映画『金星』ネタバレ感想|自分の足で歩き出せ。10代の大倉裕真と岸井ゆきの

映画『金星』:宣伝部のブログ から引用

アイキャッチ画像の出典:映画『金星』:宣伝部
 
 

こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

今回ご紹介するのは、2011年に公開された『金星』です。
下北沢の映画館「トリウッド」と共同映画制作プロジェクトを組み、専門学校東京ビジュアルアーツの学生たちが自分たちで制作・宣伝していく「トリウッドスタジオプロジェクト」の作品。

視覚障がいを持つ少年と少女が主人公となっており、大倉裕真岸井ゆきのが出演しています。撮影時は大倉さんが15歳、岸井さんが19歳。

10代の多感な時期をリアルな体温で演じています。



あらすじ紹介

生まれつきの視覚障がいを持つ全盲の少年・俊(大倉裕真)は、顔に大きなアザを持つ弱視の少女・ほのか(岸井ゆきの)をハイキングのデートに誘う。

俊の介助者である聡子(渡辺真起子)がサポートに回り、車の運転は聡子の兄・勇治(稲増文)が務めた。しかし、山中で出会った大学生に差別を受けてしまう俊とほのか。障がい者ゆえに助けてもらって当然と考えていた俊は激怒し、大学生を激しく罵ってしまう。

俊(大倉裕真)は生まれつきの視覚障がいを持つ全盲の少年。ある日、弱視(ほとんど見えない)の少女・ほのか(岸井ゆきの)をハイキングのデートに誘います。
ほのかは大きな火傷を負ってアザが顔に残り、目もほとんど見えなくなってしまいましたが、「かつては見えていた」ことが俊と異なります。

映画内では聡子(渡辺真起子)が「俊」と呼び捨てにしているので少し分かりにくいのですが、聡子は俊の介助者です。聡子の兄の勇治(稲増文)に運転手を頼み、4人はハイキングに出かけました。

 
視覚障がいをテーマにしていますが、いわゆるお涙頂戴や同情を誘うタイプの作品ではありません。
その一方で押し付けがましさもなく、60分と尺も短いのでストレートに響きます。
また、この映画は誰に寄り添いながら鑑賞するかで見え方が変わってくる作品だとも思います。

『金星』のスタッフ、キャスト

スタッフ、キャスト

監督・脚本:早川嗣
佐々木俊:大倉裕真
小宮山聡子:渡辺真起子
河合ほのか:岸井ゆきの
長田勇治:稲増文
川田信明:中村織央
大村望:淺野道啓

岸井ゆきのさんと渡辺真起子さんは朝の連続ドラマ『まんぷく』(2019)にも出演していましたね。
また、川田という大学生役を演じた中村織央さんは身長187cmとのこと。映画内でも圧倒的なスタイルの良さを見せています。マジで9頭身くらいなので全身の映っているシーンは必見!

キャスト紹介については映画『金星』:宣伝部さんの公式ブログ記事が詳しいです。
キャラクター写真とともに是非ご確認ください!

『金星』の岸井ゆきの

撮影当時19歳だった岸井ゆきのさんの役回りは、火事で顔に傷を負い、視力も落ちて身体的なコンプレックスを背負う少女・ほのかです。

ほのか役:岸井ゆきのさんインタビューはこちら(映画『金星』:宣伝部)

今作は主役の大倉裕真に焦点が当たることが多かった中で、彼女の“らしさ”が垣間見えるシーンをピックアップしてみました。これからご覧になる際はぜひ注目してみてください。

あたし山とか好きですよ

ハイキングに向かう車中。
「海の方が良かったんじゃないの?」と軽口を叩く勇治に「あたし山とか好きですよ」と、ほのかが返すシーンがあります。

この「とか」が、凄く自然会話っぽくて良いんですよね。別に「あたし山好きですよ」でも「あたし山も好きですよ」でも意味は通じるんですよ。
「とか」っていうのは、本来2つ以上のものを羅列する時に使うものだったり、「的な」みたいに対象をぼかすための言葉です。

