こんにちは。織田です。
今回は2016年の映画『オーバー・フェンス』を取り上げたいと思います。Amazon プライム・ビデオで鑑賞しました。
『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』と合わせた、作家・佐藤泰志の「函館3部作」最終章。愛をなくした男と愛を望む女の出会いを描いていきます。
原作の『オーバー・フェンス』は佐藤泰志著・「黄金の服」に収録されている作品です。
『オーバー・フェンス』のスタッフ、キャスト
監督:山下敦弘
原作:佐藤泰志
脚本:高田亮
白岩義男:オダギリジョー
田村聡:蒼井優
代島和久:松田翔太
原浩一郎:北村有起哉
森由人:満島真之介
島田晃:松澤匠
勝間田憲一:鈴木常吉
居酒屋の女:逢坂由委子
白岩の義弟:吉岡睦雄
尾形洋子:優香
監督は『もらとりあむタマ子』『苦役列車』などの山下敦弘。
本作では白岩(オダギリジョー)が現実を憂い、嘲笑うという、鬱屈した男の描き方が山下監督は抜群に上手です。特に『苦役列車』に通じる部分でもありますね。
あらすじ紹介
これまで好きなように生きて来た白岩(オダギリジョー)は妻にも見放され、東京から生まれ故郷の函館に舞い戻る。彼は実家に顔を見せることもなく、職業訓練校に通学しながら失業保険で生活していた。ただ漫然と毎日を過ごしてしていた白岩は、仲間の代島(松田翔太)の誘いで入ったキャバクラで変わり者のホステス聡(蒼井優)と出会い……。
離婚して漫然と毎日を過ごす男・白岩(オダギリジョー)を中心に、職業訓練校というモラトリアムの部分を丹念に丁寧に描いていった作品です。
白岩たちの在籍する大工の建築科、それとは別に車の整備科がこの職業訓練校にはあります。
僕は佐藤泰志の「函館3部作」原作を読んだことがないのであくまでも映画に限定した感想ですが、過去2作(『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』)に比べて『オーバー・フェンス』は圧倒的に良かったです。理解しやすいといった方がいいでしょうか。
過去2作と同様に函館の象徴的な背景を入れ込みながらも、キャラクターたちを丁寧に、具体的に描き、こちらを置いてきぼりにしなかった山下監督に拍手です。
間違いなく僕の中では傑作に入ってくる映画でした。
オダギリジョーの白岩と、蒼井優の聡による“大人の”青春群像を描いている本作ではありますが、今回は職業訓練校という舞台に集まった男たちの鬱屈について感想を描いていきたいと思います。
以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
映画のネタバレ感想
以下、作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。
職業訓練校に通う無職の男たち
この作品ではさまざまなバックボーンを持ち、職業訓練校に集まった男たちが描かれています。
妻子と離れ、生まれ故郷に戻ってきた白岩(オダギリジョー)。
オフィス機器レンタルの営業を辞めて何かを探しにきた代島(松田翔太)。
ハイヤーの運転手を辞め、整備士になろうと入学したものの、定員オーバーで建築家に回された原(北村有起哉)。
大学中退。何をやっても中途半端で終わってしまう森(満島真之介)。
中卒ながらも、働きながら何とか食い扶持をつないできたシマ(島田=松澤匠)。
年金暮らしながらも、自分の家を自分で建ててみたいと道楽気分で建築家に入ってきた勝間田(鈴木常吉)。
多分仕事関係で何らかの挫折を味わったからこそ入校したわけですが、その経緯については年長者でアンタッチャブルな勝間田を除いてはあまり踏み込まれていません。
全く事前情報を持たずに見たので、最初は刑務所(オーバー・フェンスのフェンスは刑務所の塀かと思いました)かと思ったほどに、生徒には倦怠感が漂っていました。
いよいよ今度の三連休★第17回ミューズ シネマ・セレクション 世界が注目する日本映画たちにて3/20(月・祝)17:30〜『オーバー・フェンス』が上映!そして上映後のトークイベントに満島真之介さん、星野秀樹プロデューサーが登壇します!https://t.co/o1Hc66KMOb pic.twitter.com/sQEVOiFBDH
