こんにちは。織田です。
今回はアマプラで鑑賞した2016年の映画『ケンとカズ』の感想をご紹介します。
昔からの“悪友”であるケン(カトウシンスケ)とカズ(毎熊克哉)は自動車整備工場で働きながら、覚せい剤の密売で金を稼ぐ生活。
暴力、薬物といったノワール風味が漂いながらも、“地元”の小さな世界を舞台にすることによって、彼らのような不良社会とは縁がない人々も自分ごととして向き合うことができる作品だと思います。
今回も作品の展開を含んだネタバレの感想になります。未鑑賞の方はご注意ください。
あらすじ紹介
悪友であるケンとカズは自動車修理工場を隠れみのに覚せい剤の密売で金を稼いでいたが、ケンは恋人が妊娠したこと、カズは認知症である母親を施設に入れるため金を必要なことを言い出せずにいた。2人は密売ルートを増やすために敵対グループと手を組むが、元締めのヤクザに目をつけられ、次第に追いつめられていく。
スタッフ、キャスト
監督・脚本 | 小路紘史 |
ケン | カトウシンスケ |
カズ | 毎熊克哉 |
早紀 | 飯島殊奈 |
テル | 藤原季節 |
藤堂 | 高野春樹 |
田上 | 江原大介 |
映画のネタバレ感想
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
舞台は千葉・市川
映画『ケンとカズ』の舞台は千葉県・市川。
「市川にも地回りしてるやつらがいるんだわ」
映画序盤、ケン(カトウシンスケ)とカズ(毎熊克哉)は自分らの縄張りでシャブをさばいていた二人組を襲撃し、お前ら誰の許可取ってんだと凄んだ後に、ケンは「地回り」という言葉を使ってこの映画の舞台が市川であることを明かします。
西側を東京都と接した市川市は、千葉県の北西部にある都市。都内へのアクセスが容易なので人口はかなり多い街です。北隣に松戸市、南に浦安市、東に船橋市と鎌ケ谷市。
この映画では2019年の『メランコリック』にも登場した銭湯「松の湯」(浦安)も出てきました。
「松戸の奴は大体喧嘩弱いスから!でも女可愛いんスよ」
ケンとカズの後輩に当たり、新入りのテル(藤原季節)が言っていたように、北隣の「松戸」も登場してきました。藤原さんはやっぱりこの頃から後輩キャラが上手すぎる。
そんなわけで『ケンとカズ』は、東京寄りの千葉北西部・とりわけ市川を舞台としています。
田舎や地方都市では決してないし、かと言って歌舞伎町のように危なげな香りが漂いまくる繁華街と言われれば全く違います。
地元民以外も代替可能なベッドタウンという感じですね。
逃げられない小さな世界
公開まで3日を切りました!
中央椅子に座っているは自動車修理工場を貸して頂いた中井克也さんです。
この修理工場がなければ「ケンとカズ」の世界は成り立ちませんでした。https://t.co/cy9NnCZUwg pic.twitter.com/VK3nwlJis5— 映画『ケンとカズ』 (@KenToKazu_movie) July 27, 2016
昔からの悪友であるケン(カトウシンスケ)とカズ(毎熊克哉)。
“悪友”と表現したように、ケンもカズも不良少年が大人になった感じですね。
彼らは木下(三原哲郎)という先輩が社長を務める町工場で表向きは働きながら、主な稼ぎの実態は麻薬の密売。
その元締めには、これまた高校(?)の先輩の藤堂(高野春樹)が組長を務めている地元のヤクザがいて、ケンとカズは社会の階層の下側で搾取されている立場です。
で、この不良たちの危ない裏社会。私たちにも自分ごととして捉えられることだと思うんですが、どうしてかというと「世界の小ささ」が絶妙なんですよね。
先ほど紹介した市川市の、首都圏型ベッドタウンとしての無個性とは別で、学校の「先輩」っていう関係性がそこかしこに入り込んでくる小さな世界。その世界に縛られる人生。
「Real Sound」さんの記事では小野寺系さんが下記のようなタイトルで映画評を寄稿しています。
『ケンとカズ』が突きつける、逃げ場のない世界のリアル 小路紘史監督のハングリーな才能
この「逃げ場のない世界のリアル」というタイトルは、言い得て妙だと思うんですよね。
地元に蔓延るヒエラルキー
先ほど書いたように、ケン(カトウシンスケ)もカズ(毎熊克哉)も階層社会の下側に身を置いています。
“先輩”である藤堂(高野春樹)が、地元を取り仕切るヤクザの組長になって、ケンとカズはその下請けでヤバい仕事をしています。しかもリスクに対して割の合わない安い報酬で。
地元に蔓延る先輩後輩のヒエラルキー。そこから未だに脱せていないケンとカズ。
ケンもカズも藤堂さんにとっては「可愛くて使い勝手のいい後輩」であり、二人が逆らったり裏切ったりしたらマジで半殺しにしかねない存在なんですよ。実際にカズは一度痛い目を見ていました。
