映画『青くて痛くて脆い』ネタバレ感想|「秋好は死んだんだ」に潜む強烈な絶望

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こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

今回は2020年8月に公開された映画『青くて痛くて脆い』の感想を紹介していきます。

「世界を救う」というテーマを掲げてサークルを同級生と立ち上げた、大学生たちの青くて痛くて脆い物語。

『君の膵臓をたべたい』の住野よるさんの原作を、主演に吉沢亮さん杉咲花さんを据えて狩山俊輔監督のもと映画化された作品です。

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映画『君の膵臓をたべたい』ネタバレ感想〜ボロ泣き必至〜

2017年8月15日
本記事は感想部分でネタバレを含みます。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



あらすじ紹介

大学生の田端楓(吉沢亮)は人との付き合いが下手で、秋好寿乃(杉咲花)は無遠慮な発言で周りから浮いていた。お互いひとりぼっちの二人は世界を救うというとんでもない目標を合言葉に秘密結社サークル“モアイ”を結成するが、寿乃が“この世界”からこつ然と姿を消す。そしてモアイは、彼女がいなくなってからただの就活サークルに変貌する。

出典:シネマトゥデイ

予告編

「モアイ」というサークルを田端楓(吉沢亮)秋好(杉咲花)と結成したものの、「モアイ」は意識高い系のチャラついたサークルへと変貌しました。
そして田端が口走る「彼女はもうこの世界にはいないけど。死んだんだ」という衝撃的な言葉。

期待が高まりますね。

あらすじについてはMIHOシネマさんの記事でもネタバレなしでご紹介されています。合わせて観たい作品なども紹介されているので是非ご覧ください!

『青くて痛くて脆い』のスタッフ、キャスト

監督 狩山俊輔
原作 住野よる
脚本 杉原憲明
田端楓 吉沢亮
秋好寿乃(アキヨシ) 杉咲花
前川菫介(トウスケ) 岡山天音
本田朝美(ポンちゃん) 松本穂香
脇坂 柄本佑
西山瑞希 森七菜
川原理沙 茅島みずき
天野巧(テン) 清水尋也

田端(吉沢亮)「人に近づきすぎないこと」、「人の意見を否定しないこと」をモットー・信念とする内向的な大学生。
一方の秋好(杉咲花)は「世界から暴力や争いをなくすことはできる」と本気で考えている理想論者の同級生です。

二人が作った「モアイ」には、大学院生の脇坂(柄本佑)が加入。
テン(清水尋也)ポンちゃん(松本穂香)川原(茅島みずき)といった面々は、田端が言う「秋好が死んだ」後にサークルに参加した面々ですね。

『ちはやふる』『ホットギミック』などで俺様キャラも好演してきた清水尋也は今回、“圧倒的コミュ強+サークル幹事長=ハーレム状態”という役で登場。人を引っ張っていくような存在感のあるキャラクターの演じ方はさすがでした。

また、個人的に『青くて痛くて脆い』は秋好(杉咲花)の衣装センスが本当に素敵だと思います。
ロングスカートやサロペットを駆使したコーディネートを楽しめるのもこの映画の醍醐味ではないでしょうか。

それでは以下、映画の感想に移ります。未見の方はご注意ください。




映画のネタバレ感想

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

本気で世界を変えたいんだ

秋好(杉咲花)は入学早々、大学の授業で手を上げて教授に「世界から暴力はなくせると思います」と物怖じせずに意見するような少しイタい女子大生。
のちに田端(吉沢亮)は、秋好のことを「ただの痛い奴じゃない、やばい奴だ」と評しています。

人と関わらないように、そんな彼女を傍目から眺めていた田端でしたが、そんな“僕”は秋好に発見され、平静な世界にズカズカと踏み込まれて、関わられていきました。ひと月もしないうちに「カエデ」と名前で呼ばれるようになります。

世界を(少しでも)変えたいと願い、サークルを立ち上げる展開は、向井理や松坂桃李が出演した『僕たちは世界を変えることができない』にも似ていますね。

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映画『僕たちは世界を変えることができない。』ネタバレ感想|原作よりココが凄い!

