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14歳の頃を覚えていますか?
中学2年生の頃の自分を覚えていますか?
こんにちは。織田です。
今回は2021年公開の映画『14歳の栞』をご紹介します。
とある中学校の3学期「2年6組」の35人に密着し、一人一人の物語を紐解いていくドキュメンタリー映画です。
自分がどんな14歳だったか。
20年近く経った今、そんなことを思い出すことができる素晴らしい作品でした!
あらすじ紹介
ある中学校の3学期、2年6組に在籍する生徒35人全員に密着した青春リアリティ。中学2年生という子どもか大人か曖昧な時期、学校が世界のすべてだった生徒たち。主人公もなく、劇的なドラマもなく、どこにでもいるありふれた35人の生徒たちそれぞれの姿を映し出すことで、誰もが経験してきた「あの時期」に立ち返るような120分が展開する。
スタッフ
監督 | 竹林亮 |
企画・プロデュース | 栗林和明 |
ナレーション | YOU |
本記事では登場人物の個人情報に触れない形で感想を書いていきます。
ご了承ください。
14歳。子どもから大人へ
中学2年生、14歳と聞くと、どんなイメージを抱くでしょうか?
また、どんなことを思い出しますか?
中学2年生。
部活に入っている子たちは、3年生が引退し、自分たちが最上級生として部活のリーダー役になります。
生徒会に属している子たちは、3年生から引き継ぎを行います。
翌年に控える高校受験の4文字がちらつく子たちもいるでしょう。
また、中学校という環境に慣れてきて、自分の立ち位置や集団での振る舞い方をコントロールできる子も増えてくるはずです。
「中二(厨二)っぽい」という言葉もあります。
これは僕たちが中学2年生だった昔からあった言葉なのですが、中学2年生くらいの子たちが見せる、背伸びしがちな発言・行動を主に指す単語として認知されています。
“子ども”だった自分を脱ぎ捨てて、夢や将来を考えることも多くなってくるのではないでしょうか。
学校が世界の全てであり、かつ「大人」を意識し始める、一日一日が変化に富んだ時期だと思うんですよね。
「多感」という言葉で形容されることも往々にしてあります。
映画『14歳の栞』ではYOUさんのナレーションによって、こう綴られています。
子どもから大人になるその瞬間は、全ての生きものに訪れる。
この映画は、大人になるその瞬間、中学2年生の3学期をありのままに映し出した、リアルを徹底した作品でした。
幼く映る14歳たち
映画『14歳の栞』では、2年6組の35人のインタビューや行動を通じて、ひとりひとりの物語を紡いでいきます。
生徒たちは普段は紺色のジャージで登校し、授業を受け、3年生の卒業式には制服に着替えて出席するようです。
で、映画を観ていると、2年6組の生徒たちは結構幼く映ったんですよね。
小学生?って感じの見た目だったりとか、言動だったりとか、砂をかき集めて山を作っていたりだとか。
あれ?あの頃の僕ら、こんなに子供っぽかったっけ?こんなに垢抜けていなかったっけ?と思ったんです。最初は。
でも、思い返してみると、やっぱりあの頃の僕たちも圧倒的に子供っぽかった。むしろ2年6組の子たちよりも、もっとガキだったんですよ。
14歳だった私たち
『14歳の栞』では「やった」という言葉への過剰な反応だったり、うるさい男子に女子が苦言を呈したり、中学生ならではの甘酸っぱい学校生活が描き出されていました。
そしてそれは、僕たちも通ってきた毎日です。
僕らが子供の頃はまだ悪ぶることがかっこいいと思っていた時代で、「3年B組金八先生」とか、「キッズ・ウォー」のドラマに大きく影響を受けていました。
簡単に言うと、とにかくイキってたんですね。
先生に歯向かうことがかっこいいと信じ、帰宅部の不良たちはよその中学をシメただとかでアイデンティティを表現し、カースト上位の子たちはスポーツができるとか勉強ができるとかの文脈ではなくて、とにかく強いやつ。性別問わず。
いまの時代で見れば学級崩壊と受け取られかねないくらい、やりたい放題が許されていた環境でした。補導された子たちもいました。
小さい中学校で、同学年の多数が顔見知りだったという環境に対する甘えもあったかもしれません。
上下関係を含んだ人間関係は小学校から大体そのまま継承されました。
もし当時に10年後に何してると思う?って聞かれても、自分のなりたい職業を答える子はいても、どういう風に生活を送るのか、現実的な人生設計を答えられる子は多分いなかったと思うんですよ。
この狭い世界から自分が飛び出した時に、どれくらい小さい存在なのかを考えることはできなかった。
でも、『14歳の栞』に出てくる子たちは違います。
大人に映る14歳たち
「(夢を実現するには)14歳はもう遅いんです」という子がいたり、「市役所で働く」とか「子どもを何歳で持って」とか、社会の大きい枠組みで自分を客観視できる子たちが多いなあという印象でした。
イジリがキツめの子も、相手の立場を考えた「手段」としてイジっていると言っていましたね。そのイジりが本当に必要な手段であるかは別として、凄い。
14歳の僕らだったら「え、いつもやってるから」で終わらせてたと思うんですよね。そこに言語化できる理由とかなかったはずです。
そもそもですね。
