映画『丑三つの村』ネタバレ感想|津山事件との関係を考察(閲覧注意)

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猟奇的な事件を元に映画化された作品です。閲覧にはご注意ください。

こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

今回は1983年公開の映画『丑三つの村』をご紹介します。
原作は西村望さんのノンフィクション小説。主演は古尾谷雅人さん。

1938年に岡山県で起きた津山事件(津山三十人殺し)という凄惨な実在の事件をもとにした作品です。

この記事では、津山事件を扱った文献を引用しながら、映画『丑三つの村』と事件の関係性について考えていきます。

今回使用した文献はこちらの二冊。
残酷な事件がゆえ、読んでいて結構気が滅入るのでこれから読む方はご注意ください。



津山事件と、その衝撃性

まずは1938年に起きた津山事件の概要です。Wikipediaがわかりやすいので引用します。

津山事件(つやまじけん)または津山三十人殺し(つやまさんじゅうにんごろし)は、1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。一般には津山事件と呼ばれ、犯人の姓名を取って都井睦雄事件ともいう。犯行が行われた2時間足らずの間に28名が即死し、5名が重軽傷を負った(そのうち12時間後までに2名が死亡)。なお、犯行後に犯人が自殺したため、被疑者死亡で不起訴となった。

出典: Wikipedia 津山事件

この事件の衝撃性は、2時間足らずの間に村人30人を殺害(うち即死は28名)したその殺戮ぶりです。凶器は猟銃と日本刀。

また集落において、犯人の男・都井睦雄が除け者にされており、その怨恨による動機、そして集落に当時あったとされる夜這いの文化により、都井が女性に対して特に恨みを抱いていたことも印象的でした。

ちなみに「津山事件」と表記されることが多いものの、事件現場の村は津山からは離れた場所であり、市街地としての「津山」とは切り離して考えた方が良いと思います。

犯行時、都井は頭に懐中電灯を鬼のツノのように2本結わえつけ、首からはナショナルのランプを下げていました。暗闇の中、頭部の懐中電灯が目のように光り、首から下げたランプで対象を照らし、確実に射撃していったとされています。

映画『丑三つの村』では、その殺戮性はややマイルドに描写され、グロ描写は苦手な方でなければ恐らく大丈夫かなと思います。一方で、主人公と(彼がのちに殺意を抱くことになる)女性たちとの情事が、よりクローズアップされている印象を受けました。要はポルノ要素が強いんですよね。

元の事件を知ってから映画をご覧になる方はそこで違和感があるかもしれません。

あらすじ紹介

閉鎖的な山村で行き場を失くした男と女たちの物語。あまりにも凄惨な殺戮シーンの連続にフィクションと思いきや、本当の話だから恐ろしい。かつて日本にこんな世界があったのです。もしかしたら今あなたが住んでいるその土地にも・・・。

出典:Filmarks

登場人物・キャストについてはこの後紹介します。
この後、本記事はネタバレ部分に入ります。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



映画と津山事件との相関

原作・西村望さんのノンフィクション小説は未読なのですが、映画『丑三つの村』は明らかに津山事件をモチーフにしたものです。

津山事件は横溝正史さんの小説『八つ墓村』(映画化もされています)の印象が強い方もいるかもしれませんが、『八つ墓村』での津山事件は、村で昔あった忌まわしい事件(呪いに近い形で後世に伝えられた)・過去の出来事として引き合いに出されています。

つまり『八つ墓村』における津山事件は物語の核ではなく、前振りです。

それに対し『丑三つの村』は、津山事件の犯人・都井睦雄の凶行そのものを描いた作品でした。

登場人物の名前や村の名前が違いますが、津山事件を扱った作品としては『八つ墓村』よりも純度の高いものになっています。

映画と書籍の人物照合

津山事件に関しては、犯人の都井睦雄以外、仮名という形で文献に残っています。

今回資料として使用した『津山三十人殺し―村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』(筑波昭・草思社・1981)、『津山三十人殺し 七十六年目の真実 空前絶後の惨劇と抹殺された記録』(石川清・学研パブリッシング・2014)では、いずれも同じ仮名が用いられています。(これは著者の石川氏が書籍内で「登場人物の仮名は、すべて筑波本に準拠している」と記しています)

