映画『GO』ネタバレ感想|これは僕の恋愛の話だ

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2001年の窪塚主演『GO』を鑑賞しました。

原作は金城一紀の小説。読んだのはもう10年以上前。宮藤官九郎脚本、行定勲監督。

『GO』のスタッフ、キャスト

監督:行定勲
原作:金城一紀
脚本:宮藤官九郎
杉原:窪塚洋介
桜井:柴咲コウ
タワケ:山本太郎
元秀:新井浩文
加藤:村田充
正一:細山田隆人
金先生:塩見三省
巡査:萩原聖人
タクシーの運転手:大杉漣
道子:大竹しのぶ
秀吉:山崎努

あらすじ紹介

高校3年の杉原の国籍は韓国だが、普段はまったく気にしない。桜井という少女とつきあうようになり、いつか自分の国籍を告白しなくてはならないと思っていたある日、同じ国籍をもつ親友に悲劇が起こる。

出典:映画.com

金城一紀自らの経験がベースになっている自伝的な作品。
後年の『フライ、ダディ、フライ』もそうだったけど、出自や民族問題が物語の一つの核になっている。

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。



これは恋愛の話だ

在日コリアンの杉原(窪塚)はナレーションで何度も「これは僕の恋愛の話だ」と強調する。

そう。自伝的作品ということを考えればこれは桜井(柴咲コウ)と杉原のラブストーリーなのだろう。

若かりし柴咲コウはこちらも
『メゾン・ド・ヒミコ』

ただし、そこに在日という要素が関係してきた途端、杉原の毎日は国籍だとか出自だとかに縛られていく。
厳密に言えば、国籍だとか出自だとかを特別な目で見る周囲に囲まれていく。

桜井の父親が「血の話」をするシーンはその象徴だし、巡査(萩原聖人)に「初めて好きになった日本人なんすよね」と桜井のことを明かしている杉原もまた、周囲の差別によって逆差別が刷り込まれていることがわかる。

15年前の作品で、窪塚も柴咲も萩原も山本太郎も新井浩文もみんな若いけれど、残念ながら当時の日本と現在の環境は多分、あまり変わっていない。
日本で生まれ育ったとしても親の血が違うというだけで異質なものとしてみなされる。

窪塚演じる杉原は言う。

「俺はエイリアンか?!」
「肌の色が緑色だったらどんなに良かったと思うことか」

韓国への差別、韓国からの差別

僕は別に自分自身が親韓でも嫌韓でもない、と思う。

先日のサッカー・アジアチャンピオンズリーグでは水原のサポーターが「日章旗を掲げた」と川崎フロンターレサポーターに襲いかかり(結果的に川崎側が処分を受けた)、埼玉スタジアムでは済州の選手が「浦和が挑発した」と言って暴力をふるい、試合後には浦和レッズの選手を追いかけ回した。

この件に関してはひどく腹が立ったし、済州に対しては二度と埼スタに来るなとさえ思う。少なくとも一部の評論家が言っているように「日本にも原因があるんだから謝るべき」だとは全く思わない。

ただし、だからと言って韓国人であるだけでどうこう思うということは決してない。
差別は差別の連鎖と悪循環しか生まれないし、恐らく問題を起こした人間たちの根底には「日本人を懲らしめるのは許される」という差別意識。その彼らと同じ土俵に立ってしまうのはとっても勿体無い。
韓国に遠征した時に出会った水原サポーターはとてもいい人たちだったし、今年日本に来たFCソウルのサポーターもまた然り。

結局どこの国籍を有していようが、どの民族の血が入っていようが、良い人も悪い人もいるわけで。

『GO』はそういう問題を頭ごなしに決めつけてしまう人間と差別される当事者を描いた良作だと思うし、朝鮮の南北の国籍変更やそれに伴う家族の断絶まで踏み込んだリアリティーの高い作品だと思う。

何より杉原の家族が、山崎努と大竹しのぶの両親がとても素敵だった。

ここぞという時の無音の使い方も効果的。社会派としても思春期の1ページとしても良くできている映画。