映画『余命10年』ネタバレ感想|献身的な家族にグッときた

タイトル画像

こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

今回は2022年公開の映画『余命10年』をご紹介します。
主演に小松菜奈さん。監督は『青の帰り道』などの藤井道人監督

タイトルの「余命10年」からも分かるように、自らの余命を宣告された主人公・茉莉(「まつり」と読みます)が、青年・和人(坂口健太郎)と出会い、彼女の10年が大きく動いていく物語です。

茉莉と同様に難病を抱え、小説の文庫化を待たずして亡くなった著者・小坂流加さんの遺した想いを引き継いで演じた、と映画のフライヤーには記されていました。

余命10年のフライヤー

この記事では『余命10年』を鑑賞して私が感じたことの感想になります。なお原作は未読です。

ネタバレを含みますのでご注意ください。



あらすじ紹介

数万人に一人という不治の病を患う、20歳の高林茉莉(小松菜奈)。余命が10年であることを知った彼女は生きることに執着することがないように、絶対に恋をしないと固く心に誓う。地元で開かれた同窓会に参加した茉莉は、そこで真部和人(坂口健太郎)と出会う。恋だけはしまいと決めていたはずの彼女だったが、次第に和人に惹(ひ)かれ、その運命も大きく動き出す。

出典:シネマトゥデイ

発症確率の低い難病という題材は『10万分の1』(2020)とも似ています。
本作品『余命10年』の主人公・茉莉は肺動脈性肺高血圧症という病気と闘っています。

難病情報センターさんの解説から引用させていただきます。

ヒトが生きるためには、きちんと「呼吸」をして「大気中の酸素」を肺から体の中に取り込む必要があります。しかし、「呼吸」するだけでは体の中に酸素は取り込めません。「肺から取り込んだ酸素」を、心臓に一度戻して、さらに全身に送る必要があります。

心臓から肺に血液を送るための血管を「肺動脈」といいます。この肺動脈の圧力(血圧)が異常に上昇するのが「肺動脈性 肺高血圧 症(PAH)」です。肺動脈の圧力が上昇する理由は、肺の細い血管が異常に狭くなり、また硬くなるために、血液の流れが悪くなるからです。

必要な酸素を体に送るためには、心臓から出る血液の量を一定以上に保つ必要があります。狭い細い血管を無理に血液を流すように心臓が努力するために、肺動脈の圧力(血圧)が上昇します。 しかし、何故このような病気が起こるのかは解明されていません。この病気の原因解明が必要であり、有効な治療法の研究開発のため、「肺動脈性肺高血圧症(PAH)」は「難治性呼吸器疾患(指定難病)」に認定されています。

出典:肺動脈性肺高血圧症(指定難病86)

スタッフ、キャスト

監督 藤井道人
原作 小坂流加
脚本 岡田惠和、渡邉眞子
高林茉莉 小松菜奈
真部和人 坂口健太郎
富田タケル 山田裕貴
藤崎沙苗 奈緒
平田先生 田中哲司
ゲンさん リリー・フランキー
茉莉の姉 黒木華
茉莉の母 原日出子
茉莉の父 松重豊

沙苗(奈緒)は茉莉が東京で通っていた大学での友達です。このほかにも美弥(上原実矩)サオリ(三浦透子)といった大学の友人がいて、この4人が仲良しグループのようです。

一方で和人(坂口健太郎)タケル(山田裕貴)は、茉莉の中学(静岡県)時代の同級生です。

この後、本記事はネタバレ部分に入ります。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



映画のネタバレ感想

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

 

私が闘病映画を苦手な理由

個人的な嗜好を前置きさせていただくと、私は「余命〜」とか病気を描いた映画が苦手です。

理由としては「薄幸」や「悲劇」として病気を捉え、可哀想とか終末を意識させる作りのものが多いからです。仕方ないことなんですが、助からない未来を覚悟しながら観るのはなかなか堪えます。

加えて、闘病する当事者だけでなく、その周りの人々——主に家族になってくるでしょうが——の描き方についても、とても繊細なものが求められるからです。

一方で映画やドラマなどで作品化することによって、病気についての周知を促したり、どのように向き合っていくべきなのか?と観る側が考えていく契機作りは確かにあると思います。