筑波氏、石川氏の書籍に出てきた登場人物は、映画内で誰に当たるのか考えてみました。

文献上の名前 映画内の名前
都井睦雄
(犯人・実名)
犬丸継男
(古尾谷雅人)
イネ(祖母) おばやん
(原泉)
寺井倉一 赤木勇造
(夏八木勲)
内山寿※ 哲夫
(新井康弘)
寺井ゆり子 やすよ
(田中美佐子)
寺井マツ子 赤木ミオコ
(五月みどり)
西川良子 竹中和子
(大場久美子)
西川とめ
(良子の母)
竹中常代
(中島葵)
岡本ミヨ 千坂えり子
(池波志乃)
寺井トヨ 司嘉子
(絵沢萠子)

※内山寿については『津山三十人殺し―村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』のみに登場。

女性たちの共通点、差異点

映画が書籍と確実に対応しているのは主人公と祖母、そして夏八木勲と新井康弘が演じていた男性までです。

ここに挙げた、おばやん(祖母)、司嘉子以外の女性はいずれも主人公が体の関係を持った(持とうとした)人たちですが、書籍とは少し異なります。

やすよ(田中美佐子)

映画内で継男(古尾谷雅人)が最後まで愛し、手をかけることもしなかった女性です。
やすよとの純愛要素があったため、『丑三つの村』は殺戮要素を薄めたともいえます。

筑波氏、石川氏の文献では「寺井ゆり子」という同年代の女性に都井が好意を抱いていたものの、裏切られたことで彼が復讐の念を持つことになったとされています。ここは逆ですね。

それでもここで映画の「やすよ」を「ゆり子」に対応させたのは、彼女が一度結婚し、すぐに離婚して実家に戻ってきた点が一致すると考えたからです。

ミオコ(五月みどり)

継男を誘い、恐らく彼の筆下ろしをした女性です。夫は石橋蓮司、子どももたくさんいます。

継男の肺結核がわかると彼女は彼との口づけを拒み、怒りを買います。継男が反抗を実行する前に、ミオコたち一家は夜逃げ同然の形で村から出ていっています。

書籍内で共通点が多いのが「寺井マツ子」という女性で、都井がもっとも執着を見せていた相手だったことが記されています。この「マツ子」も、都井の襲撃前に村を出ていきました。

竹中和子(大場久美子)

草むらでゲホゲホ咳き込む継男に手ぬぐいを差し出し、彼に「地獄に仏あり」と言わしめた「和子」しかし、継男が病気を持つと知るや、態度を豹変させ(感染を嫌がって)自分の口を押さえるなど露骨な差別を見せました。自分に惚れてると信じていた継男の失望と怒りはご想像の通りです。

書籍では「寺井ゆり子」同様、「西川良子」にも都井が特に好意を抱いていたことが明らかにされています。この点から映画の「和子」は、文献内の「良子」に一番近いと考えました。

竹中常代(中島葵)

「和子」の母である「常代」も、和子同様、病気を患った継男を忌避したことで怒りを買いました。和子の母親という点から、書籍内での「西川とめ」に対応したキャラクターだと思います。

ただ、「西川とめ」は都井の怨念の元凶とも言える存在で、彼女が都井の性行動や持病を村中に言いふらしたことが、犯行の大きな動機となっています。

トメは、睦雄が事件の三日前に書いた遺書のなかで名指しした、特に恨みを抱いた二人の女性のうちの一人である(もう一人は、寺井マツ子)。

引用元:石川清『津山三十人殺し 七十六年目の真実 空前絶後の惨劇と抹殺された記録』 p129(学研パブリッシング・2014)

都井と関係を持っていたこと、態度を豹変させたことも含め、映画内における「西川とめ」の要素は「竹中和子」の方に多く取り入れられている気がします。

千坂えり子(池波志乃)

勇造(夏八木勲)が夜這いをかけているところを継男に見られ、それをタネにした継男と最初に関係を持ちました。

「えり子」は書籍内の「岡本みよ」と対応すると考えます。

他人の夜這いの実情を目撃し、部落の男女の性的人脈をその目で確かめ、動かぬ証拠をつかみ、その上で彼独自の性的行動を起こそうと企図したことが、間もなくこののちに彼自身の行動によって証明される。その行動の第一着手は、岡本和夫の妻みよに対するものだった。

引用元:筑波昭『津山三十人殺し―村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』 p204-205(草思社・1981)

夫の描写の違いはありますが、村の権力者(映画では夏八木勲)との情交、また最後に殺害された被害者などの共通点があります。

司嘉子(絵沢萠子)

やすよ、和子の縁談を取り持った女性です。
やすよの離婚をおばやんに明かした時、やすよが(除け者の)継男と話していたことが理由だと口を滑らせ、おばやんと継男の怒りを買いました。

都井と関係を持っていたと記された書籍と違い、映画内でその描写はなかったものの、息子との二人暮らし、また縁談の媒妁をしていた点が共通しています。

家族は戸主好二(21)と母トヨ(45)の二人暮らしで、都井の狙いはトヨにあった。(中略)都井と関係のあった西川良子、寺井ゆり子が結婚するとき、いずれも媒妁を買ってでたことから、都井の恨みは倍加されていた。

引用元:筑波昭『津山三十人殺し―村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』 p264(草思社・1981)

事件のどこを強調したのか?

