こんにちは。織田です。
今回は2017年に公開された映画『沖縄を変えた男』をご紹介します。
沖縄水産高校を2年連続甲子園準優勝に導いた、栽弘義監督の実話をベースにした高校野球の映画です。
主人公の栽監督役を、ガレッジセールのゴリさんが務めました。
この『沖縄を変えた男』、高校野球映画としては屈指の邦画だと思います。高校野球ファンの方にはガチで観てほしい。
その素晴らしさをこの記事では紹介していきます。
あらすじ紹介
琉球水産高校に赴任し、野球部の監督を務めることになった栽弘義。グラウンドも荒れ、廃部寸前だった野球部を甲子園優勝へ導くため、栽は部員たちに過酷なトレーニングと苛烈な指導で容赦ない試練を与えていく。試練を耐え抜いた部員たちは、栽が掲げる甲子園優勝も夢ではないと思いはじめる。
スタッフ、キャスト
監督・脚本 | 岸本司 |
原作 | 松永多佳倫 |
栽弘義監督 | ゴリ |
大田(投手) | 田中永一 |
知念(捕手) | 比嘉憲吾 |
具志堅(控え投手) | 島袋忍 |
又吉(ショート) | 新本奨 |
糸数(センター) | ニッキー |
石川(控え) | 金城大河 |
久志(代走) | シウマ |
城間(首里学園) | 宮國稔基 |
伊禮先生 | 川満彩杏 |
ライバル校「首里学園」の監督役として川田広樹さんが出演しています。
知っておくと便利な事前知識
映画の感想に移る前に、映画を観る上で知っておくとより作品を楽しめる情報を紹介します。
沖縄水産高校について
オフショットもチラリ♫
#沖縄を変えた男 pic.twitter.com/R7ehCmjbmw— 映画『沖縄を変えた男』 (@okikaeman) October 20, 2016
映画の主役を担うのは、沖縄の「琉球水産高校」。
高校野球に詳しい方はピンとくるかもしれませんが、これは「沖縄水産」という高校野球の強豪をモチーフにしたものです。
松坂世代と言われた1998年の甲子園大会では、新垣渚投手(ソフトバンクなどで活躍)が当時の甲子園最速記録を塗り替えました。2020年時点で、春3回、夏に9回の甲子園出場を果たしています。
1990年、91年の夏は連続で甲子園準優勝。1991年の大会でエースピッチャーとして奮闘した大野倫投手のエピソードをご存知の方は、きっとこの映画の持つメッセージがよくわかると思います。
詳しくはネタバレの感想部分で触れます。
栽弘義監督
沖縄水産を春夏合計12回の出場に導いた監督が、この映画の主人公である栽弘義監督。2007年に65歳で亡くなりました。
栽監督は1980年に沖縄水産に赴任する前も、豊見城高校を率いて6回の甲子園出場を果たしています。
池田高校(徳島)の蔦監督や、PL学園(大阪)の中村監督、智弁和歌山の高嶋監督、横浜高校(神奈川)の渡辺監督といった方々と同じく名将として、特に80年代〜90年代を観てきた高校野球ファンの方には馴染み深いかもしれません。
僕が栽監督をリアルタイムで観たのは新垣投手が在籍した1998年度の甲子園なんですけど、ニコニコしてインタビューに答える姿は優しそうなおじいちゃんでありました。(当時57歳)
しかし、その柔和な表情からは予想もできない姿が、この映画では明かされていきます。
沖縄と高校野球
1999年に春のセンバツで沖縄尚学が初優勝、2010年には興南高校が春夏連覇を達成した沖縄県勢。
ただ全国大会である甲子園に初めて出場したのは戦後の1958年(第40回大会)と遅かったこともあるでしょう。沖縄県民の中には全国で勝てないコンプレックスや諦めみたいなものがあり、それが映画『沖縄を変えた男』でも度々クローズアップされます。
数字だけを見ると、県勢史上5校目の出場校となった興南高校が1968年大会でベスト4に進出していますし、沖縄水産に来る前の栽監督に率いられた豊見城高校は3年連続で甲子園2勝を挙げています。
ただし、2020年現在でも優勝経験がない東北地方の高校が「白河の関越え」とか言われるように、優勝経験のない地域へ向けられる評価は低いものが多いんですね。私立に全国から人が集まる現代と違って、「地域」だけで強い弱いが語られる時代でありました。
下の画像は沖縄水産が初めて準優勝に輝く前年・1989年までの甲子園優勝・準優勝回数を簡単にまとめたものです。
まだ映画をご覧になっていない方は、そんな歴史を踏まえた上で鑑賞していただくと、よりリアルに楽しめると思います!
