映画『溺れるナイフ』〜誰もが羨む美男美女カップルの悲哀〜

山戸監督×菅田将暉×小松菜奈

今年公開の『ホットギミック ガールミーツボーイ』で、斬新な撮影方法と鮮やかな描写テクニックで大いなる衝撃を与えてくれた山戸結希監督。

そんな山戸監督の一躍有名になった作品が、2016年の『溺れるナイフ』です。
ジョージ朝倉のコミックスを原作に、菅田将暉小松菜奈のダブル主演で撮影されました。
菅田将暉(大阪府出身)、重岡大毅(兵庫県出身)たちが流暢な方言を操り、撮影は和歌山県南部を中心に行われたそうです。

『溺れるナイフ』のスタッフ、キャスト

スタッフ、キャスト

監督:山戸結希
原作:ジョージ朝倉
脚本:井土紀州、山戸結希
望月夏芽:小松菜奈
長谷川航一朗:菅田将暉
大友勝利:重岡大毅
松永カナ:上白石萌音
広能晶吾:志磨遼平
望月芽衣子:市川実和子

あらすじ紹介

東京で雑誌モデルを務める望月夏芽(小松菜奈)は、急に父親の郷里である浮雲町に転居することになる。彼女は都会とはかけ離れた田舎での地味な生活に幻滅してしまうが、長谷川航一朗(菅田将暉)と出会ったことで人生が一変する。彼は田舎町で有名な神主の一族の出身で、夏芽はひねくれ者で一風変わった航一朗に強く惹(ひ)き付けられる。

出典:シネマトゥデイ

東京で雑誌モデルとして活躍していた中学生の少女・夏芽(小松菜奈)は、父親の仕事の都合(故郷の旅館を継ぐことに)で田舎町の浮雲という町へ引っ越すことになりました。

そこで夏芽が出会ったのは、地元一帯を取り仕切っているという神主一族の金髪跡取り息子・コウちゃんこと航一朗(菅田将暉)

東京の生活よりもスケールダウンした浮雲に辟易していた夏芽にとって、「俺は何をしてもええんじゃ!」と奔放に振る舞う航一朗は刺激的に映り、「コウちゃん」に惹かれていきます。
また一方で、コウちゃんも田舎町にはおよそそぐわない煌びやかな夏芽のことが気になるようになっていきました。

夏芽(左)とコウ(C)ジョージ朝倉/講談社 (C)2016「溺れるナイフ」製作委員会

出典:映画.com

初回の鑑賞を終えてから原作のあらすじをざっくりと読んでみましたが、映画では大幅に端折られている上に、夏芽とカナ(上白石萌音)の関係性が実写版ではわかりにくくなっていました。

原作未読では理解が難しいところが設定、ストーリーともに散見され、起承転結がはっきりしていないため、原作のファンからすると物足りない部分があったかもしれません。
『ホットギミック』でも原作をなぞるというところは割り切っていた部分があったので、そこは別物として考えたほうがいいのかもしれません。

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中学生と高校生のコウちゃん

人によって見方は分かれると思いますが、『溺れるナイフ』で最も印象的だったのは主演の菅田将暉です。
小松菜奈も重岡大毅も良かったですし、長回しの撮影を含めた山戸監督の個性も垣間見えましたが、原作に比べて描写が端折られているというのは上で書いた通り。

コウちゃんを演じる菅田将暉に映画の理解を委ねるところがかなり大きくなっています。

中学時代のコウちゃんは、自信に裏打ちされた神々しさと、サラサラの金髪をなびかせた透明感あふれる神々しさが同居した美しさが溢れ出しています。
「神さん」というモチーフが色濃く出ている中学生時代では、コウちゃん自身も神の子のような描かれ方をしていました。

後に述べますが、全能というキーワードを体現しているのが中学生時代のコウちゃんです。

帯を直してあげるコウちゃん(C)ジョージ朝倉/講談社 (C)2016「溺れるナイフ」製作委員会

出典:映画.com

祭りに浴衣を着て現れる中学生男子という時点で日本有数の高ポイントランカーでありながら、全能のコウちゃんは緩んだ夏芽の帯を直し、夏芽の手を取り、早くオトナになりたがっていた夏芽の気持ちを見透かしたように唇を重ねます。