そんな「とか」っていう単語をこの文脈で使ったほのか。さりげないシーンではありますが、個人的に岸井ゆきのっぽさが凄く現れているセリフだと思います。

元気を失っていくほのか

ほのかは登山中のある出来事をきっかけに、顔に影を落とすようになります。
にっこり笑うことも、口を開くこともほとんどなくなります。

聡子と一緒に登山する時、下山する時で全く表情が違うところは必見。
セリフを使って感情やシチュエーションを表すのがとても上手な女優さんですが、映画後半では「沈黙」によって、ほのかの負った心の傷を表現しています。

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。



映画のネタバレ感想

以下、この記事はネタバレを含みます。ご注意ください。

全盲少年の“当然”

全盲の少年・俊(大倉裕真)ほのか(岸井ゆきの)とのデートを待ちきれない様子で、待ち合わせ場所に30分以上前に到着しています。
後からやってきた介助者・聡子(渡辺真起子)に遅いよと口を尖らせ、ほのかのことを「声が良いんだ」と聡子に説明します。

目が見えない俊の得られる情報は限られます。ほのかの「良い声」は俊の研ぎ澄まされた聴覚にとても心地よく響くものなんですね。

そもそも、気になる子とのデートに第三者である介助者(聡子)を同伴するのが嫌だという見方もあるかもしれませんが、俊は恐らく「デートなのに介助者付きの僕は少しかっこ悪くて恥ずかしい」だなんて思っていません。

ほのかと合流し、勇治(稲増文)の運転で山の入り口の駐車場に着いた一行。車内のラジオでは「今日は金星が地球に接近し、すごく明るく見えるらしいですよ」という話が聞こえます。

ウキウキの俊は場を仕切り出し、聡子と連れ立ってトイレに向かいます。聡子は手取り足取り支えながら石段を一段登ったところにある簡易トイレに、俊を案内しました。

このシーンで、俊は「自分は障がい者だから助けてもらって当たり前」、聡子は「俊は障がい者だから私が助けてあげて当たり前」という立ち位置が分かります。
そんな二人を、勇治はセブンスターを吸いながら不満そうな目で見やります。

言い訳とわがまま

4人は俊と聡子、ほのかと勇治というペアで山登りを開始します。

俊はほのかのペアに遅れを取ります。
からかう勇治にムッとした俊は、随伴する聡子に「(ほのかは)ちょっと(目が)見えてるからしょうがないじゃん」とこぼします。

さらに、僕が速く進めないのは荷物が重いせいだと言って道を外れ、隠れるようにして自分のリュックの中身を聡子のリュックに詰め込んでもらいます。コソコソと。

「ヘタレに見られんじゃん」

それくらいやってくれて当たり前でしょうとばかりに愚痴る俊。聡子も一瞬、表情を硬く強張らせます。
その様子を陰から勇治も覗いていました。

東屋での休憩を挟み、勇治はペアの交代を提案。自分は俊と組み、ほのか&聡子ペアと「勝負(どちらが早く着くか)しようか」とけしかけてヘタレな俊を煽ります。
それぞれのペアは別ルートを進むことになりました。

自分の力不足を認めようとせず、言い訳がましく弱音を吐く俊に、必要以上に介助することなく勇治はズンズンと山道を進んでいきます。

してあげること、しないであげること

映画の前半部分では、俊の甘えぶり、手を貸してもらって当然という描写が目につきました。
また、聡子があまりにも俊の身の回りの補助をやりすぎている、彼を甘やかしている描写もうかがえます。俊とほのかに対して、明らかに介助のレベルが異なります。

これって、障がい者の介助に限らず、子育てとか教育とかにおいても起こりうることですよね。

例えば子供のことが心配だから手を取って、危険な目にあうことがないように一から十までやってあげて。
その結果、子供は自分一人でできることの“限界”を知ることができなくなってしまったり。
自転車の荷台をいつまでも離さずに支えてあげているばかりでは、乗れるようにはなりませんよね。

聡子は「(俊に)できることとできないことがある」(だから私がついててあげなきゃ)と話しましたが、何から何まで手助けしているままでは「できないことをできるようになる」ことが難しい、そんなことも思わされます。

一方で勇治は「手を貸すこと以外の支え方がある」ことを僕たちに示してくれるキャラクターですね。
自分とは違う立場の人と出会った時に何ができるのか。未熟な俊とついつい過保護になってしまう聡子、そして一歩引いたところから見守る勇治から、取るべき行動が見えてくる気がします。

