こんにちは。織田です。
今回は2016年に公開された『淵に立つ』の感想を書いていきます。
監督・脚本ともに深田晃司さん。
イヤミスというジャンルがありますけども、この『淵に立つ』は鑑賞後に嫌な気持ちがねっとりと背中にまとわりつくような映画でした。ある意味ホラーですわ、これは。
あらすじ紹介
下町で小さな金属加工工場を営みながら平穏な暮らしを送っていた夫婦とその娘の前に、夫の昔の知人である前科者の男が現われる。奇妙な共同生活を送りはじめる彼らだったが、やがて男は残酷な爪痕を残して姿を消す。8年後、夫婦は皮肉な巡り合わせから男の消息をつかむ。しかし、そのことによって夫婦が互いに心の奥底に抱えてきた秘密があぶり出されていく。
スタッフ、キャスト
監督・脚本 | 深田晃司 |
八坂 | 浅野忠信 |
鈴岡章江 | 筒井真理子 |
鈴岡利雄 | 古舘寛治 |
山上孝司 | 太賀 |
鈴岡蛍(8年後) | 真広佳奈 |
古舘寛治、太賀は深田監督の『ほとりの朔子』(2013年)でも共演していましたね。
浅野忠信がこわい
いきなりすごく個人的な印象なんですけども、僕、浅野忠信さんという演じ手が怖いんです。浅野さんが演じてきたキャラクターに起因するのかもしれませんが、怖いんですよ。
彼の笑顔も真顔も、表情は全て仮面の外っつらに張り付いてるような気がして怖いんです。表面化している物事とは別で、心の奥底で何考えているのか全然わからないようで、怖い。
そんな浅野さんはこの『淵に立つ』で、小さな町工場を営む一家(古舘寛治と筒井真理子、幼い娘役に篠川桃音)の前に旦那の旧友として現れます。
ピンと伸びた背筋、丁寧な言葉遣い、真っ白なシャツにスラックスという出で立ちで。どことなく距離感を漂わせながら。
この時点で自分にとっては既に不穏でした。
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— 映画「淵に立つ」公式 (@fuchinitatsu) October 8, 2016
浅野忠信さん演じる八坂という男はどうやら刑務所から出所してきたご身分のようで、古舘寛治一家のところに身元を寄せたいらしいのですよ。
鈴岡旦那(古舘)の一存で詳しい身分も明かすことなく、住み込みの居候という感じになった八坂は風呂から上がってもなかなか服を着ようとせず、朝ごはんは爆速で掻き込み、あてがわれた部屋では正座して遺族に謝罪の手紙を書くなど、元受刑者としての癖が抜けきらない様子で過ごしています。
いつも同じ白いシャツと黒のスラックスで。職場では真っ白なツナギを着て。気持ち悪い。
限りなく邪悪な純白
この鈴岡一家、実は結構破綻していて、八坂が来る前のシーンの食卓では母娘:父の2対1の構図が出来上がっています。感謝と祈りの言葉を唱えてから食事に臨む母と娘。そんな二人を無視してさっさと食べ始めている旦那。
夫に敬語で話す筒井真理子。顔も見ずに生返事で返す古舘寛治。母グモを食べる子グモの話を無邪気にする娘。
明らかにヒビの入っている一家でしたが、闖入者・八坂に娘の蛍が懐いたことによって、母と娘には少しずつ笑顔が生まれていきました。
筒井真理子は八坂が刑務所に入っていた過去を知ることにもなりましたが、それさえも「今はこんなにいい人」を補強するための前ふりであったかのように。
しかしやっぱりこの八坂という男、やっぱり単純ないい人ではなかったようで、奥さん(筒井)が気を許したのをいいことにちょっかいを出し、挙げ句の果てには娘・蛍をとんでもない目に遭わせます。白いツナギを脱ぎ、赤いシャツを身にまとい。
赤と白というと、赤は血に代表されるように攻撃性、危険性、争いを想起させる色です。(もちろん情熱やリーダーシップなど良い意味もあります)
一方で白はというと、清純、神聖、刷新といった印象があります。この『淵に立つ』では、鈴岡家の母娘がプロテスタントに入信していることからも宗教的な要素を孕んでいて、敬虔な章江(筒井真理子)に呼応するように八坂も言葉を紡いでいきます。
信仰っていうのは猿型と猫型に分かれるらしいですね。章江さんは多分猫型です
過ちは4つあります。
約束を守るということは命よりも法律よりも大事だという歪んだ価値観を持ってしまったこと
当然他人もそのように生きていると思い込んだこと
自分は間違えないという正しさを頑なに信じてしまったこと
そういう価値観を根拠に人を殺めてしまったこと自分自身で作った正しさという枠から逃げることができなかったんです。
八坂はやっぱりどこまで言っても白い出で立ちで、章江に説いていきます。神聖さとか清廉さなんでしょうけど、本当に気味が悪かったですね。白とか黒とか赤とか、そんなもの関係ないんじゃないかというくらいに。
例えるなら『クリーピー 偽りの隣人』の香川照之はいつも黒い服で気味の悪いキャラクターを演じていたわけですけども、仮にあの香川照之がパリッとした白い服を着ていてもやはりヤバそうな気配が漂っていたと思うんです。
それと同じ。邪悪な純白。
これほどにも不穏な気配の漂う「白」はなかなかないですよ。
そしてついに八坂は事を起こし、蛍の身体と鈴岡一家に凶悪な爪痕を残して姿を消しました。
赦しと贖罪
八坂が消えた後は山上(太賀)に付きまとう逃れられない運命や、愛する蛍に障がいが残ってしまった事で章江(筒井)や利雄(古舘)が憔悴してしまった様子が描かれています。
そうやって憔悴している中でも、残酷なことに加害者・八坂の影は章江に時々ちらついてくるわけです。あの微笑みとともに。
マジで不穏です。映画からその姿を消してもなお、存在をほのめかせる八坂という浅野忠信、マジで不穏すぎます。白いシーツがトラウマになりそうです。
そんな不穏すぎる八坂とともに、圧倒的嫌悪感を感じたのが古舘寛治の利雄なんですよね。
このおっさん、結局八坂に昔の負い目があったから、今受けている自分たちの不幸な運命はその償いであっても仕方がないことだとかのたまうんですよ。いや、これはきつい。
赦し/許しというのは誰かに施してもらわないと成り立たないわけで、利雄にとって「ゆるしてもらう」対象は八坂です。
ただ、その周りにも復讐の刃先を向けさせたこの男は、八坂から許してもらったとしても、到底許されない男に見えたんです。
罰を受けてホッとした?
