映画『アイネクライネナハトムジーク』ネタバレ感想|仙台と伊坂とヒーロー譚

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こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

今回は2019年公開の『アイネクライネナハトムジーク』を紹介します。

今泉力哉監督、出演は三浦春馬さん多部未華子さん
伊坂幸太郎さんの小説が原作で、仙台を舞台にした恋愛群像劇です。

『アヒルと鴨のコインロッカー』、『ゴールデンスランバー』、『ポテチ』といった仙台舞台の伊坂作品では、中村義洋監督の印象が強かったんですが、今回は『愛がなんだ』、『サッドティー』などの今泉監督がメガホンを取りました。

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。



あらすじ紹介

仙台駅前で街頭アンケートを集めていた会社員の佐藤は、ふとしたきっかけでアンケートに応えてくれた女性・紗季と出会い、付き合うようになる。そして10年後、佐藤は意を決して紗季にプロポーズするが……。佐藤と紗季を中心に、美人の同級生・由美と結婚し幸せな家庭を築いている佐藤の親友・一真や、妻子に逃げられて途方にくれる佐藤の上司・藤間、由美の友人で声しか知らない男に恋する美容師の美奈子など周囲の人々を交えながら、不器用でも愛すべき人々のめぐり合いの連鎖を10年の歳月にわたって描き出す。

出典:映画.com

スタッフ、キャスト

監督 今泉力哉
原作 伊坂幸太郎
脚本 鈴木謙一
佐藤 三浦春馬
紗季 多部未華子
織田一真 矢本悠馬
織田由美 森絵梨佳
織田美緒 恒松祐里
久留米和人 萩原利久
ウィンストン小野 成田瑛基
美奈子 貫地谷しほり
藤間 原田泰造
萩原利久さんの演じた久留米くんが、サッカーの田中碧選手に似ているなと思って見ていました。伝わる人いるかな…(笑)
この後、本記事はネタバレ部分に入ります。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



伊坂と仙台

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

仙台駅の画像

仙台駅とペデストリアンデッキ(2021年撮影)

『アイネクライネナハトムジーク』は夜の仙台駅のペデストリアンデッキで街頭アンケートを集める佐藤(三浦春馬)で幕を開けます。

大型ビジョンではボクシングの世界戦。
ペデストリアンデッキ上には弾き語りをするミュージシャン。
街頭アンケートを断られ、困ったような表情と諦めが同居する三浦春馬。彼はこういう表情が実に上手いですよね。

原作は未読でしたが、いかにも伊坂幸太郎さんの作品らしい演出です。伊坂といえば仙台。仙台といえば伊坂。

観光地としての仙台ではなく、仙台で暮らす市井の人々を映し出しました。青葉城とか牛タンとかずんだとか、ご当地を強調した文脈はこの映画には皆無です。

この映画では主人公・佐藤の身の周りの人たちの「出会い」を恋愛群像劇として描いています。

学生時代からの旧交

  • 佐藤(三浦春馬)紗季(多部未華子)
  • 織田(矢本悠馬)由美(森絵梨佳)美緒(恒松祐里)、その弟の織田一家
  • 美奈子(貫地谷しほり)ウィンストン小野(成田瑛基)
  • 藤間(原田泰造)娘の亜美子(八木優希)

関係としては佐藤と織田夫妻は学生の時からの友人関係、また由美は美容師の美奈子と旧知の友人です。

原田泰造が演じる藤間は佐藤の会社の同僚で、藤間の娘・亜美子は、織田家の娘・美緒と高校の同級生。亜美子と美緒が通う塾には、佐藤の彼女である紗季が勤めています。

ここに美奈子の彼氏(後に夫)のボクサー・ウィンストン小野や、美緒、亜美子の同級生・久留米(萩原利久)あたりが絡んでくるわけですが、基本的に登場人物から見て「知り合い」もしくは「知り合いの知り合い」という関係の中で物語が動いていきました。

藤間と佐藤や美奈子と小野の関係を除くと、その「知り合い」の線は全て学生時代の交友関係が起因となっています。

佐藤や美奈子が「出会いなんてないですよ」と言っていたように、意外と社会人になってイチから構築する「出会い」ってなかなかないんですよね。誰か人づてで紹介されたり一緒の場に居合わせたり。
美奈子とウィンストン小野の馴れ初めも、小野の姉であり美奈子のお客さんであるMEGUMIが取り持ったものでした。

