映画『明け方の若者たち』ネタバレ感想|彼女と夜と酒と友情。新卒社員の青春ノスタルジー

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こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

 

皆さんにとって「人生の絶頂期」とはいつでしたか?

それは小学校や中学校、高校のときかもしれませんし、その後にもう少し大きな自由を得てからだったかもしれません。

その時でしか出会えない人間関係や、その時にしかできないこと、あの時の自分だからこそ見えたことや考え方。そんなことが少し時が経ってから美しい記憶として甦り、「あの時は本当に楽しい日々だった」と感じるのではないでしょうか?

特に“今はもうできなくなった”ことを謳歌していた時期というのは、あとで振り返ってみるととっても貴重で綺麗なものです。

今回ご紹介する映画は2021年公開の『明け方の若者たち』

カツセマサヒコさんのデビュー作を原作に、「彼女」と過ごした5年間を「人生のマジックアワー」と表現した、20代の青春物語です。

「マジックアワー」とは日の出直後や日没直前に見られる薄明の時間帯のことですね!

その時限りの夢のような時間のこの「マジックアワー」、転じて人生の絶頂期 / 最高の日々と解釈できるんですが、『明け方の若者たち』は、20代でそんなマジックアワーのような時間を過ごした大人の方々に観てほしい映画です。
特に30代の方は結構リアルな体験として感じるかもしれません。

今回は『明け方の若者たち』が響いた理由を、自分の体験とも照らし合わせながら書いていきたいと思います。

観る人によっては、「これは自分の物語だ…!」くらいまで刺さるかもしれません

作品のネタバレや展開に触れていきますので、未見の方はご注意ください。



あらすじ紹介

大都会・東京に生きる若者に訪れた人生最大の恋と、何者にもなれないまま大人になっていくことへの葛藤を描く。明大前で開かれた退屈な飲み会に参加した“僕”は、そこで出会った“彼女”に一瞬で恋をする。世界が“彼女”で満たされる一方で、社会人になった“僕”は、夢見ていた未来とは異なる人生に打ちのめされていく。

出典:映画.com

スタッフ、キャスト

監督 松本花奈
原作 カツセマサヒコ
脚本 小寺和久
北村匠海
彼女 黒島結菜
古賀尚人 井上祐貴
黒澤 菅原健
石田真矢 楽駆
宮内友香 新田さちか
桐谷 高橋春織
中山 山中崇

俳優陣では、主人公(北村匠海)の親友・尚人を演じた井上祐貴さんが抜群でした!
すごく出来る人、なおかつかっこ良いキャラクターでありながらも嫌味のない尚人。

そんな彼を表現した井上さんは本当に凄かったです!

誰にでも「自慢の友達」っていると思うんですが、自慢の友達枠の表現ぶりは100点満点だと思います!

ちなみに井上祐貴さんは主演の『NO CALL NO LIFE』ではまた違った温度感で特徴的なキャラクター・春川を演じています。
配信でも観れるので興味のある方はどうぞ!

この後、本記事はネタバレ部分に入ります。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



映画のネタバレ感想

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

 

北村匠海さんは「僕」、黒島結菜さんは「彼女」を演じていますが、映画内で主人公2人は固有名詞が与えられていません。

本記事では基本的にこの二人に関して役名で表記せず、北村匠海、黒島結菜と表現させていただきます。

映画の時代設定は?

まずは、この映画の時代設定から見ていきます。

2013卒で就職活動を行なった「僕」(北村匠海)「彼女」(黒島結菜)

現役で大学に入った「僕」(北村匠海)は1990年世代、大学院に進んだ「彼女」(黒島結菜)は二つ上の1988年世代であることがうかがえます。

大学4年生(大学院修士2年生)の4月の段階ですでに内定をゲットしている彼ら。
明大前の居酒屋・宮古の宴会座敷に集まると、石田(楽駆)が音頭を取り、“就活の勝ち組”として飲み散らかしています。

宮内さん(新田さちか)という学生のように、すでに自分の名刺を持っている人も多いみたいです。映画『何者』(2016)の二階堂ふみさんを彷彿とさせる意識の高さですね…。