映画のネタバレ感想
それでは『沖縄を変えた男』の感想に移ります。
最初に触れたいのが、沖縄が舞台の映画としての完成度の高さです。
沖縄映画の理想型
この映画は主演のゴリさんをはじめ、沖縄県出身者でキャストが固められています。
沖縄を舞台にした映画はたくさんありますけど、ここまで完成度が高い映画はなかなか無いんじゃないでしょうか。沖縄に限らず、独特の方言を持つ地域を描いた作品っていうのはこうあるべきではと思います。
エンドロールを見る限りロケも沖縄で行われたようで、沖縄県の企業が協賛しており、スタジアムには糸満市の西崎球場、南城市の新開球場が使われていました。
栽監督(ゴリ)がよく着ているかりゆしウェアも、彼が浜辺で飲むオリオンビールも、沖縄の日常的な風景です。
かといってシーサーや青い海、繁華街といった“いかにもな沖縄”を映し出すこともしません。基本的には琉球水産高校での練習シーンと球場(試合)で完結しています。
こういうのでいいんですよ。こういうのがいいんですよ。
野球のレベルも高い
肝心の野球のレベルも抜かりありません。
ピッチャーの投げる球も、ゲッツーの取り方も、素振りのスイングも全く違和感がありません。普段から野球をよく観ている方でもきっと楽しめるはずです。
琉球水産のモデル・沖縄水産野球部のOBであり、故・栽監督の実際の教え子でもあるシウマさんが作品の野球アドバイザーを務め、ご自身は代走要員として圧巻の走塁テクニックを披露しています。またライバル校・首里学園の4番として登場した城間を演じた宮國稔基さんも、野球経験者ということです。(参照:宮古毎日新聞)
その城間くん、栽監督(ゴリ)も認めるプロ注の素材で、琉球水産の前に立ちはだかります。まさにラスボス。
甲子園を懸けた決勝戦、琉球水産1点リードで迎えた9回も城間くんが登場し、琉球水産のエース・大田くん(田中永一)は(敬遠をせず)勝負にいった上で三振にとるわけですが、彼が最後のバッターではないんですよね。
普通こういうパターンってラスボスが最後のバッターであることが多いと思うんですよ。でもそれをせず、彼を三振に斬ってツーアウト。一息ついた後、大田くんは5番打者に“あわや”の大飛球を打たれるんです。
そんないつも都合よく「あと一人」でラスボスを迎えるわけじゃありません。ここは凄く印象的でした。
さらに言えば、琉球水産の得点もランナー二塁三塁からの2ランスクイズでした。一塁送球の間に二塁ランナーの久志くん(シウマ)が一気にホームを陥れるんですよ。
三塁コーチャーが全身を回して本塁突入を促し、迫力満点の本塁クロスプレー。いやぁレベルが高い。実践的です。
スパルタ栽監督
さて、ゴリが演じた主人公の栽監督はどうでしょうか。
お前たちはフリムン(バカ)だ。無知で低能な田舎もんだ。俺の言うことだけを聞け。
お前たちに考えはない。考えを決めるのは俺だ。お前たちはただ従っていればいいんだ。
名監督という触れ込みで琉球水産にやって来た栽は、パワハラ・体罰上等の言動、行動で独裁体制を築き上げます。
自身が半年かけて沖縄県中からスカウトしてきた有望な新1年生しか戦力としては考えておらず、栽の赴任前から在籍していた上級生を全て部から追い出しました。端的に言うとヘタクソは邪魔だから去れって話です。
監督さん、あんた俺たちのこと捨て駒だと思ってるんですか!
この上級生たち、別に態度が悪いわけでも何でもなく、純粋に野球が好きで甲子園に行きたいと思う普通の高校球児なんですよ。その子たちが、能力ある1年生だけで野球部を作り上げたいという監督の意向によって辞めさせられるんです。在籍することすら許されないんです。
彼らの野球部員としての仕事は、グラウンドの雑草を抜き、小石を取り除き、土をならしたところでお役御免なわけです。
有名な指導者が赴任して、その先生を慕ったりスカウトという形で有力選手が集まり、元々いた(レベルの落ちる)部活生がメンバーから外れるということはよくあります。
僕の母校のバスケットボール部もそうでした。強豪校になるための通過儀礼といってもいいでしょう。
でも元々いた部員たちが戦力外という扱いを受けて自分たちから退部するというパターンはあっても、監督が辞めさせるっていうのはなかなか無い気がします。栽監督は鬼っす。マジで。
栽監督の指導
全ては甲子園のために。負け癖のついた沖縄を変えるために。
崇高な目標のもと、栽監督は琉球水産の上級生部員を追い出し、自身がスカウトした新1年生だけでチームを作っていきます。野球部員は寮での下宿生活となりました。
その1年生も人数が多いという理由で、最初はボールを使った練習もさせず、ひたすら坂道ダッシュの反復を強制します。脱落者(退部者)を出すためだけに。
目論見通りに部員が減り、グラウンドでの練習を開始しても鬼の指導は続きました。
バントが苦手と見るや、ホームベース上でピッチャーに正対した状態でバットを構えさせます。つまり、前に転がせずに上か下にボールを跳ねさせた場合、自分の身体に直撃します。
三塁手に対しての守備練習は超至近距離まで出させた上で、徹底的にボールで痛めつけます。
少しでも怠慢と感じれば、連帯責任として罰走や筋トレを強いる栽監督。スパルタオブスパルタ。
そんな栽監督が最も厳しく接し、鉄拳制裁も辞さなかったのが、エースピッチャー・大田くん(田中永一)でした。
本編よりパシャリ♫
写真は琉水の大田役の田中永一さんと首里学園の山田役の金城諒さん!
