被災地・石巻が舞台
劇場で予告編を観た程度の予備知識。まず、東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻の沿岸部の瓦礫の山を映すところから作品は始まる。
園監督は震災を受けて脚本を変え、石巻に入ってカメラを回したそうだが、原作を知らないのでストーリーの変化については僕は不問。
震災後の被災地という設定を前提に、染谷演じるスミダという中学生の絶望感に打ちひしがれた末の決断と、彼に想いを寄せる茶沢(二階堂)による独特な表現の諭し方が物語の中心。結構セリフは詩的。
染谷は『嘘つきみーくん…』、『パンドラの匣』あたりで一定の評価はしていたつもりだが、やはり話さずして観客にメッセージを植え付けられる俳優だなと再認識。
狂気にはしるシーンよりも序盤や茶沢と話すときのそっぽを向きながら、っていうあたりの話し方が印象に残った。極論してしまえば中二病なのであるが。
二階堂はぶつぶつと独りごちる描写が多くてそこが本当に魅力的。スミダ語録なるものを部屋にぺたぺたと貼って呪文のように唱えているのだが、一見震災被害とは関係なさそうな彼女にとっても、スミダが拠り所となっているようである。
荒廃した街
作品の中には金貸しだ殺人だ強盗だ家出だ家庭崩壊だ学校道徳だと色々なエピソードが出てきて、それがリンクしているとは言い難いのだけど、個々として考えれば震災後という状況には実は当てはまるものも多い。
例えばファミレスでDQNが「震災特需」と称して転がっているクルマのオイルを売ったりATMを荒らしたりといったことを吹聴しているシーン。
報道してるところもあるかもしれないが、当時被災地の小売店では盗み(むしろ持ち逃げ)が頻発し、避難所やボランティアの宿舎では身体目的の輩が出現していた。
響くか否かは人次第
もちろん響く人もいるだろうし、そうしたら素直に感動すればいいと思う。
ただ、『ヒミズ』に対する批判としてある「被災地でカメラを回し商業映画にするとはけしからん!不謹慎だ!」というのは少し的外れで、けしからんかそうでないかは観た個人が判断することで、人に強要するものではないと思う。
映画の本線には必要ないと感じたから。
そして観た者に、日常とか非日常とか普通とか頑張るとかって一体何だ?と自問させること。人によるだろうけど響く人は響くだろう。
何か偉そうになってしまったけど、僕も映画で映されていた石巻に行っているからわかることもある。ただし、僕は初めて石巻入りしたのが瓦礫のなくなった頃だったから、なおさら震災風景の保存・継承という点にはこだわってしまうところもある。
風化させないでという声も聞けば、いつまでも先に進めないから被害者扱いするなって声も聞いたし。
もちろん笑えるところは少なからずあるけど。
震災のテーマ設定と主演二人が良かった点かな。