新学年が始まった4月の段階で志望業種に内定を決めた石田たち。

年によって内定の時期は違うので一概に言えませんが、黒島結菜の「彼女」の1つ上にあたる私自身は、初めて内定をもらったのは4年の5月下旬。当時のことを振り返ってみても、新年度が始まった段階で内定をもらっている人は確かに“勝ち組”に映ります。

2010卒、2011卒あたりは、08年の秋に発生したリーマン・ショックによって就活動向に結構大きいインパクトがあったわけですけど、北村匠海や黒島結菜、石田、宮内たちはリーマン・ショックを高校生、あるいは大学の低学年時に見てきています。そのことでの危機感もあったでしょう。

北村匠海(僕)は大手印刷会社へ、黒島結菜(彼女)は発展途上国の素材を使ったアパレルに就職が内定。

この映画は1990年世代の「僕」が大学4年生時を起点に過ごした、2012年から2016年までの5年間の物語です。
年齢に置き換えると22〜26歳ですね。

カツセマサヒコさん世代の「数年後」

映画内の時代設定の次は、原作小説の著者・カツセマサヒコさんのプロフィールをざっと紹介したいと思います。

1986年生まれのカツセさんは新卒で印刷会社に入社。総務部で5年間働いた後、編集プロダクション「プレスラボ」に転職します。
自身のTwitterやブログがきっかけになった転職でした。

(参考資料:灯台もと暮らし 「過去の自分から笑われるのは嫌だった」カツセマサヒコ、転職前の憂鬱【ジョブチェンジを学ぶ#1】

映画をご覧になった方はわかる通り、カツセさんの経歴は映画『明け方の若者たち』の北村匠海や尚人(井上祐貴)に反映されていますよね。

ただ、カツセさん自身の年代と作品内の登場人物が生きる年代は少し違います。
このことについてカツセさんは「好書好日」さんのインタビューで次のように明かしています。

――主人公の「僕」はカツセさんご自身よりも3、4歳ほど年下の世代ですよね。

 そうですね。世代は近くても年下なので、リアリティを出すために10人くらいにインタビューさせてもらったんです。Twitterで「この時期に大学生やってた人!」と募集をかけて、「就活はどんな感じだった?」「どんな音楽が流行ってた?」「どのタイミングでガラケーからスマホになったっけ?」など聞いたんです。

出典:好書好日 カツセマサヒコさんデビュー小説「明け方の若者たち」  何者かになれなくたっていい

なのでカツセさんご自身は、「僕」や尚人よりも少し上の世代ということになります。

“自分ごと”のスイッチをどこで押すのか

北村匠海さんと黒島結菜さんのキャラクターに作品内で固有名詞が登場せず、人物紹介では「僕」と「彼女」と表記されているように、『明け方の若者たち』は「僕」(北村匠海)の視点を貫いた物語です。

彼の一人称が「俺」であることを考慮すると、俺物語と言ってもいいかもしれません。

この「俺物語」が観る人にとって「俺の物語」になるかは人それぞれですが、『明け方の若者たち』は鑑賞者——特に彼らと同じ、今30代を回ったくらいの方たちでしょうか——の共感あるいは既視感に訴えかける描写が秀逸だと思いました。

例えば、同じく大学の上級生〜社会人のタイミングでの恋を描いた『花束みたいな恋をした』(2021)では、麦くんと絹ちゃんの恋愛ストーリーの他にも、幾多の固有名詞が共感へいざなうフックとして用意されていました。

また1990年世代の、高3からの10年間を描いた『青の帰り道』(2018)は、北京五輪や東日本大震災、流行語など当時の時勢を散りばめることで、鑑賞する側が体験してきた時代の再現性を高めています。

一方で、本作品『明け方の若者たち』は時事ネタを目立たせるわけでも、固有名詞を出して“あの頃”を想起させることもほとんどありません。RADWIMPSのくだりくらいでしょうか。
その意味では「僕」や尚人と同じタイミングで歩んできたど真ん中の世代以外の方も、十分ターゲットになっていると思います。