— 映画『オーバー・フェンス』 (@overfence_movie) March 13, 2017
映画はタイトルカットに続いて、煙たそうな喫煙室の場面から始まります。
上記で挙げた職業訓練校の主要キャラクターは、全員がタバコを吸います。
これまでしてきた仕事の話、教官の悪口、そして女の話。
タバコミュニケーションと言うにはあまりにも実がなく、下卑た笑い声。
だるだる感の最たるところが喫煙シーンに凝縮されているのではないでしょうか。
代島に懇願してタバコをもらう最年長のおっさん勝間田。「何本目すか」と口を尖らせる代島。
今の時代であれば、スマホを眺めてれば休憩時間なんてあっという間に終わりますし、喫煙以外のサボり方だってたくさんあるはずです。
それでも、タバコを吸うしかやることがないのかお前らは…というほどに、彼らはタバコに火をつけ、煙りを燻らせていきました。喫煙者の僕ですらそう思うくらいに。
不幸を押し付け合う男たち
訓練校で惰性の日々を過ごす一方、本作品は傷を負った男たちの不幸の押し付け合いが絶妙なタッチで描かれています。
言葉を変えれば、俺以上にひどい奴がいる、俺はあいつよりはまだマシ、という自己承認を果たすための牽制し合いです。
自分以外は全てクズ
何をやっても中途半端な森(満島真之介)は、教官(中野英樹)にも目をつけられ、度々学校で諭されたり怒られたりします。
道具の手入れを怠ったり、適当に木材を叩いたり、ソフトボールの練習ではバットを引きずって歩いたり。要領が悪く鈍臭く、それに加えてやる気もありません。
教官、そして他の学生からも落第の烙印を押されながらも、森は自分以外を全て見下していました。注意して来る周りのやつはみんな馬鹿。
どこから来るんだその自信は?と鬱陶しく邪魔に思いましたが、彼の自分勝手かつ何をやろうとしてもできない残念さには途中から同情すらしてしまいました。
何かの共同体において「足手まとい」とされて諦めてしまった経験のある人には、森の気持ちがわかると思います。
序盤は目深に帽子を被った彼を遠目で映し、満島真之介だとわかるのは中盤からというミステリアスな演出も良かったですね。
好戦的なシマ
そんな森に、最も攻撃的な態度で接するのがシマ(松澤匠)でした。
「森がついてきたから(合コンの女を)落とせなかった」
「(大学中退の森と)一緒にしないでください」
中卒ながら(学校でヌルいおままごとをせずに)働いてきたという自負があるのでしょう。
白岩や原、勝間田たちと比べて、若い自分だからこそ楽しめる人生があるし、この先の可能性も広がっていると信じているのでしょう。
彼は自らを子供扱いし、「若い人は楽しいふりをしていればいいよ」と罵った白岩にも怯むことなく好戦的な態度を取っていきます。
「白岩さん、がっつりキレてんね」はまじで名言。
シマを演じた松澤匠は、同じく山下監督の『味園ユニバース』以来に鑑賞しましたが、建築の授業で一生懸命に木材を図り手際よく金槌を使っていく一方で、上目遣いにぎょろりと周囲を睨む様からは、キレたらヤバい奴感が存分に醸し出されていました。
『オーバー・フェンス』で気になったという方はぜひ『恋の渦』という作品も鑑賞していただけると、また違う松澤匠の一面を知ってもらえると思います。
「普通」の白岩と代島
続いて主人公の白岩です。
森に「うちの課の中で白岩さんが一番マシですよ」と言われ、代島(松田翔太)に「白岩さんは一番ちゃんとしているから」と評される白岩です。
この代島の高評価には「男としては自分の方が魅力的。白岩さんはただのちゃんとしている人」というプライドが言外に含まれていました。
代島は白岩を聡(蒼井優)の働くキャバクラに誘い、彼は聡を白岩に紹介しました。
キープしているボトルを開け、店長に友達感覚で挨拶し、店の嬢にも慣れた口ぶりで声をかけます。
聡たちの働く店の中で、明らかに代島は白岩に対して主導権を握ろうとし、実際に握っていました。
彼は白岩に新店の共同経営を持ちかけます。白岩を副店長として。自分が店長となって。
