映画『真夜中乙女戦争』ネタバレ感想|永瀬廉が醸し出す余白の魅力

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こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

今回は2022年公開の映画『真夜中乙女戦争』をご紹介します。

関西から都内の大学に入学し、鬱屈した日々を過ごす拗らせ系の大学生・“私”。そんな彼がサークルの先輩、そして謎の男と出会い、退屈な学生生活がスリリングな世界に変わっていくものです。

原作はFさんの小説。二宮健監督のもと、主人公の“私”は永瀬廉さんが務めました。

鑑賞のきっかけ自体が永瀬廉さんだったんですが、やはり素晴らしい役者さんですね…
  • 拗らせ系大学生の危うさ
  • 現実社会への問題提起
  • 永瀬廉の魅力とは

今回はこちらの3つの点から感想を書いていきます。

作品のネタバレとなる展開に触れていきますので、未見の方はご注意ください。



あらすじ紹介

上京して1人暮らしを始めた大学生の“私”は、友達も恋人もできず鬱屈とした日々を送っていた。そんな中、「かくれんぼ同好会」で出会った冷酷で聡明な“先輩”に惹かれていく。さらに、圧倒的カリスマ性で他人の心を一瞬で掌握してしまう謎の男“黒服”との出会いにより、退屈だった私の日常は一変。始めは他愛のないイタズラを繰り返す彼らだったが、ささやかだった反逆は次第に過激さを増し、「真夜中乙女戦争」という名の東京破壊計画へと発展していく。

出典:映画.com

主人公の“私”(永瀬廉)は、よく目にする拗らせ系ぼっちの大学生ですね。
鬱屈した日々から彼を引きずり出す存在として、サークルの“先輩”(池田エライザ)、謎の“黒服”(柄本佑)が登場します。

「東京破壊計画」なる穏やかじゃない単語も出てきています。果たしてどうなってしまうのでしょうか。

スタッフ、キャスト

監督・脚本 二宮健
原作 F
永瀬廉
先輩 池田エライザ
黒服 柄本佑
田中 篠原悠伸
松本 安藤彰則
カナ 山口まゆ
教授 渡辺真起子

 

『真夜中乙女戦争』のあらすじや評判、口コミはMIHOシネマさんの記事でも読むことができます。(ネタバレなし)
ぜひご覧ください!

この後、本記事はネタバレ部分に入ります。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



拗らせ系の大学生

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

 

高田馬場の画像

高田馬場(出典:写真AC)

まずはこの作品の主人公となった“私”(永瀬廉)のキャラクターについて見ていきます。

“私”という固有名詞を持たない設定の都合上、本記事では永瀬廉という表記に言い換えたものが多くなります。ご了承ください。

“私”は関西から上京して大学へ通うことに。この大学は明らかに早稲田大学をイメージしている(後述)わけですが、大学という大きな世界で彼はやりたいことも友達も見つけられず、つまらない春を過ごしていました。高給の家庭教師のバイトも切られてしまい、生活的にも厳しい状況のようです。

高校の同級生(佐野晶哉)は早くも友達をつくり、花の大学生活を謳歌しているというのに自分は——。

絶望と鬱屈に苛まれた彼は、のうのうとキャンパスライフを送る周囲を、周囲の世界を見下し、疑います。よくある拗らせ系の大学生ですね…。

必修科目の授業中、机の下で携帯のマップをスワイプし、時間が過ぎるのをひたすらに待望しています。退屈な授業。高い授業料。そこに意味はあるのか。

講義後に教授(渡辺真起子)のもとを訪れた永瀬廉は、
私はこのつまらない授業が必修科目だから受けていますが、この講義の授業料を計算すると1コマ3000円でそれはNetflixのベーシックプラン3ヶ月分であり、オカンのパート代3時間分であり、その対価を払うだけの価値がこの1コマにはあるでしょうか(いやない)?
と無表情で捲し立てました。

