映画『苦役列車』〜卑屈を風刺し続けた製作陣に拍手〜

12年の映画『苦役列車』を観た。

原作は芥川賞作家・西村賢太。

監督は山下敦弘。主演に森山未來。

卑屈な貫多になりきって

原作は未読だが西村氏自身の生き様を反映した私小説というのは有名な話。

読んだことがある人も多いと思うのであらすじは割愛する。

主人公の北町貫多を演じる森山はぷっくりとした冴えない顔と数年後のロン毛を使い分けているが、恐ろしいほどに格好良くない。

これが森山未來の凄いところである。

▲貫太(左)を演じる森山未來。信じられないくらいにかっこ悪い。 (C)2012「苦役列車」製作委員会

いくつかの作品で彼を見てきたが、すべての作品において森山未來は森山未來でありながらキャラクターはそれぞれ違う。イケメンあり、キモオタあり、そして今回は残念な鬱屈した男。

例えば、本作に共演した高良健吾は(彼ももちろん素晴らしい役者であることは前置きしておく)いくつかのキャラクターを演じた場合、全てにおいて高良健吾というブランドを感じさせる一方で、全てにおいて端正なイメージが一貫しがちである。どんな役においても。

▲一方で高良健吾はどこまでいっても彼らしさというか、端正なキャラクターなのだ。 (C)2012「苦役列車」製作委員会

妻夫木聡は逆で、役に応じて妻夫木聡というブランドを完全に没個性化できる存在に感じられる。だから彼は演じられる役割が広い。あくまでも僕のイメージだけど。

森山未來の場合は、カッコ良い人間もどうしようもない人間にもなりきれる一方で、我々に映るその人間の名前はキャラクター名ではなく森山未來なのである。

共感していただけますかね?この感覚。

▲ただ、どんなにかっこ悪くともそこにいるのは間違いなく森山未來が演じている貫太で、役者の個性が没していない。カメレオンというべきか多彩というべきか。 (C)2012「苦役列車」製作委員会

森山への感想が長くなってしまったけど、素晴らしい作品だった。

卑屈でビビリで卑怯で計画性も全くない貫多への共感はないこともない。

友達の作り方がわからない、お金の貯め方がわからない。

どうせ僕に言っても無駄だと思うんだろう?中卒だから。

ただ、人から卑屈であることを指摘され、呆れられたり失望されることで自分の存在を確認する方法では、結局自分と同じ境遇かあるいは同情してくれる人しか周りには残らない。

人と違う生き方をしてきたことは武器でもあるのだが、それに気づいていない上に人間としての前提条件のレールすら壊そうとしている。

▲卑屈な貫太は見くびられる境遇に甘んじ、言い訳をできる境遇を逃げ道にしているように見える。 (C)2012「苦役列車」製作委員会

中卒で、その日暮らしを経ても貫多よりよっぽどまともに生きている人間はたくさんいる。

僕から見たら貫多は中卒という言い訳にいつまでもこだわり、見くびられることが当たり前の境遇に甘んじているように見えた。

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最後までうだつは上がらず

その貫多に対しての作り手側の揶揄というかチクリとえぐる部分が彼の台詞や挙動に現れているようで、主人公を最後までうだつの上がらない男に仕上げたのは賞賛に値する。

前田敦子が隣に住む老人に尿瓶を当てるシーンも秀逸。
この一年後に『もらとりあむタマ子』でも山下監督とタッグを組む前田敦子だが、やっぱり作り手を魅了する何かを持っている。
何か、というと漠然としてしまうけど要するにイイ演技をするということ。

▲前田敦子も抜群の演技だった。 (C)2012「苦役列車」製作委員会

西村賢太に対してあまりいいイメージがなかっただけに心配だったが、観てみたらやっぱり良かった。

光彩を調整して時間の経過を微妙に表現していたのも好感が持てる。

★★★★★。

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