映画『ビジランテ』ネタバレ感想〜桐谷健太の怪演に拍手を〜

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こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

テアトル新宿で『ビジランテ』を観てきました。脚本、監督は『SRサイタマノラッパー』シリーズの入江悠。

大森南朋、鈴木浩介、桐谷健太がトリプル主演の形で三兄弟を演じています。

「ビジランテ」とは自警団員の意味。語源はスペイン語です。

『ビジランテ』のスタッフ、キャスト

監督・脚本:入江悠
神藤一郎:大森南朋
神藤二郎:鈴木浩介
神藤三郎:桐谷健太
神藤美希:篠田麻里子
岸公介:嶋田久作
サオリ:間宮夕貴
石原睦人:吉村界人
大迫護:般若
亜矢:岡村いずみ
神藤武雄:菅田俊

あらすじ紹介

閉鎖的な地方都市で、三兄弟の次男・二郎(鈴木浩介)は市議会議員を務め、三男・三郎(桐谷健太)はデリヘルで雇われ店長をしており、彼らは全く異なる世界で生きていた。ある日父親が他界し、行方をくらませていた長男・一郎(大森南朋)が30年ぶりに帰郷する。一郎は、遺産は自分のものだと主張するが……。

出典:シネマトゥデイ

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。



映画のネタバレ感想

以下、作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

相続する土地に渦巻く、権力の私欲

舞台は入江監督の地元でもある埼玉の深谷。作品では渡市という名前になっています。

暴行する父に耐えかねて幼少期に行方をくらました神藤一郎(大森南朋)、市議会議員になった二郎(鈴木浩介)、デリヘル店の雇われ店長の三郎(桐谷健太)の三兄弟は三者三様の人生を送っていましたが、地元の権力者である父(菅田俊)が死に、一郎が30年ぶりに地元に戻ってきました。

父の遺産である土地の一つは、市が進めるアウトレットモール計画の対象地区。市議会議員の二郎は上から土地を相続するように要請されましたが、父親から遺言書の形で相続されたという一郎が頑なに譲ろうとしません。

どうしてもその土地が必要な政治家たちは権力を用いて一郎に土地を放棄させようと画策。その一端として地元の荒くれ者が派遣されますが、それは三郎が務めるデリヘル店を傘下に持つ組でした。

当然ながら、三郎にもトップダウン式に権力の圧が降りていきます。

家から逃げ出し、ケダモノのような父親を2人に押しつけた一郎。二郎と妻の美希(篠田麻里子)に至っては最後までそのケダモノの面倒を見ていました。

人道的に見れば二郎に相続権を与えておかしくないものなのですが、父親は一郎とどこかで会い、遺言書には彼の名前を記していました。

田舎の閉塞感、閉鎖的環境

先述のアウトレットもそうですが、この作品は地方の持つ閉鎖的な暗部をこれでもかと描いています。

深谷をモデルにした渡市は、おそらく群馬にほど近い埼玉の北部の都市と考えられます。会話には熊谷(埼玉県)や太田(群馬県)といった名前が出てきます。

特に市議会議員の二郎の周辺のいわゆる町の政界に顕著ですが、この町の権力者は「この町で」名を挙げることに固執します。
自警団の防犯パトロールを地元紙と癒着したような形で美談に仕立て上げ、事件(※後述)が起きても自分たちの都合が良いように報道するよう要請します。

それは部下の二郎たちに対しても同様で、「この町で」生きていきやすい権力を与える可能性を示唆する代わりに、私有地を譲るよう働きかけます。
アウトレットモール計画の実行パーティーのシーンがありますが、そこにはこの町をより良くするための熱意や希望はあまり見えません。

表面化されているのは自分たちが確固たる地位を築くための実績づくり、また出世争いばかりです。

三郎が店長を務めるデリヘルは5人の嬢を抱える小さな店です。それでも毎日彼は車を走らせており、嬢の仕事はどこかで入ります。

デリヘルの元締めをしている組員たちも嬢たちも、渡市に対する鬱屈はほとんど語りません。

この小さな地方都市で生きていくしかない、という諦めよりは、その環境が当たり前という状況を自然と受け入れている。僕はそういう風に見えました。

一方、若くして家を出た一郎は、横浜から戻ってきました。彼には地元から出ない人間とは違うものが少し見えていたようです。どちらが正しいというわけではありませんが。

この痛みに耐えられますか?