市川のあの町で生きている限り、ケンとカズはどこまでいっても「藤堂さんの後輩」なんです。
こういうローカルな関係性から脱出したくて、中学とか高校を卒業したあたりで「地元」を出る人もいると思うんですよね。僕もそうでした。
地元の人間関係は居心地はよかったかもしれない。けれど変化を許してくれない。
高校に進学して髪を染めて大人になったつもりでいても、地元の商店街で中学の先輩に会えば2年前の上下関係を強要され、似合わないだのお前にはまだ早いだのと上から目線で文句を垂れられ。
校則緩い高校に行ったんだから別にいいですよね?なんて思ってても言えなくて。
ヒエラルキーは先輩後輩の文脈にとどまらなくて同じ学年にも当然ありますよね。
お前はこうだからと自分にはキャラクターがあてがわれ、それを演じて生きる日々。
藤堂さんみたいにピラミッドの上側にいる人はいなくならないんですよ。だってそこにいた方が自分が楽しいから。得だから。
結局地元にいる限り、自分にはその集団の中でのポジションが用意されていて、あるいはそれに縛り付けられていて、そのポジションの多少の上下移動はできるかもしれないけど、そこの関係性をリセットすることはなかなかできないんですよね。
ご近所トラブルに悩みながらもそう簡単に引っ越せない…みたいな方も同様だと思います。
脱出したくても
そんなわけで、『ケンとカズ』はそんな面倒くさいローカルな人間関係に身を置き続けてきたやつらの話です。
まあヒエラルキーの構造内にいた方が彼らも得することも多かったんでしょう。市川では幅を利かせられますしね。
ただ、そこから新しい人生に踏み出そうとした時、二人の足には足枷がつけられてしまいます。その足枷は多分今まで甘い汁を吸い続けた分だけ重く、外すのが危険なものとなります。
ケンのように恋人をつくってみても、周りにはいつだって知った顔のやつが「悪友」として存在していて、早紀、そして先のお腹の中にいる赤ちゃんと一緒に清廉潔白な人生を歩みたくても、「俺たちの知っている(悪いことを一緒にする)ケン」としての振る舞いを余儀なくされるわけです。
一方カズみたいにお金が必要で、競合他社に転職(意訳)しようものならどうなるか。
藤堂さんを裏切ったらただじゃ済まないことが部外者の我々にもはっきりと分かります。
『ケンとカズ/Ken and Kazu』
藤堂役/高野春樹
Toudou/Haruki Takanohttps://t.co/QKgnoprmSW pic.twitter.com/F0kJbJYL7L— 映画『ケンとカズ』 (@KenToKazu_movie) May 6, 2016
実はこの映画で一番印象に残っているのは、ケンとカズの先輩であり、彼らの元締めである藤堂(高野春樹)です。
前項でケンとカズは藤堂にとって「可愛くて使い勝手のいい後輩」という書き方をしたんですが、この「可愛くて」の愛情の部分が藤堂からはちゃんとうかがえるんですよね。単に早く生まれてきただけで先輩後輩やっているわけじゃないんです。
ケンに対しては彼の首輪を離さないように抑圧しながらも、本題へ切り出す前に世間話を挟んだりしてリラックスさせようとしていました。まあ言われてる方は全然油断できないのかもしれませんが、ああいったコミュニケーションは相手を憎んでいたらできません。もっと高圧的になります。
さらに言えば、藤堂の口ぶりにはケンに対する気遣いというか、触れ難そうなところも。カズについては一度シメているので制圧下に置いていると思うんですが、ケンに対しては脅威を感じているように見えるんですよ。それくらい藤堂はケンに対して慎重に距離をとっていました。
ケンとカズ同様、アウトローで生きてきた藤堂さんもどこかで「地元」の小さな世界を超えた大人になりたかったのかもしれません。でも残念ながら映画の中ではそこまで至りませんでした。
裏切り行為が発覚し、「もう引けねえんだよ」とケンに話したように、藤堂さんも立場や面子があります。そこで引いてしまったら藤堂自身が潰されます。
終わり方はどちらかが消される、ああいう形しかなかったと思います。なんとも悲しい結末になってしまいましたが。
今回は『ケンとカズ』の感想をご紹介しました。
全ては武力で解決するっていうのはちょっと前時代的に感じたし、スケールの小さなローカルの話でしたが、だからこそ自分ごとに置き換えることができる人も多いのではないかなと思います。
こんな映画もおすすめ
全員死刑
どうしようもない恋の唄
『ケンとカズ』の詳細なあらすじはMIHOシネマさんの記事でも読むことができます。(ネタバレあり)
作品の復習にご覧ください!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。