映画『朝が来る』ネタバレ感想|井浦新の言葉選びに痺れました

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こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

今回は2020年公開の映画『朝が来る』についてご紹介していきます。

辻村深月さんの原作小説を河瀨直美監督のもと映像化。
実の子供を持てなかった夫婦(永作博美さん井浦新さん)と、実の子を育てられなかった少女(蒔田彩珠さん)という、養子縁組をテーマにした作品です。
息子・朝斗くんは佐藤令旺さんが演じました。

2016年にはドラマ化もされた作品ですが、今回は原作、ドラマを知らない立場で鑑賞した感想をご紹介します。




予告編

あらすじ紹介

子供に恵まれなかった栗原佐都子(永作博美)と夫の清和(井浦新)は、特別養子縁組の制度を通じて男児を家族に迎える。それから6年、朝斗と名付けた息子の成長を見守る夫妻は平穏な毎日を過ごしていた。ある日、朝斗の生みの母親で片倉ひかりと名乗る女性(蒔田彩珠)から「子供を返してほしい」という電話がかかってくる。

出典:シネマトゥデイ

予告編や映画のポスターでもある通り、「養子を迎え入れた夫婦」のもとに突如としてやってきた「子供の母親を名乗る女」という部分がある程度の前提として公開されています。

この女が何者なのか。
永作博美演じる佐都子は「あなたは、誰ですか?」と問うわけですが、本作品をヒューマンミステリーとして捉えるならば、この「誰?」がミステリーの部分なのかなと思います。

続いて出演陣を見ていきましょう。

『朝が来る』のスタッフ、キャスト

監督 河瀨直美
原作 辻村深月
脚本 河瀨直美、高橋泉
栗原佐都子 永作博美
栗原清和 井浦新
栗原朝斗 佐藤令旺
片倉ひかり 蒔田彩珠
ひかりの母 中島ひろ子
ひかりの父 平原テツ
ひかりの姉 駒井蓮
麻生巧 田中偉登
コノミ 山下リオ
マホ 葉月ひとみ
ともか 森田想
新聞販売店店長 利重剛
浅見静恵 浅田美代子

物語のカギを握る片倉ひかりを演じたのは蒔田彩珠さん
『星の子』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『いちごの唄』などでも印象的な演技を見せていました。

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そんなひかりが心を許していく友人には、山下リオさん葉月ひとみさん森田想さんといった面々が出演。
山下リオさんの演じたコノミは徳島出身(そのあと親もとを離れて横浜へ)という設定で、実際に徳島出身である山下さんのアイデンティティを重ねながら彼女の方言を楽しむことができます。

写真説明
(左から)マホ、ひかり、コノミ

田中偉登さんが演じた麻生巧は、ひかりの中学時代の彼氏です。バスケ部に所属する学校屈指の人気者。部屋を見る限りレブロン・ジェームズが好きなようですね。

永作博美と母

『朝が来る』で母親役を演じた永作博美さんですが、子供を誘拐して逃避行をする2011年の『八日目の蝉』という映画が一つキーになっているような気がします。

『八日目の蝉』で彼女が演じた主人公・希和子が誘拐をする背景にはまた悲しい理由があり、それを鑑賞した上で『朝が来る』を見ると、全く別物の作品なのにも関わらず、永作さんの表情や(実子に恵まれなかった)立場に説得力が生まれます。

永作さんの惑い方、言葉や表情の選び方、キャラクターへの影の落とし方などで通じ合う部分がきっとあると思いますので、『朝が来る』を鑑賞済みの方にもオススメしたい一本です。

 

映画の作品情報についてはMIHOシネマさんの記事でもネタバレなしで詳しくご紹介されています。映画の成り立ちや、『八日目の蝉』を含め、合わせて観たい作品もご紹介されていますのでぜひ見てみてください。

この後、本記事はネタバレ部分に入ります。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



映画のネタバレ感想

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

栗原家の立ち位置

映画冒頭、カメラはマンションの一室にある栗原家を映します。洗面台で歯を磨き、口をゆすぐ幼稚園児・朝斗(佐藤令旺)。それを見守る佐都子(永作博美)
登園前の朝のファミリーシーンです。

部屋の壁には「HAPPY BIRTHDAY ASATO」と彩ったであろうアルファベットオブジェがあり、窓からは朝の温かい光が差し込みます。
後のシーンで明かされますが、ここは東京都有明の、海が見える高層マンション30階。その階数はタワマンの中でもヒエラルキーの高い層として認知されており、旦那さん(井浦新)の稼ぎも良い高所得家庭であることがわかります。