では観る人にとって「人生のマジックアワー」の再現性を高めたのはどこなのか。

そう考えると、社会人になってからの「明け方」=飲んでオール帰りの明け方だったり、社会人になって広がった行動の選択肢、仲間との語らいが挙げられるのではないでしょうか。

お金と時間の両立

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よく言われる表現として、「学生のうちは時間はあるがお金がない」、「社会に出るとお金はあるが時間がない」みたいなジレンマがあります。

『明け方の若者たち』で描かれる北村匠海黒島結菜の恋は、学生時代1年、社会人になって以降の4年のお話。

「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」
SMS(番号が一桁足りなかったですね笑)で送られてきた16文字から始まった二人の物語でしたが、学生時代のエピソードは矢継ぎ早に幸せエピソードを量産してきました。当時風の言葉で言うとリア充まっしぐらです。

この時も既におしゃれなカフェで誕生日祝いをしたり、冬に花火やったり、ドッグパークみたいなところでデートしたりと、二人からはそれなりに高い経済力と行動力がうかがえたのですが、社会人になって尚人(井上祐貴)が親友として介在してくるようになると、そこに仕事終わりに飲んでオール(からの出勤)という要素が加わります。むしろ強調されていたのはこっちですよね。

学生の頃も当然オールはやっていたはずです。
でも学生の時ってお金がそこまでないから、二次会から始発までオールタイム料金のカラオケで過ごしたり、誰かの家で酒盛りをする形だったのではないでしょうか。

一晩で1万円使うことなんてほとんどなかったです…

だけど社会人になるとお給料をもらって、社会のいろいろなことを知って行動範囲も広がる。何軒もはしごをしたり、夜のお店に行ったりして、一晩で万札が数枚消える遊び方を覚えていきます。
休みの日にはレンタカーを借りて、高級リゾートでリッチな夜を過ごすなんてこともできるわけです。

社会の現実にぶち当たった夜にお酒を飲みながら大切な人たちと夢を語り合う夜は楽しくて、この夜がずっと続けばいいのにとすら思う北村匠海たち。
それは間違いなく彼らにとっての青春でした。

学生の時に比べてお金はある。時間はないかもしれないけど、体の無理が利くから朝までコースの後に出勤なんてことだってできる。つまり時間も作り出すことができる。

共感はしないがほとばしる既視感

個人的な感覚でいうと、この映画に共感はしなかったんですね。

舞台となった高円寺や明大前といった23区西側のエモ街は自分にはよくわからないし、北村匠海さんの「僕」の女慣れしてる感(だけど私服が結構やばい)も「ん〜?」って感じでした。なんともまあ綺麗に手繋ぎますね。

アラームを止めようとした彼女に「もうちょっと聴かせて」と言うところとか、素人とは思えなかったです。

それでも彼らが社会人になって手にした夜の自由にはやっぱり既視感しかなくて、北村匠海も黒島結菜も尚人(井上祐貴)も黒澤(菅原健)も、自分ではないけれど自分と同じ時間や光景を見ていたんだなと思います。

昔の手帳を引っ張り出して眺めてみると、新卒入社してからの数年間は今じゃ考えられないくらいに飲みの予定をバコバコ入れていました。ガールズバーに入り浸っている時期もありましたし、酒を飲んでオール明けでフットサルの大会に午前中出て、そのまま午後出社とかいうわけのわからないスケジュールも書いてありました。

あの頃はそれができると思っていたし、実際できていた。だから北村匠海たちが見せていたバイタリティには既視感だらけでした。

今考えると当時は仕事上での責任が大きくなかったのも一因かもしれませんね…笑

また、井上祐貴さんが演じた尚人は、周りの友人の良いところを全部詰め合わせたような聖人君子でした。こちらは既視感の集合体です。

「僕」と「彼女」の二人の世界に入ってきた尚人。
いや絶対裏あるっしょと思ってたらマジでなかったですね。疑って本当にすみませんでした。

たまにいるんですよね。万事をパーフェクトにこなして上昇志向もありながら嫌味がなくて、尊敬する対象となる人って。
馬鹿騒ぎもできて友達のために何かを投げ打って駆けつけることもできて、ウィットに富んだ言い回しにも純粋さしか感じない。

