映画『共喰い』ネタバレ感想|男性目線からの男性批判

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13年公開『共喰い』を鑑賞。青山真治監督、主演は菅田将暉。原作は田中慎弥の同名小説。昭和末期の北九州が舞台である。

『共喰い』のスタッフ、キャスト

監督 青山真治
原作 田中慎弥
脚本 荒井晴彦
篠垣遠馬 菅田将暉
千種 木下美咲
琴子 篠原友希子
光石研
仁子 田中裕子

あらすじ紹介

昭和63年、山口県下関市の「川辺」と呼ばれる場所で父親とその愛人と3人で暮らす高校生の遠馬は、性行為の際に相手の女性を殴るという粗暴な性癖をもつ父親を忌み嫌っていた。しかし、17歳の誕生日を迎えた日、幼なじみの千草と初めて交わった遠馬は、自分にも粗野な父親と同じ血が流れていることを自覚させられる。

出典:映画.com

この後、本記事はネタバレ部分に入ります。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



映画のネタバレ感想

原作について一切の事前情報を入れぬまま見始めたが、共喰いとはどういうことだったのか。それを考えながらの鑑賞になった。
手を上げながら女を犯す父親・円(光石研)の血に遠馬(菅田将暉)が抗えないということなのか、父親と同じ女性を求めてしまったがゆえのものなのか。

遠馬が何度も「俺はあの父親の子やぞ!」と声を荒げるように、個人的には血は争えないという前者のトーンかと思う。やりたい盛りのティーンを描いた作品は数あれど、理性を失い暴力的に女性を押し倒していくものはなかなか無い。
しかもそれが憎むべき父親の女に対する暴力の再現であり、自分自身が血の繋がりだから仕方ないと認識した上での暴走。

女性を殴るということがどれほど醜いことかは遠馬も、そして視聴者もよくわかっているはずだが、その征服感や高揚感に父・円は傾倒していた。

そんな父親を近くで見ていたからこそ遠馬は千種(木下美咲)の首に手をかけることができたのだろうし、父親に殴られる琴子と寝てみたいと思ったのだろう。

血統的な、遺伝的なものよりも後天的、環境的な暴力の刷り込みである。遠馬自身は円に殴られたことがないので、もちろんそこに恐怖はない。

では、僕らは彼を見て仕方ないことだと諦めたり、あるいは馬鹿な奴だと嗤うだろうか。
僕はどちらもできなかった。彼に感情移入することも彼を全く別世界の者として捉えることもできなかった。残ったのは単純に暴力的な男への批判である。

木下美咲が可愛くて

遠馬の彼女・千種を演じたのは木下美咲。恐らく初めて見る女優さんだったが、眼の力が強く、美しかった。
髪型も相まって上戸彩によく似ている。

菅田将暉演じる遠馬のキーポイントが眼光にあり、彼の実母・仁子(田中裕子)から度々指摘を受けているが、基本的には暗い目つきである。
その濁った遠馬を見透かすかのような強い目線。心も強く、ラストシーンに救われたと思ったのは僕だけではないはずだ。

菅田将暉に関しては、今まで想像してきた彼のキャラクターとは違う一面が見れたと思う。
デビュー当時の印象だが、こういった陰のある人物を演じる時にもう少し「俺が菅田将暉だ」という意識が前面に出てくる俳優だったが、今作の遠馬にそれは見えない。
円も同様にキャラクターありきの光石研になっているため、父子二人の演技は相当良かった。

鬱屈した川辺地区の表現だろうが、登場するコミュニティの限定された雰囲気はやや勿体なかった。それでも、極めて男性的な目線から、上手にその男性目線を批判した作品だったと思う。