この平穏で温かく、理想的な栗原ファミリーに、ぽちゃんと波紋を落としたのが電話でした。

家族3人が朝出かけた直後、家にかかってきた電話(誰も出ず)。
在宅中の佐都子がとった無言電話。
朝斗がお友達に怪我をさせてしまったと報告する、幼稚園の先生からの電話。
子供を返してください。それかお金をください。さもなくば、と脅迫する謎の電話。

序盤の不穏さを掻き立てる要素として、電話のコール音が上手に使われていました。

養子を迎え入れるために必要な事

ただこの高所得層という環境がヒエラルキー的に使われたのは、そらくんママが恐喝に近い形で治療費をたかったシーンくらいであり、栗原家が養子を迎え入れ、育てるだけの経済力があるという意味が大きいと思います。

佐都子と清和が、朝斗を子供として迎え入れるためです。
その条件、「特別養子縁組」をするための条件も、この作品ではしっかりと描いていました。

浅見(浅田美代子)が代表を務める特別養子縁組支援「ベビーバトン」は以下のような理念、項目を設けています。

  1. 育てられない親のために子供が犠牲になってはならない
  2. 親が子を探すのではなく、子が親を探すもの
  3. 夫婦が結婚後3年たっていること
  4. 共働きの夫婦は共働きを解消すること
  5. 子供が小学校に上がる前に、本当の親が別にいることを伝えること(子供はそれを知る権利がある)

栗原家で言えば4つ目の項目で、どちらかが仕事をやめる必要がありました。
二人とも同じ会社で働き、家庭所得としてそれなりに高い水準であった栗原夫妻でしたが、ここでは佐都子が仕事をやめて、いわゆる専業主婦になりましたね。

 

『朝が来る』では、息子・朝斗を迎え入れるまでに栗原夫妻にどんな紆余曲折があったのか。
また、朝斗を迎えにきた片倉ひかりを名乗る女性は、彼を産むまでにどのような紆余曲折があったのかを、本当に丁寧に描いていました。

ある意味、映画冒頭の朝のシーンが現在の時間軸で、そこから時間をさかのぼり当事者たちの人生(具体的には過去6年)を振り返っていくような作業です。

突然怪しい電話をかけてきて、マンションにやってきた女性。それは栗原夫妻から見れば不審で謎だらけの存在です。スクリーンを見ている我々からしても恐らくそうでしょう。

けれど彼女がお腹に声明を宿し、ベビーバトンで出産し、栗原夫婦に託し、再び我が子の顔を見ようと訪れるまで。それまでには彼女の通ってきた青春の経緯がまたあったわけです。
佐都子と清和視点中心にミステリアスだった映画の雰囲気も、ひかりのパートに入って一変しましたよね。

愛を知る人、知らない人

佐都子(永作博美)清和(井浦新)ひかり(蒔田彩珠)の人生を辿る流れで一番印象に残ったのは、大切な人を信頼し、また愛するということです。

ひかりは巧(田中偉登)と付き合って、彼への愛を深めていきました。「付き合うってどういうこと?」から始まった彼女の青春は、妊娠という出来事で一転するわけですけど、それでもお腹の中の子はひかりにとって大好きな人の子であり、心から祝福できる存在だったと思います。

似島(広島県)のベビーバトンでは、ひかりの他にコノミ(山下リオ)マホ(葉月ひとみ)という妊娠した女性がいましたが、彼女たちはどちらも「大好きな人の子」を宿したのではありません。
施設で誕生日ケーキを目にしたマホが「祝われるのはこれが最後かもしれない」というような言葉をこぼしましたが、あのシーンは個人的に映画で一番感情にグサッときました。祝福されずに生きてきて、この先も祝福されることがないと思わざるを得ない彼女に涙しました。

島での撮影役は?

似島では彼女たちが島の人々とバーベキューをするシーンや、ひかりが後年に浅見を訪ねて行った際のシーンで、明らかに誰か第三者がカメラを回して撮っている風のものがありました。マホのケーキの場面もそうです。

ひかりや浅見が撮影役をしていたのか、それとも佐都子と清和が旅館で見ていたようなドキュメンタリー番組の撮影クルーなのか。最後までわかりませんでした。

その点で、ひかりは好きな人を正しく好きになって、正しく愛の形を生命として宿したわけです。彼女の年齢、時期という問題を除いては。

唯一にして最大の問題はひかりの愛を、声明を宿した事実を「なかったこと」にして葬りました。
紛れもない純愛だったはずの愛の形は、忌避されるべきものとしてその存在すらも認められませんでした。

