こんにちは。織田です。
今回は2021年公開『花束みたいな恋をした』について感想を書いていきます。
菅田将暉さん、有村架純さんのダブル主演。
監督は有村さんの『ビリギャル』などの土井裕泰監督、脚本は『Mother』、『それでも、生きてゆく』などの坂元裕二さんです。
いや……これはですね……。
自分の過去を抉られるというか、否応なしに直視させられるというか、観た後にとてもダメージの残る映画でした。
今回の記事では自分の経験談と合わせながら書いていきますので、私情がダダ漏れの感想になります。
ご了承ください…。
あらすじ紹介
東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った山音麦(やまねむぎ=菅田将暉)と八谷絹(はちやきぬ=有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。
予告編で絹(有村架純)が放った「こういうコミュニケーションは頻繁にしたい方です」は有村架純さん語録歴史に残る名言ですよね…。
スタッフ、キャスト
監督 | 土井裕泰 |
脚本 | 坂元裕二 |
山音麦 | 菅田将暉 |
八谷絹 | 有村架純 |
羽田 | 清原果耶 |
水埜 | 細田佳央太 |
加持 | オダギリジョー |
絹の母 | 戸田恵子 |
絹の父 | 岩松了 |
ここには挙げていませんが、麦(菅田将暉)側のコミュニティである、クリエイティブの仲間たちがわりと作品に絡んできます。
韓英恵さんが印象的なキャラクターを演じていましたね。
『花束みたいな恋をした』の作品情報については、MIHOシネマさんの記事であらすじ・感想・評判などがネタバレなしで紹介されています。映画未見の方はぜひ予習にどうぞ!
共感の嵐が吹き荒れる
『花束みたいな恋をした』は、共感ボタンへのお誘いを懇々と続ける映画です。
「押井守を認知していることは広く一般常識であるべきです」の押井守に始まり、穂村弘、今村夏子、いしいしんじ、柴崎友香、舞城王太郎、ゼルダの伝説にゴールデンカムイ、スマスマ、パズドラといった固有名詞の数々。
カルチャーシーンに造詣が深い主人公二人は、好きなことを同じ深さで語り合える運命に喜びを見出し、京王線、ジョナサンのドリンクバー、さわやかのハンバーグといった環境がさらにあるあるを補強していきます。
さわやかのハンバーグが好きな人も、ラーメンを美味しそうに食べる人が好きな人も多いはず。
多分誰もが、どこかしらでいいねを押せるくらいには引用装置の嵐です。
個人的には麦くん(菅田将暉)、絹ちゃん(有村架純)ほど知識がないので、へぇと思いながら観てたんですが、2014年ワールドカップの開催国ブラジルがドイツに1-7で負けたトラウマ試合・ミネイロンの惨劇、さらにはジュリオ・セザールのインタビューを引用してきたときにはビックリしました。この人たち知識幅ありすぎでしょ。
サッカーオタクとしては、飛田給(味の素スタジアムの最寄り)が地元の絹ちゃんが、実はFC東京サポーターなんじゃないかとか、加持(オダギリジョー)が引き合いに出していた「ゼロゼロの引き分け狙い」(的な表現だったかと)は2018年ワールドカップの日本vsポーランド戦を引用したものなんじゃないかとか、色々邪推してしまうわけです。
“語れる”立場
ショーシャンクの空に程度でマニアック面しないでほしいよね?(苦笑)というナチュラルなdisをはじめとして、麦くん、絹ちゃんがいかにニワカではないガチ勢であるかが映し出される序盤。
ニワカの届かない共通言語を話せることはさぞ楽しかろうと思いましたし、麦くんと絹ちゃんと同レベで文学や映画などに詳しい方はもうたまらなかったんじゃないでしょうか。「語れる」ことって本当に幸せ。相手いなくちゃできませんから。
『花束みたいな恋をした』は公開から2週間近く経って鑑賞したんですが、それまでにTwitterではネタバレにならない程度に引用エピの数々がツイートされていました。
絹ちゃんがホワイトデニム(を履く男)を好きじゃないことも、ブラジル1-7ドイツの引用も、押井守や今村夏子が出てくることも、タイムラインに流れてきたツイートで知っていました。