こうやってカメラを構えて学校生活に密着します!なんて言われて自然に振る舞える中学2年生は凄いですよ。
自分たちだったら絶対カメラを意識してカッコつけたり、悪ぶってみたり、あるいはめちゃくちゃストレスを感じていたと思うんです。
ホワイトデーでお返しのプレゼントを自宅に持っていく男の子とかマジで凄すぎますよ。今までで一番緊張したって言ってましたけど、多分あの子の人生これからにおいても、なかなかあれを超えるドキドキはないんじゃないかと思います。
もちろん出演された生徒たちも、カメラの前だからこそ言えることや、言えないことがあると思います、それを差し引いても自然でリアルでした。よくぞここまで撮らせてくれました、見せてくれましたという思い。
むしろ先生の方がカメラを意識しているというか、こんなに毎日が授業参観っぽい雰囲気の先生いるの?って思いましたね…。
「クラス」っていう単位もいいですよね。
生徒たちは「2年6組ってどういうクラス?」という質問に、思い思いの答えを返します。
明るいクラス。みんなのことを考えて行動できる人が集まったクラス。
先ほども書きましたが、自分の中学は一つの小学校からそのまま持ち上がり、プラス他の学区から少しだけ新しい生徒が入ってくるという狭い環境でした。
新しい友達づくりとか、クラス単位の概念とか、そんなものは小学校の中学年くらいで終わっていました。
だから「このクラスが好き」って言っていた『14歳の栞』の2年6組の生徒たちには憧れを覚えたんですよね。
クラスでの私、本当の私
この映画の素晴らしいところは、2年6組の35人全員を主人公としてスポットライトを当てたことです。
14歳、中学2年生を題材にした映画ではありますが、生徒たちを「中2」という単語で一括りにすることはできません。
いつも一緒にいる仲の良い子同士でも、その子にとっての自分の立ち位置は違うし、それぞれが悩みを抱え、傷つき、振る舞い方を考えています。
だから観る人が、14歳の頃の自分を誰かに投影し、14歳の頃にいたクラスのあの子を誰かに重ね合わせることができる映画だと思います。
そこに脚色やヤラセはありません。
特に印象に残ったのは、自分がクラス内でどういうキャラなのかを考えている子が多かったことでした。
いわゆるキャラ変をしてクラスに染まる子もいましたし、キャラ設定を考えて生活していると告白した子もいます。
先ほど挙げた、イジりがキツめの子も、自分がイジりキャラであることを自分で理解しています。
また“本来の自分”を学校では完全に抑えていると語った生徒もいました。
14歳の栞を取り出して
僕らは何も考えず、やりたい放題に中2を過ごしていたわけですけども、クラス(というか学年)内での自分の立ち位置というのは、各々が理解していました。
勉強ができるキャラだとか、体育ができるキャラだとか、歌が凄くうまいキャラ、うるさいキャラ、おとなしいキャラ、イジりキャラ、イジられキャラ、一匹狼…。
そこから逸脱するのは実は結構大変で、例えば勉強してテストで凄く良い点数を取れるようになると、そこには逸脱した分の犠牲を払わなければいけませんでした。何でお前が的な。
だから本当は何かができるのに、できないふりをしている子が結構多かったんですね。
キャラ変をして本当の自分を発現するには、「世界の全て」の外に出る高校進学まで待たなきゃいけませんでした。それは往々にして高校デビューとか揶揄されます。
『14歳の栞』の舞台は結構大きい中学校なので、3年生のクラス替えでまたキャラ変する、せざるを得ない機会もあると思うんですけど、それでも早く“みんなの知らないところ”に行って本当の自分を表現したいと考える子たちもいました。
早く大人になりたい子もいれば、大人になんてなりたくない子もいて、2年6組のいまがずっと続けばいいと思っている子もいる。
そしてその願いはタイミングによって刻一刻と変わっていきます。立ち位置だって変わらないようで変わっていきます。
フィクションの青春映画みたいに、「この子はこうだ」みたいな明確なキャラクター設定は無いんですよ。
あの頃のとある日の自分やクラスメイトは「2年6組」のあの子だったかもしれないし、あの頃の何ヶ月か後の自分たちは、別のあの子だったかもしれない。
クラスの中でどういう風に過ごしたかによって、また過ごしたその思い出をどのように引っ張り出すかによって、受け取り方は無限大にあります。
2年6組35人の映画でしたが、この映画が描く、人生に挟まれた14歳の栞は、35枚にとどまりません。
35×いくつもの栞。
無数に挟まれた中学2年生の3学期という栞を、思い出のアルバムからめくり、14歳の自分と再会することを許してくれる映画でした。
最後にまた自分語りになりますが、僕自身は上級生の抑圧から解放され、自分たちの世界が全てだった14歳のあの頃が、今まで生きてきた30年余りの人生で一番面白かったと思っています。
2年6組の皆さんもこの先長い人生のどこかで、“14歳のあの頃”に立ち返り、思い出話を咲かせてくれたら嬉しいなと、おじさんは思います。
この映画でありのままの日常を見せてくれることを許してくれた35人の生徒の皆さん、そのご家族、先生方。
素晴らしい14歳の追体験をもたらしていただき、ありがとうございました。
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