お子さんを持つ親御さんが観ても興味深い映画かもしれません。



障がい者と健常者

顔にアザを持つほのかと山中で出会った、写真好きの大学生の大村(淺野道啓)
ほのかが嫌がるにも関わらず、目が見えないことをいいことに“珍しいもの扱い”して顔の写真を撮った大村に、俊は激昂します。

「目が見えないから見えないと思って撮ったんだろ?見世物じゃないんだよ僕らは。すげぇ傷ついたんだよ!」
「偽善者!言い訳すんな!」
「ちゃんと謝れよ」
「頭おかしいんじゃねえの?」
「謝る気が伝わってこないんだよ」

当初は渋々謝っていた大村でしたが、俊の剣幕に押され、頭を下げ、何度も謝罪の言葉を口にしました。
写真のデータが入ったメモリーカードも勇治に渡しました。

大村がしたことは確かにほのかの気持ちを踏みにじった、断罪されるべき行為でした。間違いなく加害者でした。
当然謝るべきは大村です。
それでも俊の一旦入ったスイッチは止まりません。
大村のカメラからほのかを守れなかった後悔を晴らすためのものだったとしても、言い方には限度というものがあります。

何と謝れば許してもらえるのだろうか?
どうすればこの罵倒は終わるのだろうか?

頭に血が上った相手にまくし立てられて、こちらの非を謝っても謝っても事態が収束しない。そんな経験をしたことはないでしょうか。

暴言か。正論か。

流石に言い過ぎでは…と思っていた矢先、大村の連れの大学生・川田(中村織央)が口を開きます。
山頂のトイレで俊を手伝ったにも関わらず、俊からはありがとうの一言も帰ってこなかった大学生です。

「礼の一つもなくて、助けてもらって当然って感じでしたよ。こっちの非にはえらく厳しいし、正直イラっとしますよ」
「そんな偉いんですか?障がい者って」

ほのかが障がい者であることを利用していた大村と異なり、川田は単に困っていた俊を助けただけです。
何なら大村の暴走はとばっちりであり、連帯責任で謝らされ、罵倒されたわけです。

「障がい者」という言葉を使って反論したことで、差別的な発言に見えるかもしれませんが、川田の言葉は正論でしょう。
被害者意識を盾にしていたら何を言ってもいいの?っていう話です。

映画内で勇治が「よく言ってくれたよ」と苦笑いしていましたが、川田の言葉は俊にとって大切な「傷」をつけます。
相手が障がい者だからと言って、「自分と違うから」とか「かわいそう」で消化させるのではなく、しっかりとダメ出しをしたことで、この映画の懐の深さがわかります。

白杖を捨てて

これまで書いてきたように俊に対しては「わがまま」だとか「甘え」とか様々な感情を抱きましたが、そんな俊の未熟さや青い純粋さを表現した大倉裕真は紛れもない主役だったと思います。

映画終盤で、俊は白杖も持たずに聡子とほのかの元を去り、駆け出しました。つまずきそうになっても自分の足を動かし、手探りで走っていきます。

「障がい者は恋も自由にできないのかよ」
「障がい者に優しくする奴はみんな偽善者」
「健常者にはわからないよ!」

追いかけてきた聡子と本気をぶつけあって、二人は一つ殻を破っていったわけですが、帰り道も俊は聡子の手を借りずに勇治とほのかの元へ帰りました。
映画前半の登山シーンでは考えられないことです。

今まで聡子におんぶに抱っこしてきた俊が、自らの足だけで歩いた夜道。
その先に新しい世界が見えたことで「きれいごとばかりじゃない だけど、きれいなものもちゃんとある」という映画のメッセージが際立ちました。

ちなみにこの『金星』は、画面を見ずに音声だけ聴いても、大体の内容を把握できます。
聡子と勇治は目の見えない俊、ほのかとコミュニケーションを取る際、そこには必ず言葉が介在します。
俊とほのかには、どんな世界が見えているのか。目を閉じて鑑賞してみるのも一つの楽しみ方かもしれません。

 
※本作とは異なったアプローチで身体障がい者と健常者を描いた『暗闇から手をのばせ』という作品もあります。興味のある方はどうぞご覧ください。

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2019年12月2日

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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