本日瀬長島球場にて19時より2人がピッチャーとして対戦します!!#沖縄を変えた男 pic.twitter.com/0rvVbz2J45— 映画『沖縄を変えた男』 (@okikaeman) October 25, 2016
大野倫投手と大田くん
ピッチャーなら軽い炎症は当たり前だ。
簡単に練習を休めると思うなよ。
お前が全ての試合を完投してチームを支えろ。
お前が点を取られるから負けるんだ。わかってるのか。
栽監督(ゴリ)は大田くん(田中永一)に対し、人一倍厳しく接します。他の部員が心配するほどに。
控えピッチャーの具志堅くん(島袋忍)にも早々に外野転向を命じ、エース大田くんと心中する心づもりです。大田くんは愛のムチの重圧に何度も押しつぶされてしまいそうになります。肘も痛めてしまいます。それでも栽監督は大田くんをエースに指名し、投げさせました。
ここで知っておきたいのが、大田くんのモデルとなり、沖縄水産高校の甲子園準優勝に貢献した大野倫さんという投手です。
大野投手と肘の故障
沖縄水産在籍:1989〜1991年度
甲子園実績:1990年夏準優勝(外野手)、1991年夏準優勝(投手)
プロキャリア:巨人(1995年ドラフト5位)、ダイエー
2年生の秋からエースとなった大野投手は投球過多が影響したのか、3年の春に利き腕の右肘を痛めてしまいます。
それでも怪我を隠してマウンドに立ち続け、夏の沖縄予選を突破。甲子園でも決勝まで6試合全てを完投しました。
夏の甲子園で投げた球数は773球。閉会式では肘が曲がったまま行進を続けました。栽監督を除き、チームメイトは大野投手の怪我を大会終了後まで知らなかったといいます。
興味のある方はぜひ読んでみてください。
大学で野球を続け、プロに進んだ大野選手でしたが、故障のためピッチャーを続けることはもうできませんでした。高校卒業後は外野手としてプレーしました。
高校野球において投手の“投げすぎ”は現代よく問題になっていて、甲子園大会では斎藤佑樹投手(2006年夏・早稲田実業)の948球、吉田輝星投手(2018年夏・金足農業)の881球、安楽智大投手(2013年春・済美)の772球といったところは高校野球ファンなら聞いたことがあるはずです。
選手生命を脅かすこのようなことは決して美談にしてはいけないんですが、投げ過ぎ問題が世間で取り沙汰されるようになったのは、大野選手の故障を受けた1991年のこと。高校野球の在り方に一石を投じるきっかけになりました。
高校野球ファンなら必見
大野倫さんのWikipediaにはこんな叙述があります。
監督の叱声以上に、県予選で肘をかばって変化球を多投した時にチームメイトに「オマエのせいで甲子園行けんかったら、一生恨んでやるからな」と罵倒されたことにショックを受けたという。
映画で大田くんが部員に罵られ、水をかけられたシーンは、ここをモチーフにしたものでしょう。
そして映画の試合シーンはこの言葉で締めくくられました。
大田をエースとした琉球水産高校は
二年連続甲子園に出場し、
二度の準優勝を果たした。
しかし大田の肘は
甲子園での連続投球が致命的となり、
以後、二度と投げることはなかった。
県予選で優勝して天に指を突き上げる選手たちを背景に流れる文字。大田くんと大野投手の関連性が明確に見てとれます。
この映画は美談ではありません。けれど、どうにかして沖縄県代表を勝つ集団に変えたかった栽監督の執念が、時に残酷なまでに描き出された映画でした。
沖縄の高校野球の歴史、大野倫投手の辿った歴史を知るといっそう心に染みる作品だと思います。
高校野球好きの方に是非観てほしいし、感想を聞いてみたいですね。
大野さんの当時を綴った日刊スポーツの連載はこちら(全12回)。時間のある方はぜひ読んでみてください。
「野球の国から 高校野球編」大野倫
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ひゃくはち
最後までお読みいただき、ありがとうございました。