能力の副作用?の)局地的な滝雨も、新海誠監督の雨でした。
美しく、湿っぽく、時に寒気すら覚えさせる。これまでの「雨」に対するこだわりを凝縮したような映像美でした。
アニメーションの美しさとは裏腹に、雨そのものの印象は、『言の葉の庭』で主人公たちを引き合わせるシチュエーションとして用いられていた雨とは、性格が異なるものでした。新宿御苑をシトシトと濡らす雨はロマンチックで、感情に語りかけるようなものでした。
『天気の子』における雨は、普段僕たちが抱いている概念の雨です。そこに情緒や儚さはほとんどありません。
だからみんな、晴れを天の神様に願います。100%の晴れ女に頼ります。
2019年7月22日現在、日本列島は未だ雨雲に覆われ、どんよりとした気候が続いています。
西日本では毎年のように豪雨による災害、水害が起こっています。
駅を出て空を見上げると、小さな雨粒が落ちてきました。
多分もう一回観に行くと思います。
この作品が突き刺さった方、Twitterなどで教えていただけると嬉しいです。
明日は晴れますように。
2020以後の東京という点では『あゝ、荒野』ともシンクロさせると面白そうですね。