なので『アイネクライネナハトムジーク』の登場人物がもし一堂に集まったとしたら、「えっ、こことここも繋がってたの?」という驚きが生まれると思います。
それくらいには佐藤を中心とした半径の中で進んでいく物語と言えるはずです。

伊坂とヒーロー譚

伊坂作品のもう一つの特徴として、ヒーローの存在があります。

理不尽や逆境に直面した中で現れる正義の味方としての存在。それが誰かだけにとってのヒーローなのか、あるいは『ゴールデンスランバー』のように国民的なヒーローになるかはそれぞれですが、伊坂さんの作品には世界を救う英雄がよく出てきます。

ここにヒーローはいない。さあ、君の出番だ。
奥さんに愛想を尽かされたサラリーマン、
他力本願で恋をしようとする青年、
元いじめっこへの復讐を企てるOL……。
情けないけど、愛おしい。
そんな登場人物たちが紡ぎ出す、数々のサプライズ!!
伊坂作品ならではの、伏線と驚きに満ちたエンタテイメント小説!

出典:アイネクライネナハトムジーク | 株式会社 幻冬舎

小説を刊行した幻冬舎の書籍紹介には「ここにヒーローはいない」と書いてありましたが、『アイネクライネナハトムジーク』にも確実にヒーローはいると思っています。

それが誰かというと、小さな世界のヒーローでは、久留米(萩原利久)にとっての父親だったり、美緒(恒松祐里)にとっての久留米だったり。もっと大きなところでいうとボクサー・ウィンストン小野(成田瑛基)が人々に勇気や希望を与える存在として描かれています。少年(中川翼、のちの藤原季節)にとっての小野は言葉通りのヒーローです。

この小野と佐藤や織田が(美奈子を通じて)交友関係にあるというのがまた特徴的ですね。

『あるキング』や『ポテチ』では野球選手を取り上げ、ヒーロー的な価値を付加していた伊坂さんでしたが、今回の作品ではボクサーにアスリートのヒーロー性を求めました。

言うまでもなくボクシングは己の拳で相手を倒し、勝つか負けるかの個人競技です。
これが野球やサッカーだったら、ホームランを打つとかゴールを決めるとかの個人の結果とチームの勝敗がイコールにならない場合もあるわけですけど、ボクシングは自分の攻撃・防御がダイレクトに勝敗へ関わってきます。判定や採点に委ねる部分はあるにせよ、勝ち負けは全て自分次第です。

またトーナメント戦が多い柔道、テニスなどとは異なり、1試合のために何ヶ月もかけて準備し、人生をかけていきます。「その1試合」の持つ意味はあまりにも大きい。

だから藤間が小野の試合から「勇気をもらった」と言ったり、久留米が小野の試合の勝敗に美緒への告白を賭けたりと、人々が夢を乗せるだけの価値がボクシングの1試合にはあると思うんですね。しかもタイトルマッチですし。

ボクシングがヒーローであった時代

ただ、これは本当に時代の流れだと思うんですけど、ボクシングの世界戦にこれだけ注目と期待が集まるのっていまの時代ではなかなかないんですよね。
具体的に言うと、一般の人々がボクシングに触れる機会がぐっと減ったと思っています。

“10年前”の文脈では、ウィンストン小野のタイトルマッチは民放で放送され、仙台駅前の大型ビジョンでも流れていました。藤間が試合翌日、佐藤に試合を見ている前提で「凄かったな、昨日のボクシング」と話しかけていましたけど、それくらいには話題性もあったんでしょう。
野球でいう日本シリーズとか、サッカーの代表戦くらいの印象です。

新チャンピオンになった小野は街を歩けば、「チャンピオンの小野」と認知されていました。

ただボクシングが「昨日の試合凄かったね」と話題になり、チャンピオンが“その試合とともに”一般的な知名度を誇っていたのって、00年代の内藤大助さんや亀田さんが最後だったと思うんですよ。

現在これだけ強い井上尚弥選手でさえも、試合の視聴率はそこまで高くないですし、そもそも地上波でボクシングが放送される機会自体が少なくなっています。これは野球やサッカーも同様です。好きな人がお金を払って専門チャンネルで見るという形が増えています。

この放送形式の細分化自体は、競技団体に入ってくるお金とかの面を考えれば喜ばしいことです。個人的には賛成です。でも、興味のなかった人たちを取り込む間口としては狭くなっていることも懸念として言われています。

