こんにちは。織田です。
今回は2022年公開の『ケイコ 目を澄ませて』を紹介します。
『きみの鳥はうたえる』の三宅唱監督が小笠原恵子さんの自伝『負けないで!』を原案に描いたヒューマンドラマ。
生まれつきの聴覚障害で両耳とも聞こえない主人公のケイコを岸井ゆきのさんが演じています。
今回もネタバレを含みながら映画の感想を書いていきます。
あらすじ紹介
生まれつきの聴覚障害により両耳とも聞こえないケイコ(岸井ゆきの)は、下町の小さなボクシングジムで日々練習に励んでいた。彼女はプロボクサーとしてリングに立ち続けながらも、心中は不安や迷いだらけで、言葉にできない葛藤を募らせていた。「一度、お休みしたいです」とジムの会長(三浦友和)宛てにつづった手紙を渡せずにいたある日、彼女はジムが閉鎖されることを知る。
スタッフ、キャスト
監督 | 三宅唱 |
原案 | 小笠原恵子 |
脚本 | 三宅唱、酒井雅秋 |
小河恵子 | 岸井ゆきの |
小河誠司 | 佐藤緋美 |
小河喜代実 | 中島ひろ子 |
松本トレーナー | 松浦慎一郎 |
林トレーナー | 三浦誠己 |
会長の妻 | 仙道敦子 |
会長 | 三浦友和 |
記者 | 足立智充 |
映画のネタバレ感想
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
ボクシングが織りなす音
『ケイコ 目を澄ませて』は、荒川のボクシングジムで響く音から映画が始まります。
ミット打ちの音、縄跳びの音、サンドバッグを叩く音、ステップを踏む音。拳闘クラブには高低様々な音が響き渡っています。
野球ならキャッチボールの音やバットの金属音、バスケットならボールが弾む音やバッシュのキュッキュッという音がリズムを刻むように、ボクシングにはボクシングなりの“音”がありますよね。
そんな下町荒川の老舗ボクシングジムで、主人公・ケイコ(岸井ゆきの)はトレーニングに没頭しています。
ケイコのメニューの中で特に印象的なのは、トレーナーの松本と行うミット打ちでしょうか。呼吸の合った打ちと、フックのパンチをくぐるようにかわすウィービング。小気味良いリズムを刻むコンビネーションのミット打ちは、劇伴音楽のないこの映画において大きな存在感を放っていました。
この松本トレーナーを演じた松浦慎一郎さんは、『百円の恋』、『あゝ、荒野』、『アンダードッグ』、『BLUE/ブルー』 などボクシングを題材にした数々の映画で競技指導を歴任。『百円の恋』では主人公・一子(安藤サクラ)のトレーナー役を演じていました。
松ちゃんと奏でる信頼の証
一方、このミット打ちの音や縄跳びのロープが地面を叩く音、サンドバッグを叩く音は、ケイコには聞こえていません。トレーナーが裏で怒鳴り散らす声もそうです。
試合でもゴングの音や、レフェリー・セコンドの指示、勝ち名乗りも彼女には届きません。
試合シーンでは相手サイドからの指示ばかりが聞こえていました。ケイコ側のセコンドは林(三浦誠己)と松本がサインを使いながらケイコに指示を送っています。
ただ、聞こえないケイコをジムのみんなはボクシングの魅力にいざなっていました。その中でも上で挙げたミット打ちは圧巻です。
⋱#ケイコ目を澄ませて⋰
松本進太郎 / #松浦慎一郎
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「コンビネーションミットやろう!」まるで対話のようなミット打ちは
ケイコとの信頼関係の証ボクシングにも練習生にも
真正面から向き合う
トレーナーの誠実な<まなざし> pic.twitter.com/5qLM81vjjI— 映画『ケイコ 目を澄ませて』公式 (@movie_keiko) November 19, 2022
「対話のようなミット打ち」「ケイコとの信頼関係の証」。
その言葉通りでした。あのシーンは双方の信頼関係があり、パターンを染み込ませ、かつ同じだけの本気度を有していなければできませんよね。
ケイコにこまめに声をかけ、連絡事項があれば丁寧にメールを送る松本。彼は——会長や林トレーナーももちろんそうだと思いますが——ともにトレーニングをすることでケイコの素質、情熱に向き合うことに喜びを感じていました。時に失望もしましたが、大きな期待をかけていました。
終盤のコンビネーショントレーニングでは彼女に情熱が戻ったことを確信し、松本は感極まります。いや、泣きましたよ。試合ではなく練習風景でこの感情を描いたことが素晴らしすぎました。
また、音が聞こえないと上で書きましたが、ケイコの中で“拳闘”を実感できるのは“澄ませた”目だけではありません。
「入会をしてサンドバッグを叩いてみると、音は聞こえなくても、振動が全身に伝わってくる。普段味わえない感覚が得られて、快感でした」
こちらはSportivaに掲載された、原案者・小笠原恵子さんの記事(取材・文:泊貴洋、撮影:山本雷太)を引用したものです。
