映画『法廷遊戯』ネタバレ感想|それぞれの“覚悟”は主題歌に照らされて

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こんにちは。織田です。

今回は2023年公開の映画『法廷遊戯』の感想をご紹介します。

ロースクール生の同期3人を軸に描かれるミステリー。
ロースクール時代の「無辜(むこ)ゲーム」という模擬裁判を起点に、過去の事件、卒業後に起こった事件について、“何が真実なのか”、“何を赦(ゆる)して、何を赦せないのか”という部分を探っていく物語です。

永瀬廉さん、杉咲花さん、北村匠海さんがメインキャラクターということで観てまいりました

五十嵐律人さんの原作小説は未読なのですが、結論からいうと“惜しい”映画に思えました。

設定は面白いし、法廷の展開もわかりやすい。“真相”にまつわる二転三転もありました。
それだけに、メイン3人の心情をよりダイレクトに提示してくれたらもっと凄い作品になったのでは…という印象です。
一方で、その不完全な部分を照らす大きな役割を主題歌が担っていたとも感じました。

原作は読んでおらず映画を観ただけの感想になりますので、解釈違いがありましたら申し訳ございません。

また、感想部分では作品のネタバレや展開に触れていきます。鑑賞済みの方向けの内容になります。



あらすじ紹介

セイギ(永瀬廉)、彼の幼なじみの美鈴(杉咲花)、馨(北村匠海)らの通うロースクールでは、「無辜(むこ)ゲーム」と呼ばれる模擬裁判が行われていた。あるときクラスメートに過去の出来事を告発されたセイギは、異議を申し立てるために美鈴を弁護人に指名して模擬裁判に臨む。ロースクール卒業後、セイギは弁護士、馨は法学の研究者になっていたが、ある日、セイギは無辜(むこ)ゲームを再び開くという馨に呼び出されるが、そこで彼が目にしたのは馨の死体と、その隣でナイフを手にした美鈴の姿だった。

出典:シネマトゥデイ

スタッフ、キャスト

監督 深川栄洋
原作 五十嵐律人
脚本 松田沙也
久我清義 永瀬廉
織本美鈴 杉咲花
結城馨 北村匠海
奈倉教授 柄本明
沼田大悟 大森南朋
釘宮弁護士 生瀬勝久
古野検察官 やべけんじ
佐久間悟 筒井道隆
この後、本記事はネタバレ部分に入ります。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



法映画としての完成度

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

 

『法廷遊戯』という題名通り、この映画は法廷ならびに法律をわかりやすく噛み砕いている映画でした。

なぜ美鈴(杉咲花)が黙秘を貫いていたのか、なぜ美鈴は馨(北村匠海)との打ち合わせを破って“未遂”で終わらなかったのか。その理由は法の下で明らかになり、観ている側も確かな納得感を得ることができます。

私自身は法律に関して全くのど素人なのですが、なるほどなと腑に落ちる進行でした。

その納得感というのは、映画の触れ込みで「二転三転する真実、四転五転する真相」と表現されている「転」の部分への理解にもつながっていきますよね。

同害報復と無罪、冤罪

この映画の中でまず印象に残ったのは「同害報復」の概念です。(北村匠海)が大学院に残ってまでこだわっていたテーマである同害報復とは、要は「目には目を、歯には歯を」理論です。

そしてこの理論の先には“相手に同等の罰を与えたところで報復をストップする”という歯止めがあり、それはすなわち相手を“赦す”ことにつながります。

馨がこのテーマで論文を書いていると奈倉教授(柄本明)が明かすシーンがあったことで、同害報復の意味と馨の向き合い方が伝わってきます。とても意味のあるシーンでした。

馨が清義(永瀬廉)に対してとる同害報復とは、彼を“プレイヤー”として罪に向き合わせることで赦すというものだと思います。

 

また、「有罪」、「無罪」、「冤罪」についても勉強になります。

「有罪か無罪かは裁判官が決めますが、冤罪かどうかは神様しか知りません。」

出典:映画『法廷遊戯』公式サイト

特に馨のセリフは象徴的なもので、上記のセリフに付随する「無罪とは検察が立証できなかった結果」という言葉も重いですよね。

本作品では主人公たちと“戦う”立場にあった検察ですが、検察側の難しさもあると思わされます。「冤罪」であることが明るみになった場合、受けるダメージは相当なもののはず。作品内の古野検事(やべけんじ)はその重圧を突っ張るような存在として描かれていたものの、劣勢に回ってからの検察側の立ち回りも見たかったです。

加えて“神のみぞ知る”視点というものもあらためて実感するわけで、──これはYahoo!ニュースなどのコメント欄を想像するとわかりやすいかもしれませんが──、世の中に表出する事件の「どちらが正でどちらが悪か」に対し、それを断罪するコメンテーターたちは果たして神の視点を持っているのだろうか?などとも思わされました。

メイン3人の描写

続いて、メインキャラクターである久我清義(永瀬廉)織本美鈴(杉咲花)結城馨(北村匠海)の描写について考えてみます。

映画『法廷遊戯』ではこの部分が物足りなく映りました。

法の下における有罪/無罪をめぐる動きは良かった一方、3人の行動に至る心境や背景をもっと見たかった。
言い換えれば、メインキャラクターにもっと感情移入したかったということです。

美鈴と清義

展開が四転五転していく中、衝撃的だったものの一つはやはり美鈴が約束を破る形で馨を刺した理由「清義を守るため」というものです。

『容疑者Xの献身』という名の作品もありますが、この守るというのは献身なんですよね。
相手を守れなかった時、守ってもらっていたことがわかった時の精神的衝撃。それは、なぜそこまで尽くすのか、どうやって尽くすのかということが、当事者(と鑑賞者)に刻み込まれているほどに強くなる。それは登場人物に対する鑑賞者の感情移入ともいえて、その結果、「守る」理由だったり状況に情が移っていく。