男から見てもつくづくカッコいい男子中学生。
世の中の男子諸君には是非とも参考にしてもらいたいワイルドさと繊細な気遣いを併せ持つコウちゃんです。



“"

翻って中3の夏の事件を境に、コウちゃんはやさぐれてしまいました。
ボサボサの金髪を掻き上げて、白い肌は透明感というよりも荒涼という方が似合い、何でもできると思っていたであろう挑戦的な目の光は、諦めと俺に近寄るなという意志を映し出していました。

気高く自信満々に吼えていたライオンは、所構わず突っかかっていくような孤独なライオンになってしまいました。

コウちゃんに透明感はもうありません。(C)ジョージ朝倉/講談社 (C)2016「溺れるナイフ」製作委員会

出典:映画.com

物語の文脈や、カナちゃん、大友の言葉から、高校に入ったコウちゃんがどのように変わってやさぐれてしまったかは理解できます。

でもそれをこちらに雄弁に物語っているのは、やっぱり菅田将暉という俳優のオーラであり、彼をコーディネイトする製作スタッフの方々の熱意です。
これは演技力だけではなく、俳優・菅田将暉の「見せ方」というところが大きいと思います。コウちゃんの変化を伝えるには、菅田将暉という役者さんをどう使えばいいか、本人とスタッフが一生懸命考えた結果だと思います。

事件の前と後の変化で言えば、小松菜奈が演じた夏芽も同様です。

人生で最高の時とも言われる高校生になったというのに、肩を縮こまらせて俯き加減に歩く夏芽は明らかに自信を失っていました。
何かに挑んだり、噛みつくような生気を失っていました。
カメラマンの広能(志磨遼平)による夏芽評は、彼女の魅力が失われてしまったことを結果的に正しく伝えています。

挫折という簡単な言葉で片付けられないほどに、『溺れるナイフ』のコウちゃんと夏芽は自分を折られ、溺れて沈んでいきます。

キーワードは全能、神格化

ストーリーの運びが今ひとつな中で、この映画の魅力を堪能するには、「全能」「神格化」というキーワードに気付けるかどうかが鍵になってきます。

僕も実際、最初に事前情報を入れずに鑑賞した時は置いてきぼりを食らった感じで、あまり理解出来ませんでした。
『ホットギミック』を鑑賞後にAmazonプライムビデオで鑑賞し、ようやく気づくことができました。

上の中学生編で述べたとおり、夏芽とコウちゃんは自分自身が(他者より優れた)何者かであると思っていました

それは決して驕りではなく、ティーン誌のモデルを務め、明らかに他の一般女性15歳よりも恵まれたビジュアルを有する夏芽も、周りに一目置かれる家柄と自身の強さを知っているコウも、確かに「その他大勢」と一線を画する存在として説得力を持っていました。

夏芽が転校してきた冒頭。
カナ(上白石萌音)、コウちゃん、大友(重岡大毅)と初めてかわす会話で、なにやら不穏な展開を思わせる音楽が流れ、彼ら中学3年生は目を伏せます。

こんな田舎町で燻るような私じゃないという自信を胸の奥に秘める夏芽と、お前なんかがなんぼのもんじゃいと顔を背けるコウちゃんと。

結果的に僕が感じたこの不穏な空気は恐らく杞憂に終わったのですが、マウンティングに表れる自尊心とはまた違った自尊心が描かれていました。

選ばれた者であるがゆえに夏芽とコウちゃんは惹かれ合いました。

人と違う景色、高みを、優れた他者を通じて見てみたいという欲望。
自分には大きな可能性が広がっていると信じて疑わない一方で、その思いを露出できる、分かち合える対等な存在が見つからないこと。

自由奔放なコウちゃんと一緒にいることで、付き合っているということで、夏芽は自分の現在地や可能性を確認したかったし、自分を高みに連れて行ってくれるのが大友とかではなくコウちゃんだと思っていました。
それはコウちゃん側から見ても同じです。

さらに言えば、「その他大勢」の一人であるカナもまた、二人がくっつくべきだと思っていることが明かされます。

全能から堕ちていったふたり

凄く乱暴な言い方をすれば、現実世界の中学や高校で学年一の美女と美男が付き合うのは『溺れるナイフ』の夏芽とコウちゃんに近いものがあると思います。

何か人より優れた能力や容姿を持っている者だからこそ、釣り合うバランスがあるはずです。
そして多くの場合、その「釣り合う」という尺度は、それ以外の人たちの評価や後押しによって決まったりしていきます。

