映画『愛のむきだし』〜変態の基準点〜

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昨日は09年の園子温監督作品『愛のむきだし』を鑑賞。

前回の『カケラ』に引き続き、期せずして満島ひかりが連続になった。これは最近映画チャンネルがひかりちゃん推しでたくさん放送しているから致し方ない部分も。

園監督といえば
『ヒミズ』でもやはり疑問符が残り、
『希望の国』でようやく理解。

耐性がついてきたこともあるが、この四本で最も古い作品である本作は非常に楽しみながら、移入もしながら見ることができた。



盗撮スキルを磨け

まず、この作品を語る上で欠かせないのがその尺。

実に237分で、時間に換算するとほぼ4時間である。

これは録画した時すでに知っていたが、少し気合を入れて見ないとあかんかな、とソファーに腰を下ろした。

ところが、である。

ユウ(西島隆弘)とコイケ(安藤サクラ)とヨーコ(満島ひかり)の視点における三章から成り立つ2時間近くの前半はとてもハイスピードで、スリリングで、おぞましくもあり、面白さも凝縮されていた。

安藤サクラの悪人顔もまた効いていたが、主演の西島隆弘の屈託のない青さが良い。それでいて、内に秘めた諦観。

清水優ら仲間の3人も人情味にあふれていて、とんがった主要3キャラをうまくフォローしていた。

知り合いのとあるサッカー選手に西島隆弘が似ていたのも僕の感情移入に拍車をかけた。こういうのには本当に弱い。

ちなみに序盤のワル軍団の中に綾野剛、終盤のヨーコの親戚役に松岡茉優が出ている。綾野剛は相当なちょい役である。

罪と神と家族

この作品は神と、神が赦す罪と、家族と、家族が背負わせる罪が描かれている。

たとえば、神父である父に、毎日懺悔をするために小さな罪を作り、それが大きな罪にエスカレートしていくシーン。
これは僕自身も似たような経験がある。

認められたいがゆえに、罪の意識は忘却の彼方に追いやられるのである。

幾度となく出てくる変態という言葉。

変態とは、セックスだとかよりもよほどエロティックで、後ろめたい言葉である。

その内容は盗撮だったりアレだったりコレだったりするのだけど、エロティックであるにもかかわらず、視聴者はそんなに興奮も欲情も沸き立たない珍しい作品。

渡辺真起子が情熱的な痴女を演じているが、僕がこの主人公と同じ類の「変態」を感じたのは彼女のシーンくらいである。

でもって、彼女に対して変態を感じる人間は、多分、この作品においてはそんなに「変態」ではない。

後半部分があまり動かない展開なだけに中弛みも感じたが、多分本にしたら7章くらいを要する分厚い構成。

面白い、園監督のテイストがわかってきたら多分なお、面白い。

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