こんにちは。織田です。
今回は2018年の『生きてるだけで、愛。』をご紹介します。関根光才監督。主演に趣里、菅田将暉。
原作は本谷有希子さんの小説です。
過眠症でなかなか“普通”の生活が送れず、引きこもりに悩むヒロインの物語。彼女が抱える苦悩に加え、恋人役・菅田将暉の仕事である「ゴシップ」という面でも非常に考えさせられる映画でした。
あらすじ紹介
過眠症で引きこもり気味、現在無職の寧子は、ゴシップ雑誌の編集者である恋人・津奈木の部屋で同棲生活を送っている。自分でうまく感情をコントロールできない自分に嫌気がさしていた寧子は、どうすることもできずに津奈木に当たり散らしていた。ある日突然、寧子の目の前に津奈木の元恋人・安堂が現れる。津奈木とヨリを戻したい安堂は、寧子を自立させて津奈木の部屋から追い出すため、寧子に無理矢理カフェバーのアルバイトを決めてしまう。
スタッフ、キャスト
監督・脚本 | 関根光才 |
原作 | 本谷有希子 |
ヤスコ | 趣里 |
津奈木 | 菅田将暉 |
村田 | 田中哲司 |
真紀 | 西田尚美 |
莉奈 | 織田梨沙 |
美里 | 石橋静河 |
安堂 | 仲里依紗 |
趣里さんが演じている主人公・寧子は、本記事内でヤスコと表記します。
起きるとすでに午後
この映画で趣里が演じているヤスコは、過眠症を患う引きこもりの主人公。22時過ぎから布団に入る彼女の枕元には、目覚まし時計がいくつもあります。
本日、このあと深夜3時~ニッポン放送「根本宗子と長井短のオールナイトニッポン0(ZERO)」に趣里さんがゲスト出演します!趣里さんは、つい先ほどまで根本宗子さんのトークイベント面談室にも出演したばかりで、今日は仲良し同士の #趣里 さん × #根本宗子 さんのトークDAY!https://t.co/cmhmgJF35R pic.twitter.com/4rG3H517F9
— 映画『生きてるだけで、愛。』公開中! (@ikiai_movie) October 29, 2018
無職のヤスコは飲み会帰りに行きずりで一緒になった彼氏・津奈木(菅田将暉)の部屋で同棲しているものの、その生活リズムの違いから寝室は別々。無職の身分で家に引きこもっていました。
津奈木が見つけてきたコンビニバイトの求人も、応募はしてみたものの、約束の時間に行くことができずに面接をブッチ。起きると携帯にはコンビニの面接官から手厳しい叱責の留守電が残されていました。
ヤスコが気軽に連絡を取ることができる唯一の存在である姉は、彼女のことを見放さない一方、「寝てばっかの鬱女なんて(彼氏に)いつ愛想尽かされてもおかしくないよ?」と心配し、ヤスコがバイトの面接にすらたどり着けなかったことに対しては「終わってんな。終わってんよ、ヤスコ」と呆れています。
寝て起きるの自律
世の中にはロングスリーパーの人とショートスリーパーの人がいるわけですが、自分自身もヤスコほどではないにせよ長い時間寝てしまう人間でした。
自分でも知らない間に目覚ましを止めていたり、気づかなかったり。
バイトの面接どころか、就活の面接があるのに起きられなかったこともあります。バイト中に休憩室で居眠りをしてしまったこともあります。
起きられるかどうかが怖いから、寝つくこともできない。布団に入っても秒針の音が怖くて仕方がない。
本当に明日の朝、自分はこの時間に目を覚ますことができるのだろうか?
そんな地獄のようなスパイラルに、大学生の頃は特に苛まれていました。
世の中が24時間という枠組みの中で動いている以上、その「時間」に合わせたり、守ったりして生活するのはルールです。起きることができないという自分の都合で、相手との約束をブッチするのは許されません。
だから今まで何度もそういう経験をしてきたことで、「起きる/寝る」をコントロールできない自分に嫌気がさし、本当に終わってんな、人生やめた方がいいなと考えたこともありました。
周りの人からしてみたら、何で起きれないのかわからないし、何でそんなことで人生やめようと思うのか、直せばいいじゃないと言われる中で、なかなか直らなかったんですね。これが。
『生きてるだけで、愛。』のヤスコも、「も」と言ってはおこがましいんですが、また生きづらさを抱えている人間でありました。感情をコントロールできない彼女は、言葉を絞り出して彼氏の津奈木(菅田将暉)にぶつけていきます。
それ、今じゃなきゃだめ?