2020年5月14日

本気で世界を変えられると信じている秋好に対しての、周りの目は冷ややかでした。けれど彼女は自らの信念を曲げることも、恥ずかしがることもありません。
理想論だと笑われたとしても。

そんな彼女を見ていると、ある既視感を覚えました。
一人の女子高生を思い出しました。

飯豊まりえの真辺と秋好

昨年2019年に、『いなくなれ、群青』という映画を観ました。

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映画『いなくなれ、群青』ネタバレ感想〜飯豊まりえという才能に感謝したい〜

2019年9月20日

その映画で出てくる真辺(飯豊まりえ)という女子高生は、階段島という閉じ込められた環境にあっても、ただ一人だけでも、自分の正義を信じて突き進みます。
理想主義者としての高潔さと純粋さ、そして背中合わせで存在する危うさ。その鋭くまっすぐな美しさは、まさに衝撃でした。

そんな真辺に、秋好は似ています。
田端に「意志だけは貫き通すように」と諭し、人々が等しく平和であるために理想を語ります。

その高潔な真っ直ぐさに田端は巻き込まれて、同調していきました。「秘密結社モアイ」というサークルを共同で創設し、自分の確かな居場所として愛していきました。ちなみにモアイは脆い、青い、痛いの頭文字というわけではありません。

しかしある時、そんな高潔な秋好は、この世界から“死んで”いなくなってしまいます。
高潔で純粋な秋好を失った「モアイ」は、企業に媚を売って就活へのコネを作る交流会を実施したり、BBQのイベントを開催したり、いわゆる意識高い系サークルに成り下がります

居酒屋で騒ぐ飲みサーとしてのモアイ。洗脳チックな就活サークルとしてのモアイ。その姿は田端と秋好が1年生の頃に標榜していた“世界を変える”理想とはかけ離れていました。
もはや「秘密結社」としての面影はありません。

「あなたは今、なりたい自分になれていますか?」
何だそれ。お前たちが言うのか?

変わってしまったモアイをぶっ壊して元ある姿を取り戻すべく、田端は復讐劇を開始します。

同級生の菫介(とうすけ=岡山天音)を巻き込み、モアイの主催する企業との交流会へと菫介を送り込みました。



あれ?そんな悪い奴じゃなくない?

どうやらモアイの中核にはテン(清水尋也)という幹事長がいて、彼は企業との交流会で見つけた目ぼしい美女を自分のところに囲い込んでいるそうです。BBQを企画したり、甘い言葉で就職のアドバイスを送ることで近づいて。

菫介はそんなテンの本性を暴こうとモアイの交流会に潜入し、ジャンプマンのスマホケースが同じということで意気投合したこともあり、あっさりとテンの懐に潜り込みます。

テンは自己紹介の二言目には「連絡先教えて!!」と距離を縮めてくる男です。圧倒的コミュ強。こういう人本当にいるんだね…!それは菫介と田端だけではなく、見てる我々の偽らざる感想でもありました。

ただ、テンは菫介と田端が覗き見している前で、本命らしき女性に振られます。
覗いている二人に気づき、「最低だな」と独りごちます。こんなところコソコソ見てるお前ら、最低だな。だと思いましたが、違いました。それは振られた情けない自分自身に向かっての「最低だな」でした。

ここらへんから、ちょっと我々のテンに対する印象が違って見えてきます。

あれ?この男はただただコミュ力の高くてリーダーシップもあって、でも実は純情な男の子なのでは?と。
別に言うほど悪い奴ではないのではないかと。

菫介もそのうち気づいていきます。
おかしいのはテンたちではなく、現在のモアイを穿った目線で見つめ続けてる自分たちなのではないかと。

個人情報を企業に横流ししていることを田端に告発されて、モアイは最終的に解散に追い込まれてしまうわけですが、そもそもその横流しも「情報共有」としてポジティブにやっているだけではないのかと。

気になった点
今の時代、連絡先の交換でメアドの入った電話帳を交換する人はそんなに多くないと思います。アドレスの流出という点は少し疑問が残りました。

僕だけの秋好、僕らだけのモアイ

そしてモアイの代表として秋好(杉咲花)が現在も指揮をとっていることが明らかになります。
あくまで「死んだ」のは田端の知っている、田端の望んでいた秋好であり、その消失はあくまでも田端の「この世界」からであり、文修大学の学生・秋好寿乃は依然としてみんなの世界にいたのです。

 