だからウィンストン小野が試合前の段階でスポーツ新聞の一面を飾っていたり、試合翌日に人々が当たり前のように「昨日の試合」を話題にするシーンに対しては疑問を感じざるを得ませんでした。2021年現在、あそこまで一般的な知名度を誇っているアスリートは羽生結弦さんと大谷翔平さんくらいしかいません。

そんなわけでボクシングの世界チャンピオン=ヒーローの図式には時代を感じました。これは良い悪いの問題ではないんですけど。
しかもウィンストン小野にとっては10年ぶりの世界再挑戦です。あの人は今?状態にならずに認知度を保ってるのは凄い一方、現実感という意味ではどうかな?という感じでした。



その出会いは良かったと思えるか

続いてこの映画の根幹となっている「出会い」と、その出会いに対する結果論について考えます。

映画序盤、彼女なしの独身会社員・佐藤(三浦春馬)は自らに出会いがないこと、またどうせ出会うなら劇的な出会いを欲していると親友・織田(矢本悠馬)と織田の妻・由美(森絵梨佳)に告げます。

学生時代に娘を宿し、由美と結婚した織田は「出会い方なんてどうだっていい」、「自分の幸運に後で感謝できる出会いが一番」と佐藤に言い放ちました。

この映画は「その出会い、後でこの人で良かったと思えますか?」という結果からの逆算が重要視されています。

「後悔」の明確な対義語はないんですけど、『アイネクライネナハトムジーク』は出会いに「後悔」の逆を求めた映画であると言えます。
「後悔」が何かが起こった後の反応であると考えると、「満足」とか「納得」とかでしょうか。それでもちょっと言葉として弱い気がします。

不満の積み重ねが膨らんで

佐藤の同僚・藤間(原田泰造)は(佐藤が憧れるような)劇的な出会いを果たし、娘もできましたが、ある日、妻から家を出て行かれてしまいます。

これはワイシャツのタグを切るために出したハサミを藤間が出しっぱなしにしていたことが原因で、藤間はそれまでもそういう些細な間違いを犯していたとのことでしたが、「それだけのことで?」と訝しむ佐藤に対し、藤間はこう説明しました。

「積み重ねだよ。そういう悪い積み重ねが彼女の中で風船のように膨らんで、ある日突然弾けたんだ」

不満の塵も積もれば山となるです。
これはとても実践的で、『花束みたいな恋をした』の絹(有村架純)も同じようなことを言っていました。

藤間が悲しい別れを辿ってしまった一方、みんなのマドンナ的存在の由美を射止めた織田(矢本悠馬)からも、同じような悪い積み重ねが見て取れます。

家のことは由美に任せっぱなしの亭主関白ぶりに加え、AVのパッケージを床に放置するわ、勤務先からお腹が痛いと子供のような理由で早退してくるわ、交通整理をしている紗季を見て「あの警備員、女だな」と言ったり。ダメ親父というだけでなくモラハラ案件も含んだ結構ヤバいやつです。指摘されても「まァな」で済ませる楽天家。

こんな男の何がいいの?と美緒(恒松祐里)が由美に詰め寄るシーンでは、美緒じゃなくてもそう思ったのではないでしょうか…笑

ただ、そんなぐうたら夫でも由美にとっては「当たりか外れで言えば、間違いなく当たっている方」の存在なんですよね。彼女の器が大きいということもありますが、由美は「悪い積み重ね」を補って余りある織田の良さを知っているし、何より織田と子供二人と自分の4人家族に居心地の良さを感じていました。

この先、織田が由美のその気持ちに甘えることなく、もう少し気をつけて家族生活を送ってほしいとは思いますが(笑)、傍からは測れない当事者の幸せについて描いた大事なシーンでした。

 

ちなみにこの映画で一番好きなセリフは美容師・美奈子が客のMEGUMIのブロー中に答える「何です?」です。
「何ですか?」じゃなくて「何です?」です。

これ、僕がいつも切ってもらってる美容師さんと全く同じなんですよね。「襟足これくらいで大丈夫です?」みたいな「か」抜き言葉。
最初聞いたときは結構衝撃的だったんですけど、今となっては自分にも伝染ってきました。(嫌がる人もいるので使う相手には注意しましょう)

このセリフに限らず貫地谷しほりさんの美奈子には一番口語的な印象を感じました。存在感抜群だったと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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