「、」を刻む井浦新

大好きな人ができて、「愛」ということが何かを知ることができながらも、それを無いものとして抹消されたひかり。それに対して栗原夫妻の「愛」はどうだったでしょうか。

二人は行動派で、デートもいろんな場所に行く描写が見受けられます。キャンプとか登山とかそういう単語もありましたし、清和が縁組の立ち会いに向かった時の大きなバックパックからも、アウトドア好きであることがわかります。

子供が欲しいと清和が口にしたこともあり、佐都子と清和は妊活を続けました。その中で清和が無精子症を告げられます。
「札幌に行く」というのは二人にとって観光ではなく、不妊治療を受けに行くための場所でした。

これは実際にそういう境遇になったことのない立場で偉そうに言えるようなことではないんですけど、本当に辛いと思うんですよ。
「佐都子の中でも、離婚という選択肢は持っていてほしい」と伝えた清和の言葉は、別れを相手に切り出させるための逃げ口上でもなく、佐都子のことを大切に思っているからこそ、絞り出したものです。

それに対しての佐都子の返しも、決して慰めなどではなく清和への信頼が滲んだものでした。

北海道行きの飛行機が欠航となり、(不妊治療を)もうやめよう、二人で生きていこうと言った佐都子のシーンも同じです。何かが思ったようにいかないことがきっかけで、それがたとえ自分たちの力ではどうにもならない不可抗力だったとしても、関係が瓦解してしまうカップルはいると思います。

それでも佐都子は清和を信じていましたし、清和もまた佐都子を信じていました。ベビーバトンのことを模索していた清和が、「この家には、親になれる人がちゃんといるだろう?」と言ったところなどは象徴的だったのではないでしょうか。

「あなたは、誰ですか」に代表される永作博美も同様でしたが、特に井浦新の清和には「、」という読点を組み込んでいたなと思います。
間を作ってセリフの作り物らしさが消えるという効果も当然ありますし、清和の迷い、とりわけ彼がいま佐都子に対して必要な言葉を選んでいるのがものすごく伝わってきました。

「言葉を選ぶ」というと相手に気を遣って婉曲的な表現をする感じがありますが、井浦新が永作博美に向かって行なっている言葉選びは最適解を探すための作業だと思います。

そらくんママに佐都子が絡まれている序盤から一貫して、清和の丁寧な言葉の紡ぎ方が印象に残りました。それらは文字化すると「、」が入っているような感じです。
いかに栗原夫妻が真摯にお互いに向き合っているのか。それが滲み出ている会話劇でした。

アサトヒカリ

最後にこの映画で印象的に流れていたC&Kの「アサトヒカリ」についてです。

映画冒頭に栗原家の朝のリビングで流れていたのを皮切りに、この作品の主要人物を何度も「アサトヒカリ」は包んでいきます。佐都子たちが暮らす世界でも、ひかりが青春を過ごす時間軸においても、同じ「アサトヒカリ」が流れています。二人の、二つの人生を繋ぐための大事な存在。

この映画に向けて書き下ろされた曲は題名からして朝斗ひかりに関係しているのが予想されますが、歌詞を読むと、ひかりの立場、そして朝斗の立場から「愛しい人を探しに行く」思いがストレートに詰まっています。「守りたい人」という点では佐都子や清和から見た朝斗も同様でしょう。だから佐都子はサビのフレーズを口ずさむわけですね。

『朝が来る』が凄かったのは、朝斗からの視点を入れたことだと思います。

「ちびたん」が愛しくてかけがえのない存在だということ、気配は近くにあるのに見つからない存在ということは、ひかりの思いを代弁しています。
一方で、「なかったかのように消さないで 僕はここで息をしているよ」の主語は明らかに朝斗です。

そして映画の最後の最後で、朝斗は“広島のお母ちゃん”であるひかりを探しに行く決意を歌に乗せています。
探される、求められるだけじゃなくて、自分が探しに行くんです。これはベビーバトンの浅見代表(浅田美代子)が言っていた「子の知る権利」や「親は子が探すもの」を尊重した一つの形ともいえます。

朝が来る。
それは「ないこと」にされて闇に包まれたひかりの世界に新たな光が差し込むことでもあるでしょうし、彼女の産んだ可愛くて愛しくて美しくて守りたい「ちびたん」が会いに来る意味もあるはずです。

「会いたかった」。

この映画が『朝が来る』である理由を証明した衝撃は、エンドロールの最後まで映画を見た人たちがきっと共有できる幸福だと思いました。

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さいはてにて やさしい香りと待ちながら

能登半島の奥地で珈琲店を開いた女性と、幼い娘を育てるシングルマザーの出会いを描いた作品。店主を永作博美、母親を佐々木希が演じています。

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子供を誘拐して逃避行をする女性を永作博美が演じています。永作博美と「母」というキーワードに説得力が生まれる映画。角田光代の原作もおすすめです。

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