現在シネマアイリス(@hkdiris)にて衣裳展開催中!蒼井優さんが演じた聡の衣裳と松田翔太さんが演じた代島の衣裳です★聡の衣裳は、ポスタービジュアルにも使用されているオダギリジョーさん演じた白岩と自転車二人乗りの際着用したもの☆#オーバーフェンス pic.twitter.com/osV6BovmKp
— 映画『オーバー・フェンス』 (@overfence_movie) September 21, 2016
彼は白岩の上に立ちたかったのでしょうか。彼は白岩に「自分はこれだけ女慣れしている」と示したかったのでしょうか。それとも白岩から見返りが欲しかったのでしょうか。
おそらくはその全てだと思います。
何がしかの挫折を経てたどり着いた現況で、代島は自分に何かができるということを他人にも、自分にも証明したかったのではないでしょうか。
その証人として、一番「ちゃんとして」いそうな白岩を選んだのではないかと想像します。
しかし、代島が思っていた以上に、聡は白岩に惹かれていきます。それを冷たい目で見る代島。
明らかに彼のホームであったお店の場で、代島は二人の蚊帳の外に置かれていきます。
余談ですが、お店の常連となる程度までキャバクラに通ったことのある人間は、今回の代島の気持ちがわかるかと思います。
ボトルキープやお客さんの雰囲気、嬢のライターやハンドバッグに至るまで、この作品は市井のキャバクラをよく再現していました。
「普通」の白岩の異常性
マウンティングという言葉では片付けられないくらいに、この作品では「無職」の人間たちの間での評価の貼り合いが行われています。こいつら全員クズだと思っているのが森。俺はこいつらよりマシだと思っているのがシマ。白岩のことを評価しているように見せながらも、対女性関係という点で自分を大きく見せたい代島。
そして白岩は、周りになびかず否定せずの永世中立を保ち、一線を引いているように見せかける一方で、自分と同じように周りもつまらない人生しか待っていないんだと悲劇を押し付けました。
自分が普通だと思いながらも、人生なんぞ所詮つまらないものだという厭世観を他人にも押し付ける白岩は、ある種一番全てを見下している人間でした。
それに早々と気づいた聡は、彼の目を叱責します。
「その目で見られると自分がゴミになったような気がすんだよ!」
いい人っぽく、でも乾いた笑いで相手とコミュニケーションを取る白岩。
冗談のような笑いで代島の誘いをいなす白岩。
冗談のような笑いで聡をいじった白岩。
「(落ちたら)グッチャグッチャになるんだもんな」と聡の言葉尻を捉えて冗談のように笑う白岩。
でも、彼の「冗談っぽさ」は冗談ではありませんでした。
彼らの投げかけてきた会話のキャッチボールを白岩は心の底で本当に嗤っていました。
多分聡も代島も原も、彼の奥の人をバカにした部分に気づいていたはずです。
聡が泣きながら叱責した白岩の「目」。それに白岩自身は多分気づいていませんでした。
相手の何かをぶっ壊してしまう運命に抗えない白岩は、『そこのみにて光輝く』の拓児とある種似ています。
オダギリジョーは、これまでどんな役も抜群に、そして彼ならではの良さをミックスしながら演じてきました。
その中でも本作『オーバー・フェンス』はオダギリの飄々とした表情と、驚き困ったような表情と、闇を表現する表情と、彼の魅力が全て詰まったような作品だと思います。
上述の通りキャラクターの描写がかなり丁寧がゆえに他の登場人物も魅力的な人間ばかりでしたが、世の中の「普通」と一線を画した厭世観を持つ白岩を演じたオダギリジョーは、個人的に群を抜いていました。
突然現れた原家の日常。それは作品の良心
白岩が主体から客体に
この作品は僕たち鑑賞者と同じように「客観」として出てくる人が多くありません。
多くのシーンは白岩、聡、また白岩の仲間たちの視点を通じて描かれており、そこに流れる場の雰囲気はあくまでも彼らの主観だったり、彼らの当たり前が多分に作用しているものです。
その中にあって数少ない僕ら鑑賞者の代弁者となるのが、(ビールを買いに来た)ドラッグストアの前で求愛ダンスを見せる聡を怪訝な目で見ながら立ち去る客、白岩の妹の旦那である義弟(吉岡睦雄)です。
