こんにちは。織田です。
今回は、7月公開の映画『劇場』の感想をご紹介します。
行定勲監督、又吉直樹原作。主演に山﨑賢人と松岡茉優。
映画館とAmazon Prime Videoでの同時公開も話題になりました。
「いつまでもつだろうか」を独りごちる永田(山﨑賢人)という男と、彼を受け入れ、甘やかす沙希(松岡茉優)という女の、あまりにも切ない7年間の恋。
要は夢追い人を自認する情けない男が、ヒモ同然で女と同棲し、理想と現実の狭間でもがき苦しむ姿を描いた作品です。
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— 映画『劇場』 (@gekijyo_movie) July 25, 2020
鑑賞後、どうしようもなくしんどい気分になりました。
いつまでもつだろうか?もたないよ。
僕はこの主人公たちが織りなす物語が好きではありません。嫌いです。
でも、マジで理解したくも共感したくもないんですが、残念ながら永田の脆さというかダサさがわかってしまう自分もいました。
永田のどうしようもない部分。そしてクズ男が永田に感じる共感性羞恥。そんなことをこの記事では書いていきたいと思います。
ネタバレがありますので映画未見の方はご注意ください。
予告編
あらすじ紹介
友人と立ち上げた劇団で脚本家兼演出家を務める永田(山﨑賢人)は、上演ごとに酷評され客足も伸びず、理想と現実のはざまで葛藤していた。彼はある日、自分と同じスニーカーを履いていた沙希(松岡茉優)に思わず声をかける。戸惑いながらも永田を放っておけない沙希は一緒に喫茶店に入る。そして付き合うことになった二人は、沙希の部屋で一緒に暮らし始める。
「靴、同じですね」と永田(山﨑賢人)は沙希(松岡茉優)の足元を見て声をかけます。
コンバースのオールスター・ローカットと予測されますが、真新しい沙希のコンバースに比べて、永田のものは使い込まれていました。
この後映画本編において、沙希はその時々に応じていろんなシューズを履くのに対し、永田はこのオールスターとサンダルの二足で7年間を乗り切っていきます。
ちなみに、後に出てくる自転車に二人乗りするシーンでも沙希はオールスターを履いているので、他の靴とローテーションしながら捨てずに使っていたのでしょう。
『劇場』のスタッフ、キャスト
監督 | 行定勲 |
原作 | 又吉直樹 |
脚本 | 蓬莱竜太 |
永田 | 山﨑賢人 |
沙希 | 松岡茉優 |
野原 | 寛一郎 |
青山 | 伊藤沙莉 |
小峰 | 井口理 |
田所 | 浅香航大 |
主人公の永田を演じたのは山﨑賢人さん。
圧倒的に顔が良いという部分は置いておいて、この映画ではクズっぷりを見事に演じています。
ときに圧倒的猫背で。ときに相手から目を逸らしながら。
自意識の強い自分語りは、行定勲監督の『GO』における窪塚洋介を彷彿とさせました。
気だるさと厭世的な目線を醸し出した演技は、山﨑賢人という役者を今後起用する上で大きな引き出しになると思います。
少ない登場人物、イコール永田の狭い世界で、基本的に物語が進んでいきます。
その中で特筆すべきはKing Gnuの井口さんでしょうか。永田とは対照的に、地位も評価も確立した成功者として永田の前に現れました。
短いシーンでしたが、永田に対して興味なしとも軽蔑とも取れる無機質な表情が印象的でした。
ここからは、永田のどこが情けなくてクズなのかを考えていきます。
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
①彼女の7年間を奪った男
一番のしんどいポイントはこれです。
この映画が永田(山﨑賢人)と沙希(松岡茉優)の「7年間の恋」を描いたものであることは最初にも述べましたが、劇中終盤で沙希は涙まじりにこう主張します。
「私、27歳になるんだよ?地元の友達、みんな結婚してるよ」
出会ってから具体的に何年が経過しているのかはわかりませんが、上京して服飾の大学に通い、夢を追っていたはずの沙希の数年間は、永田という男に埋め尽くされたわけです。
永田と出会っていなければ。
彼女には色々な出会いがあったはずですし、たくさんのチャンスが訪れていたかもしれません。窮屈なシモキタのアパートからもとっくに出ていたかもしれません。
この前知り合った永田さんと待ち合わせ。
また美容師さんに声かけられた…。#沙希の日記#生涯忘れることができない恋#劇場 🎬#松岡茉優#4月17日公開 pic.twitter.com/Vjvdnx7NXL— 映画『劇場』 (@gekijyo_movie) March 25, 2020
沙希がもう少し被害者意識を抱いていたら「私の○年間返してよ!!」と言ったかもしれません。というかそう言われても仕方ないレベルです。
ヒモを養うために昼も夜も働き、精神を病み、酒に溺れるようになってしまった沙希。結婚を意識する年齢になりながらも、ヒモの彼氏とはそんな段階まで到底たどり着けなかった沙希。
外野からのとっても意地悪い言い方をすれば、彼女はとんだ貧乏くじを自分の大切な時期に引いてしまったことになります。
永田と出会う前は、数年後にこんな状況になると予想できたでしょうか?