しかしそんなヤスコ(趣里)の感情的な言葉を、津奈木(菅田将暉)は生返事で受け流していきます。共感するわけでも反論するわけでもなく、突風に揺れる草のようにやり過ごしていきます。
「私バイトしてみようかと思うんだけど、カフェバーで」(ヤスコ)
「いいんじゃない、ヤスコがよければ」(津奈木)
バイト初出勤日の濃密な一日のことすらも津奈木に聞いてもらうことはできないヤスコ。
津奈木は「その話、今じゃなきゃ駄目?」が多く、彼の短い休息時間にヤスコとの疲れるやり取りが入ってきてほしくないという意思を、そっけない態度で表面化します。
菅田将暉出演の『花束みたいな恋をした』でも、仕事に追われた菅田将暉が彼女(有村架純)とぶっきらぼうな会話しかできなくなった様が描かれていましたけど、あの場合は前段階として二人が楽しそうに話していた“あの頃”がありました。
でも『生きてるだけで、愛。』はヤスコと津奈木がお互い同じ温度で話すシーンというのは出てきません。もちろん過去にはあったんでしょうけど。
無味で冷めた津奈木
この津奈木という男の冷めた姿、どのように感じたでしょうか?
湧き上がってくる感情を一生懸命に表現し、豪速球で投げ込んでくるヤスコの言葉は、決して津奈木のミットに収まることがありません。自分を肯定する答えを求めているわけじゃないんですよね。同じ温度で受け止めてほしいのに、のれんに腕押し状態。
だからヤスコは津奈木のことを「あんたの味のなさ、私にもちょうだい」と言ったり、「私は楽されると傷つくんだよ。私が考えているのと同じくらい考えて喋って、私と同じくらいエネルギー使って疲れてほしい」と言うわけです。
適当な返しでラクすんなって話ですね。
冷めたコンビニ弁当、電子レンジ、「たまにはあったかいもの食べたいね」(津奈木)といったキーワードも、彼の無味だったり熱のヌルさだったりを表すように思えます。
ただし津奈木側からしてみると、何を返しても癇癪を起こしたかのように怒鳴り散らされ、どこでヤスコの気に触るかわからない返答をするよりも、右から左に突風を受け流していた方が自分が傷つかない、消耗しないという彼なりの自衛策でもあります。エゴとも言えますが。
難しいと思うんですよね。恋人間でコミュニケーションを取るのって、こんなにも疲れなきゃいけないこと?ってなるはずなんです。だから津奈木は考えることを放棄したと。
そもそもヤスコは働かない、家賃も入れない上に、家にいる間も何もしないわけで、その一方で「あんた部屋の掃除しないの?」だとか言い放つ。そんな彼女に津奈木は毎日コンビニで晩飯を二人分買ってきて、「どっちがいい?」と先に選ばせています。そしたらいきなり弁当が冷めてると言って癇癪起こすわけですよ。
家の外で(仕事で)クタクタになって帰ってきたら、家でまた罵られるんですよ。疲れるよねそりゃ。放棄したくもなるよねって話です。
生きてるだけで本当疲れる
一方のヤスコですが、ヤスコなりに毎日を変えようともしています。
「鬱で働けないとかアンタ舐めてんのよ、津奈木のことも私のことも世の中の働いてる人のことも」
粘着ストーカー及び、圧倒的承認欲求の持ち主及び、昼も夜も馴染みの店に入り浸る友達いない人及び、超絶世話焼きという驚異のバイタリティを持つ安堂(仲里依紗)のお節介により、ヤスコはカフェバーでバイトをすることになります。
異なるベクトルで“面倒くさい”二人だっただけに、両者が手を取り合い友達になっていく展開もあるのかなと思っていましたけど、それは無かったですね。
で、安堂が無理やり紹介したカフェバー。そこで働く村田夫妻(田中哲司、西田尚美)、莉奈(織田梨沙)はヤスコを受け入れようとするいい人たちで、彼女は自分が必要とされる世界があることを知ります。「ここに居ていいんだ」と居場所を見つけた、はずでした。