名声や発言力というものは、他者からの評価で大きくなっていくものだからです。

お互いが全能であることをまっすぐに信じていた日々(C)ジョージ朝倉/講談社 (C)2016「溺れるナイフ」製作委員会

出典:映画.com

でも全能だと信じて疑っていなかった二人は、夏の夜に蓮目(嶺豪一)という男が起こした無慈悲な事件によって打ち砕かれてしまいました。
15歳の自分たちが、いかに無力化ということを屈辱として味わされてしまいます。あまりにも残酷に。

やさぐれたコウちゃんは、大友に寄り添われる夏芽に対して
「逃げ場があってよかったのォ」
と言い放ちます。

それに対して夏芽は
「逃げちゃダメなの?私ずっとこのままでいなきゃいけないの?」
と叫びます。

コウちゃんのセリフには、逃げる夏芽なんて本当は見たくないという思いと、逃げてくる夏芽を受け止められる自信が自分にはもうないこと、そして自分自身の逃げ場となる誰かがいないやるせなさが、包含されています。

夏芽も夏芽で本当はコウちゃんのところに逃げ込みたくても、コウちゃん自身が夏芽から逃げている状況ではどうにもなりません。

「コウちゃん、何であの時やっつけてくれなかったの?」と絞り出した夏芽の言葉には、それでもまだ全能のコウちゃんを信じたいという、すがる気持ちにも似たものを感じました。

客観的に見ればあの事件の時、コウちゃんも夏芽も15歳としてできる限りのことはやったと思いますが、夏芽はきっとそれ以上のスーパーをコウちゃんに求めていたのでしょう。
この作品で一番秀逸だと思うのは、二人の心が折れていく様の描写だと思います。

大友(重岡大毅)のハマり役ぶり

最後に、重岡大毅が演じた大友という同級生役の男子についても触れてみます。

“あの事件”以降、ポッキリと折れてしまった夏芽を支え、寄り添おうとしたのは大友でした。

夏芽との映画デートは未遂に終わったものの「望月は、オシャレさんなんじゃの」と彼女のフットネイルを褒め、「大友」「望月」「大友」「望月」の問答の末に「夏芽」と叫び彼女の唇を奪います。
ずっと、そうやって呼びたかったのでしょう。ずっと、夏芽が欲しかったのでしょう。

彼女の着替えるところに背を向けて見ないようにする男気も同居する一方で、我慢できずに発露した夏芽への想い。
非常に良いです。16歳男子。

大友自身に下心があると夏芽がわかっていることも、夏芽が自分と本気で付き合う気がないことも、夏芽が本気で付き合う気がないと自分が知っているということをも夏芽がわかっていることも。
全部知っている上で、大友はひたすら夏芽を気にかけて元気付けようとします。

コウちゃんに目を奪われてしまう夏芽(C)ジョージ朝倉/講談社 (C)2016「溺れるナイフ」製作委員会

出典:映画.com

大友と椿を採っているとき、バイクで通り過ぎたボロボロのコウちゃんに、それでも目を奪われてしまう夏芽。
そんな彼女を見やる大友に漂う侘しさ。

友達でいいよ。
穴埋めでエエよ。

辛い時はいつでも俺んとこ来いよ。と、大友は自ら「いい人枠」に甘んじました。
付き合うということを夏芽が神格化していたこと。夏芽が高みに上るために必要な人は自分ではないこと。
多分全部、大友はわかっていたのでしょう。

吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」を熱唱し、夏芽への想いを声高に叫ぶ大友。

成年の僕は、酒の力を借りていたらどんなに楽だろうにと思います。
自分がどんなにピエロになろうとも、まっすぐに下手くそな歌で愛を伝える大友は、この作品で一番、優しくて強いキャラクターだったんじゃないかなと感じました。

高校を卒業して町を出て行く大友にも幸あれと願わずにはいられません。

総合的に見れば理解の難しい映画だとは思います。

僕は夏芽とコウちゃんの「持てる者」同士の惹かれ合いという側面に着目して鑑賞しましたが、多様な受け取り方をできる映画ではないでしょうか。

色々な方々の感想や考察を見て「なるほど!」と膝を打つ。
そんな楽しみ方ができる作品でした。

★★★☆☆。

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