3000円という単価の尺度を測るのにNetflixが出てくるあたり、もうすっかり一般的な価格体系になったことを実感しますね。

そんな彼は抗議現場を他の学生に隠し撮りされて晒されるわけですが、この痛み、既視感があります。2020年の映画『青くて痛くて脆い』です。

青くて痛くて脆い

『青くて痛くて脆い』は、人の意見を否定しないことを信条とする内向的な男子大学生・田端(吉沢亮)が主人公。

彼も漏れなく周りを見下し、崇高な自分の理念を共有する仲間がいないことに孤独感を感じていました。そこに秋好(杉咲花)という女子大生が現れます。
『青くて痛くて脆い』の感想記事から、入学当初の一節を引用します。(感想記事のリンクはこの記事の最後に付けてあります)

秋好(杉咲花)は入学早々、大学の授業で手を上げて教授に「世界から暴力はなくせると思います」と物怖じせずに意見するような少しイタい女子大生。

のちに田端(吉沢亮)は、秋好のことを「ただの痛い奴じゃない、やばい奴だ」と評しています。

純度の高い秋好と、挑発的な『真夜中乙女戦争』の“私”の違いはあるものの、客観的な視点から見た痛さという点ではよく似ています。

『青くて痛くて脆い』では主人公の二人が自分たちの崇高な理念を追求、実現するためにサークルを立ち上げましたが、『真夜中乙女戦争』の永瀬廉も大学生活を送る場所の一つとしてサークルに入ることとなりました。クラスや部活という枠がある高校までと違い、大学生が所属する場所というのはサークルだったりバイト先になってきますよね。

早稲田の風潮

『真夜中乙女戦争』に話を戻します。

先ほども触れた通り、この映画では東京の早稲田大学がモデルとなっています。エンドロールに帝京大学や城西大学がクレジットされていたのでキャンパスの風景とかは違うと思いますが、早稲田大学という固有名詞を出すシーンもありモデルとしては明確です。

これは偏見ですが、早稲田大学というのは“面白いことをする”ことへのハードルが低く、むしろ推奨されている校風があります。

永瀬廉が渡辺真起子教授に噛みついたレジスタンスも武勇伝として学内では賞賛されます。先輩(池田エライザ)が彼のネトフリ3ヶ月分充当の演説に対してニーチェとかを引き合いに出して何やら高尚な感想を述べていたことも決して誇大表現とは思えませんし、ブロッコリーサドル置き換え事件や校内ラジコンカー事件、偽の休講掲示事件などもネタとして楽しむ風潮があると思っています。

だから永瀬廉の厨二系拗らせという類型に対しても、どこかに理解してくれる人間がいるはずなんですよね。

“私”は自分の居場所を探し、厨二全開のかくれんぼサークルに興味を惹かれて足を運びます。秘密結社とか書いてありましたね。このあたりも『青くて痛くて脆い』を想起させます。

早稲田大学はマジでサークルが無限にあります。あのサークルは純粋にかくれんぼをして遊ぶ会でしたが、もっとニッチな活動をしているサークル、同好会、研究会はたくさんあります。

このかくれんぼサークル、新歓の面接からして妖しさ満点で、入学式は行った?校歌歌える?学長の名前は?と愛校心を試すような質問を投げかけ、永瀬廉はそれを全て否定して悦に入っています。即答に私はそこらへんの量産型大学生じゃないんですという自負が見え隠れします。

けれど新歓の飲み会に行ってみると、ダークで妖艶なダイニングバーとは裏腹に、部員たちはわいわいと輪になって語りあい、テキーラを一気して盛り上がる量産型の大学生だったわけです。新歓面接の時にあれだけいかがわしかった1年生のロン毛も、エライザ先輩も、普通に談笑していました。“私”を襲った疎外感と失望は想像に難くありません。

