13年のクドカン映画、『中学生円山』。草彅剛を主演に据え、平岡拓真くんを作内の主人公に据えている。
中学生円山の壮大な挑戦
映画雑誌で働く先輩が書いた原稿がこの作品だったということで、昨年の公開前から気にしていた作品。
その先輩は女子だったので、彼女の記事は、女の子としてどう表現していいのかわからず不自然なオブラートに包んだような単語がたくさん出てきた。
多分、見る分には全然大丈夫なんだけど文字化すると卑猥というパターン。
そんなこんなで、テーマは団地と厨二と妄想。
中学二年生の妄想と聞くと、どうしてもエロとかスケベとか変態とかってワードが連想されるが、主人公の円山克也くんは実はそんなにスケベでも変態でもない。
彼はあるエッチな目標を果たそうと日々自主トレに励むが、その目標はあくまでも自分のための目標であり、自慰行為がアスレティックになったようなものであった。
平岡くんは下半身を露出して奮闘しているわけだが、イヤン(ハート)って女子がなる類の作品ではないと思う。
むしろ、妄想から広がる非日常的なヒーロー物語が日常的な団地生活の一角で繰り広げられ、妄想か現実か境界線を視聴者がふらつきながら楽しめるものだと。
認知症の老人や坂井真紀演じる克也の母親のエピソードも非常に見応えがあり、笑える。坂井真紀は色仕掛けをしてなお笑えるっていう素敵なラインを突いてきた。
おっぱい花びら
それでも、エロ小僧クドカンの本領というべきか、やはり人間の下心って抗えないんだなというのが序盤のシーン。
克也の妄想で「プルプルした何か」が空から降ってきて、それがプルプルした花を咲かせて、とあるのだが、そのプルプルはピンクがかった浅いお椀のような形をしてひらひらと落下する。
男は、多分女も、それを見て連想するものは一つしかないのである。
だから、その少し後のシーンで克也の妄想に女の子たちがヌーブラ姿で踊るシーンを見ると、ああと納得してしまうのである。
この納得は真理であり、また屈辱であると思う。
エッチと変態の狭間を突いたクドカン作品、さすがです。
あまちゃんのような時代に乗った小ネタがなくても、名台詞がなくても楽しめる。