こんにちは。織田です。
今回は2021年公開の『映画大好きポンポさん』をご紹介します。
原作は杉谷庄吾【人間プラモ】さんによる、pixiv上で大ヒットを記録したコミック。平尾隆之監督により、アニメーション映画化となりました。
公開直後から非常に評判が良い作品で、実際に面白いと感じた映画でした。
この記事では下記の2つのポイントから感想を書いていきたいと思います。
- 映画の見方が変わる
- 編集と削ぎ落とし
原作漫画未読で、映画で初めて『ポンポさん』に触れた立場での感想になります。ご了承ください。
あらすじ紹介
映画プロデューサーのポンポさんのもとで製作アシスタントをしている青年ジーンは、観た映画を全て記憶している映画通だが、映画を撮ることは自分には無理だと思っていた。しかし、15秒のCMをつくったことから、彼は映画づくりの楽しさに目覚める。そして、彼はポンポさんに大ヒット間違いなしの映画の監督に指名される。
スタッフ、キャスト
監督・脚本 | 平尾隆之 |
原作 | 杉谷庄吾【人間プラモ】 |
ジーン | 清水尋也 |
ポンポさん | 小原好美 |
ナタリー | 大谷凛香 |
ミスティア | 加隈亜衣 |
マーティン | 大塚明夫 |
アラン | 木島隆一 |
主人公の映画オタクな青年・ジーンを演じるのは清水尋也さん。
ヒロイン役の新人女優・ナタリーを演じた大谷凛香さんとは、映画『ミスミソウ』でも共演しています。
また、映画のタイトルにもなっている敏腕プロデューサー・ポンポさん(cv/小原好美さん)ですが、一人称が「ポンポさん」。笑
「ポンポさんが、来ったぞォ!」
きっと映画の見方が変わる
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
『映画大好きポンポさん』は、映画プロデューサーのポンポさん、その下でアシスタントをやっているジーンくん、ジーンの監督する映画に出演する俳優たちを中心にした、映画をつくる側の人たちを描いた作品です。
ちなみに舞台は「ニャリウッド」という、本家を限りなく意識させた映画の総本山。
映画がどのようにつくられていくのか。映画とはどういうものであるべきなのか。
膨大な情報量が圧倒的な熱意に裏打ちされて、テンポよくスクリーンを彩っていきました。
観終わってまず思ったのが、僕自身これから「映画」に対する見方が間違いなく変わるだろうなということです。
90分以上の集中をお客さんに求めるのは現代の娯楽としてダメ、というポンポさんの持論や、画に対する感覚を磨いておかなきゃいけない、という言葉、極論、映画っていかに女優を綺麗に見せるかということ、などといった映画論もありました。
映画が完成して私たちの元に届くまで、どんな工程を経ているのか。どれだけの犠牲を払っているのか。
そんなことをまざまざと見せてくれた映画でした。
スタッフの人生を背負う15秒
アシスタントのジーンくん(清水尋也)はある日、ポンポさんが手がけるB級大作の15秒ティザーCM制作を任せられます。予告編の編集作業と言い換えていいと思います。
お客さんの興味を煽りつつ、ミスリードも含ませ、なおかつ映画の根幹を紹介する必要があります。
で、この15秒CM。
映画内の膨大な海原の中から、自分でコンセプト、意図を考えながら必要なカットをすくい取り、つなぎ合わせて行きます。
そしてその予告編CMは、公開前にお客さんの目に触れる最初の商品となるわけです。
これを見て映画を観ようと思ってくれるか、観なくていいやと思われるか。とっても大事な役割なんですよね。
ジーンくんを採用したのは「抜擢」と言ってもいいんですが、ポンポさんはジーンくんに、この映画に携わる人々の生活をキミが左右するといったことを話します。
これが自分にはとても染みたんです。
前に紙媒体メディアの編集で働いていた時、上司から同じことをよく言われていました。
例えば表紙を担当するとき、自分の責務、仕事内容は表紙の限られたスペースなわけですが、ページをめくった内側にはたくさんの取材記者、カメラマン、デザイナー、校閲記者、広告を取ってくる人、印刷所の人、様々な人の作業と時間が詰まっています。
それを生かすも殺すも、社員全員を食わしていけるかどうかも、お前次第だからね。と言われていました。
『ポンポさん』に話を戻します。
編集の楽しさも、編集に襲いかかる計り知れないプレッシャーもあったと思います。けれどジーンくんは重圧をしっかり消化した上で、監督とポンポさんを納得させる「15秒」を作り出します。