そんな彼がかくれんぼサークルに属する意味は、エライザ先輩以外にありませんでした。当然のごとく幽霊部員化します。

ちなみに早稲田大の女子学生を描いた柚木麻子さんの「早稲女、女、男」は面白いので卒業生の方にはおすすめです。

黒服との出会い

居場所を見つけられない“私”(永瀬廉)でしたが、彼の前に謎の黒服男(柄本佑)が現れます。どうやら喫煙所に放火する悪戯をしている模様です。

柄本佑の学生役はさすがに厳しいとか、そもそも喫煙所はキャンパス内通路のど真ん中にないよねとか、色々思うことはあるんですが、富を築き人生に飽きた男が大学に入学したという風に解釈しておきます。

で、この黒服、高架下の廃墟みたいなところに桃源郷のようなアジトを持つ輩で、さまざまな電子情報を操作して意のままに動かすことができる様です。神になるみたいなこと言ってましたけど既に神。相手を掌握することもお手のものです。こっちの方がよっぽど秘密結社です。

そんな彼へ心酔するものは「常連」として増えていき、悪戯は次第にエスカレート。
そしてクリスマスの夜の東京破壊計画が持ち上がります。スカイツリーも新国立も電車も図書館も全てぶっ壊して。東京タワーだけを残し、後のものは全てまっさらに戻す。世界をゼロからスタートさせる。

スケールが大きくていいですね!
学生時代にやったこと:「東京を破壊しました」ってエントリーシートに書いたら注目を集めること間違いなしです。

暴走からの問題提起

東京タワーの画像

黒服の一味として東京破壊計画に手を染めていく一方で、破壊される側の先輩(池田エライザ)だけは守りたいというジレンマに直面した“私”(永瀬廉)

その結末は悲しくもあり、彼の人間としての尊厳を救う部分もあるものだったと思いますが、全体的に見るとこの映画は厨二的こじらせ男子学生が権力者と手を組んで破滅へといざなう物語です。真夜中のテロリスト。

映画を観ている私たち一般市民、特に東京都区民からすると、職業、趣味、生活、下手すれば命も——と全ての世界を失いかねないわけです。同情するのが難しいのは理解できます。

ただ『真夜中乙女戦争』には単なる痛い破滅映画と言い切れない部分がありました。
主人公たちが“攻撃対象”を見下すことの描写と、“破滅のなかったかもしれない”世界の描写です。

抽象的な表現になってしまったので、どういうことか見ていきましょう。

蔑む言葉は達者だけど

世界を憂う黒服(柄本佑)は、このように攻撃対象を定めます。永瀬廉の“私”も賛同します。

学校を卒業して就職して労働して、世の中のシステムに流されながら生きている人たちを「自分で何も考えていない人間」と規定して見下します。

偉そうですね。いやまあ黒服に関しては彼のやってきた功績を考えれば偉いんですが、問題は“私”(永瀬廉)以下、彼に心酔した“常連”の連中です。
ぼっち学生の永瀬廉をはじめ、労働で搾取された者や教授にセクハラを受けた者や、さまざまな傷・バックグラウンドの人々が集まったわけですけども、彼らに「自分の頭で考えて行動する」部分が全く見えないんですよね。

格差を撤廃した世界をつくりたいとか、自分と同じような弱い立場の人を救いたいとかは出てこないですし、何なら破壊欲求すら本当にあるのか謎です。傾倒する神様(=黒服)の啓示にただただ従って悦に浸ってるだけに見えます。
いやいや貴方たちも見下している攻撃対象と結局変わらないでしょうと。流されているだけでしょうと。

自分たちは蜂起するレジスタンスの様に思っているのかもしれないんですけど、そうは見えない。
こんだけ浅薄な印象には、作り手側の黒服組織に対しての皮肉があるんじゃないのかなとすら感じます。少なくとも破壊衝動を持つ人たちを肯定するような映画ではありません。

この映画には組織の構成員(柄本佑を除く)、もしくはエライザ先輩やカナ(山口まゆ)みたいな一般市民、どちらかに相当肩入れして観ない限り、両方とも正しくは映らないと思います。

