07年の映画『バブルへGO‼︎タイムマシンはドラム式』を鑑賞しました。
馬場康夫監督、阿部寛、広末涼子らが出演。
現在の不況の原因をバブル期の政策に見出だし、日本の破滅を食い止めるために1990年へタイムスリップしていく物語である。
バブルとは何だったのか
フジテレビ製作の映画の常連となった阿部寛や、主人公としてタイムスリップする広末涼子ら俳優陣の演技には少し疑問符が残る。
だが、この映画に僕たち好況の時代を知らない世代が感じるものは、バブル期がいかなるものだったかという側面だろう。
万札をひらつかせてタクシーを止め、ディスコでの豪遊や大規模な船上パーティーで興じる人々が描写されている。
劇団ひとりが演じる田島という男の大学の卒業パーティーでは船上を貸し切り、ビンゴゲームの賞品では現金200万円が映されていた。
使い道に迷うほど彼らはお金を持て余し、贅沢できるなら贅沢して何が悪い。お金が湯水のように流れていく時代だった。
いまの僕らの生活からすれば考えられないことだけど。
もちろん、フジテレビや日立が中心となって製作している作品。
だからその側面も好況の恩恵を受けていた勝ち組だった人たちのノスタルジーとも受け取れるかもしれない。
テレビや新聞で働く人たちに聞くと、いま50代前後の方からはバブル期の信じられないような待遇の話が出てくるから。
彼らからすると、お酒を持ちよって節約する宅飲みなる文化自体が理解できないことと言っていた。
僕の親なんかはそんなバブル期の景気のいい話をしてくれたことはなかったから、好況の裏にはそこまでお金を手にできない人たちも当然いたんだと思う。
バブル期を知っている人から見たらどういう感じ方をするのか今度聞いてみたい。
ドーハの歓喜
タイムスリップして過去と未来の横断、また歴史の塗り替えという点ではこの作品は現在→過去→変えられた現在という時間軸で一応整合性は取れている。
『サマータイムマシン・ブルース』や『時をかける少女』と比べてタイムスリップすることに作品の重点を置いているので歴史の塗り替えはある意味でデフォ。
その割にはラストシーンのお台場の現代があれしきでいいのかな?とは少し思ったけど、外観だけでみたらあんなものなのかもと思ったり。
ドーハの英雄という形容詞がラモスについていて93年のアジア予選も勝ったことになっているようだし。
お金をばらまいて浮かれていた時代だったけれど、携帯電話がないので待ち合わせはしっかり時間と場所を決めたりだとか、電話番号は暗記しているだとか、僕が小学生だった90年代にも通じる描写も。
小学校の頃はよく遊ぶ友達の家の電話番号を10件くらい覚えていたけど、携帯持つようになってからはさっぱり。
そんなことも思い出した。
会社の先輩にまだ若いんだからケチケチするなと言われる理由が少し分かった気がする。
好況と不況の世代の谷間ってどのへんだろうね。
公設秘書役の伊藤裕子さんがとてつもなく綺麗でした。