映画『浅田家!』ネタバレ感想|涙腺を容赦なく、ぶっちぎられた

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こんにちは。織田(@eigakatsudou)です。

今回は二宮和也さんの主演映画『浅田家!』をご紹介します。

意趣を凝らしたコスプレをして撮影するユニークな家族写真が人気となった写真家・浅田政志さんの実話を元にした物語。
監督は『湯を沸かすほどの熱い愛』中野量太監督です。

映画のポスターにもなっているように、ニノくんがNikonを構える姿が印象的ですね。

最初に言っておくとですね。正直なめてました。

後述しますが、感動系映画として名高い『湯を沸かすほどの熱い愛』はハマらなかったんです。はっきり言って『浅田家!』もそこまでじゃないでしょうと。
この映画が震災のエピソードを含むことも知っていました。知っていたからこそ、“感動”へのハードルは勝手に高くなっていったと思います。

それなのに。
TOHOシネマズの最後列で僕はマスクの中からハンカチで顔と口を押さえ、袖で目元をぬぐっていました。一度じゃないです。

悲しみなのか、痛みなのかわかりません。胸を詰まらせるような、あるいはえぐるように涙腺を刺激する潮が第一波、第二波、第三波と押し寄せてきました。

一言で言えば、この映画はマジで容赦なかったです。

それでは作品情報をおさらいしていきましょう。



予告編

「弟は、なりたかった写真家になった。家族全員を巻き込んで。」

看板に偽り無しです。この前振りそのままです!

あらすじ紹介

家族を被写体にした卒業制作が高評価を得た浅田政志(二宮和也)は、専門学校卒業後、さまざまな状況を設定して両親、兄と共にコスプレした姿を収めた家族写真を撮影した写真集「浅田家」を出版し、脚光を浴びる。やがてプロの写真家として歩み始めるが、写真を撮ることの意味を模索するうちに撮れなくなってしまう。そんなとき、東日本大震災が発生する。

出典:シネマトゥデイ

「浅田家」を構成するのはお父さん(平田満)、お母さん(風吹ジュン)、長男の幸宏(妻夫木聡)、次男の政志(二宮和也)
舞台は三重県の津です。少年時代、政志が近鉄バファローズの帽子を被っているのもユニークな描写でした。

ちなみに作品内で出てくる出版社「赤々舎」(あかあかしゃ)は、実際に写真家・浅田政志さんを見出だした出版社です。社長の姫野さんも実名で登場します。

“天才写真家”を次々と発掘 業界に風穴空ける女性創業者の「目利き力」(ITmediaビジネスさんの記事)

映画の作品情報についてはMIHOシネマさんの記事でもネタバレなしで詳しくご紹介されています。

『浅田家!』のスタッフ、キャスト

監督 中野量太
原案 浅田政志
脚本 中野量太、菅野友恵
浅田政志 二宮和也
兄・幸宏 妻夫木聡
父ちゃん 平田満
母ちゃん 風吹ジュン
幸宏の妻 野波麻帆
幸宏(子供時代) 中川翼
政志(子供時代) 岩田龍門
川上若奈 黒木華
姫野希美 池谷のぶえ
佐伯家・夫 松澤匠
佐伯家・妻 篠原ゆき子
小野陽介 菅田将暉
外川美智子 渡辺真起子
渋川謙三 北村有起哉
内海莉子 後藤由依良
高原家・夫 駿河太郎

幸宏(妻夫木聡)の子供時代を演じた中川翼さん『僕だけがいない街』での熱演も印象的でした。その頃と比べると大人になりましたね。

浅田家においては、母ちゃん(風吹ジュン)が病院勤務。家事は主夫として父ちゃん(平田満)がこなしています。
次男・政志のカメラ好きはこの親父譲りのもので、初めて手にしたカメラ・ニコンFEも父ちゃんから譲り受けたものですね。

ちなみにこちらのRICOHさんの記事によると実際の「浅田家」の撮影にはペンタックス67Ⅱが使われていたそうです。

この後、本記事はネタバレ部分に入ります。映画をまだご覧になっていない方はご注意ください。



映画のネタバレ感想

以下、感想部分で作品のネタバレや展開に触れていきます。未見の方はご注意ください。

コスプレ家族写真

冒頭でも書いたように、映画の舞台は三重県津市。大阪方言や名古屋方言とはまた一味違う抑揚の関西訛りです。
僕自身も三重県出身の知人がいますが、浅田家の用いる方言は彼らに比べるとそこまできつい訛りではないかなという印象です。特に序盤に挿入されていた幸宏(妻夫木聡)のナレーションは結構しんどかったですね…。