エライザ先輩も圧倒的な“正”かと言われれば違って、彼女の自動的に流される部分っていうのはやっぱり良くないなと思います。ただ、それを“攻撃”する権利は誰にもないのは確かですよね。これは“常連”側が傷付けられた経緯についても同様です。

そんなわけで、“攻撃”を目論む者のお前らが言うな的な浅はかさ、虚構っぽさを描いたことにより、結局は破滅・ディストピアなんてそう簡単に起こせないよねと、“終末”ではない終わり方を期待させたように映りました。

問題提起を感じる部分

『真夜中乙女戦争』が破滅性を感じさせなかった要因として終盤に挿入されたマスク有りのシーンも挙げられます。

永瀬廉が大学の中庭にマスクをして座り、横の学生もマスクをつけています。序盤に“私”が茎わかめを落として黒服と会話したシーンの裏返しで、「あったかもしれない世界」として提示されています。

コロナがやってきてからの私たちは常にマスクをして過ごす日常を送っているので、登場人物がマスクをしている映画を見るとコロナ後の世界を描いた描写であることが想起されますよね。永瀬廉が家庭教師を切られたのも、コロナによる情勢かもしれないという予想も出てきます。

マスク有無のどちらが真で偽かということはそんな重要ではなく、この破滅まっしぐらの展開の中で“そうではなかった”世界を挿入してくれたことに救いを感じました。

単行本(未読)は2018年初版なのでコロナ後の世界の描写は多分映画オリジナルかと思います。

もう一つ印象に残ったのはお金に困窮する学生の問題です。

主人公の“私”は高給バイトの家庭教師を切られ、深夜の倉庫作業で生活費を稼ごうとしています。一晩で6000円とかみたいですね。
彼は奨学金の試験を受けるよう親に言われていましたが(結局受けず)、ここでいう学内奨学金とは返済不要の給付型奨学金です。

さらに先輩(池田エライザ)の口からも、お金がないという言葉が出ています。(エライザ先輩は普段のお店の使い方とかからもお金なさそうには見えませんでしたが…笑)
要するにあの大学が“失敗を顧みず面白いことをする”学生を容認する風土だったとしても、その“面白いこと”をする場所に辿り着くだけの金銭的余裕がないんですよね。

2014年の映画『東京難民』(佐々部清監督)でも主人公の大学生が実家の経済状況により大学に通えなくなった姿が描かれていますが、『真夜中乙女戦争』でも金銭面で苦しい状況にあることがうかがえます。

これは本当に他人事ではなくて、生活に困窮する大学生の話は近年よく聞くようになりました。サラッとではありましたけど『真夜中乙女戦争』で描かれていた“私”の状況は、決して特別なものではないことを強調しておきたいと思います。

何年か前の記事ですが、コロナ禍前で既にこれ…という衝撃もありますので是非ご覧になってみてください。



永瀬廉の魅力とは

東京タワーの画像

最後に本作『真夜中乙女戦争』の主人公・“私”を演じた永瀬廉さんについての感想です。

そもそもの鑑賞動機が永瀬廉が主演という部分だったんですが、本作品で醸し出す魅力とともに、なぜ私が彼に惹かれるのか、永瀬廉という役者のクオリティーを信頼しているのか、みたいなところについて書いていきたいと思います。

テンプレ拗らせ男子からの脱却

本作品で永瀬廉が演じる“私”。ここまで散々書いてきた通り、彼は厨二思想を拗らせてこの世界を絶望しています。
分かり合えるはずもない量産型の周囲の学生との乖離、さらにのしかかる金銭面での負担は、難関大学に合格して前途洋々であったはずの彼の未来に重くてどす黒い雲をかけていきます。