思い返せば、『この青くて痛くて脆い』は、ひたすら田端のモノローグが挿入されながら進んできました。

それは田端や秋好の過去3年間を事実として振り返るだけではなく、田端の目線から見た世界観をこちらに刷り込む効果を果たしてきました。

秋好が“死んだ”のも、
モアイが企業に“媚を売っている”のも、
“単なる就活のコネ作り”を目的としていることも、
テンが“女子学生をたぶらかしている”のも、
意識高い系サークルに“成り下がって”いるのも、
“裏金をもらって個人情報を企業に流している”のも、

全ては田端から見た視点です。田端の視点からの揚げ足取りです。
美しきミスリードのトリック。完全にやられました。

完全主観ではないにせよ、客観ではありません。実際に菫介はそれに気づいてしまいました。

自分の目に見えているものが正しいと信じたりだとか、相手の弱みを探すために風評を探ったりだとか、このあたりは朝井リョウさん原作の『何者』の主人公とも近いものがあります。

田端にとってモアイは自分と秋好だけのものではなくなり、秋好は自分だけが知っている崇高な理想論者の秋好ではなくなりました。

そして田端はモアイを解散へといざなってしまいます。菫介は止めたのに。
もう取り返しはつきません。どれだけ後悔したとしても。

悪評をリークするツールとしてはTwitterが使われていますが、悪い噂というものへの反応の早さという点は、映画だとわかっていても嫌なものでしたね。

痛くて脆い彼から学ぶもの

作品の終盤に秋好の元彼・脇坂(柄本佑)は田端にこう言います。

「人って誰かを間に合わせに使って、生きている」

響きますね。間に合わせ。

田端は「人に近づき過ぎないこと」がモットーだったわけですが、そのセオリーを破ってまで秋好と深く関わりました。

彼の中では秋好はあまりにも特別な存在になり、彼女も自分と同じはみ出し者だという同族安心的なものから、秋好も自分のことを特別だと思っている、代替不可能な存在だと思っている、と田端は思ったことでしょう。
彼女の崇高な思想を理解し、共鳴できるのは僕だけだと思ったことでしょう。

田端は自分の見えている世界の「見え方」が正しいと盲目的に信じている男子学生でした。おそらく他人に一度レッテルを貼ると、それを剥がすのがとても難しいタイプの人間でした。
自分が秋好にとっての「間に合わせ」であることなど信じたくもありませんでした。自分にとっての秋好は決して「間に合わせ」なんかではなかったから。

だから彼は秋好のことを「死んだんだ」と表現しました

僕は裏切られたんだ。僕の知っている秋好寿乃は、もういないんだ。

 
あまりにも青くて痛くて脆い考え方です。
一方でそれは、こうやって田端のことをバカにしている僕自身も多分通ってきた、痛い過去です。

僕の応援しているJリーグにおいても、このような「俺たちの知っている姿じゃない」とか「俺たちの●●を取り戻そう」みたいな考え方・議論はよく起こります。懐古主義に走る人の一部もそうかもしれません。
別に議論するだけならいいんでしょうけどね。

それを実力行使して糾弾してしまったのが田端というわけです。
彼の気持ちもわかります。ただ、手段が決定的に間違っていましたね。

ちなみに『青くて痛くて脆い』では「傷つきたくない」が一つのテーマとなっていて、それが登場人物の考え方にも影響していました。

田端のように人と近づき過ぎずに防護壁を作る人間も、ポンちゃん(松本穂香)のように、ヘラヘラしている自分も、内気な自分も、真面目な自分も、いろんな自分を肯定した上で顔を変えていくタイプの人間も、川原(茅島みずき)のように人からの敬語を使った距離感を心地よいと思うタイプの人間も、みんな何かしらの盾を心の外側に用意しています。
全員に理解されることは難しくても、誰もが自分にとっての距離感を大切に持っています。

ソーシャルディスタンスが叫ばれて久しいですが、この映画ではいわゆるパーソナルスペース的なものの選択肢も教えてくれていたと思います。

 

スリリングな展開もさることながら、自分がなるべく不用意に傷つかないで生きていくための関わり方。
田端という青くて痛い男子学生を見せながら、そんな多様性も示してくれた良い映画でした。

こんな映画もおすすめ

いなくなれ、群青

感想部分でもご紹介しました。『青くて痛くて脆い』の秋好の真っ直ぐな正義感は、この作品の真辺(飯豊まりえ)と通じ合うところがあるのではないでしょうか。

何者

他者をどこかで見下し、自分の範疇の正義感で物事を語る主人公。就活を控える大学生、SNSによる諍いなど、『青くて痛くて脆い』と似たところがあります。

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