この記事は感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
こんにちは。織田です。
今回は2021年公開の『ヤクザと家族 The Family』をご紹介します。
綾野剛さんを主演に据え、3つの時代を切り取りながらヤクザたちの姿を描いていく作品。
監督は『新聞記者』などの藤井道人監督です。
「The Family」という題名が示すように、注目すべきは「家族」というテーマ。
極道というのは盃を交わす儀式を執り行って親子分、兄弟分といった契りを結ぶ、家族の側面がありますよね。組長、親分のことを「オヤジ」、兄分に対して「兄貴」と呼ぶのを聞いたことがあるかと思います。
これは確かにヤクザに属する主人公を描いた作品なんですけど、単なる極道映画ではありませんし、ヤクザを正当化する映画でもありません。
変わりゆく時代にどのように適応して、生きていくのか。それは新しい生活様式への順応が求められている2021年の現代の私たちにも言えることかもしれません。
この記事では綾野剛さんの過去の出演作品や、藤井監督の過去の作品などを紹介しながら、映画『ヤクザと家族』の感想を書いていきます。
あらすじ紹介
1999 年、父親を覚せい剤で失った山本賢治は、柴咲組組長・柴崎博の危機を救う。その日暮らしの生活を送り、自暴自棄になっていた山本に柴崎は手を差し伸べ、2人は父子の契りを結ぶ。2005 年、短気ながら一本気な性格の山本は、ヤクザの世界で男を上げ、さまざまな出会いと別れの中で、自分の「家族」「ファミリー」を守るためにある決断をする。
スタッフ、キャスト
監督・脚本 | 藤井道人 |
柴咲組 | |
山本賢治 | 綾野剛 |
柴咲組長 | 舘ひろし |
若頭・中村 | 北村有起哉 |
舎弟頭・竹田 | 菅田俊 |
舎弟・豊島 | 康すおん |
賢治の舎弟・細野 | 市原隼人 |
賢治の舎弟・大原 | 二ノ宮隆太郎 |
侠葉会 | |
会長・加藤 | 豊原功補 |
若頭・川山 | 駿河太郎 |
堅気の人たち | |
木村愛子 | 寺島しのぶ |
愛子の息子・翼 | 磯村勇斗 |
由香 | 尾野真千子 |
由香の娘・彩 | 小宮山莉渚 |
愛子さん(寺島しのぶ)は、賢治(綾野剛)たちが通う料理店「オモニ食堂」の店主。賢治たちにはママと呼ばれています。
「オモニ」というのは「お母さん」の意味ですよね。家族という文脈で、とても大切なキーパーソンでした。
映画『ヤクザと家族』のあらすじなどについてはMIHOシネマさんの記事でもネタバレなしで詳しくご紹介されています。主題歌を歌うmillennium paradeも紹介されていますので、ぜひ見てみてください。
映画のネタバレ感想
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
1999年
舞台となるのは静岡県の煙崎(たばさき)という架空の町です。
製紙工業が盛んな富士の工場や沼津の仲見世通りなどが登場し、工場の煙突からは勢いよく煙が空に吐き出されていました。
そんな海沿いの町で、舎弟分の二人を従えながら粋がっていたのが当時二十歳前後(推定)の山本賢治(綾野剛)。『新宿スワン』のタツヒコを彷彿とさせるホワイトブリーチの金髪をなびかせ、白いノースフェイスのダウンを来て原チャで町を流します。
覚せい剤に溺れてしまった父親を亡くして肉親を失い、自暴自棄になっていた賢治は、売人をぶん殴ってシャブと現金をぶん取り、その後訪れた「オモニ食堂」でチンピラを撃退。
地元で幅を利かす「柴咲組」組長(舘ひろし)の危機を救い、その後に賢治自身の大ピンチを救ってもらったことから、舎弟二人(細野=市原隼人、大原=二ノ宮隆太郎)とともにヤクザの道に足を踏み入れることになります。
柴咲組の一員として「家族」になります。
2005年-2019年
2005年に時が移ると、賢治は柴咲組の中でも地位を固めつつあり、兄貴分の若頭・中村(北村有起哉)からも信頼を得るようになります。
その一方で、敵対する侠葉会の挑発に乗って抗争を激化させてしまい、その過程で大原(二ノ宮隆太郎)が凶弾に倒れることに。