津山三十人殺しの文献を読んでいると、犯行の背景や犯人・都井睦雄のパーソナリティなどで、重要なところがいくつか出てきます。

  1. 都井の患っていた肺結核
  2. 都井の生育環境
  3. 秀才・都井の少年時代
  4. 肺病に伴う村の者からの忌避
  5. 都井の性的興味、女性関係
  6. 都井の徴兵検査落ち
  7. 皆殺し的な犯行

2つの文献での扱い方

今回参照した2冊の文献でも色合いは少し異なります。

筑波氏の『津山三十人殺し―村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』(草思社・1981)では都井の半生を、人物のセリフを織り交ぜながら描いた物語チックな構成になっており、少し創作も入っているのかなという印象も受けます。あまりにもセリフが自然すぎて、本当にこんなことを言っていたのかな?と思うんですよね。

一方、石川氏の『津山三十人殺し 七十六年目の真実 空前絶後の惨劇と抹殺された記録』(学研パブリッシング・2014)は、筑波氏の著書を史料としながらも、より客観的に、石川氏の取材した事実に基づきながら都井の人生を綴っています。筑波氏の先行文献にある矛盾を指摘している部分もありました。

石川氏の著書では②で示した都井の生育環境について、かなり踏み込んで新事実を展開している点も特徴です。

『丑三つの村』では出てきませんが、実は都井のお姉さんという存在が、筑波氏、石川氏の著書両方で大きな鍵を握っています。

また筑波氏の文献では、⑤で挙げた都井の性的興味、性的行動についてかなりボリュームが割かれていました。

当時の村には夜這いの文化がまだ残っており、性に奔放なのは都井だけではありませんでした。むしろ都井はその一般的な村の性的人脈に、後発的に染まっていったという言い方が正しいかもしれません。

映画で強調されたのは?

映画『丑三つの村』で特に強調されていたのは、継男(古尾谷雅人)の女性関係ですよね。

電線を切断して村を停電させ、都井睦雄を再現した特徴的な装備を施し、住民たちを恐怖に陥れる犯行シーンも、もちろん長い尺が取られていました。(ちなみに祖母を斧で殺害したシーンは、まさに史料そのままです)
ただし、最初に書いたように残虐性を削った描写をしているため、凄惨さは抑えられています。

それまでに至る、女性たちと関係を持つシーンの方が印象に残った方は多いのではないでしょうか?

千坂えり子(池波志乃)に始まり、様々な女性たちと継男は関係を持っていきました。その執着ぶりは、当時の時代背景を鑑みてもやっぱり異常に映ります。

継男が女性への性的行動に目覚めるのは、哲夫(新井康弘)という先輩に過激な写真をもらったことがきっかけでした。要はお前は女性を知らないから、もっと知りなさいという話です。

この哲夫、筑波氏の著書では「内山寿」という名前で、映画同様に都井を性に目覚めさせる存在として登場しています。
都井を風俗に誘い、女性を抱く味を彼に占めさせ、さらに「阿部定事件」の詳細を都井に見せたことで結果的に都井の暴走が加速したような形となっています。
このあたりは『丑三つの村』にはありませんが。

ただ後年の石川氏の著書では、「内山寿」の存在に疑問を呈しています。石川氏の書籍に彼が登場しないのもそれが理由です。

病気発覚→忌避の流れ

一方で、継男が失望し復讐を決意する原因となった、村内での忌避(村八分という言い方もされます)、風評やいじめについては、前述の2文献に比べ、映画ではそれほど印象的には描かれていません。

継男の家系遺伝を思わせる肺結核が明らかになって以降、村人たちは彼を忌避し、口を手でふさぐようになった描写くらいですよね。村中で彼の悪口が蔓延っているというような第三者視点はありませんでした。

