映画『東京島』〜男だらけの中に紅一点〜

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2010年公開の映画『東京島』を鑑賞しました。

桐野夏生原作、篠崎誠監督。主演に木村多江。なお、原作は未読。



「東海村」は流石に不快

モデルとなった殺戮事件も含めて、予備知識はほとんどなかったのだけど、冒頭、木村多江(清子)のナレーションで無人島・東京島に旦那と漂着し、与那国島の過酷バイトから逃げ出してきた若者が漂着し、旦那が死に、若者のリーダー格の春日部という男と男女の関係になった、と語られる。

ゆえに、東京島が何なのか、とか、清子の生い立ちとは、とか、そういった前提条件を省いて島での生活描写に入る。

ワタナベという男を演じる窪塚洋介や柄本佑、木村了(絶対零度の竹林!)、清水優などなかなか魅力的な俳優を擁し、濃ゆいサバイバルへの僕の期待値は高まった。

だけども、若者たちはワタナベ以外キャラが立っておらず、島へのさらなる闖入者もあいまって中途半端極まりない展開に。

キャラが立っていないから後に清子と婚姻関係となるGM(福士誠治)の豹変ぶりや染谷将太の二重人格ぶりも一人歩きである。

第二次闖入者の女たちが漂着してからはいよいよ意味がわからなくなってきて、最終盤のバトルシーンは完全に誰が誰だかわからなかった。

これで1時間40分ほどの尺だったらまだマシだったものの、2時間超えではきつい。

若者たちは島を東京島と命名し、渋谷、ブクロ、新宿、お台場などとエリアを作っていたが核燃料廃棄物らしきドラム缶が投棄されているエリアを東海村と名付けていたのは不快だった。というより、そういうネーミングをするのであれば、もう少し無人島生活の中で渋谷なりの、池袋なりの東海村なりの縮図を描いてほしかった。

東海村の駐在員が窪塚演じる村八分状態のワタナベだったので、アンタッチャブルな原子力という意味かもしれないが。震災前の作品だからしょうがないか。

木村多江演じる清子も島で唯一の女であり、男に求められることの快感というか、存在する意味に悦に浸ってるところを描きたかったのだろうが、中途半端であった。

中盤から色々と要素を増やしすぎたのが問題。

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