柴咲組の総意である“待て”を振り切って川山(駿河太郎)という血気盛んな侠葉会の組員に復讐したことで、賢治は刑務所にぶち込まれてしまいます。
14年の刑期を終えてシャバに戻ってきた賢治でしたが、その眼に映る町の様子や柴咲組の存在感は、14年前とは程遠いものになっていました。
ヤクザという生業は淘汰され、市民権を剥奪されていました。
細野(市原隼人)をはじめとして多くの組員が抜け、兄貴分たちのシノギ(資金獲得)は密猟やシャブの売人としてのもの。仁義とかかっこいい男とか、賢治が組に入る頃にうたわれていたポリシーはありませんでした。
藤井監督と時代考察
藤井道人さんという監督は、時代に説得力を持たせる描写がとても巧みな監督だと思っています。
『青の帰り道』(2018)を例に挙げると、あの作品では北京五輪のあった2008年から「倍返し」「じぇじぇじぇ」が流行った2013年までを1年刻みで描きました。
その世相を表す歴史的な出来事や流行語を散りばめ、またテレビや携帯電話といった生活用品も時代に即しながらアップデートしたことで、成長するキャラクターと一緒に私たちも時代を歩み、刻んでいるという感覚を与えてくれました。
『宇宙でいちばんあかるい屋根』(2020)も2005年を描いた作品ですが、テレビデオやガラケー、プリクラ、キックボードといった当時の生活を表現するツールを自然に落とし込んでいます。
加えて、本作『ヤクザと家族』でもそうなんですけど、複数の異なる時代を進んでいく作品であっても、藤井監督は回想シーンを使わず順行のみでストーリーを動かしていくんですよね。(違ったらすみません)
これは本当に凄いと思います。回想で戻って確認作業をしなくても、辿ってきた時間の意味を理解し、回収しながら“今”のシーンにのめり込めるんです。
『ヤクザと家族』の時代変遷
『ヤクザと家族』に話を戻すと、この映画は自分たちが変わっていくという成長譚ではなく、時代が変わってしまったという環境の変化を痛烈にあぶり出す作品です。
2004年の広島市、広島県を皮切りに暴力団排除条例が次々と制定され、2011年の東京都、沖縄県をもって全都道府県で施行。1999年、2005年、2019年という3つの時間軸の中で、ヤクザを取り巻く環境はガラッと変わってしまいました。
弱体化した柴咲組を表すかのように、生前の大原(二ノ宮隆太郎)が運転していた黒塗りの高級車からは一転、ムショ帰りの賢治(綾野剛)を迎えにきた中村(北村有起哉)の乗っていた車は普通のコンパクトカー。あてがわれた部屋も以前の豪華な部屋とは雲泥の差でした。
オヤジ(舘ひろし)も病を患ってすっかり衰弱し、かつての良く通る綺麗な声が嘘のように、か細い声を絞り出しているわけです。
ヤクザにビビる人も、ヤクザを必要とする人もいない世界。業界としての没落ですよね。
一般市民はもはや「誰に口きいとんじゃ!」ではビビらなくなっていて、ヤクザのボスの家でも若者たちはカメラを回し、体育会系のノリはもう通用しないよと笑い飛ばしています。
喫煙一つとっても時代は変わっていて、暴力団撲滅を意気込む刑事・大迫(岩松了)はIQOSに移行していました。一方で賢治や中村は紙巻きのままです。
スケールの違う話にはなりますけど、時代の変化によってその存在が嫌悪されるようになった点では「喫煙者」もまた似ているかもしれませんね…。
存在自体が大切な誰かを傷つける
携帯電話で言えば、1999年にはストレート携帯、2005年には折りたたみ携帯が登場し、賢治がおつとめから戻ってきた2019年には、スマホを使うように中村から渡されます。
携帯の契約くらい自分でやるよと言った賢治に突きつけられたのは、ヤクザであるだけで携帯の契約一つすらままならないという事実。
ヤクザから足を洗ったとしても待っているのは地獄であり、産廃業者に就職した細野(市原隼人)は「ヤクザを辞めて人間として扱ってもらうのには5年かかる」と衝撃の5年ルールを打ち明けました。
もはやそこにいるだけで、関わる誰かを不幸せにしかねないんですよ。
妻子を持ち、やっと堅気として平穏な生活を送れると思っていた細野の、賢治に対する不安だったり、同じように娘(小宮山莉渚)と二人で生活している由香(尾野真千子)の不安はよく理解できます。
なんで接触してきたの、という怒りも。