一番すんなり耳に馴染んだのは実は政志(二宮和也)の言葉だったかもしれません。標準語にかなり寄ってましたけど。
彼の「(写真を)撮れやんよ…」というセリフは三重方言を代表するフレーズでしたね。

三重弁の「〜やん」
動詞につけると「〜できない」の意味になります。「飲めやん」なら「飲めない」。「飲めやんやん」(飲めないよ)とかも普通に言います。この「〜やんやん」は可愛いのでもっとみんなが喋ってるところを見たかったです。笑

そんな三重弁を操る浅田家は、とにかく仲の良い家族です。多分家族の誕生日とか必ずみんなで祝うんだろうなって感じのハートフルなファミリー。
お母さんが病院で勤務し、お父さんが家事を行い、お兄ちゃんは地元企業(工務店かな?)に就職し、自由奔放な弟・政志は大阪の写真学校に進学しました。

妻夫木ナレーションとともに政志の年表がめくられていくわけですが、24歳プー太郎時代のムッチムチ具合など本当にやばかったですね。自堕落が服着てパチスロに興じてると言っても過言ではないです。
けど政志はパチスロで勝ったお金を月15万円(!)家に入れてましたし、ニート兼ギャンブラー政志を抱えながらも浅田家の毎日は続いていきました。

写真家としてチャンスを掴むために、政志はコスプレ家族写真という荒技に踏み出します。消防士、極道、レーサー、酔っ払い、サッカー日本代表、バンド、選挙、大食い…(この辺りはパンフレットに詳しく載ってますね)。このノリについていくお父さんとお母さんも凄いですよね…。パワフルかつファンキーかつドリーミーです。

この前半部分は、ほとんど痛みらしい痛みを感じぬまま過ぎていきました。
赤々舎の姫野さん(池谷のぶえ)ほどユーモアを持ち合わせてもいなかった僕からすれば振り切れてんなぁこの家族っていう感じでしたね。自分の育った家庭では成し得ない羨ましさもあったと思います。

湯を沸かすほどの熱い愛

ここで中野監督の『湯を沸かすほどの熱い愛』について少し話をします。

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映画『湯を沸かすほどの熱い愛』ネタバレ感想〜ポニーテールの杉咲花が良いです〜

2018年7月27日

個人的にこの映画は冷めた目で見てしまったのですが、早い話ここで描かれる「家族」がよく理解できませんでした。これが家族愛だというのであれば、自分が育った環境で親だったり先生だったり近所の人から受けてきた愛情は全部まやかしのものではないかと思うぐらいに。
確か人間ピラミッドとかもやってたと思うんですけど、シーンありきの演出に見えてしまって乗り切れませんでした。

『浅田家!』もコスプレ家族写真を嬉々として撮っているあたりまでは、同じように傍観していました。
のちに家族写真集「浅田家」を政志が持ち込みした出版社の人が「これってただの家族写真だよね」って言ってましたけど同じ感覚です。家族の中で盛り上がっている内輪ノリ。それを最高!と同じ目線で笑えるだけの、赤々舎の姫野社長のような度量の広さは持ち合わせていません。

けれど、次第に物語は僕に傍観者であり続けることを許さないようになりました。
衝撃が、政志を、二宮和也を通して、心の奥を殴り始めます。

高原家、佐伯家、そして高原家

コスプレ家族写真で写真賞を受賞した政志は、「家族写真」の出張サービスに出向きます。

初めての依頼者は岩手県野津町に住む高原家でした。お父さん(駿河太郎)が書店で目にした政志の写真集を見てオーダーしたものです。

野津町というのは架空の町ですが、エンドロールで岩手県野田村がクレジットされていたことから、ここをモデルにした町と思われます。
『あまちゃん』で有名になった久慈の隣にある北三陸エリアですね。

ここで政志は娘さんの小学校入学を祝って満開の桜の下での「家族写真」を撮りますが、一方で岩手県野津町という道路標識、そして海沿いを走る政志の車を映すことによって、高原さん一家が岩手の沿岸部の町に暮らしていることを、僕たちの頭の隅に刻み込みます。

 

続いて、政志は佐伯さんという一家の依頼を受けて家族写真を撮ることになりました。
佐伯家はお父さん(松澤匠)、お母さん(篠原ゆき子)、幼い長男の拓海(志村瑛多)、長女の美緒(加藤柚凪)という四人家族です。