なるべく目には入れないようにはしていたんですが、実際に二人のコアな会話を観てわかりました。この映画、めっちゃ語りたくなりますね……。
過去形の恋愛映画
冒頭シーンは2020年。
ここで麦くん(菅田将暉)と絹ちゃん(有村架純)は同じ場所でそれぞれ別々の交際相手とお茶をしていました。
それぞれの恋人に同じ話題をして同じように席を立ち、お互いの存在を察して席に戻りました。
つまり最初の時点で我々は、絹ちゃんと麦くんの「過去にした」恋についての物語だということがわかるわけです。
じゃあ花束みたいな恋ってどういう恋だったの?という部分が描かれていくわけですが、想像以上に自分の記憶を殴られました。
これまでは「刺さる」っていう言葉をよく使ってきたんですけども、「刺さる」を通り越して、「あの時の自分、どうだった?」と問いかけざるを得ませんでした。いや、マジで辛い。
公式サイトには、「#はな恋みたいな恋をした」エピソード大募集!と書かれていました。
あらすじの所でも引用した通り、この映画のストーリー紹介は「──これはきっと、私たちの物語。」で締めくくられています。
本当にこの映画は、私たちの物語でした。
相手を知っていく過程
『花束みたいな恋をした』では、絹ちゃん(有村架純)と麦くん(菅田将暉)がお互いの好きなこと、モノに高い次元で共通項を見出して、相手のことを知り、好きになっていく様が描かれています。
「うちの本棚みたい」と絹ちゃんが驚いたようなカルチャーへの知識もそうですし、初めてのデートでお互いが青いアウターにグレーのカレッジパーカーを挟んでいたコーディネイトも、最初の出会いで履いていたコンバースの白いジャックパーセルもそうです。
ここまで自分の鏡写しみたいな人と巡り会って恋に落ちるというのはそうそうないかもしれませんが、気になる相手が自分とどこか共通点を持っていると知った時、ハートのボリュームが急上昇するのはよくわかります。
最初にして最幸の絶頂期
一方でこの映画では、絹ちゃんと麦くんが違いを見つけて相手への好意を深めていく描写がそんなにありません。
例えば二人ともコミュ力が高そうに見えますけど、合コンの頭数に入る程度には女子内でのヒエラルキーが高く、朝帰りも常連の絹ちゃんと、ストリートビューに映り込んで人気者になった刹那的な瞬間を人生最高レベルで謳歌する麦くんはまたタイプが違うはずなんですよ。
好きな食べ物も、好きなお酒も違うはずです。
それでも、お互いよく似た者同士だという最初の運命的なインパクトが絹と麦にとってあまりにも強く、居心地が良かった。家賃5万8000円の麦くんのアパートで、ここでも、そこでも、あそこでもした。
好きなものに囲まれ、それを満喫できた学生時代が、あまりにも濃厚で最高だった。
だから二人は「現状維持」という言葉で、最初に訪れた幸せ絶頂期を維持しようと、同類であることを何より大切にしていたんじゃないのかなと思うんですね。
あれほどにポジティブな現状維持の使い方を、僕は他に知らない。
これは私たちの物語だ
束の間の半同棲を経て、絹ちゃんと麦くんは調布駅から徒歩30分(自転車なくて大丈夫?)にある、多摩川沿いの部屋で同棲をスタートさせます。
最終的には交際5年目で同棲解消、別れに至りましたが、二人の心がズルズルと離れ、「現状維持」から遠ざかっていく様は他人事と思えませんでした。
同棲
社会人2年目の年、当時大学2年生の女性と付き合うことになりました。
年下の彼女は僕よりもずっと物知りで、その意味では絹ちゃんと麦くんの関係とは真逆でした。彼女の好きなことに付き合うことで、自分の知らない色々な世界を教えてもらうのが楽しくて仕方ありませんでした。
その子が好きなジャニーズのコンサートも行ったし、漫画もたくさん教えてもらったし、今まで食わず嫌いしていた東南アジア系料理の魅力にも気づかせてくれました。
結婚を視野に入れ、新しい物件で同棲を開始。
一人用ソファもセミダブルのベッドも大きいものに買い換えて。
本や漫画が大好きだった彼女は、絹ちゃんたちのほどじゃないにせよ、大きな本棚を買いました。ダイニングテーブルも買いました。
帰り道は駅前でケバブを買って一緒に歩きながら食べて。絹ちゃんと麦くんが焼きそばパン食べて帰ってるシーンありましたけど本当あんな感じ。
そして、同棲3年でさよならを迎えました。
なんで別れたの?