②自信のない自分への言い訳
沙希の家で同棲していた永田でしたが、家にいる沙希の存在が演劇の創作意欲を妨げるように感じ、別で部屋を借りました。
人と一緒に生活していると、確かに一人の時間が少なくなり仕事に集中できないとか、支障をきたすというのはわかります。
ただ、何も成し遂げていない上に、何もお金を生み出すこともできていない永田の“創作”とやらが果たしてそこまで崇高なものだったのでしょうか。
自分が最大限に集中できない。でもそれは相手も同じはずです。
沙希も、夜通しゲームをやってたりフラフラと夜遅くに帰ってくる永田によって失ったものがあったはずです。
残念ながら永田はそこまで思いが至りませんでした。
彼の思考回路はおそらく、成し遂げることができていない現状の理由を、沙希に求めただけです。自分への言い訳です。
湘南乃風に「いつも誰かのせいにしてばっかりだった俺」という曲があります。歌詞はこちら
永田はまさにこの歌の、いつも誰かのせいにしてばっかりだった俺であり、自信ない自分への言い訳を重ねる男でした。
その言い訳は沙希や周囲にこぼすというよりも、自分の内側に向けて放っていきます。
自分に自信がないからです。「ちゃんとしなよ」と言われるのが嫌だからです。
そもそも沙希の家に転がり込んだのも、劇団活動が忙しくなり、日雇いのバイトができなくなったからでした。
しかし、劇団が忙しくなくなった後も、彼はなかなか稼ぐことができません。
基本金欠で進んでいく永田のヒモ人生ですが、特に衝撃的だったのは沙希に打診された光熱費の支払いを拒んだシーンでしょう。
「ヒトの家の光熱費払う…理由がわからん」
じゃあお前の「自分の家」はどこだよっていう話ですし、一緒に暮らしている部屋を「他人の家」と表現したことは沙希を少なからず傷つけたはずです。お金の問題以上に。
永田が沙希の家を出て一人暮らしをしたのは、沙希の家が「ヒトんち」であることを成立させる言い訳という面もあったかもしれません。
ってか自分のアパート借りる金あったのか。
そこにわざわざ無理して住む必要ある?と思ったんですが、演劇カルチャーの町ですし、永田がしがみつくのも仕方ないのかな。
③評価からの逃亡
沙希が永田に向けて言い放った言葉で印象的だったものに、「永くんさ、私のこと一度も褒めてくれたことないんだよ」があります。
しかもこれは沙希だけでなく、永田の目に映るもの全てが対象でした。
彼は評価という軸から徹底的に逃げるのです。
同じ年と聞いて、純粋に嫉妬というものを感じた。#永田のつぶやき#生涯忘れることができない恋#劇場 🎬#山﨑賢人 #井口理 #KingGnu pic.twitter.com/R3ZinqofE1
— 映画『劇場』 (@gekijyo_movie) July 23, 2020
例えば、同い年でありながら成功を収めている小峰(井口理)と会った際、永田は小峰の所属をこう聞きます。
「何ていう劇団でしたっけ」
自分が知っているにも関わらず、彼らの演劇を見て涙したにも関わらず、相手のことを知らないふりをすることで必死に「評価」という軸から離れようとします。
相手を評価している(=知っている)自分を見られるのが嫌だからです。
自分への評価も、彼は嫌がります。
自分なんて他人に理解されることがないという隠れ蓑をかぶり、自分を値踏みされそうな相手との関わりを徹底的に避けます。
沙希が街中で話しかけられる時、永田がすぐ脇へ隠れてしまうのは自分への評価を目にしたくないからです。
だから、誰かが自分のことを話題にしている、と又聞きするとひどく怒ります。
沙希の母親にすら、「嫌い」と言い放ちます。
(自分は知らん奴のことをとやかく言わないのだから)知らない人に何か言われるのは腹立たしい、という彼の気持ちはわかります。
他人にあれこれ言われる筋合いないわ!論です。
ただし「会ったこともない」沙希の母親を罵倒する永田の言動はブーメランでした。
「知らんのにそういうこと言うのやめてほしい」くらいだったら良かったんでしょう。
評価する/されるから超越したがる永田は、同じく演劇をテーマとした『何者』の主人公・拓人(演:佐藤健)にも似ている気がします。何者かになれないところも含めて。
残念ながら共感できてしまう件
ここまで散々永田の悪口を書いてきました。
ただ冒頭にも書いたように、僕は永田を理解できます。
本当に遺憾なんですが、これは自分自身がクズなゆえです。
永田と同じように学生時代から目標を追い、とりあえずその業界で仕事をしているものの、成功者となったかと問われれば違います。
自分は自分なりにやっているからという言い訳を自分に向けてするために、評価(競争)という軸から逃げたこともあります。
自分のことを否定しない人に甘えて、出来ない自分自身への言い訳をしたこともあります。
「時間が足りない」だとか、「会社の規則が」とか。
傷つきたくないプライドだけが高い、劣等感のカタマリです。
他人の成功を喜んだり、他人のことを素直に褒めたりできなかったこともあります。
同棲していた恋人と破局したこともあれば、誰かをちゃんと幸せにできなかったことだってありました。
これらのことは今も出来ていないのかもしれません。
反面教師と呼ぶにはおこがましいほど、永田の弱さとかダサさとか「安全な場所」は、自分も知っているものでした。
知っているからこそ、僕は彼が嫌いです。
もう一度観ろと言われたら多分無理です。
あまりにも痛い。痛すぎます。
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