苦境に立たされた時に拗らせ型はどうするかと想像すると、周囲を徹底的に蔑んで壁を作ったり、自暴自棄になったり、憔悴して塞ぎ込んだり、あるいはそこから考え方を劇的に変えて溶け込むか、とかが挙げられます。しかし、そのどの類型にも永瀬廉の“私”は当てはまらないと思っています。
もちろん前提として圧倒的な悲観論が横たわってはいますが、彼には「どうせ自分なんか」という卑屈さがあまり見えないんですね。だから“私”を容易に突き放すことができないんです。

拗らせ型に対して抱きがちな「こいつ面倒くさっ!」っていう印象が希薄とも言えます。

本作品は——真夜中を愛する者は乙女である、真夜中を憎むものもまた乙女である——みたいな“私”のモノローグで幕を開けるわけですけど、その独白に一切の感情は介在しません。無です。

エライザ先輩に聞かれた“私”はこう答えました。最後に一番壊したいのは自分かもしれませんと付け加えて。

彼はテンプレ型拗らせ男子の何歩も先を行っています。客観と達観と諦観がごちゃ混ぜになったような1年生です。何を考えているのか以前に、喜怒哀楽の感情が存在しているのかどうかが不安になります。

“私”が持つ数割の余白

“私”(永瀬廉)は、天才・黒服(柄本佑)との出会いで喜びを知り、先輩(池田エライザ)に一目惚れしたことで恋慕を知ります。
ゼロに見えた感情に温度が宿っていきます。

ただこの世の春とも思えた黒服との楽しい時間や先輩と会話できる幸せなひとときであっても、永瀬廉は100%の満足感や恋煩いを見せることがありません。
うわべだけというわけではなくて純粋に楽しんだりドキドキしているんでしょうけど、彼の醸し出す”私”にはいつも何割かの余白が存在しています。目元や口の表情だったり、身のこなしといった動作の部分だったり、どこかでブレーキをかけている印象が付き纏います。

それが一抹の不安なのか恥じらいなのか困惑なのかはわかりません。わからないからこそ、観ているこちら側が彼の内面の余白部分に思いを馳せる作業が生まれるように感じさせました。

そんな彼が100%の充足感に満ちていたのは、(前項で触れた)マスク姿での中庭のシーンだと個人的には思います。だからこそ、あのシーンが“あったかもしれない”世界ではなくて“ある”世界であって欲しいなとも思いますね。

私が永瀬廉を信頼する理由

書いている私自身が俳優・永瀬廉に信頼を寄せる理由として大きかったのが、2019年に公開された『うちの執事が言うことには』です。

18歳にして富豪の家の当主となった烏丸花穎(からすま・かえい)という御曹司を永瀬さんが演じ、彼の面倒を見る衣更月(きさらぎ=清原翔)という執事とぶつかり合いながら成長していく物語です。

そんなに期待しないで鑑賞したら想像以上に丁寧な作りで驚いたんですが、永瀬廉さんは主人公のお坊ちゃまが持つ未熟な部分も少々わがままな部分も、そして優しくて温かい部分も、しっかりと表現しています。というか原作を知らないので永瀬廉演じる主人公から私が受けた印象になりますね。

『真夜中乙女戦争』の“私”にも共通するのは、永瀬廉という役者がキャラクターを消化する際に見え隠れする柔らかさです。自分の色をつけすぎないというか、公平なんですよね。

『真夜中乙女戦争』で言えば“私”には拗らせ型男子の枠組みだけでは捉えられないような絶望が広がっていますし、『うちの執事が言うことには』の花穎には未熟さだけではない人としての優しさがうかがえます。キャラクターの持つ多様性を匂わせてくれます。その多様性は当然、人物に深みと奥行きをもたらします。だから好きですし信頼できるんです。

King & Princeでの永瀬さんを知らない立場で言うのも恐縮ですが、これからもいろいろな役柄を彼なりの温度感で表現してほしいと願っていますし、もう少し振り切れた設定の場合に彼がどうやって色をつけていくのかも楽しみです。

『真夜中乙女戦争』は主演・永瀬廉が契機となっての鑑賞でしたが、その期待感を裏切ることのない主人公を見せてくれました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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