本作品はR-15指定作品ですが、性的な描写以上に暴力的なシーン、そして苦痛を禁じ得ないシーンが多発します。

この映画のポスターには「容赦しない運命が暴れ出す」とのフレーズ。「容赦しない暴力の運命」じゃないんです。「運命が暴れ出す」んです。これはいいコピーだと思います。

権力の抑圧、立場の抑圧、ナショナリズムと正義感の暴走。

自警団に入った陸人(吉村界人)は中国人コミュニティを敵視し、いざこざの応酬から大変な事件を起こしてしまいます。これは差別からの暴走と同時に、閉鎖的な地域における多国籍コミュニティの共存の難しさを描いた、踏み込んだシーンでした。

ただ彼は自警団のパトロールする横を猛スピードで駆け抜けた三郎の車にも悪態をついています。

「事故れ事故れ事故れ事故れ」

自分と異質なものへの畏怖を敵視という形で表現してしまう陸人。ケースによっては三郎が彼の憎しみの標的になったという可能性もあります。


その三郎を演じたのは桐谷健太。

この『ビジランテ』は彼の代表作になるのではと感じるほど桐谷健太の演技からは体温と苦しさと熱意と痛みが伝わってきました。

痛みを痛烈に感じさせる映画はこれまでも見てきましたが、ちょっと次元が違います。

先日見た『冷たい熱帯魚』もかなりきつい描写がありましたが、それはエグさとか凄惨さとか、凶悪さが視覚や気持ち悪さに訴えかけるものでした。


衝撃のシーン
大迫(手前)に頼み込みにいく三郎。この後、衝撃のシーンが。左奥にいる普通のお客さんの表情も状況を雄弁に語っていきます。
今作で桐谷健太は脂汗を流し、顔を歪め、タオルを真っ赤に染めながら演じています。神経を通じて体に熱く、熱く、刻み込まれていく痛み。

「突き刺す」「抜き取る」。

注射針でも見られることですが、この作業による痛みの度合いが尋常ではありません。音、撮影の角度、そして桐谷の表情。

テアトル新宿の座席で僕は胸が苦しくなり、息が上がっていきました。何度も目を背けたくなりました。

『脳男』も痛さという意味でかなり刺激的なシーンがありましたが、それ以上です。

痛いのがダメな人は相当きついと思います。

運命を暴走させる篠田麻里子

二郎の妻・美希を演じたのは篠田麻里子。

上昇志向が強いキャラクターということは上で述べました。二郎の昇進、出世を願う彼女の存在は、時折プレッシャーとして描かれます。


二郎が市議会関連で選択を迫られたり評価を受けたりする際には、必ずと言っていいほど美希の表情をカメラが捉えます。随伴すると書けば聞こえがいいですが、それはなかば監視するかのような描写。時折、次郎のことを厳しい目つきで見つめます。

それだけでなく、二郎が市議会でのし上がるために彼女は様々な男に近づいて行きます。
市長室へ。

在留中国人に仕返しを受け入院する陸人の病室へ。

なぜそんなシーンが描かれるのか。それは全て彼女が夫とともにのし上がっていくための根回しだと思います。そしてその根回しによって権力や正義感は向きを変え、時折暴走していったのではないでしょうか。

物語の序盤で、二郎と美希、息子の大地は、三郎と彼の車に乗ったデリヘル嬢たちと会います。そこで嬢たちに可愛がられていた大地を、美希は強い口調で連れ戻します。

決して目立つカットではありませんでしたが、彼女の三郎たちに対する姿勢がはっきり見えた場面でした。

篠田麻里子が演じる美希は美しい女性でした。彼女と身体を重ねる二郎は確かに幸せに見えました。しかし、美希がその美しさを利用して周りの男たちの運命を暴走させ、二郎もがんじがらめになっていることに二郎自身も気づいていたのでしょう。

しかし、息子もいる彼にはもう逃げる場所がありませんでした。

一郎や三郎が肉体的、生活面での痛みを強いられる一方で、二郎は尊厳を奪われたかのような冷たい目にさらされながらの生活を送っています。それでも何とか進もうとする二郎。

彼はこの作品の一つの象徴であり、一つの希望を残したのかなと感じました。

観て何かを考えるには、あまりに衝撃の強い作品でした。

『サイタマノラッパー』シリーズもぜひ観てみようと思います。

繰り返しになりますが、桐谷健太の一皮も二皮も剥けた演技を、この作品がもたらす慟哭をぜひ、劇場でご覧になってみてください。

俳優陣でいうとデリヘルの元締めを演じた般若も出色の演技でした。

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