だから病気と闘う主人公をテーマにした作品を観るときは「悲しい」とか「泣いた」とかではなくて、自分が登場人物たちの振る舞いからどんな影響を受けたかを感想の軸として見てきました。

本作品『余命10年』においても基本的には同じです。
余命10年を告げられた茉莉(小松菜奈)や彼女の周りの人を見て、自分はどう向き合っていくだろうと考えながらの鑑賞になりました。

余命10年

まずこの映画でシビアだなと思ったのは、主人公・茉莉(小松菜奈)が自分の余命は(長くて)10年だと認識していることです。

これは実際に医師(田中哲司)から告知されたのか、自分で調べて辿り着いたのか、同じ病気で入院していた礼子さん(安藤聖)から教わったのか判然としませんが、彼女が悟っている余命に対して家族や医師は否定しません。現段階で不治の病であることも否定しません。

近年はがんの医療などにおいても「告知」をすることが多いそうです。突きつけられた現実を受け入れた上で向き合っていきましょうというのは、想像できない苦しさです。

彼女の家族はもちろん、友人の沙苗(奈緒)たちも茉莉の置かれた状況の厳しさは理解しているようでした。

2013年の夏、入院生活を終えて自宅療養になった茉莉が沙苗、サオリ、美弥とお店で食事するシーンがありましたが、あの時に茉莉は「懐かしいね、大学の時みたいで」と言っています。

何気ない一言ですがこれはしんどかったですね…

卒業証に2012年度卒業とあったので、沙苗たちはその年の春に大学を卒業していたはずです。
つまり「大学の時」がついこないだまで日常にあったわけです。

でも茉莉にとって沙苗たちと食事をして喋ることは3年ぶりのことだったんですよね。あの会に「懐かしい」という感覚を受けるのは、あの場で茉莉だけだったと思うんです。
きっと沙苗たちも、あの言葉を聞いてハッと気づくところがあったんじゃないでしょうか。

家族と茉莉

上野駅(2017年撮影)

『余命10年』で一番素晴らしかったのが、茉莉(小松菜奈)の家族の描写です。

茉莉には父(松重豊)母(原日出子)、それに姉の桔梗(黒木華)がいて、(おそらく東京・日暮里付近の)一軒家で生活しています。

外出をする際にはお父さんが車で迎えに行ける態勢をとっていて、それを茉莉は冗談まじりに「過保護」と表現していました。

茉莉の家族の日常は詳しく描写されていないので、いつも家にいるのかはわからないんですが、少なくとも休日の日、お父さんは茉莉のチェアの手入れをしたり廊下に手すりを設置したりしていますし、お母さんも茉莉が帰って来るといつも家でおかえりと迎えています。

お姉ちゃんも含めて家族全員の日常が茉莉を中心に回っていました。
有事の際にも慌てずに対応していました。

これは想像なんですけど、茉莉たちが地元の静岡・三島ではなく東京に一軒家を構えて住んでいることも、彼女の発症を受けての移住なんじゃないかなと思うんですよね。茉莉が適切かつ最良の医療を受けられる場所を選択したのではないかと思います。

その東京移住には決して少なくない代償が支払われていたはずです。でも茉莉のことを思えば痛いなんて言ってられないですよね。

裏を返せばそれだけ茉莉の状況はセンシティブなものと言えますが、茉莉はそんな家族の献身に対して「そんな構わないで!」とか言い放ったりなんてしません。
ここが凄く良かったです。

若くして難病と闘う物語の場合、主人公が絶対安静の状況下を抜け出してやりたいことをして(=リスクを冒して)、親が「私たちがどれだけ心配したかわかってるの!?」と怒るシーンがよく見られます。

大体はその主人公を連れ出す“共犯者”がいて、その子は特にこっぴどく怒られます。家族外の人間だから当たり前ですよね。

『愛唄 約束のナクヒト』『君は月夜に光り輝く』でも見られましたね。

もちろん当事者が観察と庇護の下に置かれて籠の中の小鳥状態だとか、親の立場からしたら繊細なリスク管理を一発の暴走でぶち壊される怖さとか、両面の言い分があるんですが、『余命10年』の茉莉は自分が観察下に置かれていることも家族がどれだけ心と時間を自分のために砕いているかもわかった上で、脱出を選ばなかったんだと思うんですね。

黒木華の姉貴から「両親の前で“死ぬ”は絶対に言わないで」と言われたことも守っていました。大人です。
「カズくん、私を連れ出して」みたいにならなかったことはとても良かったと思います。

逆に親も茉莉を極力縛り付けないように腐心している姿がよくわかります。茉莉が仕事決まったと言った時の反応。彼女の署名記事が掲載されたときの反応。茉莉を「おかえり」と迎える時の声。

この作品で一番の見どころを聞かれれば私は両親を挙げます…!最初から最後までグッときました…

死ぬのが怖い

ただ茉莉と良好な関係を築き、彼女を見守る両親であっても辿り着かなかった部分もあったと思います。

茉莉が抱える「死への恐怖」です。

茉莉は入院を終えた後も、恋はしないと心に決めていました。
生きることに執着しないためです。生きることに執着するということは、迫り来る死が怖くなるということです。

和人(坂口健太郎)と時間をかけて関係を築いても、茉莉はカズくんと永遠の関係になることを拒みました。
「これ以上カズくんといたら死ぬのが怖くなる」とこぼした彼女の言葉が全てですよね。

和人に別れを告げてスノボ旅行から帰ってきた茉莉は両親の前で、死ぬのが怖いと泣き崩れました。

これを聞いた時のお母さんは、弱さを打ち明けてくれた茉莉を抱きしめたわけですけども、それって本当に茉莉の恐怖と向き合っているかといえば違うと私は思うんです。

茉莉が死ぬことを怖いと思っているのと同じように、あるいはそれ以上に顕在するかたちで、家族は茉莉の寿命を恐れています。だからこそ茉莉の周りから、死ぬとか生きるとかの単語を丹念に取り除いてきました。

でも家族の抱える恐れは茉莉のものと違います。両親やお姉ちゃんが茉莉と同じ境地に立つことは無理です。

これは家族側に問題があるとかではなくて、置かれた状況が違う以上は仕方のないことです。生きたい人と生かしたい人は、イコールにはならないんですよね。悲しいですけど。

病の彼女の外側で

谷中銀座の写真

谷中(2021年撮影)

最後に坂口健太郎さんが演じた和人についての感想です。

正直なところ私はこの映画の和人というキャラクターが好きではありませんでした。
茉莉との距離の縮め方も告白の仕方も、田端や日暮里を疾走する姿も、涙をこぼすシーンも、う〜んって感じでした。

先ほどから書いてきた、茉莉の恐怖と向き合うっていう部分から一番遠いところにいたのは和人だったと思います。
病気、生死を身近に意識する茉莉や彼女の周りに比べると、一人だけ蚊帳の外にすら見えます。実際途中まで彼女の病気を治るものだと思っていましたしね。

ただし、逆に言えば和人は、茉莉に「病気」というフィルターをかけない唯一の存在だったとも見れるのではないでしょうか。

家族も大学の友達も、病から茉莉を切り離して関わることができませんでした。それはそうです。知ってたら当然です。
友達の美弥(上原実矩)は持病持ちという共通点から男を紹介しようともしました。

もちろん100%の善意に基づいたものでしたが、あれで株下がりましたよね…笑

みんなが「茉莉のために」という利他を軸に動く中で、和人だけは「茉莉ちゃんは俺が世界に生きる意味」だといって茉莉を求めてくるんですね。

自分本位と言うとあれですけど、行動の原動力は彼自身の想いだったり願いだったりするはずです。それほどまでに愛された茉莉もまた、和人の存在が生きる意味になり、持たないようにしていた生への執着が顔を出していったんでしょう。

そんな和人が至った境地を紡いだRADWIMPSの主題歌「うるうびと」は、あまりにも素晴らしかったです。
救う突破口を何とかして見出そうとする姿勢だったり無力感だったり、「来世」へ同時に飛び込む覚悟だったり。

個人的には本編中の和人からそこまでの意志を感じなかっただけに、「うるうびと」でこの映画が締めくくられたのはとても腑に落ちました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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