なんで別れたの?って聞かれると若干困りました。どっちかの浮気が発覚したとか、大げんかをしたとか、そういう理由ではありません。
小さな不信感が少しずつ蓄積されていって、お互いが相手に期待するのをやめてしまったから。くらいとしか説明できないんですよね。
自分たちの場合は、好きなことを仕事にしていた僕が絹ちゃんと似た立場でした。転職もしました。
一方の彼女は大学卒業後、成果主義の業界に就職しました。
絹ちゃんが麦くんに「お遊び」呼ばわりされたようなことは僕も言われましたし、一方で彼女が使命感を漂わせながら話す仕事の話題に、自分はきちんと向き合うこともできませんでした。
積み重ねられる「またか」
ただ働く上での環境の変化や仕事への考え方が不信感の根本的な原因かと言えばそうではなくて、何ヶ月やってなかったとか、休日の約束がリスケになったとか、二人で通っていたスポーツジムが潰れたりだとか、僕が携帯を失くして迷惑をかけたとか、服のたたみ方の違いだとか、ロボット掃除機を買うか買わないかとか、色々な要素の一つにしか過ぎません。
別に一つ一つの不満はその場で解消されるんですよ。不満レベルが1あったとしたら、ゼロに戻る。納得する。
でも、次の小さな不満が出てきたときに、解消したはずの前のアレが0.5とかで上乗せされてくる。繰り返される0.5の積み重ね。
それが絹ちゃんの言ってた「『またか』とは思うよ、『またか』だから」だと思うんです。
それ聞いて眉毛ピクって吊り上げた麦くんの心理もめっちゃわかります。こっちも「またか」ですよね。
二人を「現状維持」から遠のかせていく、諦めの積み重ね。
花束みたいな別れ方
映画に話を戻します。
別れる覚悟を決めた麦くんと絹ちゃん。
あのジョナサンに来てみたけど、もうあの席には戻れないし、あの頃の二人にも戻れない。
清原果耶と細田佳央太の初々しいやり取りを見つめる瞳に浮かぶ涙。
ああ。もう無理です。無理ですわこれ。
それでも。
それでも絹ちゃんは!麦くんは!
楽しかった思い出、いい思い出にして取っておくからと。幸せだったねと。
ああ!
ああああああ!!!
美しい別れがそこにはありました。そしてそれは、僕たちができなかったことでした。
出会いは全て別れを内包している、こんな一節もモノローグであったと思いますけど、全て繋がりましたね。
過去を美化したい自分本位かもしれないけど、麦くんと絹ちゃんの恋の終わらせ方は理想形だと思います。大切な思い出とともに、さよなら大好きな人。
それにしても。本来悲しい出来事であるはずの「別れ」を前提に置きながらもなお、気持ちの良い作品でした。
恋愛映画の修羅場で「私たち、出会わなければよかったのにね」みたいな元も子もないシーンを目にすることがあるんですけど、この映画では一切ない。
カップルで観るとどうなんでしょう。「別れ」という過去をポジれる一方で、その「別れ」は未来にも起きうることではあります。
ただ、幸せの「現状維持」をしていくために必要なこともたくさん教えてくれる映画だとも思うんですよね。
元彼、元カノを思い出すのもやむなしでしょうけど。
こんな映画もおすすめ
最後に、この作品をご覧になった方に合わせてお勧めしたい作品をいくつかご紹介します。
劇場
二重生活
モテキ
最後までお読みいただき、ありがとうございました!