13年の映画『きいろいゾウ』を観ました。
原作は西加奈子の小説。廣木隆一監督、出演は宮崎あおい、向井理。
ムコとツマ
上映当時に観てみたいなと思いながらも機会に恵まれなかった一本。
宮崎あおいが演じるふんわりラブストーリーなら可愛くないはずがないだろう、と確信を持って再生した。
宮崎あおいは確かにまあまあ可愛かった。
向井理はそれ以上に素敵だった。
ただし、それ以上の何かを感じた映画ではない。単にかっこいい向井理と可愛い宮崎あおいの出ている映画。それだけ。
舞台は三重のようだが、まず言葉遣いが微妙である。
決定的に間違ってはないのだが、ネイティブの三重弁とは違う。
田舎とはいえ彼らが暮らす家の、村の中での距離感も良くなかったと思う。あんなに自給自足みたいな生活ができるものだろうか。
なお、終わってからWikipediaで調べて知ったのだが、宮崎あおいと向井理が呼び合う「ムコさん」「ツマ」というのは婿と妻という意味だけではなく彼らの名前である。
同じ宮崎あおい主演の『ツレがうつになりまして』のノリで夫婦がそう呼び合っているのかとばっかり思っていたので驚いた。
会話が表すものは?
作品としては過去の秘密を持つ男と、動物や植物と話ができる女の乖離を描いたもの。
あまりにも雰囲気がのんびりしすぎたのでツマの豹変ぶりが唐突に感じたが、その面倒なメンヘラぶりもまたツマらしいかもしれない。
何気ない秘密の暴露、あるいは知ってしまったことによって日常の関係がずれていく様は自然で良かったと思う。
カップルがうまくいかなくなるのなんて大体あんなもん。
動物や植物とお話ができるツマだったが、月の夜のソテツを最後に、彼女に話しかける声は無くなった。
僕の記憶で言えば彼女に動植物が話しかけなくなったのはムコが帰ってくる前だったと思うので、必ずしもムコの帰還が会話を消したわけではないのかなと考えたけど、どうなんだろう。
ツマの動植物との会話、それを観察して日記を書くムコ。そしてそれを見るツマ。見たことを知るムコ。
直接的な会話を失っていった二人だったが、冒頭シーンの前はどうだったのかな。
ツマが動植物と話せることがムコとの乖離の一因なのであれば。
正直映画のメッセージを理解するのが難しかった。
絵本の世界の話をちょいちょい入れられるのも苦手だし、人が死んだり病気をファクターにするのも苦手。
あおいちゃんと向井理をひたすら愛でる映画でした。