映画内のファッション再現度は正直微妙なところもあったんですけど、尚人に関して言えばパーフェクトでした。長財布をデニムの尻ポケにいれる彼、いたいた。

そんなところも相まって、『明け方の若者たち』には共感はそこまでせずとも既視感をしみじみと感じました。

ただ私自身の過去を振り返ってもわかるように、この映画ではお酒を飲み明かす楽しさの部分がかなり強いですよね。
お酒を飲むことの重要性が低い方から見ると、飲みたがりの若者がお酒に青春を感じていたんですね、はいそうですか、で終わるかもしれません。

その意味で響く対象を選ぶ作品かもしれないですね。

夢を語ったあの日々を笑おう

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映画『明け方の若者たち』に出てくる北村匠海と尚人は、いずれも「企画をやりたい」と志を高く持って大手印刷会社に入社しました。研修のオリエンを終えた後は、黒澤を交えて出世ルートについても目を輝かせています。

余談ですが、映画の舞台となった印刷会社の撮影は東日印刷株式会社のビルで行われています。

しかし尚人は営業へ、北村匠海は総務に配属され、焦燥感を感じながら仕事と向き合うことになりました。
俺がやりたかったのは、役立てると思ったのはこの仕事じゃない、溢れるココじゃない感。

彼らの場合は「自分の考えたものが世に出るのはワクワクする」といった原動力が「企画をやりたい」ところにつながっていきます。営業も総務も、考えたものを世に出すまでの道のりをつくるものですよね。

私自身も新卒で入った会社で、配属先は希望と異なる内勤の部署でした。「人脈つくって独立するぞぉ!」と息巻いていた入社までとのギャップに、マジでこの仕事向いていないわ時間の無駄だわと自己嫌悪に陥っていました。

自分の場合は幸いにもやりがいを見つけたのでその仕事を続けることができましたが、二人の気持ちはわかる気がします。

夢に溢れながらもその夢を実現できる環境にいない彼らは、渋谷を自分たちの企画でジャックしたい!と飲みながら語り明かしました。

正直なところ、社外者の黒島結菜がいる席で内輪の仕事ネタに延々と花を咲かせるのもどうかと思ったんですが、この大きな夢を語った会は後の二人に「渋谷ジャックとかダッサ(笑)」と回顧されます。

ただこれは、あの頃の俺たち痛かったよねっていう文脈だけじゃなくて、無限の夢を抱いていたあの頃への眩しさも含まれているはずですし、あの頃の痛さがあったから現在があるという風に“今の自分たち”を肯定している部分もあるんですよね。

原作のカツセさんは「灯台もと暮らし」さんのインタビューで次のように話しています。

作業服を配っている僕は、高校時代に描いていた自分になれているんだろうかと考えたときに、やっぱりすごいかわいそうで。過去は当然変えられないんですけど、せめて未来だけは救ってあげたいっていう気持ちが、どんどん強くなっていきました。

過去の自分から今の自分が笑われるのはすごく嫌だけど、未来の自分から嘲笑されるのは、小気味よいことだと思うんです。なぜなら成長してるから。「そんなときもあったよね」って、過去の自分を笑える人間でありたいと考えて、3年目くらいに転職サイトに登録したんです。

出典:灯台もと暮らし 「過去の自分から笑われるのは嫌だった」カツセマサヒコ、転職前の憂鬱【ジョブチェンジを学ぶ#1】

ここで興味深いのは(今の自分が)未来の自分から嘲笑されるのは、小気味よいことだと思う、っていう部分なんですよね。

だから見方によっては痛くも見える渋谷ジャックの夢語りを、未来の自分たちからそんな日々もあったねと笑い飛ばされた新卒1年目の二人は幸せだと思うんです。

あの頃あんなことをしてた「から」今の自分がダメなんだ、ではなくて、
あの頃あんなこともしてた「けど」、今の自分は成長しているよね!と過去を笑い飛ばすことができる人に。

そんな道しるべを示してくれた優しいシーンでした。

 

今回は作品内における、社会人になって以降の部分を多めで感想を書きました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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