利雄(古舘寛治)は八坂(浅野忠信)の殺人に加担した過去を明かし、復讐という形で娘・蛍は八坂の手にかけられたのだと章江(筒井真理子)に説明しました。
彼の説明は自分たちが罰を受けて然るべきであるという論理に基づいており、蛍がこうなったのも仕方ないという論調です。
はっきり言って自分本意です。いつだって視点は俺。
蛍は俺とお前への罰だと思うんだ
ほたるがあんなことになって正直ホッとした
8年前ようやく俺たちは夫婦になった
この人何言ってんでしょうかね?
そもそものきっかけが、八坂(浅野忠信)の共犯者だった彼なわけですからね。利雄(古舘寛治)だけが背負うべき贖罪だったらよかったんですよ。
でも彼は家族をつくり、巻き込んだ。
普通ね、家族のことを考えたら自分の弱みを握ってる旧知の男を家に居候なんてさせませんよ。下手すりゃ家族ごと乗っ取られますよ。尼崎事件みたいに。
しかも利雄は八坂が犯罪者であることを知っているんだし、その元犯罪者は自分の過去を許していないわけですよ。あの事件まで俺たちは家族じゃなかったとか勝手なこと言ってましたけどね、それは自分が妻子を見ないふりして避けてただけじゃんと。情けない。
古い友達をいきなり雇って、何ですか?ってなるでしょう、普通。
明らかに奥さんは「えっ、聞いてないけど何これ」って感じで困惑してんのに自分は知らんぷりして、いま無理です話しかけんなみたいなかんじで作業してるんですよ。やべぇだろこのおっさん。
俺たちは家族じゃなかった?家族だったから蛍はああいう風になってしまったし、章江も絶望の淵に落とされたんですよ?想像が明らかに足りてない。
章江も章江で断固として拒否れよっていう話で、どこの誰かもわからないような男が自分たちの生活に介入して来たらもっと拒めよという話。
ただし映画の序盤では利雄に敬語を使ってよそよそしい態度を取っていることからも、利雄側の件に関しては我関せずだったんでしょうね。ああ情けない。
奥さんを共犯扱いですか
大きなハンディキャップが残った蛍をかわいそうだと見る目、もっと言えば絶望視する観点がないかと問われてるような気がしますけど、僕はかわいそうだと思うし絶望視しますよ。
だって彼女がいることで明らかに章江(筒井真理子)は憔悴し、希望を失っている。ウェットティッシュが手放せなくなり、自分専用の石鹸で念入りに手を洗い、蛍の声に、動きひとつに生活を翻弄される。
そんでもって、そもそも彼女をそんな風にしてしまったのは利雄(古舘寛治)です。章江が八坂とデキてたとか、そんなのどうだっていいんですよ。古舘寛治が八坂との関係を清算してれば起きなかったんですよ。
それをなんですか?同じ贖いをシェアしたことでホッとした?
いい加減にしてほしい。
このおっさんはきっといつまでもそう言うと思いますよ。
自分が赦される、赦されないの次元でしか想像が働かないんですよ。
蛍がああいう状態になってさ、自分が試練を受けている気にでもなってるんでしょう、自分のことしか見えてないんですよ。マジで気持ち悪い。
で、挙げ句の果てには奥様をお前も贖うべき傷があったと、不倫に俺は気づいていたぞと共犯扱いですか。章江と(蛍と)八坂が懇意にしていたのも、それまで1対2で家庭内孤立していた自分の招いたことでしょう?
贖罪の主語を「俺たち」って使うところが最高にキモくて嫌です。心底嫌です。
とまあ、散々悪口を並べてきましたが、それくらい感情をぐらっぐらに揺り動かされる作品でした。
不穏さが最初から最後までまとわりつき、後半はそれにプラスして激しい嫌悪感に苛まれる映画でした。
自分にとっては、ある意味イヤサス。大傑作でした。
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