映画『苦役列車』〜卑屈を風刺し続けた製作陣に拍手〜

12年の映画『苦役列車』を観た。

原作は芥川賞作家・西村賢太。

監督は山下敦弘。主演に森山未來。

卑屈な貫多になりきって

原作は未読だが西村氏自身の生き様を反映した私小説というのは有名な話。
主人公の北町貫多を演じる森山はぷっくりとした冴えない顔と数年後のロン毛を使い分けているが、恐ろしいほどに格好良くない。

これが森山未來の凄いところである。

いくつかの作品で彼を見てきたが、すべての作品において森山未來は森山未來でありながらキャラクターはそれぞれ違う。イケメンあり、キモオタあり、そして今回は残念な鬱屈した男。

例えば、本作に共演した高良健吾は(彼ももちろん素晴らしい役者であることは前置きしておく)いくつかのキャラクターを演じた場合、全てにおいて高良健吾というブランドを感じさせる一方で、全てにおいて端正なイメージが一貫しがちである。どんな役においても。

一方で高良健吾はどこまでいっても彼らしさというか、端正なキャラクターなのだ。

妻夫木聡は逆で、役に応じて妻夫木聡というブランドを完全に没個性化できる存在に感じられる。だから彼は演じられる役割が広い。あくまでもイメージだけど。

森山未來の場合は、カッコ良い人間もどうしようもない人間にもなりきれる一方で、我々に映るその人間の名前はキャラクター名ではなく森山未來なのである。
ただ、どんなにかっこ悪くともそこにいるのは間違いなく森山未來が演じている貫太で、役者の個性が没していない。カメレオンというべきか多彩というべきか。

説明するのが難しい感覚ですね。

森山への感想が長くなってしまったけど、素晴らしい作品だった。

卑屈でビビリで卑怯で計画性も全くない貫多への共感はないこともない。

友達の作り方がわからない、お金の貯め方がわからない。

どうせ僕に言っても無駄だと思うんだろう?中卒だから。

ただ、人から卑屈であることを指摘され、呆れられたり失望されることで自分の存在を確認する方法では、結局自分と同じ境遇かあるいは同情してくれる人しか周りには残らない。

人と違う生き方をしてきたことは武器でもあるのだが、それに気づいていない上に人間としての前提条件のレールすら壊そうとしている。