映画『ぼっちゃん』〜性格ブサイクの果て〜

2016年1本目の映画は、2013年公開『ぼっちゃん』を鑑賞。

大森立嗣監督。

水澤紳吾、宇野祥平、淵上泰史、田村愛。

加藤智大容疑者による秋葉原の無差別殺傷事件に絡めて作られた作品である。

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ブサイクなのは外見か

秋葉原事件をモチーフにした、とは言うものの、映画の展開としてあの事件との関係は出てこない。

描かれるのは、長野県佐久の工場で働くことになった自称ブサイクの梶(水澤)の鬱屈して捻じ曲がった心である。

▲自称ブサイクの梶を演じるのは水澤紳吾。 (C)Apache Inc.

この作品には社会的、精神的な階級格差が色濃く出ている。
梶が職場でムカつくと言われて貶されたり、同じ時期に入社した岡田(淵上)に抑圧されたり、コンビニでお釣りを投げるようにして落とされたり。

ただし、岡田からの抑圧以外に関しては、梶本人にも原因があると思う。
いわゆる「いじめられる側にも原因がある」というアレである。

▲岡田(左)から蔑まれる梶。外見だけで同期からこうも抑圧を受けると可哀想だが、梶自身も色々と鬱屈している。 (C)Apache Inc.

梶はブサイクである。
梶は人に嫌われるのが怖い臆病である。

にもかかわらず、
彼は自分が劣った人間だと前提した上で、他の劣った人間を貶める。
自分が不遇であることを周りのせいにして、また自分の生まれてきた運命を呪う。
常に判断基準は自分が幸せかどうかではなく、他人が自分「よりも」幸せかどうかである。

▲自分と他者を比較してでしか幸せを測れない梶。自己愛の強さも印象的だ。 (C)Apache Inc.

僕もそうであったように、卑屈の塊である梶に共感できる人は少ないと思う。

『苦役列車』の貫多とはまた少し違うタイプのコンプレックス人間であり、ただ単に「どうせ俺なんて…」となるよりも「どうせお前らは俺を見て嗤っているんだろ」となる種類である。

その感情の発露が突然の大きな奇声であり、矛先は「自分以外の人間」全体になりうる。

作品内で「ブサイクだと心もブサイクになる」という台詞があるが、まさに文字通り、心までブサイクである。

 

顔が良ければ許される?


イケメン(梶いわくイケメソ)として描かれている岡田もまた彼なりのコンプレックスを抱いているわけだが、鬼畜の所業の割には現実感がどうも薄い。
言葉を変えれば、そこまで嫌悪感を抱かない。

抑圧という面で梶に対してのマインドコントロールの描き方が足りないのか、あるいは梶の心情描写が足りないのか、理由はよくわからない。

はっきりしているのは、岡田は自分に自信を持ち、犯罪を犯すときでも自分を信頼しきっており、かつ梶よりも顔が良いということである。

▲宇野祥平が演じる田中(右)は心が綺麗なブサイクといえるだろう。 (C)Apache Inc.

はっきり言って世の中、顔が良い方がそれは有利だ。

有利だけども、決して覆せない差ではないし、容姿で予期せぬところから妬み僻み恨みを買ってしまう人間もいるだろう。

宇野祥平が演じた田中を見て僕は思うのである。

心が綺麗なイケメン
心が荒んだイケメン
心が綺麗なブサイク
心が汚いブサイク

そして、女に振り向かれるのは三番目までだろうと。

容姿とはあくまでも人間の一面である。
顔が良いのに運動ができない、とか
顔が良いのにとても猫背、とか。

自分の中の様々な価値を探し、磨いていく。
男とはそういう生き物だと思う。

▲水澤と宇野は「まほろ駅前狂想曲」でも共演。 (C)Apache Inc.

あまりにも照明が暗すぎるカットとボソボソ喋りで少し減点。
ちょっと途中で中だるみしたかな。

★★★★☆。

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