映画『君の名は。』ネタバレ感想|体の色々な所を撃ち抜かれた

君の名は。 タイトル画像
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昨日、飛行機で『君の名は。』を鑑賞してきました。雲を突き破っていくティアマト彗星が、飛行機のライブカメラの映像に重なるようで面白い。

昨年9月のファーストデーで初めて鑑賞して以降、5回目の鑑賞です。にわか映画好きの僕にとっては信じがたい。

なぜここまでハマってしまったのか。
『君の名は。』のどこが好きなのか。今一度考えてみました。

あらすじ紹介

千年ぶりとなる彗星の来訪を一か月後に控えた日本。山深い田舎町に暮らす女子高校生・三葉は憂鬱な毎日を過ごしていた。町長である父の選挙運動に、家系の神社の古き風習。小さく狭い町で、周囲の目が余計に気になる年頃だけに、都会への憧れを強くするばかり。「来世は東京のイケメン男子にしてくださーーーい!!!」そんなある日、自分が男の子になる夢を見る。見慣れない部屋、見知らぬ友人、戸惑いながらも、念願だった都会での生活を思いっきり満喫する三葉。「不思議な夢……。」一方、東京で暮らす男子高校生、瀧も、奇妙な夢を見た。行ったこともない山奥の町で、自分が女子高校生になっているのだー。彼らが体験した夢の秘密とは?/p>

出典:Filmarks

スタッフ、キャスト

監督・原作・脚本 新海誠
立花瀧 神木隆之介
宮水三葉 上白石萌音
奥寺ミキ 長澤まさみ
宮水四葉 谷花音
勅使河原克彦 成田凌
名取早耶香 悠木碧
宮水一葉 市原悦子
この後、本記事はネタバレ部分に入ります。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



初回鑑賞時の衝撃

『君の名は。』が高評価されていることは聞いていた。
それにしても、ファーストデーというのを考慮した上でも、9月1日の26時スタート、新宿バルト9は混んでいた。

いろんな人がいる。いろんな話し声が聞こえる。そろそろストップ映画泥棒が流れる頃というのに、前の学生たちは自撮りをしている。

それなのに、映画が始まり空が映ると、途端に喧騒が消えた。
固唾をのんで見守る人々。
スクリーンからはRADWIMPSの音楽が響く。

 

いやいや、これは。
体の中の色々なところを撃ち抜かれた。心がドキドキした。

この後僕は何度も『君の名は。』を観ることになる。

実写以上にリアルな世界

実写で映像美を表現するとなると必ずどこかに無理が生じて、つくられた現実となってしまう。空の色も、雨の降り方も、100%狙い通りのものは撮れないし、人工的に作り出さざるをえなくなる。

その壁を、新海監督はアニメーションによって越えていった。

柔らかい太陽の光、行き交う電車、湖の反射、自然な雨粒。高いレベルのアニメーションで構成された写実的な風景は、時に現実よりもリアルで、現実よりも美しかった。

携帯や煙草、パンケーキに学校の屋上。身の回りに存在するモノも写実的で美しい。
四ツ谷や代々木の駅や、新宿界隈の街並みもまた然り。大塚商会の看板が、ヤマダ電機のオーロラビジョンが、バルト9に入る前に見た光景がそのまま映画の中に存在していた。

新海作品では電車も実に魅力的。
JRに乗っている描写がよく出てくるが、電車のドアが閉まる「プシューッ」を始めとして扉の開け閉めがシーンの切り替わりとして上手く効いている。

引き戸の移動方向や角度にも注目してみていただきたい。特に意味はないと思うけどあのアングルは実にリアル。
都内で電車に乗る人は、作中の駅についても注視すると面白いと思う。駅の発車音とか。

圧巻にして全てを語るオープニング

閃光が空を懸け、雲を突き破って大地を見渡す。
その光は彗星で、瀧くんはマンションの屋上から眺めている。

上から、横から、下から。
多角的な視点で描かれた空間は加速度をもたらし、僕たちはぐいっと前のめりになる。

オープニングのコマ替わり。音楽に合わせてパッパッパッ。
瀧と三葉の変化。
三葉の組紐と瀧のブレスレット。

物語の核心はRADの「夢灯籠」のオープニングテーマで既に明かされている。
でもこれに気づくのは2回目以降の鑑賞時。

だから人はこの映画のトリックを確認するために複数回足を運ぶ。

勿論この種の技法はやり過ぎると、本編の意味がわからない!ってことになるのでその辺のバランス感覚がとっても上手なんだろう。
ベースのストーリーや色彩感覚、音楽で初見の人も引き込まれるように。