佐伯家の長男・拓海くんは白血病の闘病中であることが描かれます。
そんな彼が好きなものは。お母さんにそう聞いた政志は、家族四人に真っ白なTシャツに虹を描き、それを全員で着て写真を撮りましょうと提案しました。

闘病というファクターを使うのは正直苦手だったのですが、佐伯家の物語に限ってはそれを忘れるほどに感情が揺れ動いていきました。
拓海くんを案じ、今にも泣き出しそうな思いをこらえて笑うお母さん(篠原ゆき子)。一方で苦しみや泣きたい思いを見せず、気丈に振る舞うお父さん(松澤匠)。拓海くんが甘えて背中に乗っかると「…重いよ」と泣きそうな顔で笑うお母さん。
ドキュメンタリー調の進行。

苦しいんですよ。みんな笑ってるけど、心の奥では本当にきついんです。
でも苦しさとか悲しみばかりを前面に出しても何も生まれないことを知っています。そんな一家を見つめ、ファインダー越しに涙をこぼす政志。

政志の涙はかわいそうとか、悲しみとか、そういう感情のものではないと思います。四人家族が今この瞬間の“家族写真”を撮るために色々な思いを消化しながら共同作業をして、虹を描いていく。これはもう「愛」でしかないんですよね。
その愛に触れて二宮和也の政志は感情の鎖がちぎられたんだと思いますし、観ているこちらも限界でした。

繰り返しますが佐伯家のパートは、テーマとしては悲壮感の漂うものです。後年を描いたシーンで、結果的に拓海くんは天国に行ってしまったことも描かれています。
でもその悲壮的な設定に寄りかかることなく、家族が一緒になって拓海くんとともに闘い、佐伯家が佐伯家である意味を政志と一緒に追求していきました。

家族が家族である意味というのは、おそらく全ての家族写真に言えることだとは思うんですけど、ちょっと佐伯家のパートは群を抜いていました。どこかファンタジックで、傍観していたそれまでの「浅田家!」の流れとは一変しました。
涙が止まりませんでした。

佐伯夫妻
お母さん役の篠原ゆき子さんは『湯を沸かすほどの熱い愛』でも印象的な演技を見せていました。またお父さん役の松澤匠さんは大好きな役者さんで、これまで色々な出演作品を観てきましたが個人的に好きなのは『恋の渦』『オーバー・フェンス』です。よろしければご覧ください!

その後、政志がカメラマンとして軌道に乗っていく中で、東日本大震災が起こります。
東北の太平洋側は甚大な被害を受けました。高原家の住んでいた野津町も、そうです。

震災と写真

震災が起き、政志の頭の中に浮かんだのは、岩手に住んでいた高原家のことでした。
被災地に向かい、現状を目の当たりにした政志は地元出身の学生・小野(菅田将暉)、ボランティアの外川(渡辺真起子)の二人に出会います。

小野くんは震災で流された家屋の瓦礫から家族写真を拾い集め、丁寧に洗浄して展示し、写真が家族の元に戻るような活動をしていました。
菅田将暉の小野くんは、いま自分がやっていることは果たして正しいことなのだろうか?という迷いを包含していてとても良かったと思います。瓦礫を撤去する自衛隊の人に協力してもらって、小野くんはアルバムや写真を集めてくるわけですけど、「写真だけはどうしても踏めない、って自衛隊の人が言っていた」という彼の言葉でまた泣きました。

2010年代以降の映画は、「東日本大震災前」か「震災後」かという視点の関わってくる作品も多い中で、『浅田家!』も浅田政志さんの経歴をなぞる上で「震災後」の文脈が出てきます。

例えば園子温監督の『ヒミズ』は、震災直後の被災地でカメラを回したことで、その時でしか撮れない世界を描いていましたし、同じく園子温監督の『希望の国』は3.11とは別物の「震災後」を設定し、東日本大震災の時に起きた世論、風潮を改めて問いかけてくれるものでした。

また白石和彌監督の『凪待ち』(2019)は、震災で大きな被害を受けた宮城県石巻を中心に、「被災地で生きる人たちのいま、これから」を描いていた作品でした。

『浅田家!』は津波被害で失われた写真という部分にウェイトを置いた作品です。
ディッキーズのオールインワンを着た政志が避難所で人々と触れ合ったり、被害を受けた市街地の様子を映したりという場面もあります。(ロケは千葉で主に行われたそうです。リアリティーという点ではどうしても2011年からの時間経過の分だけ落ちてしまいますね)