そして撮り方として最も客観性を貫いているのは、酒で潰れ、起きた白岩の目に映った原(北村有起哉)一家のシーンだったと思います。
シマと同席した飲み会で若い女に喧嘩を売り、険悪になった白岩をなだめながら、原は白岩を誘って飲み直し、つぶれた白岩を自宅に泊めます。
翌朝目を覚ました白岩の眼に映る原家の朝食シーンは、そんな空気の中で自分たちと同じようにダラダラと生きているように見えた原が、家庭ではちゃんとした父親として幸せに生きている姿でした。
父としての原に白岩は何を思う
せわしなく朝食をテーブルに運ぶ原。
ふりかけを探す息子を「ここにあるでしょう」と諭す妻(安藤玉恵)。
そのふりかけの袋を破き、床にぶちまけてしまう息子。
こぼれた後処理をする原に「私がやっておくから」と気遣う妻。
ふりかけをこぼしても悪びれない息子。
ほとんど残っていない塩辛を瓶からぎりぎりまでスプーンでほじり出して、白岩のご飯に乗せてあげる原。
せわしなくご飯と味噌汁をかきこむ原。
クレヨンしんちゃんの野原家の朝にも似ています。
そんな出勤(原にとっては登校)前の慌ただしい朝の日常が、長映しで映されました。
そしてそれを見ている白岩の目は、我々視聴者と同じ客観です。
これまで主眼となっていたことが多かった白岩が客体として一気に引いていきます。彼もその場面に映っているにも関わらず。
旦那が(無職で)職業訓練校に通っている状況でも、この家庭に悲壮感とかはほとんどありません。というかそれどころではない、平日の忙しい朝があるだけです。
職業訓練校でだるだると過ごしていたように見えた原は、大切な家族を養うために精一杯生きようとしている父親だったんですね。
このシーンを境に、おそらく白岩の中で原に対する評価も、厭世的な自分の考え方も変わったと思います。
その意味で北村有起哉が演じた原と、安藤玉恵の演じた妻はこの作品における最大の善意だったはずです。
『そこのみにて光輝く』でも主人公たちが食事をするなどの数少ない日常のシーンが「光」として描かれていましたが、『オーバー・フェンス』は一つの転換点として「客観的な日常」を用いました。
このシーン以後、家族とか大事な人とか、そういう要素が男だらけの鬱屈した中に少しずつ入ってきます。
最後に
各方面で高評価を受けていた通り、聡を演じた蒼井優はオダギリジョーに匹敵する存在感でした。
鳥の求愛ダンスをはじめとして、突如ネジの外れたように感情的になる姿や、白岩と会話する際の仕草などは圧倒的です。
多分異常なんですけど、それが当たり前になるくらいに聡というキャラクターを自然にこちらへ落とし込む蒼井優はやっぱり圧倒的です。初対面の客にタバコの火をつけないなど、圧倒的に異質です。
細かい部分まで挙げていくとキリがないので「圧倒的」とだけ表現させていただきます。
本日8/17(水)は蒼井優さんのお誕生日!蒼井さんが演じた聡(さとし)は天使のような笑顔で、そして美しく踊り、時に恐ろしく壊れかける、本当に強烈な女性です。蒼井さんの鳥の求愛ダンスは必見!スクリーンでぜひ! #オーバーフェンス pic.twitter.com/zLas2zsxKu
— 映画『オーバー・フェンス』 (@overfence_movie) August 17, 2016
また『そこのみにて光輝く』と同じく、方言が高い再現度で使用されていたことも目を引きました。
「俺が現場でてた頃は〜」の口癖を武器(?)に、ウザくもあり憎めない青山教官を演じた中野英樹は「道具の手入れも大工の大事な仕事だど」と生徒たちに訓示を垂れます。
この「〜だど」は「ど」と「ぞ」の中間くらい(実質白岩は「〜だぞ」で青山の口真似をしていました)の発音でしたが、イントネーションを含めてとても上手でしたね。
誰一人としてキャラクターを逸脱している俳優がいませんでしたが、方言指導も非常に高いレベルであったことを記しておきます。
事件や人の生き死になどにより山場がある類の作品ではないものの、製作陣、出演陣ともにとても洗練された映画でした。
2010年台を代表する邦画の一つ。
僕は職業訓練校の面々が特に気に入りましたが、オダギリジョーや蒼井優の一挙手一投足をつぶさに観察して鑑賞するのも面白いと思います。