映画『夢売るふたり』〜二人は体を重ねない〜

13年の映画『夢売るふたり』を鑑賞した。松たか子、阿部サダヲ出演。『ゆれる』の西川美和が監督を務めた。



人当たりの良さ、それはつまり…

前述の概要の通り、結婚詐欺に至った原因は不幸である。
小料理屋が火災で全焼。飲食店をやる者の辛いところ。

単なる結婚詐欺というよりは、貫也(阿部サダヲ)の人当たりの良さは男女の関係に発展する色目を持ち合わせていると里子(松たか子)が不安になったが故に至った策だった。

おいそれと女性の傷を舐めるように彼女の心へ侵入していく旦那。
それは彼の人間的な魅力ではあるのだが、妻である里子は当然許さなかった。
その許さじの感情は離婚ではなく、貫也の才を金を稼ぐ手段として使うこととなり、自らは癌を患った貫也の妹として女たちの前に現れる。

ただ作品を見ている限り、あくまでも返すつもりでお金をむしり取っていたように見えたし、貫也は貫也で女の隙に入っていくことが自然なことのように見えた。
つまり、僕には貫也が里子に操られている、あるいは言われるがままに女と逢っているようには見えなかった。
貫也自身も相当の女好きである。

もちろんそれをわかっていて里子は貫也の結婚詐欺を計画したのだとは思うけれど。

許さない。の矛先は

根底にあるのは里子の貫也に対する不信感、嫉妬。
貫也が女と身体を重ねるシーンは出てきても、貫也が里子とセックスをするシーンは出てこない。
里子は女たらしの貫也に対して不信感を抱く。嫉妬と愛情が渦を巻く悲しい不信感。
許せない、だから私は彼の女たらしの才を使い、彼の夢のためにお金をつくらせる。そんな私が、私は許せない。

松たか子の里子はずっと逡巡していたと思う。許せないから、好きだから、彼女は貫也を置いて去ることをしなかった。

トイレに座り、出てきてナプキンを取り出す里子。
あのシーンが意味するものは松たか子の役者魂というもの以上に大きいと思う。

豹変した妻が怖いと見るか、女をたらしこむ夫が悪いと見るか。

その評価は人それぞれ。

許さないからこそ、ともにいる。
許さないけど、愛している。
『さよなら渓谷』の二人の関係にそれは少し似ていると思う。

起伏はないし退屈な時間は長い。
無意味に見えるシーンも多い。
駄目な人は駄目だと思う。

でも、僕は素晴らしい映画だと思った。
男女と、赦し。
赦しの向こうへ解放された時、貫也はどこに行ったのか。

終わり方も秀逸だった。

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