パンチの衝撃、重み、痛み。その感触を快いものと噛み締める魅力が伝わってきます。
インタビュー前編<いじめで不登校、無視したとケンカを売られ…耳の聞こえない女性がプロボクサーになるまで「臆病者だから、強くなりたかった」>
インタビュー後編<「恵子、プロになれ」試合出場を却下され続けた女性ボクサーを勇気づけた盲目の指導者の言葉「ずっと誰かに言ってほしくて」>
誠実な登場人物たち
松本トレーナー(松浦慎一郎)だけでなく、この映画の登場人物たちは実に誠実です。
「素直で人間としての器量がある」「本当に正直やな」と評されていたケイコ(岸井ゆきの)はもちろん、彼女を見守る会長(三浦友和)、林トレーナー(三浦誠己)からもガチンコで向き合う温かさを感じます。ケイコに対してだけじゃなく、全ての練習生に対してです。マジでボクシングと人が好きなんだなと感じさせられます。
ジムに通う選手たちも素晴らしかったです。
林トレーナーの「コンチワ!」「ハイ、サヨウナラ!」という挨拶にしっかりと答え、自分たちが上がる際にはケイコに手話で挨拶。
さらに終盤には、情熱を取り戻したケイコと松ちゃんのコンビネーションミットを見て、練習生がケイコたちのステップに着目して習得しようとしています。横で林さんが一緒にステップを踏んでいましたけど、指導者からすると仲間の技術を吸収しようとする姿勢を見るのはすごく嬉しいことだと思うんですよね。
目を澄ませて
誠実っていうのは対面の相手としっかり向き合うってことだと思います。
今回の映画でいえば「目を澄ませる」が一つの答えで、目を澄ませてるのはケイコだけじゃなくて周りの人も同じ。
彼女にとっては口元の動きを読み取ることがコミュニケーションの上で大事な役割を果たしていたのはコンビニや警官とのやり取りで見ての通りですが、ジムの人たちも弟の誠司(佐藤緋美)やその彼女(中原ナナ)も、ホテルの同僚女性も、しっかりとケイコの顔を直視して彼女と向き合おうとします。
誠司は自らもボクシングジムに体験入会し、誠司の彼女は手話を覚えて、ケイコに寄り添っていきました。
そしてケイコもまた、相手の立場に立って向き合っていきました。
特に印象的だったのは、ホテルの清掃でペアを組む男の子に対してです。
ベッドメイキングが少々雑でシャツの後ろが出ているバディーくん。多分後輩なんでしょう。で、ケイコは彼のセットしたベッドをこれまで何も言わずに後で直してきたんだと思います。教えるのは手間がかかるし、自分でやった方が早いから。
そんな彼女が終盤で彼にやり方を実技で教えます。身振り手振りを交えて「こうですか?」と行う後輩くんに、もう一回、もう一回とやり直させます。笑顔を携えながら。
ボクシングジムでは、「女ばっかり教えてて強くなれないから」「このジムもうすぐ閉めるって聞きました」と言ってやめた子がいましたよね。
彼のやめた理由は自分が上達できない言い訳に過ぎません。
例えば彼が雑なルーム清掃を他の従業員に注意されたとします。
そしたら彼の中では、だってケイコさん全然そんなこと教えてくれなかったし…となってもおかしくないんですよね。ペアで仕事をしていながら、ケイコにはとっつきにくさが多少あったように見えます。
でもそうなる前にケイコは彼の側に立ちました。目を見て、やり方を教えました。
ケイコが見せた笑顔は、彼女自身が他者と向き合う充実感、喜びに満ちていることを示唆します。(もちろんその前段階として、弟の彼女と分かり合えたこともあったと思います)
淡々が紡ぐ美しさ
この映画ではボクシングの試合がゴールとして描かれていません。
2021年の試合は無観客での開催で会場の熱気とは無縁でしたし(緊急事態宣言が出てた頃でしょうね)、ボクサーとしての成長譚でもなければ、試合での勝敗に彼女が歓喜・落胆を表すシーンもありませんでした。
一方で、扇風機の風を目覚ましにしているケイコの難聴者としての実際や、コロナ禍におけるマスク社会についてもこの映画の一つのポイントだとは思うものの、それに特別な扱いをしているかというと別です。
北千住や葛飾あたりと思われる荒川沿いの下町も、主張することなく淡々と紡がれていきます。
静かにめくられる日常。その中で試合に挑むボクサーがいて、ジムの廃業や会長の闘病といったこともありました。それらも、悲壮感をいたずらに掻き立てることも騒ぎ立てることもなく描かれます。
でもケイコと同じように、みんなが静かに戦っていました。人と、自分と真っ直ぐに向き合いながら戦い、毎日を生きていました。
極めて純度の高い、誠実な映画でした。
そしてその誠実さを人情味あふれる、とまではいかず静かに表現した出演者の皆さんが素晴らし過ぎました。
この世界に、人たちに五感を澄ませながら、実直に生きていく素晴らしさがこの映画にはあります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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