けど「いい人」たちも少しは陰口くらい叩くわけで、ウォシュレットに隠された神秘の話が噛み合わなくなってトイレへ退避したヤスコは、3人がやっぱり自分とは違う場所にいると認識してしまいました。
「私、みんなに見抜かれちゃうんだよねぇ」
「見つかっちゃう。ほんと疲れるなあ、私、生きてるだけで、本当疲れる」
自分がダメなのは自分でもよくわかっている。
カミソリを捨ててみても、バイトを始めてみても、津奈木に二つ買ってきてもらう夕食を「どっち食べたい?」と彼に先に選ばせるようになっても、やっぱり動かせないしサヨナラできない私。
光が見えたと思っても、やっぱりブレーカーは落ちて、暗闇の中に放り込まれてしまう。
生きづらそうに、それでも生きるヤスコを観ていて非常に消耗する物語だとは思いますけど、その疲れに向き合わされ、考えさせられる映画でした。
そんなヤスコは津奈木に言うわけです。
「私は私と別れられないんだよね。いいなあ津奈木、私と別れられて」
「私は私と別れられない」を聞いた時は全身に電流が走りました。この破壊力はやばかった。
いわゆるメンヘラって言葉で済ませることは絶対にしたくない物語でした。
重い。あまりにも重い。
ゴシップ雑誌と死
最後に津奈木(菅田将暉)や美里(石橋静河)が働いていた出版社について少し感想を書きます。
津奈木たちの働いているのは週刊誌編集部。基本的に人の粗や失敗を探して世に出すゴシップ誌です。
主に不倫とかが多いんでしょうね。編集長(松重豊)は「俺たちはみんなの下半身でネタ食ってんだよ」と言い放ちます。
ヤスコは「こないだ自殺しちゃった女優いましたよね、あんたんとこが不倫した写真載せたせいで。私。人の変なとこばっか見つけて噂立てたり人をコケにするような人間嫌いなんですよね」と出会いたての津奈木に言っていましたし、実際現場で働く石橋静河もモラルのあり方にやり切れなさを感じています。
彼女は漫画がやりたくて入ってきたわけですし、津奈木も書き物がしたくて入ってきた。多分他の編集部員もそうです。
有名人のケツを追っかけて必死に揚げ足を取りたいと思って入ってきた人なんて多分ほとんどいないんじゃないでしょうか。
でもなぜやるかと言うと、仕事だから。そしてその揚げ足取りが世間で話題になる(評価される、稼げる)からです。需要があるからです。
そんなん誰も幸せにならないよと思っていても、その悪意的なスクープを求めている人たちはいるわけです。良いか悪いかではなく。
“叩き”の感情につながる燃料(話題)を世の中に、刹那的に投下していくお仕事です。誰かを傷つける報道をしたとしても、その傷を負わせたことはあっさりと風化し、忘れ去られていきます。
石橋静河は映画内で「私たち、忘れてもらうために仕事してるんですか?」って言ってましたよね。
津奈木が特ネタの入ったパソコンを窓から放り投げてクビになったことで、この作品はスキャンダルメディアを主人公たちが脱却するものとして描いていますが、福山雅治と二階堂ふみが共演した『SCOOP!』ではもうちょっと「必要悪」に寄ったゴシップメディアが描かれています。
興味のある方はそちらもご覧になると面白いかもしれません。
『生きてるだけで、愛。』は「死ぬ」って言葉が結構あっさりと振りかざされる映画でしたが、ある意味それほど簡単に「死ぬ」の引き金って押されるこの世界を映し出した物語でもあると感じました。
じゃあどうすればいいんだろう?の連続だったし、重かったですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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