そこへ至るだけのリスクマネジメントを賢治が持てていなかったのは、仕方なくもあるけれど、やっぱり罪深いことだったと思います。
由香の留守電に入れたメッセージも自分本位に聞こえました。
凄かった綾野剛、そして…
ダミ声でドスを利かせる悪い綾野剛といえば、思い出すのが『日本で一番悪い奴ら』(2016)。
チャカ(拳銃)とシャブ(覚せい剤)を取り締まる腕利き刑事が、検挙実績を上げるために悪さに手を染めていく、ミイラ取りがミイラになる作品でした。
一筋縄ではいかない悪い奴らとやり合う中でどんどん乱暴な言葉遣いになっていく綾野剛はもう本当に圧倒的だったんですが、本作『ヤクザと家族』でも早口で攻撃的な言葉を並べ立てる(特に2005年の)賢治は最高でした。上映後に舞台挨拶の中継も観たんですが、そこで話していた綾野さんの柔らかい姿からは想像できないほど、ヤクザの男に憑依してるんです。
ヤクザと堅気という立ち位置に翻弄される2019年の賢治を含めて、個人的には綾野剛という俳優の威力が大きく寄与したと思える映画でした。
だけど最後に。その圧倒的な綾野ケン兄を凌ぐ衝撃が登場しました。
磯村勇斗の演じた翼です。
全てを察した彼は
1999年、悪ガキどもが「オモニ食堂」で祝杯を上げる中、幼児だった翼はお母さん(寺島しのぶ)におぶわれて、喧騒の中にいました。
2005年には、組の元気良い若い衆としてのし上がる賢治たちを食堂の机から見て、また大原の葬式では細野を何か言いたげな目で見つめました。
そして2019年。背中にツバサのタトゥーをまとった彼は物語と時代の中心にたどり着きます。元柴咲組員だった父を殺した相手にもたどり着きます。
一方で、帰ってきた賢治に対して翼が本当はどう思っているのか、イマイチはかりかねていました。
口では大原の仇をとったケン兄はかっこよかったと言っていました。でも今の賢治には居場所も求心力も、時代に適応するだけの余裕もない。
翼の中で形作られたかっこいいケン兄には、自分の知らない人生があるのではないか。
そう思ってもおかしくないはずなんですよ。“継承”するにはあまりにも足りなかったと思うんです。
次の未来世代に残す存在だったのが翼でした。磯村君が醸し出している匂いが素晴らしい。彼の主観に、世界の客観が足されていけば、彼はもっともっと羽ばたく。
主観と客観の柔軟性を獲得できる役者だと思います。#ヤクザと家族#1月29日公開#家族#絆 pic.twitter.com/CO2tJ8fvFh— 映画『ヤクザと家族 The Family』【公式】 (@yakuzatokazokuF) January 22, 2021
けれど、ラストシーンで。翼の前に、少女が現れます。翼の知らない山本賢治を知る少女・彩が現れます。
“お父さん”はどんな人だったんですか?
そう聞かれて、察したと思うんです。
多分柴咲のオヤジも、愛子さん(お母さん)も、細野も知らなかった、あの人が社宅の部屋で過ごした歴史を、理解したんだと思います。ゆっくりとゆっくりと噛み締めて。
翼が彩の言葉の意味を呑み込むまでの時間、そして目を潤ませながら笑いかけて言った「ちょっと話そうか」。
…………。
いやぁ………………………。
限界でしたね。
ここに至るまで凄えなと思うところも物足りない部分もありましたし、細野が賢治を刺したシーンなんてかなり驚きました。
でもね、翼くんのラストシーンが全部持っていきました。
終わり方が好きだなと思う映画はいくつも観てきましたが、『ヤクザと家族』のラストはちょっと未経験のレベルでした。
ムショから帰ってきた賢治は、望まれない存在だった。そして彼はいなくなった。
映画が終わった先の未来で、ケン兄がこの世界にいたことを、父として存在していたことを、彩と翼は語り合うんです。たくさん語り合うんです。
上映終了後に舞台挨拶中継があってよかったです。赤く腫れた目のほとぼりを冷ます時間があって良かった。
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鑑賞済みの方はこちらの感想記事読んでもらえたら嬉しいです!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。