「守る」という行動が“感動”へといざなうのはそういう経緯があるはずです。

『法廷遊戯』の場合、「守る」というのは清義から美鈴への矢印でも同じことでした。「自分が守る」に至る過去を辿っていることも描かれていました。

でもその過去はあくまで傍観的に映り、妙に荒涼とした舞台にも疑問を覚えました。馨の日記などから年齢層を想像するに、美鈴と清義が児童養護施設にいたのは2000〜2010年代と予想される中、缶のドロップ含めてあまりにもレトロな描写が目立って、リスクを負ってまで守りたいという二人の強固な関係を補強するには不十分と感じます。

二人が法の道を目指して(施設のある)町を出て、進学に必要なための資金調達を企てた痴漢詐欺のところもそうです。その実行に至るまでに二人が下した決断や、詐欺を行う上での心情描写の追加が欲しいと思いました。

終盤に面会室で見せた美鈴の慟哭は確かにすごかったです。すごかったんですが、やっぱり過去の描写が少し弱くて、大人へのトラウマや清義がいなければならない部分への共感値は下げざるを得ません。

馨の心境

この“ゲーム”を仕掛けたについても同様です。

馨が見ていたこと、知っていたことは、映画の最終盤で明かされました。清義、美鈴に対して彼が仕掛けたゲームには、二人に報いを受けさせるという“報復”的な意味が含まれていました。

こうなると、学生時代の馨は清義と美鈴にどんな心境で接していたのか?という部分が気になってきます。

映画前半でのエピソードでは、無辜ゲームの審判者であること、あるいはロースクール内での権威性が垣間見えるくらい。

清義と互いの家族のことについて話すシーンが重要でしたが、あれも「このとき馨はどんな思いで清義の過去を聞いていたのだろう?」「どんな思いで父の死を明かしたのだろう?」と馨の心境にこちらが思いを馳せるには限界があります。想像の余地が広いといえば聞こえが良いものの、少し漠然としていたように感じました。

ちなみに奈倉教授が無辜ゲームを見学しにきた時、馨は「結構危ういことやってると思いますけど」みたいなことを言っていました。後で考えると、あれは清義や美鈴に対しての牽制でもあったのかなと思います。

例えば、清義が全てを知った後に在学時シーンを挿入し、馨視点からの彼の行動、視線の向け方みたいなものがあれば、馨に対しての移入の度合いだったり、彼が抱えてきたものの重さを私たちが実感するという部分は結構違ったのではないでしょうか。

一人称視点の挿入がもっと欲しかったという意味では清義も同じです。

美鈴、馨の真意を知り、自らが罪と向き合うことを選択するまでに、清義にはいくつかの逡巡があったはずです。もしかしたらそこには美鈴と同じように絶望もあったかもしれません。

しかし『法廷遊戯』では、過程ではなく結果が重視して描かれます。
本作品はどの立場で観るかで印象が変わってくるタイプの映画だと思いますが、これまで書いてきたとおり“移入”するには少し足りませんでした。

覚悟の補完

ここまで書き連ねてきましたが“物足りない”と思ってしまうのは、この作品に素晴らしい演者が出演しているからです。

永瀬さんも杉咲さんも北村さんも、人物が持つ想いの“幅”を広く柔らかく創出して届けてくれる俳優だと思っています。

清義がアパートを退去するシーンはその好例の一つでした。

すっきりとした表情で封筒を渡す姿には、大家さんに迷惑や心配をかけまいとする“立つ鳥跡を濁さず”感だったり、いばらの道を彼が選んだ決心だったりが感じられます。

それまでは瞳の中に薄い影を漂わせ、苦境や二転三転する状況に翻弄されていた清義でしたが、“ストーリーの中で動かされている側”ではなくて“ストーリーを自ら動かす側”に転じた雰囲気すらありました。

このシーンが好きなのは、清義側の思い、また彼を長いこと見てきたであろうアパートの大家さんの思い(清義の選択を知った時にどう思うかなど)を推し量ることができるからです。それを可能にしてるのは清義がアパートで過ごすシーンの積み重ねに他なりません。

小さな弁護士事務所をつくったのも、大家さんとの信頼関係があったからこそ成し得たことでしょう。これは過程(過去)の描写による感情移入の一つではないでしょうか。

 

最後に主題歌の『愛し生きること』についても少し触れさせていただきます。

とても切ない曲です。が、帰り道に歌詞を読みながら何回か聴いていると、この詞の持つ切なさや力強さが清義たちの生き様を後押ししているように思えました。

「嘘か本当か分からないものに振り回されそうになる時、誰しもが身近な人に支えられている。自分にとって大切な存在がいるからこそ、どんな現実も受け入れて進んでいくことができるというメッセージを込めたバラード曲となっている。

出典:東映 映画『法廷遊戯』主題歌情報解禁!!

上で引用した記事の「どんな現実も受け入れて進んでいく」というくだりは、私自身が聴いて感じたまさにそのものというべき表現です。

清義、美鈴、馨の「あの時どんな思いで受け入れたのだろう、どんな思いで選んだんだろう」という部分の物足りなさを映画本編で感じたのはこれまで書いてきた通りです。が、その空白を確かに補完してくれる想いが、覚悟が、物語が『愛し生きること』には込められています。

(引用できないので恐縮ですが)サビ部分のフレーズには鳥肌が立ちました。
素晴らしい主題歌でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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