ちなみに、他の作品も鑑賞したことで、新海作品の一つの特徴に詩的(すぎる)なモノローグがあることはわかった。
その意味で『君の名は。』は独白を大幅に省略し、また多用している序盤の二人の場面も主題歌につながるテンポを紡いでいる。

「朝起きると、なぜか涙を流していることがある」
や、
瀧が糸守に執着していた頃を振り返るシーンなど、モノローグは大事なところに集約している印象だ。

ネットで見た「新海監督が、らしさを引き算している」との評にも頷ける。

確認作業と発見

結局再鑑賞することでわかったことがいくつもあったし、英語字幕で観たことでわかったこともあった。

例えば、三葉の中に入っている瀧が、最後に父親に言い放った「馬鹿にしやがって」
首根っこ掴んで言ったあれも、実は奥寺先輩とのデートの時に三葉が送りつけた厳選リンク集を見て瀧は同じセリフを言っている。

瀧くんは弱いけど喧嘩っ早いから…とは奥寺先輩の弁。
その一つの例示がこのセリフのような気がする。

英語字幕で

英語字幕で言えば、糸守へ瀧が奥寺先輩、ツカサと向かうシーン。
連絡を取る手がかりがないと話す瀧にツカサが「呆れた幹事だな」とこぼす。
これは英訳のplannerという字幕が出ていたので今回ようやくわかったけれど、僕は今まで「呆れた彼女」だと思って聞いていた。

あのシチュエーションで幹事っていう単語はなかなか出てこない、気がする。

あと、瀧が最後に三葉に入れ替わり、起き抜けに涙を流しながら胸を揉んでいるシーンで四葉がヤバいを連呼するところ。

あれは英訳だとShe’s lost itになっていて、最後のヤバいだけscaryになっている。これは字幕製作の大勝利。

一方で、字幕の難しさを感じたのは、瀧の中に入った三葉が司と高木に「わたし」→「わたくし」→「僕」→「俺」と一人称を確認するシーン。

英語ではもちろん一人称主語はI(アイ)でしかないので、
「I(watakushi)」
「I(boku)」
「I(ore)」

という形がとられていた。

まだわからないことがある

それでも、5回観てもなお、僕の足りない脳みそではわからないことがまだいくつもある。

時間が…ズレてた…

三葉が三年前、瀧に会いにきたということを瀧が知ったのはなぜか?

カタワレドキに「お前、知り合う前に会いに来るなよ。わかるわけないだろ」と言ったわけだけど、その東京に行った三葉の記憶をどうやって共有したのか。

三葉が日記など形にして残して置いたのか、それとも入れ替わる際には体験記憶も共有されるようになったのか。

それとも、自身の中学生時の中央総武線の記憶を思い出し、あの組紐をくれた女子が三葉だと確信したのか。はたまた、口噛み酒を飲み、三葉の記憶を紐解いていった時に共有したのか。でもそうなると、三葉(瀧)が四葉に昨日お姉ちゃんは東京へ行って…と言われた時に「えっ?」という形にはならないか。

総合的に考えると、瀧は糸守を訪れて入れ替わりの時間が三年ズレていたことを知り、四葉の言葉で三葉が彗星墜落の前日に東京に(自分に会うため)来ていたことを知り、そして三年前の四ツ谷駅を思い出したということなのか。