結果的にこれがジーンくんのステップアップにもつながっていきました。
この『ポンポさん』の予告は30秒バージョンですが、正直言って映画を観た後だと全く印象が変わりました。
編集と削ぎ落とし
15秒CM同様、『映画大好きポンポさん』では映画本編の編集部分にスポットが当たります。
そしてその多くは「削ぎ落とす」工程です。
個人的に、創造というのは何かを切り捨て、削ぎ落としていく作業だと思っています。
『ポンポさん』同様、映像ではなく文字媒体の編集者でも「削る」という作業が日常的に行われます。
記者の場合、書いた記事がスペースの都合で不掲載になる「ボツ」というのがあります。
極端な例ですが、例えば下のように1ページ内に画像と文章を収めようとして、テキストが入りきらない場合、画像をトリミングして文章の入るスペースを捻出するか、文章を削って入れ込むか、という選択が求められます。
このページ全体が、文字媒体に与えられたスペースだとすれば、『ポンポさん』内の映画「MEISTER」にとってのスペースは全体の「尺」ということになります。
膨大な撮影データの中から、ジーンくんはひたすら引き算を積み重ねて、作品を構成していきました。
熱のこもった現場の想いと、編集室の客観性の狭間で揺れながら。
ナタリー(大谷凛香)のファーストカットも、マーティンさん(大塚明夫)とのファーストシーンも、新人女優の記念すべき場面を、ジーンくんは削ぎ落としていきます。
「削ぎ落とす」って聞くと「無駄なものを」という枕詞が付きがちですが、ナタリーのカットされたシーンはもちろん無駄なんかでは無いです。
そのシーンはナタリーだけのものではありません。共演者、スタッフ、様々な人が時間とプライドと熱意を共有させて作り上げた結晶です。創造物です。
それを十分わかった上で、ジーンくんは「映画」を完成させるため「なくても伝わる」部分を徹底的に切り捨てていきます。
「切り捨てる」というか、切る「選択をする」という方がしっくりくるでしょうか。そもそも生きることは選択の連続です。
だから『映画大好きポンポさん』を観た後に思い知らされたんですよね。
今まで観てきた映画の後ろには、選ばれなかった共同作業の結晶があるんだと。
「選ばない」ことを「選んだ」ことに対する断腸の思いと覚悟があるんだと、改めて実感しました。
シビアな成果主義
もう一つ『ポンポさん』を観て思ったのが、とてもシビアに「結果」を求めている点です。
銀行員アランのプレゼンは特に印象的でした。
リサーチ不足で大型商談に失敗したアランは、何かを成す時には綿密な準備とデータの裏付けが必要だよねっていうシビアな現実を知ります。
その「何かを成す」は友達が監督として頑張っている「MEISTER」への資金融資であり、アランも「MEISTER」を創造する一人になるということです。
彼のプレゼン手法がコンプラ的に大丈夫なのか(普通に考えて社員のクビひとつでは済まないのでは)というのはさておき、感情論だけでは動かない銀行の幹部連中は社会の縮図だと思うんですよね。
納得させてみなさい、じゃないと動かせませんよ、っていう。
ゴーサインを出した頭取は、アランとジーンの心をぶつけ合ったやり取りが響いたと言っていましたけど、あれもエモーショナルな部分だけじゃなくて、全世界配信を通じてクラウドファンディングの数字が跳ね上がったっていう“成果”が可視化されているからです。
多分生配信をやらなければ、クラファンの数字を出せなければ、いくらジーンとの友情を語ろうとも頭取は動かなかったのではないでしょうか。
熱意だけでは人は動かせないよという社会の現実みたいなものを見せられた気がしました。
『ポンポさん』は全体的に、ジーンのストーリーや映画づくりがとんとん拍子で進行しているように感じましたが、それも裏を返せばプランニングをしっかりしていた(当然描かれてはいない)ということではないでしょうか。基本ポンポさんもジーンくんも失敗しないですよね。
最後に
『ポンポさん』は映画への造詣が深い人ほど、作り手の意図に気づける映画だと思います。
僕みたいな素人の感想ではなく、丁寧な考察を行なっているエントリーがブログやnote、YouTubeなどにありますので是非ご覧になってみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました、