こんにちは。織田です。
今回はサッカーのクロアチア代表を取り扱った映画『ヴァトレニ クロアチアの炎』を紹介します。
1998年のFIFAワールドカップで躍進を見せたクロアチア代表。当時選手だった人物たちの声を通して、その栄光、クロアチアの歴史、サッカーの代表として国を背負うことなどを炙り出したドキュメンタリー作品です。
タイトルのヴァトレニとは「炎の男」という意味で、クロアチア代表の愛称です。イタリアの「アズーリ」のように代名詞と言ってもいいかもしれませんね。
1998年ワールドカップのクロアチア代表をご存知のサッカーファンの方には特に観ていただきたい作品です。
※こちらは当時「ヨコハマ・フットボール映画祭 オンラインシアター」で鑑賞しましたが、2022年12月の確認時点ではレンタル配信が終了していました。
この映画では
前半部分で1980年代後半から90年代前半にかけてのクロアチア国家の歴史を、
後半部分では1998年ワールドカップで見せたクロアチア代表の躍進を描いています。
- クロアチアという国について
- サッカークロアチア代表
- 映画の感想
本記事では、映画『ヴァトレニ クロアチアの炎』をこれから観る上で、あるいは観た後に知っておきたい背景を紹介し、後半で映画本編への感想を綴っていきます。
作品の展開に触れていきますので、事前情報を持たずに鑑賞したい方はご注意ください。
あらすじ紹介
サッカーは人々を結びつけるが、時に社会を分断することもある。
ユーゴスラビア連邦からの離脱の引き金となったマクシミールスタジアムでの暴動、泥沼の独立戦争、そして初のワールドカップでの国民の期待と歓喜。。。
激動の日々を過ごしたクロアチア代表の監督、選手たちが重い口を開いた。
スタッフ、キャスト
監督 | エドソン・ラミレス |
クロアチア共和国について
皆さんはクロアチアという国を聞いてピンとくるでしょうか?
国旗の中央にあしらわれた赤と白の市松模様が印象的なので、国旗の認知度は高いかもしれませんね。
サッカーが好きな方には馴染みがあると思いますが、そもそもクロアチアってどこにあるんだっけ?というところからお話ししていきます。
クロアチアの位置
クロアチアはヨーロッパのどこに位置しているのか見てみましょう。アドリア海を挟んでイタリアと向かい合っているような場所です。
首都はザグレブ。国土面積は56,594平方kmで、北海道の約2/3です。岩手・秋田・宮城・山形・福島を足したくらいの大きさですね。(分かりづらい)
人口は406.8万人(2019年:クロアチア政府統計局。外務省HP参照)。こちらは静岡県(374万人)より少し多いくらいです。
クロアチアというと、世界遺産になっていて「魔女の宅急便」の舞台の一つにもなった港町・ドゥブロヴニクが有名です。
こちらはアドリア海沿いに細長〜く伸びた国土の南端にある町。実は飛び地です。
首都のザグレブからバスで行くと10時間前後かかるそうです。飛行機の一択ですね…。
クロアチアとユーゴスラビア
クロアチアは1991年6月25日に、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立を宣言します。
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(旧ユーゴ)はスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアと6つの共和国で構成。さらにセルビア国内にはヴォイヴォディナ、コソボと2つの自治州も存在していました。
旧ユーゴスラビアについては社会の授業でこのように習った方もいるかと思います。
「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」
- 7つの国境:アルバニア、イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ
- 6つの共和国:スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア
- 5つの民族:セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人
- 4つの言語:セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語
- 3つの宗教:カトリック、セルビア正教、イスラム教
- 2つの文字:ラテン文字、キリル文字
- 1つの国家:ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
多様性に富んだ国家がゆえの表現でしたが、当然その“1つの国家”を運営していくことは難しく、クロアチアやスロベニアはより独立性を高めたいという考え方をするようになります。
クロアチアの独立戦争は1991年から95年まで続き、多くの犠牲者、傷跡を残しました。
旧ユーゴからクロアチア、スロベニア、マケドニア(現在の北マケドニア)、ボスニア・ヘルツェゴビナの各国が分離・独立したことで、残されたセルビア(コソボ含む)、モンテネグロはユーゴスラビア連邦共和国として1992年から2003年まで連邦国家の形で存続します。
サッカーユーゴスラビア代表
サッカーの「ユーゴスラビア」代表についても少し触れておきます。
90年代のサッカー・ワールドカップでは1990年大会と1998年大会に「ユーゴスラビア」が出場しましたが、1990年大会に出場したのは「旧ユーゴスラビア」、そして98年に出場した「ユーゴスラビア」は現在のセルビア、モンテネグロ、コソボに当たるユーゴスラビア連邦共和国です。
90年大会のユーゴにはクロアチア人も含まれていましたが、98年大会では「クロアチア」という国家で初出場を果たしました。映画『ヴァトレニ』はそのクロアチア代表を描いた映画になります。
1990年のW杯に出場した旧ユーゴを率いていたのは、日本代表やジェフ千葉の指揮もとったイビチャ・オシム監督。彼はボスニア・ヘルツェゴビナの出身です。
名古屋グランパスで選手、監督として活躍したセルビア出身のドラガン・ストイコビッチ、後に母国スロベニアをW杯出場へ導いたスレチコ・カタネッツ、ACミランでCL制覇に輝いたモンテネグロ出身のデヤン・サビチェビッチ、そして『ヴァトレニ』の中でクロアチアを躍進させたロベルト・プロシネチュキ、ダヴォール・シュケルといった選手で1990年の(旧)ユーゴスラビア代表は構成されていました。
しかしクロアチア、スロベニア、マケドニアが独立を宣言、さらにユーゴスラビア連邦軍がサラエヴォを包囲した事件により旧ユーゴを取り巻く国際情勢は厳しくなりました。
1992年3月の親善試合を最後に、旧ユーゴスラビア代表は国際舞台から締め出されています。
サッカークロアチア代表
続いてサッカーのクロアチア代表についてお話しします。
1990年W杯を終えた直後にクロアチア代表が結成。この時点ではまだクロアチアはユーゴスラビアから独立していませんでしたが、1990年10月17日にアメリカを迎え、「クロアチア代表」として初の国際試合が開催されました。
1994年のW杯アメリカ大会は不参加だったものの、初の国際舞台となった96年の欧州選手権(EURO)ではベスト8に進出。
準々決勝のドイツ戦では1-1で迎えた56分にイゴール・シュティマッツがレッドカードで退場となり、勝ち越しを許して敗れました。
そして1998年のW杯フランス大会。
欧州予選最終節で本大会出場を決めると、フランスの地では初出場ながら躍動。3位に入る快進撃を見せました。
以降、W杯には2002年、2006年、2014年、2018年と出場。今年2022年に予定されているカタール大会も、すでに出場権を獲得しています。
98年のクロアチア代表選手は?
映画『ヴァトレニ』で描かれた、1998年W杯フランス大会のクロアチア代表について見ていきましょう。
『ヴァトレニ』では当時の選手が語り手となって内情を明かしていく映画ですが、このスタメンの多数が映画では登場します。
特にGKのドラジェン・ラディッチ、センターバックのスラヴェン・ビリッチ、MFのアリョーシャ・アサノヴィッチは主人公級の頻度で登場しました。
また、オランダ戦では途中出場だったFWのゴラン・ヴラオヴィッチ、出場停止でオランダ戦を欠場したDFのダリオ・シミッチも頻繁に登場します。この二人は今でも若いですね。
チームを率いたミロスラヴ・ブラジェヴィッチ監督もよく喋ってくれます
一方で10番を背負ったミラン所属のボバンや、大会得点王に輝いたシュケルについては、現在の姿を見ることができません。スター選手だったので当然元選手たちの話題には出てきますが、出演できない何らかの事情があったんでしょう。
とはいえ世界的名プレーヤーのプロシネチュキや、クロアチア史上最高の左サイドと言われるヤルニ、前述のアサノヴィッチあたりは当時幼かった私でも記憶にある選手でした。
彼らの肉声・回顧に触れることができる貴重な映像だと思います。
また2001年のウィンブルドンで優勝したテニスのゴラン・イヴァニシェヴィッチも重要な語り手として登場。GKのラディッチとともに英語で当時を回顧してくれています。(もちろんvimeoでの配信に字幕はあります)
98年W杯のクロアチア
1998年のフランスW杯といえば、日本代表が初めて出場した大会です。
そしてクロアチアと同じグループHに入り、3戦全敗で終わった大会でした。
フランス大会から出場国が32になり、グループの上位2カ国が決勝トーナメントに進出できる状況でしたが、このグループはアルゼンチンを除いた3カ国(クロアチア、日本、ジャマイカ)が全て初出場という珍しい顔ぶれでした。
当時のサッカー雑誌や大人が語る日本代表展望を思い出すと、初戦のアルゼンチンは厳しい。第3戦のジャマイカは勝てる、第2戦のクロアチア戦が勝負、みたいな論調。アルゼンチンに0-1で惜敗(健闘?)したことで、クロアチア相手にも行けんじゃない?っていう空気だったのを覚えています。
セリエAで活躍していたFWボクシッチ(クロアチア)が怪我で代表から漏れたことも、わりと追い風として捉えていました。
そんなわけで1998年のW杯は、日本代表もクロアチアの快進撃に絡んでいるんですよね。
もちろん映画『ヴァトレニ』では日本戦の映像、そして選手の回顧が描かれています。クロアチアの選手がどのように考えていたのかという部分に触れられるのは貴重だと思います。
それではこの後にクロアチアがどのような躍進を見せたのか、映画の感想と合わせて書いていきます。
ネタバレを含みますのでご注意ください。
映画のネタバレ感想
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
ここからは映画本編の感想に移ります。
まずは1998年フランスW杯のクロアチアの戦績から見ていきましょう。
98年W杯のクロアチアの成績
第1節
クロアチア 3-1 ジャマイカ
(得点者:スタニッチ、プロシネチュキ、シュケル)
第2節
クロアチア 1-0 日本
(得点者:シュケル)
第3節
クロアチア 0-1 アルゼンチン
(得点者:なし)
ラウンド16
クロアチア 1-0 ルーマニア
(得点者:シュケル)
準々決勝
クロアチア 3-0 ドイツ
(得点者:ヤルニ、ヴラオヴィッチ、シュケル)
準決勝
クロアチア 1-2 フランス
(得点者:シュケル)
3位決定戦
クロアチア 2-1 オランダ
(得点者:プロシネチュキ、シュケル)
ご覧の通り、エースストライカーのシュケルが6得点を挙げて大会得点王に輝きました。
大会でのクロアチアの進撃はYouTubeでも確認できます。
映画内での象徴的な試合
映画の後半部分は98年のW杯を追っていった中で、クロアチアが戦った7試合はある程度濃淡をつけて描かれています。
例えば、ともにグループリーグ突破が決まっていたアルゼンチン戦や、決勝トーナメント1回戦のルーマニア戦はゴールシーンくらいでサラッと通過していました。
決勝トーナメント進出を祝ってのことです。
気温40度を超える中で行われた日本戦は、ヴラオヴィッチがメインとなり回顧。「何が何だかわからないが勝った。そんな試合だ」と過酷な状況だったことを振り返っています。
中山雅史の決定機がGKラディッチに防がれたりと、日本にとってもチャンスはあった中で、勝ったのはクロアチア。一方の日本は敗退が決まった試合でした。
決勝トーナメントに入ってからのハイライトは準々決勝のドイツ戦。
1996年の欧州選手権、同じ準々決勝でドイツと対戦したクロアチアは、退場者を出して敗れました。
選手たちは不運な判定を嘆きました。
それから2年。再戦の機会を得たクロアチア代表。
緊張に満ちた表情で乗り込んだ「ヴァトレニ」は、今度はドイツに退場者が出たこともあり3-0でリベンジを果たします。
先制ゴールを挙げた左サイドバックのロベルト・ヤルニにとってはクロアチア代表キャリア唯一のゴールとなり、2点目をマークしたヴラオヴィッチは、ドイツ戦のゴール、その後の満足そうな頷きまで、今でも多くの国民が覚えていてくれると振り返ります。二人の人生を変えたゴールでもあります。
クロアチア国民にとってこのドイツ戦がいかに印象的な勝利だったかを物語るエピソードでした。
準決勝では開催国のフランスを相手に先制したものの、DFリリアン・テュラムに2得点を許して逆転負け。夢が潰えた中で3位決定戦を迎えますが、「勝って母国に帰ろう」という思いを胸に、強敵オランダを下して3位を勝ち取りました。
クロアチアを背負う意味
映画『ヴァトレニ』の前半部分では、80年代終盤から90年代前半にかけてクロアチアが直面した戦いの歴史が描かれていました。
主にセルビアとの対立なのですが、民族の対立がサッカーのスタジアムにも持ち込まれ、クロアチアの名門であるディナモ・ザグレブとセルビアの名門・レッドスター・ベオグラードの試合はサポーターが衝突し、ピッチに乱入し、そこかしこで暴力が振るわれる戦場と化してしまいました。1990年5月のことです。
この両チーム、ディナモ・ザグレブには三浦知良が、レッドスターには鈴木隆行が所属していた時期もあり、日本人にも馴染みのあるチームですよね。ちなみにディナモは過去に佐藤寿人や家長昭博の獲得を目論んだこともあるクラブです。
その後クロアチアは独立を宣言し、長い戦争期間に突入。
犠牲者が続出する故郷を案じながら、選手たちは国内で、海外でプレーを続けます。
DFのビリッチはクロアチア代表としてできることについてこう語ります。
「ヴァトレニは立ち上がらなければいけなかった。サッカーで人々を幸せにしたかったんだ。サッカー選手は“恥”にならぬよう、何かを成し遂げたいという思いがあった」
「代表とクラブでは背負うものが違う」と口にしたMFヤルニはこうも言います。
「彼ら(国民)の希望となることが僕らを団結させた。代表は希望の光だから」
国を背負って戦うというのはクロアチア代表に限ったことではなく、どの国の代表選手も覚悟や使命を持って国際舞台に臨んでいます。ナショナルチームは国民の象徴になり希望や夢を背負います。
けれど、クロアチア代表選手が背負っているものは質・次元が違うんじゃないでしょうか。どこと比べてとかではなくて、そもそも私なんかが思いを馳せることができないほどに。
ビリッチは最後にこう結びます。クロアチアの未来を見据えて。
「戦争、歴史を忘れてはいけない。でも許すべきだ。許すことは人間の最大の美徳だ」
「人間を判断するのは国でも宗教でもない。良い人間か、そうでないかだ」
伝説は更新された
1998年ワールドカップのクロアチア代表は伝説でした。奇跡でした。
戦火を目の当たりにした選手たちは、傷ついたクロアチアに文字通りの希望の光をもたらしました。国民は熱狂し、サポーターは一生忘れられない出来事と回顧しました。
98年W杯の後、クロアチア代表は低迷期に入ります。
高齢化が進んだ2002年の日韓大会はグループリーグ敗退。
再び日本と同じグループに入った2006年ドイツ大会では日本、オーストラリアと引き分けてグループリーグ敗退。
その次の2010年南アフリカ大会は欧州予選で姿を消し、ブラジル、メキシコ、カメルーンと同居する厳しいグループに入った2014年ブラジル大会もグループリーグで敗退しました。
2018年に公開された映画『ヴァトレニ』では、クロアチア代表の歴史は2014年のW杯、あるいはベスト16に終わった2016年の欧州選手権までのものだったと思います。
1998年の3位に入ったフランスワールドカップが20年近く経っても栄光として国民に刻まれている。それが選手、スタッフ、サポーターなど登場人物の口ぶりから伝わってきました。
しかし映画が公開された2018年、ロシアで行われたW杯でクロアチア代表は歴史を塗り替えます。
アルゼンチン、ナイジェリア、アイスランドと同組に入ると、アルゼンチンを3-0で下すなど3戦全勝で首位通過。
決勝トーナメントに入るとデンマーク、開催国のロシアを相次いでPK戦で下し、準決勝では延長の末にイングランドを下して、初めて決勝へ駒を進めました。決勝トーナメントに入ってからの3試合は全て相手に先制を許す展開でもありました。
決勝の相手は98年大会の準決勝で敗れたフランス。
リベンジを果たしたいところでしたが、3試合連続で120分(うち2試合はPK)を戦い抜いたチームの疲労度は誰の目にも明らかで、2-4で敗れ準優勝に終わります。
とはいえルカ・モドリッチが大会の最優秀選手に輝き、クロアチアの美しくて強いフットボール、諦めない姿勢は、国籍問わず観ているものの胸を打ちました。
映画『ヴァトレニ』では98年戦士が栄光を振り返り、(撮影)当時のクロアチア代表の成績から「あの頃は素晴らしかった(けど今は…)」と懐古のニュアンスも含まれていたと思いますが、その年にロシアの地で「ヴァトレニ」は新たな伝説を創り上げました。
クロアチア国民が熱狂し、モドリッチ率いるヴァトレニを祝福し、誇りに思いました。凱旋パレードは55万人が出迎えました。
歴史の更新。一方で色褪せることのない1998年の躍進。
映画『ヴァトレニ』はクロアチア代表を知る上で大切なことをたくさん教えてくれる映画でした。
1998年のクロアチア代表を知る人も、そうでない人も。フットボールファン必見の映画です。
1998年フランスワールドカップのクロアチア代表についてはサッカーマガジンの北條聡さんのコラムが、2018年のクロアチア代表についてはGOAL.comの中村憲剛さんのコラムが面白いので読んでいただけるとさらにクロアチア代表を好きになるんじゃないかなと思います。
当ブログでは他にもサッカーを題材にした映画を紹介しています。興味がありましたらご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。