あくまでも継男の目に映る光景、視点で進んでいましたよね。

ちなみに結核発覚→忌避の流れは、筑波氏の著書で次のように否定されています。寺井マツ子に、肺病だと知られてから心変わりされた、と記した都井の遺書についてです。

寺井マツ子と関係を結んだのは、すでに都井が肺尖カタルの診断を受け、万袋医院に通院を始めて四、五ヵ月経ってからであり、マツ子はついでの折に何度か薬をもらってきてやったこともあり、都井が結核であることを知っていた。他の女たちも結核を承知で情交関係に入っている。だから結核と知って冷淡になったというのは事実に反する。(中略) 結局のところ司法当局のいう「婦女に挑み情交を迫り、応ぜざれば之を恨み、応ずるも関係を続けざれば憤激し」て、猟銃片手に脅しをかける狂的な態度に、女たちがおののいて離反、逃避したといえよう。

引用元:筑波昭『津山三十人殺し―村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』 p223(草思社・1981)

一方で石川氏の著書内では結核発覚→忌避の流れが、「西川トメ」を引き合いに次のように記されていました。

ところが、トメは裏切った——。
睦雄がロウガイスジであり、忌み嫌う家筋であることを、他の女性たちに暴露して、あろうことか、そんな睦雄を笑い者にしたのである。

引用元:石川清『津山三十人殺し 七十六年目の真実 空前絶後の惨劇と抹殺された記録』 p136(学研パブリッシング・2014)

「ロウガイスジ」(労咳筋)とは、結核で死者を頻繁に出す家筋を意味する言葉です。映画と近い形の記述になっていますね。

出征への継男の執着

映画『丑三つの村』を観て最も文献との違いを感じたのは、主人公・継男が抱く出征できないことへのコンプレックスです。

徴兵検査に落ち(書籍内では丙種合格=実質的な不合格と表記)てからは、特に印象的でした。

物語は戦地に向かう青年を村の人々が見送るシーンから始まります。
また、犯行を行う直前、継男は「犬丸継男君、バンザーイ!」と一人で出征を模しています。

現代の中学校に相当する「高等小学校」まで、継男は村きっての天才児と言われていました。しかし、どんなに神童だ秀才だと褒め称えられても、彼の中で一番大事なのは兵士として必要とされることだったんですよね。

やすよ(田中美佐子)には、「なんぼ頭良うても、男はいざって時に鉄砲持って立派に戦えんとあかん」と言っていますし、彼の語りを聞きに集まった子供たちにはいつも兵士の話をしています。

犯行計画を書いた地図には「犬丸継男の戦場」というタイトル。使命を持って戦地へ赴くことへどれだけ継男がこだわっていたかが描写されていました。

今回参照した2つの文献を読んだ印象では、彼の「戦うこと」への執着はそこまで感じなかったんですよね。

もちろん徴兵検査に落ちたことは都井(映画の継男)のプライドをいたく傷つけました。厭世的な考え方も強まりました。

けれど、くすぶる不満の理由は「戦争に行けないから」だけではないんですよね。徴兵検査に落ち、(当時の時代背景において)男としては落第という烙印を押されることで、周りから蔑まれるようになった都井。出征(できるようになること)は目的ではなく、自分の存在意義や権威を回復する手段なんじゃないかなと感じました。

徴兵検査も女性関係もうまくいかない根幹の原因は持病の咳。文献内において都井はどうにかして治そうと試みていましたが、持病に対する彼の憤り、絶望は映画内ではそこまで濃く描かれていない気がします。古尾谷雅人さんの咳き込み方も正直うーんっていう感じ。

ただ個人的には、出征にこだわった映画のトーンは、これはこれで良いと思いました。先ほど書いたようにあらゆるシーンに出兵の要素を織り込んだことで、継男が「戦う」大義がはっきりしてわかりやすかったです。

最後に

津山事件、また事件に至るまでの犯人・都井を文献で読んでいると、「猟奇性」、「爪弾き(村八分)」、「自尊心・英雄主義」、「厭世観」、「孤独」、「性的執着」といった様々な要素が頭に浮かびました。

映画『丑三つの村』では猟奇性や歪んだ自尊心は薄い(あんまり捻くれた感じはなく、基本好青年でしたよね)と感じた一方で、孤独や女性関係については積極的に取り入れられていたと思います。

やすよとのエピソードや、よそ者を容赦なく排除する村の描写などオリジナルかなと思うシーンもありました。

先に映画をご覧になった方は、津山事件の文献をご覧になってみると、新しい発見や、また『丑三つの村』がどれほど史料に忠実に作られていたかがわかるのではないでしょうか。

読んでいて気分の良い事件ではないですが、興味のある方は読んでみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

※参考・引用文献
『津山三十人殺し―村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』(筑波昭・草思社・1981)
『津山三十人殺し 七十六年目の真実 空前絶後の惨劇と抹殺された記録』(石川清・学研パブリッシング・2014)

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