歩道橋。上りと下り

信濃町駅から神宮球場へ向かう途中の歩道橋もとても印象的だった。

瀧が奥寺先輩との初デートで別れ、三葉に電話をかけ、三葉が東京に来て瀧に電話をかけ、就活中の瀧が奥寺先輩と別れる場所。

三葉の世界と瀧の世界との境目というか、断絶や別れを意味するシーンが空に近い橋の上なのは興味深い。

場所は違うが大学四年になった瀧が雪の空の下で三葉とすれ違うのも歩道橋(新宿かな?)。

東京というコンクリートジャングルの街で、意図的に選ばれたのが歩道橋。
だから何だというのは考察できないけど、少し宙に浮いた空間に何か意味を持たせたのかなと。

ラストシーンの階段は三葉の世界へ「上がっていく」瀧と「下っていく」三葉。

隕石の被害から逃れようと(三葉の体で)山へ上っていくのが瀧で、下りていくのが三葉。
その意味は考えても考えても答えが出せていない。

あの階段の画像

奥寺先輩と喫煙

奥寺先輩がツカサの前で煙草を吸っているシーンもよくわからなかった。

基本的に、新海作品に煙草はあまり出てこない。
そんな中で「やめていた」煙草の煙をくゆらせていたのは先輩の中に葛藤があったのか。
瀧への(あったの?)恋心を振り切るためなのか、瀧が探し求める三葉は死んでいる人間という史実を理解できないからなのか。

高校生の前で大人という線引きを見せるためなのか。

あえて喫煙という表現を使った意味とは何だったんだろうと思う。そんな疑問の粒々を、様々な感想や考察を眺めながら自分なりに解釈していく作業が楽しい。楽しすぎる。

どこで泣いたか

初回鑑賞時は圧倒されすぎて、凄ェやべェ以外の感情が引っ込んでしまっていたんだけど、2回目以降は泣いた。回数重ねるごとに涙の量は増えていった。
周りの友達には「えっ?どこで泣くのあの映画」と驚かれるということはさておき、、自分なりの泣いたポイントを書いておく。

1.奥寺先輩とのデートに瀧が行く日に三葉が、入れ替わることがなく涙を流すシーン。

2.糸守を訪れ、隕石が落ちた史実を知り、隕石湖の濁った水面、そして飛び交うトンビを見る瀧。
共有アプリの日記が文字化けしながら消えていくシーン。

3.三葉が(三年前に)東京へ向かい、雑踏の中を歩き疲れてローファーを脱いで指を揉むシーン。途中の人とぶつかる場面なども相まって。

4.口噛み酒を瀧が飲んだことで、二人の記憶がそれぞれ共有され、すべてを知った二人がクレーターの外輪山でやっと会えたシーンで。

横線一本を三葉が瀧の手の平に書いたところでペンが落ちるところで、喉がひきつるような音をあげた。

5.三葉の手の平には”すきだ”と描いてあり、「これじゃ、名前わかんないよ…」となるシーン。

三葉も瀧の手に書こうとしたのは何だったんだろう。
「三葉」かなと思ったけど序盤に平仮名でみつはって書いてたからね。

6.雪の歩道橋ですれ違い、その後電車の窓からお互いを視認し、千駄ケ谷と四ツ谷で降りての邂逅ラストシーン。

何度でも、何度でも泣くし、感動する。
セリフを一字一句覚えるほどまで見たとしても、きっと新鮮だと思う。

テッシー

三葉への愛着が回数を重ねるたびに増していき、それに加えてテッシーがやばい。

糸守でさやちんと三葉をカフェに誘い、BOSSの自販機の前で缶コーヒーを飲み、「ずっとこの町で生きていくんやと思うよ」と語ったテッシーには、田舎の現実を受け入れながらもこの町で生きていくんだという郷土愛みたいなのが見えた。諦めじゃなくて、糸守が好きというね。

だから糸守の町がなくなって、結果的に東京に来ざるを得なくなった状況は実に気の毒だと思う。
テッシーに関して言えば東京ではない町で大人になってほしかったというのが正直なところ。
前述の「生きていくんやと思うよ」の「よ」がもう本当に彼の優しさとか人の良さを表しているようで…もう僕は…

あとは口噛み酒の儀式を見に来たテッシーに「よぉ」とこえをかけられたときのさやちん。
「よっ!」の声に込められた嬉しそうな感情と言ったら…ねぇ。

テッシーは将来どうするの?って訊いた時とかの描写も含めて、この二人がくっついて本当に良かった!

一緒に丸太を切って糸守のバス停前に「カフェ」をつくったり、作戦会議のときに擦り寄ったり、三葉の中に入ってる瀧はテッシーと随分絡み合っているのも好きだし、その逆の三葉版瀧と奥寺先輩もまた愛しすぎる。

5回見てもなお新しいことに気づける名作。

良いです。
とても良いです。
大好きです。