一方で被災地の住民に向けてカメラを構え、報道(=自分たちの利益)のために写真を撮るカメラマンを見て、政志が写真を「撮れやんよ…」の境地に至ってしまうシーンもありました。

そんな中で思い出すのが、廣木隆一監督の『彼女の人生は間違いじゃない』でした。
「震災から5年後の福島」という舞台で、登場人物は被災地の写真を撮って展示する選択をします。当然ながらそれへの反対意見もありました。

『浅田家!』の政志は、写真を撮ることで人々のニーズに応え、人々のためにシャッターを切る職人だったはずです。
そんな彼のカメラが相手を傷つける手段になってしまうかもしれない。このジレンマはとても身に沁みました。

僕は東日本大震災の起きた当時、報道の会社で働いていました。

記者やカメラマンが撮ってきた写真を見て事実を知るとともに、「果たしてこの写真撮影は本当に必要なことなのか?人道に反していることなのではないだろうか?」という疑問もありました。その後に被災地に行って話も聞きましたし、カメラを向けたカメラマンにも話は聞きました。
どちらの言い分もわかります。おそらくはずっと解決しない疑問です。

『彼女の人生は間違いじゃない』もそうでしたが、『浅田家!』で政志が見せた惑いは、自分があの当時抱いていたものと似ていたと思います。
自分の感情と現実の折り合いのつけ方、自分に今できることの探し方。
迷いながらそれでも逃げずに進もうとする政志に、ディッキーズのツナギに身を包む二宮和也にいたく感動しました。

そして「私も家族写真を撮ってほしい」の内海家にカメラを政志が向けたシーンで、感情は崩壊しました。
この映画で最も出回っているであろう、二宮和也が腕時計をつけてカメラを構えるあの画。全てはここに繋がっていたのかと決壊しました。美しすぎます。

内海莉子の方言について
内海家の莉子ちゃん(後藤由依良)の操る方言は、イントネーションの高低に沖縄っぽさを感じましたが、あとで調べてみると岩手北部沿岸の言葉遣いはああいう感じのようです!

容赦ない逆境続きに感動した理由

『浅田家!』では、佐伯家、震災、さらにはお父さん(平田満)の脳梗塞と、逆境的なシーンが続きました。何度も言いますが、この映画は本当に容赦がなかったです。

僕が感情を揺さぶられて泣いたところもそういう場面だったわけですけど、そもそも何でこんなにダイレクトに涙腺にきてしまったのか、っていうところを考えてみると、その理由には政志を演じた二宮和也さんがあったと思いました。

子供が闘病中の佐伯家の場合も、震災によって日常が一変してしまった内海家や高原家の場合も、政志は関係者ではあっても、当事者ではありませんでした。
関係した家族たちに彼がどんなに思いを馳せて共感しようと、その痛みやしんどさを完全に理解することはできません。
お父さんが病に倒れた時も、一番主観的に家族の危機を捉えていたのは長男の幸宏(妻夫木聡)だったと思います。

“決して当事者にはなれない関係者”として自分に何ができるだろうか?
それを二宮和也の政志は消化し、スクリーンを観ている我々と一緒になって表現していました。

すごく乱暴な言い方をしてしまえば、悲劇的な要素に政志を徹底的に寄り添わせて、悲しみの涙を誘う展開もあったはずです。
でも悲劇的な要素に悲劇として寄り添うことをしなかった。二宮さんの政志も、またおそらく現実の浅田政志さんも。

最初に書いたように、この作品に対する自分の中での“感動”のハードルは高かったと思います。
それを越えてなお、感情の鎖をぶっちぎってきた『浅田家!』。ラストのお父さんのご臨終シーンもとても良かったと思います。ぐちゃぐちゃになった自分の泣き顔が泣き笑いになった気がしました。

涙の量は今年一番。凄かったです。

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彼女の人生は間違いじゃない

感想部分でもご紹介しましたが、震災と写真という部分で『浅田家!』に通じ合う部分があります。「震災後のリアル」を真剣に描いた廣木隆一監督ならではの作品。

東京公園

幼い頃に亡くしたお母さんの影響で、カメラマンを目指す大学生の主人公・光司。公園で家族写真を撮る光司役を三浦春馬さんが演じました。
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